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12.11.2010

2010年の回想

この年は,天然異変や地球温暖化の影響かと思われる異常気象が世界の多くの地域で多大な被害を及ぼした。ハイチの地震は多数の死者を出し、その後の復活もはかどらないうちに洪水に見舞われ、そして恐れられていた「コレラ」の蔓延となった。コレラ流行にはまだ終息の気配がない。モスクワを中心とするロシア西部は、記録的な、長期にわたる超高温に見舞われた。日本の夏も、長期にわたって高温が続いた。そして、パキスタンの大規模な洪水。年末にはローロッパの広範囲にわたって、異常な寒気がおそった。南半球では、オーストラリアでの洪水。その他多数の天災地変(火山爆発など)。
しかし、人災も大きかった。メキシコ湾の英国石油の原油噴出事故。噴出を抑えることには成功したが、大量に吐き出された原油の回収と回収され残された原油の環境、生物などのへの影響がどの程度のものであるのか。一方、チリの鉱山事故で、地中に取り残された33人の作業員が全員47日目に無事救助されたのは世界の人々の耳目を集め、やればできるという人命救助に手本を提供した。これからの同様な事故での救助への期待・要求が高くなるであろう。それは大変な責任を企業側に要求することになる。おそらく,事故を起こさないように、安全管理を厳格にするほうが、得策であろう。
人災という点で言えば,2酸化炭素などの温室効果ガスの放出の規制も遅々として進まなかった(12月に入ってのメキシコでのCOPも含めて)。また、生物多様性の減少(多くの生物の絶滅)についての国際会議も開催されたが、有効な手は打たれなかった。これも人災である。あらゆる環境問題は人災だが。
2009年に国民多数の期待を担って始まった日米の新政権(どちらも「民主党」ということになっている)は、どちらも、国民の期待を裏切って、本年行われたアメリカでの中間選挙、日本での参議院選挙で、与党側が敗北、前政権側が復活という完全に同じ経過を辿った。しかも、日米とも新政権は、国民に嫌われたはずの前政権と同じ政策を継続することが明確になってきている。このことは、政党・政治家が政治を行っているのではなく,その背後にある存在(大企業)が政治を左右していて、どの政党が政権を握ろうと、彼らの思う通りに政治が動かされていることを意味する。このような事態では、選挙を主体とする民主主義は形骸化され、国民多数の意思は政治に反映されない。
日米とも、2007年ごろから始まった経済危機を克服できず、特に雇用機会は低迷したままで、回復の兆しがないどころか、さらに悪化する気配がある。アメリカでは、一般市民の経済困難が増す一方、経済危機を招来させた元凶の金融業界は、業績を回復し、それら企業のトップ達の収入は大幅に増大した。そして、国家運営に必要な税については、企業や収入の多い人間達からはより少なく徴収し、消費税など(金持ちにも貧乏人にも同じ)の値上げでカバーしようとしていて、上位と下位の経済格差は増大するばかりである。日本も同様のようである。
また貨幣発行というもののいい加減さ(落合:日刊ベリタ2010.11.13)の結果が、いよいよ各国の財政悪化に反映しだして、ギリシャから始まって、多くの国で財政危機を生み出している。おそらく、これらの財政危機の多くは、持てる個人や企業への税率を上げることによって、かなりの程度緩和できるものであろう。これを果敢にやる人間が政治家にいなくなってしまって、持てる人間の提灯持ちしかいなくなってしまった。それをやらずに、財政引き締めなどで、急激な給料カット、大学授業料値上げなどが実施されると、国民の反撥があることは必定である。現に多くの国で、そのような反撥に基づく反乱が起っている。
さて、東アジアに目を向けると、日中、南北朝鮮間に緊張が走った。日中間では、尖閣諸島での海上保安艇と中国漁船の衝突に端を発して、日中間の関係が急速に悪化した。尖閣諸島そのものは、日清戦争後に日本が領有したことになっていて(沖縄では、あの諸島はもっと早くから自領と考えていたらしい)、中国は長い間、それに異議を唱えてこなかったが、ここに来て、尖閣諸島が中国領であるという主張は、「台湾」や「チベット」がそうであると同程度に重要問題であると宣言している。日本では、政治家もメデイアも、あの事件のヴィデオの流出のみが大問題化されたが、本質的な問題には触れていない。アメリカが日本の尖閣諸島擁護に支持を与えているのは、あの地域がアメリカの東アジアでの中国包囲網の一環をなしているからであろう。
北朝鮮では、金正日の後任が決まり、その権威を国民や外国にアッピールする必要が生じたのであろう。そのため、無理な施策を行っている可能性がある。それが、米国からの相変わらずの脅威に対して、ウラン濃縮技術やミサイルの開発を誇示したり、南北間の緊張関係に断固とした態度をみせようとするなどとなって、表に現れたようである。
一方、南を支配している米国は、北を悪者に仕立てたい意図があるようである。韓国哨戒艇の沈没を北朝鮮によるものと世界中に印象付ける努力は、功を奏しなかった。おそらく北朝鮮はあの沈没に関与していなかったであろう。そして11月になってからの、南北の打ち合い。そして、これを機に、アメリカの東アジアに於ける軍事力を見せつける為の、米韓、そして日米の大規模な軍事演習を行った。アメリカの意図はなんなのであろう。北が「悪者」であると世界に向けて言いつのることによって、やがては、北朝鮮侵攻を正当化しようとしているのであろうか。まったくのウソで、イラク侵攻を正当化したと同様に?
次に日本の安全保障の問題、沖縄の米軍基地の問題について。日本が第2次世界大戦に敗北し、連合国(実質米国)の占領下にかなりの期間置かれた。日本本土は、講和条約により占領状態を解かれたが、沖縄はその時点では返還されなかった。それは、ソ連圏との冷戦状態へ軍事的に対処するのに、沖縄が格好の場所だからである。沖縄を名目上日本へ返還する代償として、沖縄を恒久的な米軍基地にすることが約束された。これは日米安保では、このような約束は日本全域に適用される。
数年前に自民政権下でアメリカと約束された普天間基地返還・辺野古への移設を、民主党は交渉し直し、県外移設を掲げて鳩山政権が誕生したものの,アメリカに屈従させられて、沖縄県民の意思を無視して、結局辺野古移設を約束してしまった。それに代わった菅首相も辺野古移設を継承している。沖縄県民の意思は、無視し、なんとか再選された仲井真知事を陥落させようとしている。この経緯で、沖縄県民以外の日本国民が殆どなんらの意思表示をしていないことを奇異に感じる。
この間に、尖閣諸島問題や朝鮮半島での緊張などで、日本国民は、自国の安全のためには、アメリカ軍の駐留が有利だ、したがって辺野古移設もやむを得ない、だから沖縄県民に迷惑を押しつけたままの状態に目をつぶっているように見える。アメリカの世界戦略を大局的に見て、それに協力するのが、世界平和に貢献するのか、本当に日本の安全保障に有利なのかどうかなどを考えることはないように思われる。人類の歴史の上で、今が重大な分岐点にある。日本は、その位置と戦争体験・原爆体験と平和憲法を基に、世界平和実現に重要な役割を果たせる状態にあると思うが、政治家も国民もそうしたことには意を用いていないようなのを残念に思う。
こうした様々な現象の底流にある、アメリカ政府内の秘密文書や各国間の秘密裏の交渉文書がウィキリークスで暴露された。イラク・アフガニスタンに関する文書は、糊塗されていた実情が暴かれ、アメリカの権威の失墜はあるにしても、現状を覆すほどの影響力を持たなかった。しかし、最近暴露された外交文書は、アメリカばかりでなく、世界各国の外交文書から、表面上の「建前」でなく本音が垣間みられ、本当のことがみられるのは良いとしても、外交上難しい場面が出てくる可能性がある。アメリカを主軸とするNATO連合国がロシアを軍事標的にしていることもリークのなかにはみられ、米・ロの表面上の対話姿勢が今後どのように進展するか。特に、中国が表面上の北朝鮮擁護に反し、北朝鮮政治体制に非常に批判的であることが暴露され、それが今後の東アジアの情勢にどのような影響を与えるか、懸念される。北朝鮮が暴走し、アメリカがそれを口実に北を攻撃するような事態になってほしくない。この間日本はアメリカに追従するのではなく、十分冷静に、緊張緩和、平和維持に役割を果たせるはずである。しかし主要メデイアも政治家、企業家も、多くの国民もそのような意識を持ち合わせているようにはみえない。
2010年では、欧米文明—大量生産・大量消費市場経済体制、軍需依存経済と戦争文明、各国の財政破綻—の欠点・破綻がますます顕著になった。そして、台頭してきたジャイアント中国(そして地誌的に関連するロシア)との対立・緊張増大が顕著になり、近い将来軍事対決に発展する可能性が増大した。残念ながら、この対立は、持続可能性を軸にしたものではなく、単に資源獲得競争(欧米型文明の継承)に基づくように思われる。すなわち、このような軍事対立は、いずれの側が勝利しようと、今のところ、人類文明が自滅する方向性が強い。それを回避しようとする意識をもった人はいるが、それが支配的な位置になるまでには至っていない。
そして12月、またしてもアメリカと日本の政権が同じことを決定した。アメリカでは、高所得者の低い税率を前政権からそのまま継続することにし、日本では、経済界からの圧力で、法人税を5%引き下げた。どちらも高所得層を利し、財政悪化のしわよせが低所得層に及ぶという結果になる。経済はだれが主導しているか明らかであろう。
(なお、将来の持続可能な文明のあり方の例は「アメリカ文明の終焉から持続可能な文明へ」(下記のサイトからダウンロード(無料))をご参照ください。
http://www.e-bookland.net/gateway_a/details.aspx?bookid=EBLS10071200)

