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11.18.2016

原発は地球上にあってはならないもの



現在、福島原発事故から約6年弱、日本は、2020年のオリンピックに向けて、民意を福島事故から背けるべく、原発企業とそれに後押しされている政府・地元自治体・原発に巣くう専門家集団が、懸命な努力を傾けています。そして、多くの市民の反対にも拘らず、原発再稼働を推進しています。これは、現政権の与党ばかりでなく、最大野党の民進党も同様な態度を示しているようで、大変困った状況です。
 この根本には、原発というか、それが必然的に作ってしまう放射性物質が出す放射線が、人間に限らず生命を破壊するという機能をもっていることについての無理解があります。これは、政治、経済、社会レベルの問題などを超越した、「生命の存続」の問題なのですが、今までのところ、隠そうとする側の努力もあって、人類の多くの目からは隠されている。それは、根本的には放射線は人間の感覚にはかからないことと、漏れ出ている放射性物質の量が、まだかなり局所に限られているために、隠そうとする側の努力でも隠しうる程度であるからに過ぎません。注意深い目をもった少数の人々には見えてはいるのですが。このまま、原発を使いつづけたら、いずれは、隠しきれなくなるでしょう。いや福島の事故ですら、今後ますます放射線の悪影響があらわになってくるでしょう。
 原発が作り出す放射性廃棄物の問題は、おそらく原発を推進・継続する側でも充分に理解していると思われる。だからこそ、悪影響を隠そうと懸命なのであり、廃炉に伴う問題の根本に、放射性廃棄物の処理が横たわっていること、その困難さを意識せざるをえないようである。その困難には、科学的に放射性物質の地球上での処置が根本的に不可能に近いこと、廃炉・廃棄物処理を行うにあたっての経済的負担、これは天文学的レベルの額である、それを誰がどう負担するかー今それが問われている。すなわち、原発は、一度造って運転してしまったら、始末に困るものなのである。だから原発は地球上に造ってはいけなかったものであり、現在ある原発は、是非とも、早急に廃炉にし、できるだけ安全に処理しなければならない。原発再稼働などは愚の骨頂である。原発推進・擁護などのためのニセ科学でなく、廃炉を安全に速やかに行うための科学を、 多くの真の科学・技術者が始めなければならないのです。
 そこで、どうして 放射線は生命を破壊するのか、したがって、原発はどうして地球上にあってはならないのか、その理由を考えてみましょう。
 まず、最初に、ご存知のように、この広い宇宙で、地球のように生命のある天体は、まだ見つかっていません。その可能性がある天体はいくつか見つかってはいるが。宇宙にはべらぼうに沢山の天体があるが、その大部分(99.9999%以上)は、地球のように生命が存在できる条件がないのです。地球は実にまれな存在なのです。それは、地球上にある物質の大部分(99.9999%以上)が、安定な原子からできている上に、外からくる放射線(宇宙線)をある程度防御するシステムが自然にできているからなのです。もちろん、液体の水が存在できるような適当な温度が保たれうる条件があることも必要です。この最後の問題は、現在の地球温暖化と基本的なところで結びついてはいますが、ここではこの問題は省きます。
 「大部分が安定な原子でできている」ということの意味を考えてみましょう。ご存知のように、地球上のあらゆる物質は、原子が組み合わさってできる化合物(分子という方がよくわかるかもしれません)でできている。原子は、その真ん中に原子核という非常に小さな固まりがあって、そのまわりを電子というマイナスの電荷を持つ微小粒子が廻っていることはご存知かと思います。原子核には、 電荷をもたない中性子という素粒子とプラスの電荷を持つ陽子が含まれている。すなわち、これらの粒子が、非常に狭いところにぎゅうぎゅう詰めになっている。陽子はプラスの電荷をもっているので、陽子同志は通常の意味(静電気力)では反発しあうはず。ところが、原子核では狭いところに沢山の中性子と陽子が押し込められているのです。この力は、核力といわれ、電磁気的反発力なども押さえつけることのできるモノで、通常我々が経験する電磁気力の数百万倍の強い力なのです。
 さて原子核は、核力に支配されていて多くは安定なのですが、原子核の構成によっては不安定な場合があります。不安定なものは、自然の成り行きとして、安定な状態になりたがります。この不安定な原子核が、安定なものに成る過程を核の崩壊というのですが、その安定の成り方にいくつかの方法があります(α、β崩壊など、γは崩壊とは少し違う)。そして、その安定化の過程で、不安定状態から安定状態へのエネルギー差を放射線として放出するのです。こうした核を放射性核種といいます。放射線のもつエネルギーは核力に支配されている核の変化に基づくので、非常に大きなエネルギーなのです。これが放射線の生命への悪影響の根本理由です。