11.17.2010

武器輸出規制の緩和

2010.11.17日の東京新聞の記事です。民主党と経済界が、日本政府の事実上の武器輸出全面禁止(アメリカは例外)を緩和しようとしています。この案では、まだ限られた数カ国のみが対象ですが、いずれなし崩しに拡大されることが懸念されます。


武器輸出、欧・韓・豪にも 三原則緩和、民主提言へ
2010年11月17日 朝刊
 民主党の外交・安全保障調査会(中川正春会長)がまとめた武器輸出三原則の見直し案が十六日、明らかになった。武器輸出禁止を定めた三原則の例外 としている米国に加え、英国、フランス、韓国、オーストラリアなど武器輸出管理の厳格な国も例外化して禁輸を緩和する。同調査会は月内にも政府に提言。こ れを受け、政府は年内に策定する新たな「防衛計画の大綱」(防衛大綱)に三原則見直しを盛り込むかどうかを検討する。
 武器輸出をめぐっては、佐藤内閣が一九六七年に(1)共産圏(2)国連決議で禁止された国(3)紛争当事国とその恐れのある国−には認めないとの 原則を表明。三木内閣が七六年に厳格化し、事実上の全面禁輸とした。現在は米国との武器技術供与や共同開発が例外になっている。
 民主党調査会の見直し案は、当初の三原則は維持しながら、新基準を設けて事実上の全面禁輸を緩和し、三木内閣の見解を修正する内容。具体的には、 核拡散防止条約(NPT)など大量破壊兵器に関する三つの条約と四つの国際枠組みにすべて加盟・参加し、大量破壊兵器を拡散させる恐れがない「ホワイト 国」を共同開発・輸出の相手国の目安にするとしている。
 経済産業省は現在、「ホワイト国」として米国と欧州二十カ国のほか、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アルゼンチンの計二十六カ国を指定している。
 ほかにも、共同開発・生産された武器が紛争を助長する形で第三国に輸出されることがないように、相手国に法的担保を求めることなどの新基準を提案している。

10.09.2010

「安保」再考

 リンダ・ホーグランドさんの映画「ANPO Art x War」に続き、ガヴァン・マコーマックさんを囲んでの、安保(沖縄普天間基地問題)の討論が開かれようとしています。安保・米軍基地問題を考えなおす良い機会だと思います。リンダさんの映画を日本の人にアッピールする目的で、ネット紙「日刊ベリタ」に書いた文章の一部と、この問題についての筆者の考えの一端を、安保再考の議論へのイントロのつもりで、下に掲げますので、検討ください。
。。。。。。
映画「ANPO Art x War」について

 日米安保条約改定から半世紀、安保体制がすっかり日本に根を下し、大多数の日本人はこれによって日本の安全が保障されているという「幻想」に陥っている。しかし、この改定安保が、岸政権の下で、異常な状況下で成立したことを覚えている人も大分少なくなったようである。
  1960年、新安保条約は岸首相がアメリカに行って相手側の言いなりのそれを飲んで調印してきたものである。それを日本の国会が批准しなければ発効しないが、国会内ではその批准に反対する野党の議員を放り出し、外では日本国始まって以来という大規模な反対運動の中で、審議を無視して時間切れで成立という異常な仕方で成立させられてしまったものである。
 この条約には、(今の日本人が思い込んでしまっている)アメリカの日本防衛義務は明記されていないし、日本全土の基地化が明記され、なにか事ある時には日米の事前協議はすることになっているが、日本の同意を必要とはしていない。これらの条文は日本国憲法違反の部分が多いばかりでなく、日本国の主権を完全に無視している。
 北朝鮮や中国の軍事強化などの現状では、安保とそれに基づくアメリカ軍の日本(特に沖縄)駐留が、東アジアの平和維持に貢献しているという幻想があり、だから日米同盟をさらに深化させるべきというのが、大方の政府、立法府から国民にいたるまでの考えのようであり、安保再考などを言い出すことはタブーとなっている感すらある。アメリカの安保固執は、平和維持というよりは、自国の財政難により、軍事費を日本に肩代わりさせるという意図であることは、先にも報告した(日刊ベリタ2010.09.23)。
 さて,こうした問題を思い起こさせる映画が最近作られ、上映され始めた。「ANPO Art x War」である。すでに日本でも公開されているが、カナダでは、トロントの国際映画祭で初公開され、最近バンクーバーでの国際映画祭でも上映された。監督はアメリカ人のリンダ・ホーグランドさんで、日本の政治に直接介入することを避けて、主として未公開の安保、戦争反対の芸術作品を通して安保批判を行っている。強烈で大胆な絵画(ピカソのゲルニカを思い起こさせるような)を始め、政治的配慮から今まで公開されたことのない様々な芸術作品を掘り起こして、語らせている。その合間、合間に挿入されているのは、1960年安保反対闘争の映像である。学生・労働組合員ばかりでなく、多くの普通の市民が、反対運動に参加した様がよく描かれている。(この筆者も、あの反対運動デモの中の一人であった)
。。。。。。

 さて、現実には、日本は過去65年間、外国からの侵略を受けていない。多くの日本人は、これは「安保」によるアメリカの保護のおかげであると考えているらしい。しかし、これが、本当にそうだったのか、検証する方法はない。どうして、こういう状態(日本が過去65年間外国からの攻撃にさらされなかった)が続いたのであろうか。2つの可能性があろう。(1)アメリカ軍の極東での存在が、アメリカ軍が日本保護の意思を持とうが持つまいが、存在しているだけで日本攻撃をしかけようとする国の歯止めになった。もう一つは、(2)周辺国(中国や1990年までのソ連など)は日本を攻撃する必要を感じなかったし、その余裕もなく、むしろ(攻撃によって)日本の経済成長を阻むことはマイナスであると判断したなどなどの理由で、このような状態が続いた。すなわちアメリカ軍の存在は無関係であった。(2)の理由が主なものとするならば、(1)の影響はあったとしても、主な理由にはならない。すなわち、「安保」は日本の安全に不可欠であったわけではない。(ソ連の第2次世界大戦終了時の日本への態度には、問題がある、すなわち、日本をソ連の影響下に置くような試みをしたかどうか。しかし、この時点では「安保」は存在していなかったのだから、「安保」有無の問題外である)。
 重要なことは、これからの世界で「日米安保」は必要だろうかという点であろう。すなわち「安保」をこのまま継続することは、日本や世界にとって得策かどうか。「安全保障」条約という名称による欺瞞(実際には日本保護は規定さていない)に惑わされて、大量の日本国民の血税を使い、しかも基地周辺に及ぼされる様々な負の影響をその周辺市民に押し付けてきたなどなど、マイナス要因のほうが日本にとっては大きい。アメリカ軍の日本駐留は、アメリカの帝国主義・覇権主義政策の一環であり、しかもその費用は日本に負担させている。このようなアメリカの覇権主義は、世界中の国々、人々から反感をかっている。アメリカが世界最大の軍事力をもっているから、このような状態が継続しているだけであり、世界平和をもたらすには最大の障害である。アメリカに対抗する軍事力を獲得するか、またはテロ的方法でアメリカへ報復しようとする人や国があるとすれば、世界中で最大の海外軍事基地を持つ日本が真っ先に攻撃の対象になるであろう。(なお、9/11事件が公式発表のような、本物のテロであったかどうかは疑わしい)どの面から考えても、現在の安保を継続することは、日本ばかりでなく、世界の平和達成のためにはマイナスである。
 このままの状態を続け、アメリカの言いなりに日本の軍備を拡張し、中国の軍備拡張と張り合うというような方向に進むと、世界平和への道から後退するのみであり、おそらく結果は地球文明の破滅しかないであろう。軍事均衡は理想論にすぎず、ちょっとした破綻から人類破滅へ向かう確率は非常に高い。その上,軍備に無駄なカネを使い、市民の生活の向上にはなんらの貢献をしないばかりか、世界の市民を生活苦に追い込んでいる。(銀行,軍需企業などのとてつもない金銭欲に基づく、経済格差の拡大が原因だが、カネ儲けの最たるものが、軍需産業である)。
 「安保」を廃棄し、日本が世界平和実現へのリーダーとして、憲法9条を堅持し、自衛隊を縮小し、平和条項を各国の憲法に採用する運動をすすめ,世界各国民に「非軍事的」な紛争解決が人類にとってノーマルであるという文化を作りださねばならない。そんなことは理想論に過ぎないと言われると思うが、この理想を実現しなければ、世界恒久平和はえられない。
 沖縄問題は、こうした運動の第1歩で、普天間基地廃棄(移設地提供せず)実現を手始めに、アメリカ軍事基地の縮小を、アメリカに強く求める方向にもっていく必要がある(「安保」廃棄が実現すれば,必然的にそうなるが、それが実現しなくとも、こうした動きを強める必要はある)。こうした動きを、アメリカ軍基地を持つ多くの国との連帯運動に広げて行く。そしてアメリカという国そしてその国民がこうした自国の覇権主義の無意味さを実感するような雰囲気を作り出していく。(落合栄一郎)

10.08.2010

Peace Philosophy Salon with Gavan McCormack on October 16 ピース・フィロソフィー・サロンの案内 ガバン・マコーマックさんを迎えて

日本語の案内は下方をご覧ください。For notice in Japanese, scroll down.

Peace Philosophy Salon - Fall Special -


A special event by Peace Philosophy Centre and Vancouver Save Article 9


"The Battle of Okinawa 2010: Japan-US Relation at a Crossroad"

7 PM, Saturday, October 16

With special guest

Gavan McCormack

Professor Emeritus, Australian National University
Author of "Client State: Japan in the American Embrace"

 
@ Peace Philosophy Centre (Vancouver, BC - participants will be given a direction)

Photo by Chuck Overby
 Five decades after the adoption of the (revised) US-Japan Security Treaty, Cold War assumptions still underpin the relationship between Japan and the US. A belated Japanese attempt to reform the relationship in 2009-2010 ended in failure and the collapse of the Hatoyama government. Whether the Kan government can do better remains to be seen. The “Okinawa problem” has emerged as a crucial bone of contention between the two governments. 65 years after the Battle of Okinawa, Okinawans' anger towards the two governments have reached a peak. What are the implications of the now 14-year long attempt to resolve the Okinawan demand for closure and return of Futenma Marine base in Ginowan City?

- Free admission. Snack and drink donation welcome.
- RSVP and inquiry to info@peacephilosophy.com
(Detailed direction will be given to participants)

Gavan McCormack is emeritus professor at Australian National University. A graduate of the universities of Melbourne and London , he joined the ANU in 1990 after teaching at the Universities of Leeds (UK), La Trobe (Melbourne), and Adelaide. He has also been Visiting Professor at many universities in Japan, where he has lived and worked on many occasions since first visiting it as a student in 1962. He was elected a Fellow of the Academy of Humanities of Australia in 1992. His work has been translated and published in Japanese, Chinese, Korean, Thai, Arabic, and the main European languages. His most recent book is Client State: Japan in the American Embrace, (Verso, 2007), of which Japanese, Korean, and Chinese editions were published by Gaifusha, Changbi, and Social Science Academic Press of China. He is the author of Target North Korea: Pushing North Korea to the Brink of Nuclear Catastrophe. A media commentator on North-East Asia, he is a coordinator of Japan Focus. In 2008 and 2009, he contributed an invited monthly essay published in Korean to Kyunghyang Shinmun (Seoul). He is a regular visitor to Okinawa, and was convener in December 2009 of the "Nago Conference" held in Nago City, Okinawa, on "Civil Society and Social Movements in East Asia."

秋の特別ピース・フィロソフィー・サロンのご案内

「バンクーバー九条の会」との共催

スペシャルゲスト ガバン・マコーマックさん(オーストラリア国立大学名誉教授、『「属国」:米国の抱擁とアジアでの孤立』著者)を迎えて

「『沖縄戦』2010ー普天間『移設』問題と正念場の日米関係」

10月16日(土)午後7時から

バンクーバーのピース・フィロソフィー・センターにて(参加者に詳しい行き方を案内します)

安保改定から50年、「沖縄問題」で日米関係は岐路に立つ。2009年の政権交代に伴い、鳩山首相は冷戦構造を引きずったままの日米関係からの脱却を試みたが失敗に終わり、菅政権がこの問題にどう取り組んでいくのかは不透明なままだ。基地反対候補として当選した名護市の市長は「海にも陸にも作らせない」と宣言している。普天間飛行場を抱える宜野湾市の市長は新基地に反対し知事選に立候補した。沖縄戦65年、長年の抑圧に対する沖縄の怒りは頂点に達している。日本現代史第一人者のガバン・マコーマック氏が、こじれた普天間『移設』問題を読み解き、日米関係、東アジアにおけるこの問題の意義を語る。

★入場無料。
★参加申し込みと問い合わせは info@peacephilosophy.com  まで
★スナック、飲み物差し入れ歓迎。
★ガバンさんは英語日本語バイリンガルです。質問やコメントなど、日本語でできます
★会場の住所、行き方は申し込んだ人にメールで案内します。

ガバン・マコーマック プロフィール
オーストラリア国立大学名誉教授。1974年ロンドン大学博士号取得。日本と東アジアの政治、社会問題を歴史的視点で幅広く把握しようと研究を続けてきた。リーズ大学(英)、ラ・トローブ大学(豪)、アデレード大学(豪)で現代日本史および日中、日韓、日米関係を中心に教え、1990からオーストラリア国立大学アジア太平洋研究所教授。1962年の日本留学以来ほぼ毎年来日し、東京滞在時にはよく皇居の周りをジョギングする。オンライン誌「Japan Focus」のコーディネーターもつとめる。

9.26.2010

TBS Special Program on Film ANPO and Linda Hoaglund 映画「安保」とリンダ・ホ―グランド監督 TBS特集

バンクーバー九条の会・ピースフィロソフィーセンター共催の10月4日のイベントのゲストはバンクーバー国際映画祭参加の映画「安保」監督、リンダ・ホ―グランドさんを囲む会です。TBSでこの映画とホ―グランド監督に焦点をあてた特集番組があり、YouTubeリンクがありましたのでここに貼り付けます。







9.24.2010

Meeting Linda Hoaglund, Director of a VIFF Film "ANPO" VIFF参加「映画 安保」監督 リンダ・ホ―グランドさんを囲む会

日本語案内はこの下に続きます。
Are you ready for VIFF (Vancouver International Film Festival)?

Film ANPO - by director Linda Hoaglund, producer of highly acclaimed film "Tokko-Wings of Defeat," will be shown in VIFF (6PM on Oct. 3, and 1:15 PM on Oct.4).
*Thanks to ANPO, the "American-Japanese Joint Security Pact", there are still 90 American military bases on Japanese soil, 30 of them in Okinawa. The "Pact" dates from the post-war years when Japan was governed by General MacArthur, and its periodic renewals attracted mass protests - sometimes violent - in the 1950s and 1960s, as seen in films by Oshima and others. Protests against the US Army presence on Japanese soil also surfaced in Japanese painting and sculpture, as shown in Linda Hoaglund's eye-opening documentary essay, which offers some broad historical perspectives on the struggles but centres on the responses of engaged artists. Hoaglund's own perspective (she is an American who was born and raised in Japan, well-known as the subtitler of many Japanese movies) gives the film real heft: she coaxes forthright statements from usually-reticent interviewees as well as getting up close to the political stances embedded in a wide range of paintings....

To purchase tickets: http://www.viff.org/tixSYS/2010/xslguide/eventnote?EventNumber=2584&amp& 
 
See homepage of ANPO, with trailer. http://anpomovie.com/en.html

You are invited to a gathering with Linda, at

6:45 PM - 8:15 PM, Monday October 4
Linda Hoaglund

Please see the movie, and come to our event to meet Linda, ask questions, and talk about whatever is inspired by the film. (It is not mandatory to have seen the film to be part of this event, though. You can meet her and always see the film later.)