 多くの天体(恒星)は、原子核で構成された核力が支配する世界です。太陽がしかり、主なものは水素原子核で、それがいわゆる原子核融合反応でヘリウムになるのだが、その際に膨大なエネルギーを出す。そのうちの一部(赤外〜可視〜紫外線の一部)は地球とそれに生息する生命を支えているが、それはほんの一部で、エネルギーの大部分は、宇宙線として放出されている。宇宙線は放射線と同種のもので、もちろん太陽には生命は存在できない。
 さて、現在の地球は幸いに、こうした放射性核種は、非常に微量で、地球上の原子の大部分(99.9999%), 安定なものである。我々の体、あらゆる生命、石炭、石油、鉄鉱石、海水などなど、あらゆる地球上の物質は安定な核をもつ原子で出来ている。そのため、地球上の物質は、不安定な原子核からの放射線の破壊作用に晒されることは、ほとんどない。宇宙の塵が集積して地球が出来た頃は、かなりの放射性物質があったと思われるが、大部分は半減期が短いので、地球に生命が出始めたころまでには大方消滅してしまった。現在も残っているウラン−238とか、トリウム−230、カリウム−40などは、半減期の非常に長いものである。
 宇宙線も地球に注いでいるのだが、幸い、その多くは地上にまでは届かない。電荷を帯びた放射性粒子(α線、陽子線など)は、地球を取り巻く地磁気によって進行方向を曲げられて、地球をそれて行き、地上にまであまり届かない。というわけで、γ線、中性子線が主な宇宙線であるが、もちろん、大気中の分子に作用して、大方は減速する。大気中の窒素(N)を放射性の炭素C14に変えることなどはやるが。宇宙線による放射線量が地上で完全にゼロになるわけではない。
 以上のような理由により、地球上の生命は、天然の放射線から悪影響を受けることが少ない。ただし、天然の放射線も、人間が作り出す放射線と同様に、生物に悪影響を及ぼすことは、最近の研究からわかってきている。
 さて、人類は、核分裂反応を発見し、早速兵器に利用した。そして、平和利用としても使えるとして、核分裂の熱で発電することを始めた。核兵器の破壊力は、目に見える形で発揮されるので、誰しもその悪は認識している。これは、一気に発生する大量の熱とそれによる大気の瞬時の拡張による強烈な爆風による。核爆発と同時に、熱の他に大量の放射性物質がつくられたのであるが、この影響についてはあまり理解されていないようである。
 この放射性物質による影響は2つの異なった仕方で現れた。まず、原爆爆発の核分裂の結果できた放射性物質から出た大量の放射線は、広島長崎の爆心地では160から350シーベルト、1km離れたあたりでも10シーベルト程度あり、これに晒された(外部からなので外部被曝という)人々はほとんど瞬時に死亡、または数ヶ月以内には死亡した。もう一方は、爆発時には広島市内や長崎市内におらず、数日後に入市した人たちの間でも、同じような影響が見られた。そして、生き延びた人たちも、長年にわたって様々な健康障害に悩まされた。これらは、爆発時に生成した放射性物質が微小粒子(死の灰)として空気中に漂っていたものが、なんらかのルートで体内に入り、体内から放射線を浴びせるという、内部被曝によるものであった。原発でも原爆爆発と同様に放射性物質が大量に出来てしまう。典型的な原子炉は1年の運転で、広島型原爆1000発分の放射性物質を作る。そしてそれからの放射線は、原爆での影響と同様な健康への悪影響を引き起こす。
 では、どうして放射線は健康を害するのか。どの程度なら安全なのか、などを簡単に議論してみましょう。まず、放射線の線量強度は、ご存知のように、吸収線量グレイ(Gy)と、生体への影響、等価線量シーベルト(Sv)で表現される。Gyは体1kgに吸収される放射線エネルギー:ジュール(J)でGy = J/kgと表される。等価線量値シーベルトは、放射線の種類によって生物への影響が違うので、それを考慮に入れたものだが、ここではその議論には立ち入らない。外部被曝の場合はγ線が主なものであり、数値的には、GySvなので、Gyで議論する。
 先に述べたように、10SvGy)を浴びれば、人は即死である。10Gyは定義により10/kgである。これを通常の熱エネルギーとすると、体温を僅か0.0024度上げるに過ぎない。こんな体温上昇で、人間死ぬわけはない。ほとんど何も感じないであろう。ところが、これが放射線からのエネルギーとすると、人間は即死なのである。どうなっているのか。これが放射線の健康障害の理由を解く鍵を与えてくれるが、こうした疑問を呈することすら、希なようである。