Free admission (donations to cover the rental expense are welcome.) Children are welcome. Snack donations are welcome.

For inquiry and RSVP, contact: info@peacephilosophy.com

Vancouver Save Article 9 and Peace Philosophy Centre

Linda Hoaglund Profile:
Linda Hoaglund was born and raised in Japan. Her previous film, Wings of Defeat, told the story of Kamikaze pilots who survived WWII. She has recently directed and produced ANPO, a film about Japanese resistance to U.S. bases seen through the eyes and works of celebrated Japanese artists. 

注目の映画がVIFF(バンクーバー国際映画祭)で公開されます。
映画「安保」 Film ANPO

映画のオフィシャルサイト(日本語)は
http://www.uplink.co.jp/anpo/introduction.php
(予告編もここで観られます)
トロント映画祭にも参加し、日本でも今公開中です。10月には沖縄でも公開されます。

映画についての詳細は下記をご覧ください。
さて、この映画の監督、リンダ・ホ―グランドさんとの交流会を企画します。ぜひVIFFで映画を観た上で参加してください。もちろん都合がつかない場合は映画を観ないでの参加もOKです。

VIFFでの上映は、10月3日(日)午後6時と、10月4日(月)午後1時15分です。

VIFFのチケット購入は:
http://www.viff.org/tixSYS/2010/xslguide/eventnote?EventNumber=2584& 

 リンダ監督を囲む会は
日時 10月4日(月)午後6時45分から8時15分まで


場所 ラウンドハウスコミュニティーセンター2階 マルチメディアルーム


(カナダライン ラウンドハウス駅)

入場無料ですが、会場費をカバーするためのドネーションを受け付けます。

★スナック差し入れ歓迎。

★大体の人数を確認するため、 info@peacephilosophy.com に出席のお知らせいただければ幸いです。

★主催:バンクーバー九条の会、ピースフィロソフィーセンター

★お子さん連れ歓迎です。

★リンダさんは、日本語、英語完璧バイリンガルの人です。来た人の顔ぶれを見て、日本語と英語で必要に応じて使いわけながら進行する予定です。

★私は7月に日本でプレス試写会に参加しましたが、深く心に残る作品でした。60年安保の時期を生き抜き、表現したアーティストたちのインタビューと作品が織りなす「時代のさけび」とも言えるでしょうか。私は生まれたいなかった時代だけに、想像力がかきたてられ、感情の奥底に響く深い体験をしました。その時代を知る人も知らない人も、かけがえのない体験ができる、そんな映画だと思います。
(作品とともに映画に登場するアーティスト、ジャーナリストたち:会田誠、朝倉摂、池田龍雄、石内都、石川真生、嬉野京子、風間サチコ、桂川寛、加藤登紀子、串田和美、東松照明、冨沢幸男、中村宏、比嘉豊光、細江英公、山城知佳子、横尾忠則出演:佐喜眞加代子、ティム・ワイナー、半藤一利、保阪正康)

オフィシャルウェブサイトhttp://www.uplink.co.jp/anpo/introduction.php より。
今から半世紀前の60年安保当時、熱かった日本をアーティストがどのように表現したのか。1960年6月に日米安全保障条約が岸信介政権下で自動更新されるまでの一ヶ月間、国会周辺は安保に反対する市民のデモで溢れかえりました。1945年の敗戦からまだ15年しかたっていないその時代、学生、労働者、主婦など様々な立場の人が参加したこの運動を一つにした最大の原因は「二度と戦争をしたくない」という市民の強い意志だったことをアーティストたちは語っています。

本作『ANPO』を監督した、リンダ・ホーグランドは、日本の映画業界人の間では、海外映画祭に出品する際の通訳や英語字幕翻訳者として知られる、日本で生まれ育ったアメリカ人です。彼女は、字幕翻訳の仕事を通して日本映画を深く知るにつれ、1960年の安保闘争が、当時を経験した映画監督に大きなトラウマを残していることに気づきました。さらに、当時のアーティストたちが絵画や写真を通して安保問題、米軍基地問題を表現しており、日本にも市民による“抵抗”の歴史がある事を発見しました。そのことが、ホーグランド監督のこの映画制作のきっかけになっています。「60年安保闘争とは何だったのか、彼らを闘争に掻き立てたのは何だったのか、そして、その後遺症として未だに日本に残る米軍基地が日本にどういう影響を及ぼしているのか等を映画という形で表現することに決めました」とホーグランド監督は語っています。

現在も日本は、沖縄の普天間基地の問題など、安保に象徴される日米の関係を、根本的にはなにも問い直しをせずに棚上げしてきました。 『ANPO』は、日本で生まれ育ったアメリカン人リンダ・ホーグランド監督が、60年安保を知るアーティストたちの証言と作品を通して、日本とアメリカの関係の問い直しを日本人に迫るドキュメンタリーです。

どうぞお誘いあわせの上お越しください。

リンダ・ホ―グランド プロフィール
日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年 に日本で公開された映画『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。黒沢明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、是枝裕和、黒沢清、西川美和等の監督の映画200本 以上の英語字幕を制作している。

9.16.2010

黄圭さんのスピーチ

Speech by Hwang Kay, one of the guest speakers at the event on September 11, marking the 100th year of Japan's annexation of Korea. 




9月11日のVSA9のイベントでスピーカーの一人として発言いただいた黄圭(Hwang Kay)さんのスピーチ原稿を投稿します。



 今から115年ほど前に、日本は清国中国と戦争しました。そしてそれから7年ほどして今度はロシアと戦争になりました。このどの戦争も朝鮮の利権をめぐての戦争でした。こうして日本は、朝鮮半島との関わりの中で歴史の道を大きく誤り、自国や周辺の国ぐにの運命をも変えていく不幸な時代へと入っていったのです。



19世紀中ごろまでに、帝国主義列強による植民地分割の時代はとうに過ぎていたのですが、遅くデヴューを果たした日本帝国は、無理やりLateComerとして侵略性をあらわにして行きました。



韓国併合から少し後の第一次大戦後には、パリ講和会議の席上、米大統領ウイルソンによって民族自決が提唱されるほどに、世界の政治情勢は成熟してきていました。



日清戦争の原因ですが、韓国南部の全羅道という所で、「東学農民戦争」といわれる封建支配体制に反対する農民蜂起があり、これを鎮圧しきれなくなった李朝政府は、清国中国に援軍を求めました。日本軍は在留自国民保護を名目に軍隊を出してきました。朝鮮政府は日本側に、農民軍との和解が成立したので撤退を求めたのですが、日本軍はそのまま居座っていました。



そこで日清両軍の衝突となったわけです。



司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、日清戦争は牙山沖で東郷平八郎率いる日本艦隊が清国兵を満載した英国船を撃沈たことから勃発したとされていますが、実はその前に日本軍は朝鮮王宮に夜襲をかけて近衛兵30数名を殺害し、国王を虜にして口実をつくったというのが実相でした。



日本は、日清戦争で得た賠償金で義務教育の学校と、全国の鉄道網を整備しました。その後も、義和団の乱(北清事変ともいいますが。)に乗じて清国の国家予算を上回る巨額の賠償金をとって軍事費を補填したので、日本の軍備は益々増強されていきました。



こうした近代における日本の戦争の歴史と直接関連した産業発展史という側面から、日本が朝鮮半島や中国とどう関わってきたのか、僅かな時間ですが、たぶん皆さんがあまりご存知ないようなことを用意しましたので、お話ししたいと思います。 これまで当たり前だと思っていたことが、よく勉強して考えてみると違うと言うことがあります。



政治と経済、戦争と経済はそのまま直結している、ということは云うまでもありません。



「東アジア共同体構想」は東アジアの平和と繁栄を志向していく上で素晴らしいアイデアだと思います。しかし、私は日本が現状のままでは、この構想は到底実現不可能なことだと考えております。その「現状」とはどういうことなのか、それをお話したいと思います。



東アジアには異質な国があって、それはどこの国かと言いますと中国や北朝鮮ではなく、日本だと言えば、皆さん驚かれるのではないかと思います。



「日本が異質だ」と云うのは一体どういうことなのか、と言いますと、日本人独特の歴史観、アジア観がそこに厳然としてあるという事実を指摘しておきたいと思います。それはあらゆる世代に共通していると言えるのですが、いったいなぜそうなってきたのでしょうか?