 この問題を解くには、生命なり地球上の物質がどういうもので、どんな風に働いているかを理解する必要がある。地球上の物質は、化合物と総称してよい。それは、原子が組み合わさって、原子−原子間に化学結合という結びつきが出来て、分子(より一般的には化合物)というモノが出来る。この分子が多数集まったものが我々が日常見る物質である。液体の水10グラムは、超微小な水という分子が沢山(3の後にゼロが23個ついた数)集まったもので、水分子はご存知のように、H2O すなわち、水素(H)原子2個と酸素(O)原子1個からできていて、H-O-Hという構造になっている。このHOを繋いでいるのが、化学結合で、電子2個が原子を繫げる接着剤の役目をしている。これはマイナス電荷を持つ電子が、プラス電荷を持つ原子核の間に入って、プラス電荷を引きつけておくことによって、2原子を結びつけているのである。DNAもタンパク質も、あらゆる化合物は、そうした原子の間に電子が入り、電磁気力によって結びつけて成立している。生命が依存している化学反応は、すべて電子レベルの変化で起る(原子核そのものは変化しない)が、それは、電磁気力に依存している。この化学反応に伴うエネルギー変化は、比較的小さく、1から100eV(エレクトロンボルト)の程度である(今はeVはエネルギーの単位であると云うだけで、それ以上の説明は省く。これからは、同じ単位の話しになるので、数値の大きさだけが問題)。
 先ほども述べたように、放射線という現象は、主に核反応に基づくので、非常に強い核力に支配されている。そのため、放射線(1本、または粒子としては1個)のエネルギーは上の化学反応のエネルギーに比較して、数桁も大きい。主な例を上げると、トリチウム(T)のβ線は、もっとも小さい部類で、約20キロeVKeV, セシウム(Cs)−137は、β線とγ線をあわせてやく1.2メガeVMeV, 大きいほうで、プルトニウム(Pu)−2395.2MeVである。多くの放射線は、およそ1 MeV程度である。メガは百万であるから、1 MeVは化学反応に要するエネルギーの1万から百万倍ほどである。
 さて、放射線の生体への影響の基本は、放射線(粒子)が生体内の化合物(分子)にどんな作用をするかである。それは、「電離作用」といわれている。放射線(粒子)が分子にあたると、電子を蹴り出すという意味である。蹴り出すとどうなるか、想像していただきたい。原子間を繋いでいる電子を蹴り出せば、その結合は切れ、分子は破壊される。他のところの電子ならば、分子はいわゆるフリーラジカルに成る。フリーラジカルは、他の分子をフリーラジカルにして、変形・破壊する。こういう放射線の作用に抗する機構は生体にはあり得ない。それは、放射性粒子のエネルギーが、分子間を繋ぐエネルギーと較べると圧倒的に大きく、化学的手段で、この圧倒的な破壊力に対抗できないからである。ただし、破壊の程度があまり大きくない場合には、損傷を修復したり、細胞機能をなんとか回復する機構は少しはある。DNAには、特に多くの修復機構が作られているが、もともと放射線による損傷に対応するためにできたわけではないので、放射線による無差別的な損傷には対処できない場合もある。これが、「放射線が、本来、生命とは相容れない」理由である。
 さて、1個の放射性粒子が、どのくらいの分子を破壊するのか、およその数を考えてみましょう。分子の結合を切るエネルギーを30 eV、飛び出した電子が20 eVぐらいのエネルギーを持って行く、すなわち、分子から電子を蹴り出すのに、50 eV消費すると仮定する。そして、放射性粒子は1 MeVのエネルギーをもっているとする。この粒子はまず一つの分子から電子を蹴り出して、50 eVを失う。しかし、まだ沢山のエネルギーが残っているから、次の分子にあたっても電子を蹴り出せる。この粒子は、当るを幸い、分子を次から次へと壊していく。この場合、計算上は約2万個の分子を壊す。この数は、場合場合によりかなり異なるであろうが、数百から数千個(から万)ぐらいではあろう。下の計算では、この値を2000と仮定する。
 10シーベルト=10/kg、すなわち即死のケースを考えてみよう。10 Jのエネルギーには何個の放射性粒子(1MeV)が必要であろうか。この計算にはエネルギーの単位JeVの関係が必要である。それは、1 eV= 1.6028 x 10-19 Jである。1 MeV1.6 x 10-13 Jである。10 Jを与えるには、6.25 x 1013個の放射性粒子が作用することになる。人間の体1kgにはおよそ1兆個の細胞があるので、この放射線がすべての細胞に均等に作用したと仮定すると、細胞1個あたり、約60個の放射性粒子が作用することになる。したがって、各細胞中の60 x 2000=12万個の分子が一気に壊される。壊される分子には様々なものがあり、大部分は水ではあるが、細胞膜だったり、重要なタンパク質、DNAなどが壊され、多くの細胞が壊死し、死に至るであろう。これが、10 Sv=10 J/kgと云うエネルギー的には微量だが、それが放射線として作用した場合に、致命的な影響を生体に与える理由である。
 本当にこんなことが起るのか。23の観察例をあげておく。広島の現場にいた医師(肥田舜太郎)の観察にこんな記述がある:
 「火傷のあとも無い人が、40度以上の熱を出していた。そうしてその人たちは、目から、鼻から、口から血を流し始めた。なにが起っているかを見るために、口の中を覗こうとしたが、とてもできなかった。それは、悪臭などというものではなく、体内の臓器が腐った匂いであった。彼らは、数時間後にはみな死亡した」
これは、放射線によって、臓器が破壊されたことを意味するであろう。
 もう一つ例を上げる:1999年9月30日に起った東海村にある核燃料加工会社(JCO)の臨界事故で、大量の放射線(主として中性子で、17 Svであったと推定されている)を浴びた社員の死に至るまでの83日間の観察結果の報告では、この患者を扱った医師達の話としてこう表現されている:「DNAの2重ラセンがズタズタに切断されていた...心臓も停止し、多臓器不全ということで亡くなった」。多くの分子(DNAを含む)、細胞・臓器が破壊されたことを意味する。
  低線量、例えば、10 Sv100分の1の100 ミリシーベルト(mSv)では、各細胞が、その中の1200個の分子を壊されることになる。壊される分子のなかにはDNAが含まれる可能性はあるだろう。このDNA損傷がやがてはガンに進行することはあり得る。なお、DNA以外の分子が壊されて、それが例えば、細胞の正常機能が害されれば、ある種の病気に成りうる。すなわち、放射線の影響は、ガンには限らないのである。
 以上の記述からわかることの一つは、シーベルト(グレイ)は、体に作用する放射性粒子の数を表していることである。1個の放射性粒子が、細胞にあたってDNAを破壊する可能性は、非常に小さいがゼロではない。この確率をRとすると、100個の放射性粒子があたれば、DNAが壊される可能性は100倍の100R。そして、100倍の数の放射性粒子が細胞に与える線量は、100倍。だから、例えば、 DNAが壊されて、やがてガンに進行する確率も大雑把にいえば、100倍になる、ということは、線量に比例することを意味する。DNA損傷からガンへの進行は非常に複雑な過程なので、こんな簡単な関係は厳密にはないであろうが、大凡はこうなるであろう。これが、いわゆる病気の発症率と放射線量との関係のLNT(閾値なしの直線関係)仮説の理由である。
 現実には、LNT関係は、かなりの数の研究例で示されている。このことの意味は、50ミリシーベルトである種のガンになる確率は、500ミリシーベルトのそれの10分の1。低線量だからといって、ガンに成らないわけではなく、確率が低いだけである。現実に、チェルノブイリ事故による小児甲状腺ガンの発症数は、100mSv以下で全体の51.3%、10mSv以下で、全体の16%であった。また、広島、長崎の原爆被曝者についての長年にわたる追跡調査でも、固形ガンその他の発症率がおよそ放射線量に比例していることが示されている。
 以上が、「放射線が生命と相容れない」ことの説明である。そうした放射性物質が、地球上に大量に作られることが、地球上の生命にとって大変危険であることを意味する。放射性物質が、始末に困る代物であることは、基本的にはこのことに由来するが、さらに、実際的に困ったことは、放射性核は、地球上の化学的手段では、その挙動を変えることができないことである。放射性核の崩壊現象は、化学的手段では変えられないので、半減期で規定されている速度で消滅するのを待つのみである.例えば、こういうことがありうる。半減期の長い放射性物質が体の内部に入って死亡したとする。この死体は火葬に付されるだろう。細菌やバクテリアで死亡した場合、それらの細菌、バクテリアは付着した人間の死とともに死ぬが、そうでなくとも、火葬の際には、焼却される。ところが、放射性物質は火葬では、消却できない。したがって、墓に骨と一緒に置かれるか、火葬の際に空中に放出される。いずれにしても、この同じ放射性物質は、また別の人に入りこんで、健康に影響するかもしれない。放射線に晒されている人は、時が経つに従って、積算線量は増大していく。したがって、健康障害を起こす確率はどんどん増えて行く。
 放射線は、生体ばかりでなく、あらゆる化合物(物質)を破壊する。生体ほど、敏感には影響されないが。放射性物質、特に高線量の原発廃棄物、を保存する容器(化学物質)は長年にわたって放射線を受けるので、破損の可能性がある。現在問題になっているプルトニウムなどは、半減期が2万4千年で、それがほとんど消滅するには、その20倍、48万年かかる。この間、地球生物に影響しないように安全な保管は可能なのであろうか。
 これらのすべての理由から、放射性物質を大量に作り出す原発は、本来地球上にあってはならないものなのである。その上、現在問題になっている、事故を起こした炉の廃棄の技術的な難しさとそれに伴う費用、そして事故による犠牲者への賠償などの費用は、天文学的レベルであり、正直なところ、企業ばかりでなく、国の経済基盤も脅かす。実はそのために、政府は、支援費用を極力抑えるために、汚染地帯の福島住民の帰還をしゃにむに強行しようとしているわけである。
 日本は、今が脱原発の絶好の機会である。是非、国民の声を上げて、政策を脱原発に向けるようにしなければならない。
(日刊ベリタからの転載)