歴史というのは私たちの記憶であり、昔あったことと現代とは無関係ではなく、ちゃんと密接緊密に繋がっているという事をいつも確認しておくべきではないかと思います。



日清戦争以来、日本人の意識に深く刷り込まれて来た心理的深層を考えるとき、吉田松陰・福沢諭吉に行き着きますし、薩摩長州の明治政権にいきつくのです。私はこれを<虚構の歴史観>と呼んでいます。



19世紀半ばの黒舟来航以来、尊皇攘夷、討幕運動が起きる中、(NHKの大河ドラマでいま「竜馬伝」というのをやっていますが、面白いですがドラマなので、あまり本気で見ない方が良いと思います)いわゆる国学や、陽明学、水戸学派の中から独特の国粋主義が生み出され、明治以来天皇制国家主義が国家イデオロギーとして形成されてきました。



それまで天皇は武士階級にとっては、権威だったかもしれませんが、それ以外の日本人にとっては、無関係な存在でした。 鎌倉時代以来、国の統治者は武家の頭領だったからです。



明治になって、どういうことが起きたかといいいますと。



日清の対外戦争を煽る意図で「神国日本Story」のフィクションの色づけがますます激しくなっていきました。この大元は天皇制の専制国家をつくりあげた薩長(土肥)政権にこそあったのです。とりわけ長州でした。



「古事記」「日本書紀」「続日本紀」のことを「記紀」と云うのですが、これらは歴史書ではありません。先ずは倭王の権威と正当性を国内に示しておくために書かれました。記紀はすべて漢文で書かれており、中国の人も朝鮮の人もそのまま読めますから、未来の何時の日にか大和王権の存在を、内外に宣伝する目的でつくられたフィクションのようなものだったのです。



中国の「三国志」の中に「魏志倭人伝」という箇所があって、ここに「邪馬台国」や「卑弥呼」という女王の存在が記されているのですが、これと符合させるために、日本書紀は「神功皇后」という女王を出現させ「三韓征伐」というフィクションを作りました。



明治以来これを「国史」として学校で教えて来ました。



朝鮮はかって大和王権が征服した国だから、下に見る、という考え方はここに依拠しているのです。



むろん現代では教科書にはこういうことは書かれていません。書かれてはいませんが、大勢の人びとが集まる有名な神宮神社などには今でも堂々と書かれていて、仮に団体で旅行などに行くと、ガイドさんがそういう話をします。人びとの見方というか、考え方としてはちゃんと今に受け継がれて来ていると云えます。(古代史の話しは時間の都合上、とてもこれ以上ここでは出来ませんが・・・。)



今でも多くの日本人は、「仏教や文字は中国から伝えられた」と思っているようです。それならいっそ「仏教はインドから来た」といえばいいのだと思います。



明治以降、日本という国家がなぜあのような猛々しい帝国になっていったのか? 戦争における数々の残虐行為、その深層について考えてみるときに、一人ひとりの日本人をみれば 繊細で親切なとても良い人たちなのに、なぜそうなってしまったのだろうか?と思うわけです。



そこには眼に見えない、大きな根っ子があったのです。日本史で偉人とされる吉田松陰・福沢諭吉そう人たちの教えを、そのまま実行していったのが日本帝国そのものの姿ではなかったのだろうかと、私は考えています。



朝鮮、中国の他、インドシナ半島やフィリピン、ボルネオなどは日本帝国の侵略を受けて多くの被害を受けたのですが、こうしたアジア蔑視、歪んだ世界観による戦争政策が「大東亜共栄圏」という欺瞞の元で推し進められてきたのです。



いわゆる「皇国史観の教育」では、ヤマト民族は「アマテラスの子孫」で優れていて「一等国民」なのだから軍隊で他国の領土を侵してもよいのだ、という一種「狂気の論理」が、そのまま国家による国民への刷り込みとして国家権力総動員のもと、一環した教育政策として遂行されてきました。



歴史書には出て来ない実史があります。 日清戦争の講和のため下関を訪れた李鴻章を嘲る歌がつくられ、明治人ですら聞くに堪えないような民族蔑視観を広げる流行り歌として、巷で公然と歌われました。またある時代「鰯がサカナか朝鮮人が人間か」という歌もありました。



権力は、国民に対して「日本は必ず世界に冠する帝国になるのだから、今は我慢しろ」と言わんばかりの、フラストレーション懐柔策として、官主導で流行らせたようなふしが見受けられます。



近代以前の歴史の話しを少ししますと、 江戸時代の260余年間、日本と朝鮮国とはとても良い関係にありました。江戸の将軍が代わるたびに、朝鮮から一級の知識人で構成された通信使(数百人)が派遣され、対馬藩の案内で関門海峡を通って鞆の浦(広島・福山)で潮をまち「対潮楼」という迎賓館で数日休息しました。その間、知識を得ようと日本全国から僧侶や学者などが大勢つめかけて、夜遅くまで筆談が交わされたという記録がたくさん残っています。



大阪から江戸に至る道中、幕府から沿道の各藩には礼儀を失することなく、また汚い家はとり壊すなどの達しが出され、中仙道の宿場町の道は掃き清められ整備されたといいます。



高麗・朝鮮は、14世紀ごろからづっと倭寇の侵入に悩まされていて、また秀吉の「慶長文禄の役」で被害が甚大だったので、様子見の目的で、武力よりは外交による防衛政策をとってきました。そうして、徳川時代の朱子学は、李退渓という大儒学者の弟子が日本に伝えたとされまています。



18世紀中ごろになると、朝鮮には米やフランスの艦隊がそれぞれやって来て開港を求めましたが、朝鮮政府はこれを拒み「攘夷」を実行して撃退しました。(仏はインドシナを巡って清国と争いアメリカは南北戦争などがあったので、彼らにとって朝鮮は国力を傾けてまで開港を迫る必要性はなかったのでしょう)最後に日本によって門をこじ開けられたのは、同じ儒教の言葉をもつ間柄だったからでしょう。

さて、「間違った教育や戦争政策は昔のことではないか?}と思う人が多いと思います。



明治政権がつくり上げ積極的に「刷り込み」を続けてきた思想は、今も現代日本人の意識の中で連綿と受け継がれて来ている、ということを私は指摘しておきたいと思います。



1951年、日本は「あの戦争はまちがいだった」とサンフランシスコ平和条約で誓って独立を認められたのに、日本社会には「誤った道を歩んできた」という認識の共有性がありません。

「世界ではあの時代、日本はファッシズムだった」と学校で教えているのに、日本ではそうは教えていません。



日本を代表するような70万部も売っている複数の雑誌が、堂々と「あの戦争は自存自衛の正義の、戦争だった」という。そう書けば雑誌が売れる、という社会の合意のようなものがあるのです。国会議員にもそういうことを言う人がいます。



東京のああいう極右の都知事さんが、350万票もとって再選される、これは言論の自由とかいう問題とは本質的に異なります。

歴史的な出来事というのは見方によって様々だと云う事が言われます。それは私もそう思います。しかし、それは現代の価値基準に立脚したうえで客観的な歴史的事実をちゃんと踏まえるという前提で云えることです。



ある意図や予め決めておいた方向性で物事を見てしまうと、不都合なことは頭の中で無意識に消してしまうのです。サイコロジーでいう「バイアス」です。

近代、日本と朝鮮とのかかわり 1910年の強制併合は国権の強奪であり、その頃「何が起きたのか」を知ろうとすらしないのは、想像力を持って歴史を見る姿勢とはほど遠いと思います。 



ひるがえって、簡単に35年の植民地統治といいますが、その中身は 言葉や文化、風俗というより、個人の尊厳、拠り所、もてる人間のすべてを、銃剣で奪い統治したと言う事でした。

素晴らしい伝統や美意識をもつ日本人の国が、なぜそういう他人の弱みに付け込むような侵略性をもつ国になっていったのか?



繊細で親切な日本人の国家が、なぜ猛々しい帝国に変貌していったのか、という疑問を私はづっともって来ました?



昨今は「歴女ブーム」という言葉があって、ドラマや小説を通して 戦国時代や幕末にはやたらと詳しいのですが、アジア太平洋戦争は知らない ひどい場合は中国への侵略や朝鮮の植民地支配すらよく知らない、という人が多いのはなぜなのでしょうか?