 
 


7.14.2016

Nuclear Issues in 21st century;21世紀の核を考える(原爆展2016)

                  Nuclear Issues in 21st Century
                     (Atomic Bomb Exhibition 2016)

20th century saw the invention of nuclear weapon based on nuclear fission and its application to the production of electricity.  Both the nuclear weapons and nuclear power reactors need to be abolished in 21st century.  For the “nuclear” and its associated “radiation” are not compatible with life on the earth.  It is not only the tragedy of Hiroshima and Nagasaki, but also that of the entire human race, as Obama, the first US president who visited Hiroshima, suggested.  We will explore the issues of the “Nuclear” in our century at this year’s atomic bomb exhibition.

(1)  Panels to show the horrors of Atomic Bomb (all day long, July 30 and 31)
(2)  Obama’s visit to Hiroshima
(3)  Slide talk: The Nuclear Issues in 21st century” (3-4 pm on July 30 and 31)
(4)  Screening of a documentary “Watch That Day” (Rebecca Irby, director)

at  Japanese Language School at 487 Alexander Street, Vancouver (refer to the map below)


   21世紀の核を考える(原爆展2016

核分裂が発見され、それが核兵器に使用されて人類の上に落とされたのが20世紀中葉、21世紀は、この核兵器と核発電をこの地上からなくす世紀とならなければなりません。核兵器の使用、核発電の増加は、人類や地球上の生命を滅ぼしかねないからです。これは、広島・長崎の悲劇を超えた人類全体の問題なのです。そのことは、初めて現職大統領として広島を訪れたオバマ氏のメッセージの骨子でもあります。この原爆展では21世紀の核の問題を考えてみます。

(1)原爆の悲惨さを示す写真/絵の展示730/31日 終日)
(2)オバマ大統領広島訪問
(3)講演:「21世紀の核の問題」(英語;スライドつき)
(7月30/31日、午後34時、展示場で)
(4)Watch That Day」(広島を忘れないように:Rebecca Irby監督)

場所日本語学校 487 Alexander Street, Vancouver (下の地図参照)


There will be an opportunity to learn how to make paper cranes.

Vancouver Save Article 9  (VSA9)
        バンクーバー9条の会
       Contact: eo1921@telus.net




6.09.2016

ニホニウムの騒ぎに騙されないよう

以下は、日刊ベリタ紙に掲載された記事の転載である。


ニホニウムなるものが、ニュースで大分さわがれているようですが、その背景にある意図にだまされないように、騒ぎは無視してください。その根拠の一端を少し科学的すぎますが、ちょっと。
 現在の地球に天然に存在する元素は92種。元素は、原子番号(原子核のなかの陽子の数)で規定され、原子番号1が水素、2がヘリウム、、、、6は炭素、8が酸素、などなどといって原子番号92がウラン。これ以上原子番号の大きい元素は天然にはない。しかし、これより原子番号の大きい元素は理論上は可能であることはわかっていたので、それらをなんとか作り出そうと科学者は試みてきた。その結果、現在では、原子番号93から112ぐらいまでの元素が人間によって合成された。今回のニホニウムは113。これらは超ウラン元素と呼ばれる。
 さて、これら超ウラン元素をどうやって人間が作るか。そのやりかたは、ウランなどに、中性子をあてるのが比較的簡単。というのは、中性子は、電気的に中性なので、原子核(陽の電荷をもつ)に当て易い。プルトニウム(原子番号94)は、原子炉の中で、核分裂しないウラン–238に中性子があたって、出来てしまう。そのほかの超ウラン元素(あまり原子番号の大きくないもの)もある程度このような中性子の作用でできるが、原子番号が大きいものは、これだけではなかなか出来ない。そこで、大きな元素と元素を衝突させて、それらが合体してできる(核融合)ことを期待して、試みられている。今回の原子番号113もそうやってできた。これは、猛烈な速度で衝突させないと出来ないので、サイクロトロンなどの加速器で光の速度に近いまでに加速してやる。
 さて、これを作り出した森田教授は、この新元素合成と原爆を結びつけているようだが、あまりにも無理。ただ、こうした試み(新元素を作ろう)の最初が、中性子を元素に当てるやり方で、たまたまウラン–235に中性子を当ててみたら、超ウラン元素が出来るどころか、分裂して小さい元素になってしまった(核分裂)。それが原爆・原発につながっていくのだが、今回の新元素の合成を、これと関連づけるのは、どうかと思う。
 正直に云って、こんなモノを作り出してどうということはない。科学上の原理が、超ウラン元素の可能性を示しているので、作ってみたにすぎない。なんのために。ほとんど使い道はないし、あったとしても、大量に安く作れるわけではない。莫大なカネをつかって、ほんの少し、その存在とある程度の性質がわかる程度の量しかできない。113の場合は、出来てすぐ消えてしまう。
 実は、こうした超ウラン元素のいくつかは、おそらく地球生成時にはあったと思われるが、半減期が比較的短いので、人類が誕生する以前になくなってしまった。いや大部分は生命が誕生する以前に消滅した。なおこれらすべての超ウラン元素はアルファ線をだす放射性元素ですから、なくなって結構だったのです。それを今更作り出そうなど、必要はない。科学理論の証明目的以外には。とくに問題なのはプルトニウム。なお、ウランは非常に長い半減期を持っているので、地球が出来た時にあったものが、だんだん減ってきたとはいえ、まだ残っているものです。
 天然にある元素の語源は、様々だが、超ウラン元素は、著明な研究者や、ギリシャ神話 、研究所の所在地などに基づいて命名されてきた。プルトニウムはギリシャ神話から、そのほか、アインシュタニウム、アメリシウム、カリフォニウム、ノーベリウム、フェルミウムなどがあるが、最近は、なかなか適当な名前が見つからず、苦労しているようである。ニホニウムなんて、あまり響きはよくないですが、気にしないことです。騒ぎ立てるほどのことはない。
 ところが、日本政府は、この事象、特に名前、が日本のアジアにおける優位さを表すなどと、騒ぎ立てている。そのうえ、このモノ(新元素)がどんなもので、その合成がどんな意義があるかもわからない人々に、その大切さ、原爆・原発との関連などを強調して、現今の反原発(反原爆はもちろんのこと)の雰囲気に油をさそうとしているかに見える。騒ぎに騙されないように。