「知らなくても何も恥ずかしくない」 というある種の「異常性」がそこにあるように思いました。



「学校で習わなかった」「自分には関係ない」と言う論理がもし成り立つのであれば、日本人である事をやめ、パスポートを破り捨て、無国籍者か難民にでもなる方法があるのではないかと思います。



自分の国の近い過去を知らない、という事は、自分はどこで生まれて、どこで学校に通い、どこで仕事をし、という人生の経歴を忘れたのと同じです。



最近わたしは日本から、瀋陽、大連ツアー旅行というパッケージツアーに参加して行ったことがあります。瀋陽はむかし「奉天」といって、そこの郊外にあるミュージアム(戦争記念館)はあの満州事変が起きた柳条湖にあるのですが、日本関東軍が様々な不法行為をやったことが写真などの説明に(英語と中国語で)記されていました。ところが日本人旅行者は誰ひとりとして、そういうことを知らないのです。「なぜ日本のことをそんなに悪く言うのだ」とさえ云います。



大連では、旅順の203高地で乃木稀助将軍がどうしたこうしたという武勇伝にばかり関心があって、呆れてしまいました。



サンフランシスコ平和条約の意味についてですが、国際社会にへつらったのは「戦争に負けて仕方がなかったから」と云わんばかりの論調は、社会的に批判されなけばなりません。歴代の政府も国民も過去を批判的に受け入れられない これこそが現代日本の最大の歪みであり、大きな問題ではないかと思います。「靖国 」の意味もそうです。



平和教育運動をやっているという元教師の人と話しをした事がありますが、ただ「命が無残に失われる悲惨さから戦争を考える」のみ、という印象を受けました。「戦争はむごい、すべて戦争が悪い」とオウム返しで言うだけですから、子供たちも同じ事しか云えません。



原爆とか戦争の悲惨さのみを教え加害者としての過去を教えない また、戦争の本質的なところには関心がないように私にはみえました。失われた命は、日本人の戦没者310万、アジア太平洋地域で1900万人です。



縄文時代も大切なのでしょうが、学校では近現代史をちゃんと教えるべきです。

「東アジア共同体構想」を念頭に、日本の近代史を産業発展史という側面からみますと、明治維新の頃、(これはカナダの歴史にも関係して来るのですが) 欧州では英・仏の争いあいがあり、東アジアでロシアを牽制したかった英国は、日本を使ってそれをやろうとし、1902年日英同盟を結びました。日本の戦争債(債権・国債)を引き受け、大々的な武器供与をし日露戦争に肩入れしました。一方フランスは、ロシアに大きな借款を供与し投資もしていたので、ロシアをバックアップしました。そういうことから日露戦争は英仏の代理戦争だったと云えます。



先ごろ破綻した米のリーマンブラザーズ(それにゴールドマン・サックスも)は、既にその時代からあって、米政府の勧めで日本の外債を大量に引き受けていたので、セオドア・ルーズベルト大統領はポーツマスで講和の仲介に積極的に乗り出しました。ロシアはまんまと米の思うつぼに嵌って情報戦に負けたと言えるでしょう。



そういう事から、西欧の産業や軍事技術は1922年の日英同盟の破棄に至るまではイギリスから、次にドイツからもたらされました。



日本は、最先端の軍事教育機関に人材を送り、総国力をあげた技術移転が英についで独から行われたのです。造船、機械、航空機、電子、化学、光学の技術は独由来でした。



中国など東アジアの綿工業製品市場では、日本と米英との間で奪い合いが起き、関係は悪くなりました。 三菱商事、三井物産などが国家権力と癒着して戦争政策に加担していきました。

戦後に軍民の兵器廠からあふれ出た膨大な数の技術者たちが、町工場に集まり物づくりを始めました。ソニー ホンダ キャノン  日本光学=ニコン・・・などです。



トヨタや日産は1930年ごろにデトロイトのGMが使っていた廃棄設備を、技術者ともども買い取り、国の戦争政策に沿った産業として、育成されました。トヨタは戦後に破綻の危機にありましたが、朝鮮戦争で米軍から70台のトラックの発注を受け復活発展して来ました。



コスト計算のない戦争政策が 皮肉にも後世に産業の技術的基盤を残したのです。こうして日本はドイツ由来の生産技術を積みあげ、朝鮮戦争特需が追い風となってわずか20年で経済大国になって行きました。



1945年敗戦 日本はGHQの統治となり、52年サンフランシスコ平和条約が発効して、日本は独立を認められるのですが、その後の社会や産業はどのようにして発展を遂げてきたのでしょうか?



1951年 国連からの復興調査チームは、道路事情の悪さに驚き、世界銀行融資を勧告して、名神高速や黒部ダム、東海道新幹線などが整備されました。

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日韓の関係を振り返りますと、65年アメリカの後押しによって、日韓基本条約が結ばれ、国交が開かれました。北朝鮮とは今も国交がないままです。



互いの国と国とが、ウィンウィンの関係になるには、Marketがアンフェアーであってはいけません。日本ブランドをアジアで作った物は売れるのでしょうが、アジアブランドの商品は日本では売れません。中国製の扇風機や電気ヒーターのような付加価値性の低いものは売れるのでしょうが、中国製エアーコンや冷蔵庫は今や、世界市場で日本メーカーを寄せつけないほどのシェアーを持っているのに、日本の消費者は誰として買いません。



こんにち中国はGDP世界第2位になり世界経済を牽引しています。日本にとって最大の貿易相手国となりました。



世界の新興市場が注目されている現在グローバルマーケットの中、東アジアの求められる「信頼できるパートナー」像として日本をみるとき、アジアの工業製品を日本の消費者は誰も買わない、このような日本のままではいけないのです。商品を買う買わないは無論消費者の自由なのですが、先ほど来わたしが述べた「特異の歴史観、アジア観」によって近隣の国に対するリスペクトが成立しませんから、人びとの消費行動には大きな限界と影響とが存在するのです。



その例ですが、薄型TV LCD市場では既にサムソンやLGが世界マーケットを席巻しているのに、日本市場では日本の消費者は誰も買いません。欧米市場で高い評価を受けているにもかかわらず、日本では全く売れないのです。日本の家電量販店でこれらの商品は見ることすら出来ません。



このような状況下では日韓のFTA自由貿易協定の締結は無理でしょう。EPA経済連携協定の話しも出てきていますが、これは関税の撤廃の他、資金や技術を互いに自由に融通しあおうという協定です。本当は、こういうことを推進しなければなりません。(韓国はFTAでEUとも米国などとも進んでいますが日本とはうまく進まないでいます。)



世界の半導体市場では10年以上も前から韓国企業がトップシェアーを占めており、今後注目を集めている二次電池(りちゅうむいおん電池)分野でも今後50%になる勢いとなっています。



空港からダウンタウンまでのカナダラインは現代ローテム社製の電車と交通システムで動いています。フレーザー河にかかるスカイ・トレインの橋など韓国企業が国際入札で落札していますし、ブラジルではこれまで地下鉄の訳70%近くが韓国企業によって作られ運行されています。そういうニュースは日本語メディアは余り報道したがりません。これでは鎖国です。



これからの東アジアは、互いに自由貿易なくして生きられないのですから、グロバルマーけっとの中で良きパートナーとして生きていく道を探るべきでしょう。



ルックダウン 嫉妬 否定の論理を排除し、互いがリスペクトする対等の関係となれば、人の交流も更に増え、未来はより明るいものになるでしょう。



日本が、東アジアの信頼されるパートナーとして、生きていくためには 過去、現代からよりよき未来へと繋げられるよう皆で努力すべきなのです。これからは欧米の顔色ばかり見ているような時代ではありません。



日本が、歩んで来た近代という時代の中で、近隣の国ぐにとどのように関わってきたのか?そういうことを知り理解する事こそが、これからの良い時代を築いていくための土台となるのです。



そうすれば、私は、アジアの未来は必ず明るいものになると信じています。

9.10.2010

An email from Masa Kagami

9月11日のイベントと関連し、VSA9の世話人である賀上マサさんが中国から帰ってすぐVSA9関係者に送ったメールを、ご本人の許可を得て共有します。

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この1週間、中国での現代建築も興味をもって見たのですが、上海や南京での高層ビルやその他の最新の建築物を見て感じた事は、やはり中国建築の伝統と特徴が脈打っている事です。その昔日本や朝鮮半島から僧侶や学者が漢字や仏典を学びに長安等の都に渡った際、初めて目にする壮大な建築物を目にして感激又は畏怖の念を抱いたに違いないと思うのですが、1200年以上前の日本人が持ったであろう感慨と同じようなものを今日の中国建築に接した現代の私が持った事です。その意味では中国の歴史と文化の懐の深さを感じました。

又一人で安旅行をしながら店や駅やホテルなどで普通の市民と接したのですが、漢字を取り入れた (というよりそれ以前は表記する手段が日本語には無かったのでしょうが) という以外にも日本語そのものが中国語の影響を、特に発音で大きく受けていて我々日本人はそれを知らずに、又は意識せずに日本語を使っているという事実です。

漢字の音読みの事を言っているのですが、例えば、上海空港で蘇州行きのバスを待っていた際に出発定刻10分前になったので、バスが既にターミナルに来ているのかどうか、言葉では聞けなかったので、切符を取り出し出発時刻の数字を指差して (少しあせりの表情が私の顔に出たかどうかは分かりませんが)、質問に代えた所、向こうもすぐ察して返ってきた言葉が、”ミィライ”と私の耳に聞こえたました。反射的に頭に浮かんだのは、「未来:未だ来たらず」という漢字と漢文読み日本文で、多分その意味と漢字は間違っていないと思います。案の定、その蘇州行きバスは数分後に到着しました。日本語と中国語の繋がりを感じた一瞬でした。

それから、今日の上海からの飛行機の中では、隣の中国人だろう乗客は、飲み物サービスの時にほとんど"チャー、又はジャーと私の耳に聞こえた言葉を発し、何が出されるのかと見ていたら、これはお茶でした。日本語でもチャと発音するので、これは多分、茶が中国から朝鮮半島を経て日本に伝わった時点では、お茶は日本には存在せず、そのために中国語の発音がそのまま日本語になったのだろうと想像します。そう考えると、明治維新以後に西洋の外来語が多く日本語に取り込まれたように、もっと以前には中国語が外来語として日本語になったものが、又同様の理由で朝鮮語が日本語になったものも多くあるのだろうと思います。

その昔の日本人は、明治維新後に西洋に遅れを感じ、その文化を取り入れて追いつこうとしたように、中国、朝鮮半島の文化や工芸技術を憧れと尊敬の念を持って取り入れようとし、実際そうしたのですが、どうしてその経緯が葬り去られ、明治以降の侵略と現代までにつながる蔑視に向かっていったのかという疑問が出てきます。

この点は、黄 圭さんが土曜日に触れられると思うのですが、そして黄さんは福沢諭吉をその一人として指差しているようですが、同じ事を8月27日付けの週間金曜日812号で、安川寿之輔という名古屋大学の名誉教授で不戦兵士・市民の会福代表理事が述べていて、その記事(P.18)によると、

”福沢がやったことは、朝鮮と中国に対する丸ごとの蔑視・偏見の垂れ流しであり、おっしゃったように侵略の扇動でした。明治国家が朝鮮への介入を強化していく1880年代には、「朝鮮人は未開の民・・・・極めて頑愚・・・凶暴」 「支那人民の怯ダ(リッシン偏に需)卑屈は実に法外無類」 「チャイニーズ・・・恰も乞食穢多」 「朝鮮国・・・人民一般の利害如何を論ずるときは、滅亡こそ・・・其幸福は大」などと発信している。”と有ります。出典等は記されていませんが。

さらに安川氏は、同記事で福沢諭吉は1882年の「東洋の政略果たして如何せん」において、「印度支那の土人等を御すること英人に倣うのみならず、其英人をもクルシ(ウ冠に八、その下に君)メテ東洋の権柄を我一手に握らん」 「日章の国旗以って東洋の全面をオオ(手偏に奄)ふて其旗風は遠く西洋諸国にまでも」と引用し、強烈であからさまな植民地主義、侵略主義の扇動を指摘しています。

確かに私達が学校やテレビで習ったり聞かされた福沢諭吉の言葉 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という平等思想とはなんという違いでしょうか。そしてそのような福沢諭吉が1万円札に印刷され、彼の上記思想が日本の学校やメディアでほとんど教えられない、取り上げられないという日本の戦後と現在は一体どうなっているのでしょうか。何故戦後のいわゆる左派歴史家からもこのような指摘がなされなかったか、声が届かなかったのでしょうか?

朝日新聞サイトより 喧騒と沈黙のはざまで 金賢姫訪日の不思議な4日間

朝日新聞ウェブサイトより。

http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/new.html

【放送】喧騒と沈黙のはざまで 金賢姫訪日の不思議な4日間

2010年9月10日
筆者 桜井 均
 7月20日、大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯として韓国で死刑判決をうけ、のちに恩赦された金賢姫(キムヒョンヒ)が、超法規的な上陸特別許可で日本を訪れた。拉致被害者家族と面談するためだ。金賢姫が離日する23日までの4日間、この国の中に“不思議”な時間が流れた。メディアの喧騒ぶりからその後の極端なだんまり―その間に「拉致事件」に関する日本人の独特な感受性を垣間見ることができた。

 テレビに登場するほとんどすべての論者が、紋切り型の踏み絵を踏むところから話を始める。まず北朝鮮に対する非難を人道上の立場から表明し、続いて、日本政府の無策ぶりを非難する。だが一様に「今度の来日は、いろいろ問題はあるが拉致事件の風化を防ぐ効果はあった」と締めくくる。こうした常套句を集団的に使いながら、誰もその地点にとどまるようには見えない。これを風化というのではないか。“不思議”というのは、そのことである。

 この疑問を抱いて、私は、4日分のテレビの収録画像(NHK「ニュース7」「ニュース9」、日テレ「スッキリ!!」「ズームイン!!SUPER」、TBS「みのもんたの朝ズバッ!」「ニュース23クロス」、フジ「スーパーニュース」「とくダネ!」、テレ朝「スーパーモーニング」「報道ステーション」など)を時系列で視聴してみた。

◆宙に浮いた日朝平壌宣言

 しかし、この比較に意味がないことはすぐに分かった。それぞれの保存映像の違いはあっても、情報源が同じでは、局ごとの主張を比べようがないのだ。

 金賢姫の移動を逐一追跡することを仕事と決め込んだ各テレビ局のリポーターたちは、空から地上から生中継でまくしたてる。中継が伝えるのは内容ではなく“臨場感”だけ。過剰な警備と贅沢な遊覧飛行を非難するために、メディアは車50台、ヘリ7機を雇った。そこへ中井洽拉致問題担当相からうるさくて話もできなかったと逆ねじを食らった。これはもう真面目な話とはいえない。

 しかし、耳を澄ませば、微妙な言い回しの行間から大事な言葉が聴こえてきた。以下、4日の間に発せられた関係者の発言を拾い出し、拉致問題と不可分の関係にある2002年9月17日の「日朝平ピョンヤン壌宣言」と比べながら読みこんでみた。

 「(日朝)双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。(双方は)この地域の関係各国の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした」という文言は、長いあいだ断絶してきた日朝両国の国交正常化が、北東アジア地域の平和と安定につながるという見取図を表現していた。

 しかし、当時日本が認定した拉致被害者13人のうち、北朝鮮は、1人は入国せずとしたが、リストにはなかった1人を含む13人の拉致を認め、そのうち5人が生存、8人が死亡という衝撃的な情報がもたらされると、状況は一転。拉致問題の解決抜きに国交正常化などありえないという論調が大勢を占めるようになった。以後「平壌宣言」は宙に浮いてしまった。

 この4日間、誰一人としてそこに立ち返ることはなかった。

 もとより、「平壌宣言」とても、理念先行で行われたわけではなかった。前年の9・11事件以降、アメリカは「対テロ戦争」に突入。02年1月の一般教書演説でブッシュ大統領は北朝鮮をイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」と名指し、北朝鮮は態度を硬化させた。この年の秋、アメリカはイラク戦争の準備に着手していた。小泉首相の電撃的な訪朝は、日米関係を基軸としつつ、朝鮮半島の危険除去をねらった対応型政治でもあった。

 とはいえ、日本側は共同宣言の中に、拉致問題と工作船問題に対する北朝鮮側からの謝罪を盛り込むことに成功し、加えて大量破壊兵器の拡散を抑える枠組み(核不拡散条約の遵守)を設定することもできた。過去の植民地支配に対する補償についても、日韓基本条約(1965年)とレベルを合わせ、強制動員という“日本による大規模拉致事件”の前面化を回避した。

 拉致問題はこうした大きな文脈の中に位置づけられるはずであった。しかし、日朝の認識の隔たりは、二国間の友好を前提として北東アジアの平和と安定に向かうという道を完全に閉ざしてしまった。

 今回の金賢姫の来訪は、この閉塞をさらに悪化させるのか、それとも何らかの突破口を開くことにつながるのか、注目された。しかし、残念ながら以上のようないきさつはあまり語られることなく、4日間は喧騒のうちに過ぎていった。