6.03.2016

日本国という宗教

以下は、2008年1月10日に日刊ベリタに掲載された論考であるが、現在でも意義があるかもしれないので、再掲載します。現在の「日本会議」論争などに参考になるかも。


日本国という宗教
2008.01.10

日本と周辺国との歴史には、近代以前は、元帝国(モンゴール)による2回にわたる日本侵攻の試みがあり、戦国時代後半秀吉が明帝国攻略を意図して朝鮮へ2回にわたり出兵したなどがあったが、古代には、中国、朝鮮との交流は盛んであり、特に日本による彼の地の文化/文明の摂取は日本の歴史形成に大きく貢献した。すなわち、秀吉の試みを除けば、江戸時代末まで、周辺国とはかなり友好的な関係が保たれたようである。中国は、その中華思想に基づいて、日本を遇していたとしてもであるが。しかし、明治維新以来日本は周辺国への侵略者になってしまった。
さて江戸時代2世紀半の長きにわたって日本は260程の小国に分断されて、武士から庶民まで日本人意識はあまりなく、藩への帰属意識が殆どすべてであった。一方天皇という存在は、軍事政権による政治の影に隠れて、鎌倉時代以降の殆どの時期(例外はあった)国民の意識には強くは映ってはいなかったようである。
明治革命政府は、そうした藩意識を壊して日本人意識を植え付ける必要に迫られた。制度上は、廃藩置県、士族の廃止などの政策を進める一方、「天皇は神であり、日本に住む人民全員はその赤子(臣民)である」という神話をつくりあげ、それを明治憲法の基本に据えた。それにより、藩への帰属意識は払拭され、藩に所属した武士も農民も平等な日本国民と看做されえ、例えば等しく日本国軍人になりうる。ここに、日本国に属する人民イコール日本民族が創作され、日本民族は、天皇を親とする家族であるとなった。この神話は明治憲法起草者達の苦肉の発明であったと思われるが、それを多くの手段で、日本国民に定着させる策を実行した。天皇を担ぎ出して大々的な全国巡行を実施し、国民皆兵制(天皇への忠誠をもとに)を敷き、教育面では、幼児期から国民にこの観念を植え付けるべく教育勅語を発した。
江戸期には、儒教的「皇帝」概念なるものは知られていたが、こうした中国的皇帝の概念は日本には根を下ろすことはなかった。幕末の「尊王」思想は、軍事政権たる徳川幕府に対する、古から存在したただ単に漠然とした「スメラミコト」への回帰に過ぎず、確たる理論武装(皮相なそれはあった)が伴っていたとは思われない。勿論、後の「天皇=神=日本国体」は主要な概念ではなかった。
さて宗教の根本は、おそらく、人間存在の非条理性自分の意志に関係なく産まれ、死を免れないというーに拠り所を与えるものと思われる。中近東に発生した3大宗教では、その拠り所は超自然的絶対神であって、それを信仰することによって心の安寧を得るが、自分達の神以外の神の信仰者に対する許容度は低い。それは、自分達の神こそが最も正当な神と信じるが故である。そして自分達は神に選ばれたものと確信する(選民意識)。もう一つ、これらの組織的宗教は精神生活、日常生活に対する規範を聖典として提供し、人々の人生を律するし、それが場合によっては社会に善をなすことに貢献することは否定する必要はない。
日本には、元来こうした形態の宗教は存在しなかった。外来の儒教、仏教は、聖典は導入されてはいても、それが人々の精神生活、日常生活を律することはなかった(中国、東南アジア諸国やインド(仏教からヒンドーが主流にはなったが)でのように)。単なる生活習慣ぐらいのものはある。神道には、聖典に相当するものはない。そこで、明治政府が作り出した「日本国体=天皇」神話を中心にした明治憲法が宗教の役目を担うことになったと考えられる(山本七平=イザヤベンダサン氏言うところの「日本教」とは無関係)。江戸時代には、「藩、藩主」への帰属意識が人々の生存根拠ではあったのであろう。そして、藩、藩主の為に生き、死ぬことが封建社会では名誉とされ、人々(少なくとも多くの武士)はそう思い込んでいた。明治政府は、藩を「日本国」に、藩主を「天皇」にと拡大させたのである。明治10年代頃から彷彿と起った「自由民権」(主権在民)運動を否定するためでもあった。すなわち国会開設などのある程度の民主化は容認するものの、本質的には「封建制」の再確立であった。封建制は、力で民衆を押さえている限り、政治形態の一種だが、民衆が、体制側が掲げる主体への帰属を自らの拠り所とするようになった時点で宗教に変身する。
明治以降の日本の人々は、日本民族の一人であり、天皇の臣民であるというところに、自分の存在の拠り所を見いだしたのであろう、いや見いだすように仕向けられた。そして、多くの人は、そこに誇りを見い出し、その(天皇=日本国体)ために死ぬことを誇りと思い込まされたし、実際思い込んでしまった。この考え方の極致が「特攻」である(実情は、かなりの強制があったらしいが)。
これは、日中戦争、第2次大戦へ進む過程で、更に徹底されていった。その過程で、戦死者を日本国体=天皇を守るために進んで自分の命を投げ出した英雄に祭り上げ、その人達の霊を祀ると称して、靖国神社なるものを立ち上げた。また宗教のもう一つの側面である、日本人の選民性=周辺国民の蔑視も強調され、日本人に植え付けられた。おそらく明治の元勲達の意図は、単に「日本」という国を作り上げるためということであったと思われる。しかしながら、その後は、市場や経済圏を広げたいという、この時期から急成長し始めた企業とその後押しをする軍閥が、その元勲達の意図を超えて、侵略戦争に人民を駆り出すための宗教へと変えていった。
この時期までに、世界規模で展開されてきた欧米の植民地政策−市場拡大とそれがもたらす各種の利益に、企業家や軍閥などが毒されてしまったもののごとくである。欧米から開始されたこうした進展(産業革命も含めて)は、多くの人々に物質的豊かさ/生活の快適さをもたらしたーこれは人間にとって非常に魅力的である。(こういう文明はしかし、地球上の人類にとって持続不可能であることは言うまでもないが、この点は別に議論する必要がある)
この魅力は、現在でも充分に人類を魅了しているし、欧米諸国民のみならず、後進国の多くもこの魅力にとりつかれている。日本はといえば、全体的に見れば、充分すぎるほど物質的に豊かになったにも拘わらず、さらなる物質欲のみが多くの人の関心事になり、生きる拠り所がそれのみ(拝金主義という宗教)になってしまった。その上、一部の人達は憲法を改定してまで、自分達の利益の更なる増大をはかろうとしているようである。そのため、またぞろ、政府/財界などは旧憲法への回帰を画策している。すでに戦後の教育基本法を強引に改悪してしまって、国体=天皇への忠誠を国民(幼児から)に刷り込もうとしている。この宗教は第2次世界大戦での敗戦で破綻したはずだが、その教義に縛り付けられている人々がまだかなりいるようである。こういう人達が、新憲法改悪を画策している。しかし、生きる拠り所を見失っている日本の多くの人には、国体=天皇が彼らの拠り所を提供しかねないことは充分に考えられる。
すなわち、彼らに宗教を提供するのである。今のうちに、宗教にまでに至らないように、人々にその危険性を悟ってもらわなければならない。「美しい日本」とか「戦後レジームからの脱却」などのキャッチフレーズに誤摩化されないように、その背後の意図を汲み取ってもらわねばならない。その意図とは日本を軍事力を行使できる“正常”な国家にしようというものである。そして現在世界中から顰蹙をかっている国家(というよりその行政府)と行動を共にしようという、まともに考えれば理解しかねる意図(日本国の利益に反する)のようである。自衛権の行使を正当化したいだけともいう。また、かの国が始めた「テロ」撲滅への支援ともいう。これらの動きの本音(政府や通常のメデイアの報道より深く)を知ってそういう宣伝の不正当さを判断する必要がある。

考えなければならない問題は多いが、いくつかをあげると;(1)「テロ」の本質を理解することーなぜ「テロ」に走らざるをえないのかー「テロ」に対して「武力=テロ」による対抗手段は有効なのかー「テロ」の本質が理解されれば武力以外の解決方法があり得るのではないかー等々、(2)「テロ」のすべては、かの国の大統領が宣伝するような組織なのかーあのテロ事件は本当に彼の言う通りなのか(多くの疑問点がある)。(3)自分達の都合を妨害するものを全て「テロ」という概念でくくって「悪」と看做し、武力で対抗するような考え方をする勢力に組することは日本国にとって有利なことかどうか。(4)その上で、そういうことに手を貸す(集団自衛権の行使と称して)、または自国企業の利益を防衛する(シーレーンの確保、軍需産業育成)ためと称して憲法を改定しようとしている意図を見抜くこと。すなわち、現政権の提唱する憲法改定には、国民一人一人の安全の確保などということは考慮されていないーなどなどである。