◆日本・北朝鮮双方に歴史の犠牲者

 それでも、メディアのノイズの中に、拉致被害者の発話時における真実、声の変調を聞き分けることはできた。

 「平壌宣言」の日、横田めぐみさんの死を知らされた母早紀江さんは、記者会見で「(私たちの運動が)大きな政治の問題であることを暴露しました。このことはほんとに日本にとって大事なことでした。北朝鮮にとっても大事なことです。そのようなことのために、ほんとに、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたと思います。私はまだめぐみが生きていると信じて闘ってまいります」と語った。

 このときの早紀江さんは、長い政治の空白のためにめぐみさんたちが、冷戦体制下で激しく敵対する日朝の谷間、歴史の大きなうねりに呑み込まれた「犠牲者」だ、という認識を語っていた。

 その後、めぐみさんの生存の可能性が伝えられ、遺骨のDNA鑑定の結果、めぐみさんのものといえないことが分かると、生還への期待が一気に高まった。大きな転機であった。しかし、いまだに生存の確認には至っていない。そこに金賢姫がやってきた。

 金賢姫が来日する前日、7月19日のTBS「ニュース23クロス」は、早紀江さんのつぶやきをそのまま伝えていた。「いま聞いてもね、昔の話だから何が分かるってこともないけど……、見えない部分が出てくるわけだから、知ってかえって悲しくなるのかねえ。でも現実を知るしかないしね……」

 スタジオのキャスターは、横田夫妻はめぐみさんについて過去の情報が入るたびに、そのとき自分たちはどこに転勤し、どう暮らしていただろうと、自らの生活に重ね合わせてきた、とコメントした。空白の年表を作っているというのだ。

 「現実を知ること」によって空白を埋め、状況を変えていこうとするのは、歴史に対する正しい態度である。少なくとも横田早紀江さんのつぶやきに、政治と歴史を直視しようという萌芽のようなものを見分けることができる。

 7月22日、早紀江さんは前日の金賢姫との対面の様子を記者会見で語った。日テレの「スッキリ!!」はその肉声を未編集に近い状態で放送した。「一番感動したのは、両方ともが同じ中心点にある、同じものからのいろんな圧力とか指令によってものすごい人生を歩んできたわけですが、それでも時間をかけてぱたっとお会いしたときになんともいえない懐かしさというか、表現のしようのない懐かしさを感じました(傍点筆者)」。この発言は注目に値する。

 金賢姫は田口八重子さんから日本語を学び、その後、大韓航空機爆破事件を起こしたとされるが、めぐみさんは金賢姫の同期の工作員金淑姫に日本語を教えていたというのである。要するに、田口さんもめぐみさんも北の工作員育成の一端を担わされていたことになる。

 こうした中で、横田早紀江さんは、娘より2歳上の金賢姫との対面で体感しえたことを、個人のレベルを超えて、娘も金賢姫も北朝鮮の厳しい“強制”の中で生きていたことを確認しあった、と語ったのだ。それが「両方ともが同じ中心点にある、同じものからのいろんな圧力とか指令によってものすごい人生を歩んできた」という表現になったのである。しかし、他の放送局は、めぐみさんが猫を飼っていたとか、皆を笑わせていたとかという家族感情に訴える情報を伝えることが多かった。

 NHKは、編集によって肝心の部分を落として、「(互いに)ものすごい人生を歩んできたわけですが、それでも時間をかけて会った時になんともいえないなつかしさというか」という部分だけを放送した。早紀江さんの真意を聞き落としたのか、切り落としたのか分からないが、これでは政治のリアリズム、冷戦の遺構の中に今も生きる人々の現実は伝わってこない。

◆解凍できない冷戦構造

 テレ朝「スーパーモーニング」では、「救う会」会長の西岡力東京基督教大学教授が「金賢姫は、韓国で拉致被害者の情報を証言したために、北にいる家族が収容所に送られた可能性がある。金元工作員の家族についても心配している。これは北朝鮮の体制の罪であり、めぐみさんも工作員(金淑姫)の教師としてテロに加担させられた。だから、金賢姫もめぐみさんも被害者である。むろん、金賢姫は大韓航空機爆破の実行犯としての罪は免れないが……」と解説を加えた。

 拉致事件と大韓航空機爆破事件を核心部分で結びつける背景があるというのだ。

 折から、ベトナムのハノイで東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議(7月20~23日)が開催されていた。会議では、韓国の哨戒艦沈没事件をめぐって米韓日が一致して北朝鮮に対する強硬姿勢をとることがより鮮明になった。

 当然のことながら、金賢姫の来日は、こうした北東アジアの緊張関係の中で語られることになった。

 金賢姫が離日して2日後のTBS「サンデーモーニング」で、国際政治学者の浅井信雄氏は東アジア情勢を「日米韓は、韓国の哨戒艦爆破事件では一貫して結束している。国連を舞台にした北朝鮮非難の決議を出したかったが、北朝鮮の名前も出さない議長声明に終わった。それへの巻き返しとして、米韓が日本海で合同軍事演習をする。そこに日本がオブザーバーとして参加する。意外なのは、ASEAN外相会議で北朝鮮代表団は話し合い路線を表明している。中国は日米韓の動きを警戒している」と分析した。

 さらに「コリア・レポート」編集長の辺真一氏は、今回の金賢姫の来日は、朝鮮半島情勢の緊張を高め、結果として普天間基地の抑止力を再認識させる作用をもたらしていると発言した。

 大韓航空機爆破事件と韓国哨戒艦沈没事件。これらを結びつけて強硬路線に舵を切るのか、それとも、歴史的な背景を踏まえた対話の道を探るのか、拉致問題はまたもや錯綜する政治の文脈の中に置かれようとしている。そして、冷戦の落とし子である「拉致問題」は、北東アジアの解凍できない冷戦構造の真っ只中にある。

◆まかり通る非歴史的思考

 この間、拉致被害者の会と距離をとってきた元事務局長の蓮池透氏がフジテレビ「ニュースジャパン」のインタビューに答えて、「(今回の金賢姫の招待は)韓国政府と日本政府のある一部の人の利害関係が一致したパフォーマンスだと思う」と述べた。政治を利用しようとして政治に利用される、その逆はないという意味であろう。

 金賢姫が日本を離れた7月23日、朝日新聞の夕刊に蓮池氏の発言が紹介された。7月3日に都内で行われたシンポジウム「拉致と日韓併合100年―いま、どのような対話が可能か?」での講演の一部だ。「悪に対しては交渉するのも許されないとされ、北朝鮮と柔軟に話し合おうという自分のような意見は非国民、売国奴と言われるようになった。家族会を聖域化し、とにかく強硬な姿勢をとれば解決を早められるとミスリードしてきたマスメディアは、家族に見果てぬ夢を与えてしまったという意味でも罪深い」

 白か黒か、敵か味方か、国民か非国民かという乱暴で非歴史的な思考がまかり通っている間は、前述の母親のような微妙だが確かな認識の変化を読み取ることは難しいかもしれない。

 評論家・加藤周一の「夕陽妄語」に「それでもお前は日本人か」という一文(朝日新聞夕刊、2002年6月24日)がある。戦前の日本では国の規格に合わない者は、「非国民」と呼ばれて排除された。加藤は書く、「『それでもお前は日本人か』をくり返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焦土として、崩壊した」。こうしたことはほんとうに昔話になったと言いきれるかどうか。

 今年は、韓国併合から100年の節目の年である。朝鮮学校の授業料無償化、永住外国人の地方参政権の問題などが、東アジア情勢の変化と歴史認識の相違のなかで揺れ動きながら議論されている。

 不思議な4日間が過ぎて、メディアは多数派の大勢順応主義の側に身を委ねるのか、それともわずかな変化の兆しを読み取ろうとする側に立つのか、これから真価が問われることになろう。(「ジャーナリズム」10年9月号掲載)

   ◇

桜井 均(さくらい・ひとし)

元NHKプロデューサー。1946年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。主にNHKスペシャル番組を制作。番組「埋もれたエイズ報告」「東京裁判への道」など。著書に『テレビの自画像』(筑摩書房)、『テレビは戦争をどう描いてきたか』(岩波書店)など。NHK放送文化研究所でアーカイブ研究。立正大学文学部教授、立命館大学、東京大学で客員教授も。

9.07.2010

Vancouver Save Article 9 Event "For Peace in Northeast Asia" バンクーバー九条の会イベント 「東アジアの平和をもとめて」

This year marks the 100th year since Japan's forceful annexation of Korea. Vancouver Save Article 9 will host an event on September 11, 2010, with special guest speakers Hwang Kay, Kim Sung Joon, and Pae Ann, to learn about the history of Japan's colonization of Korea, the post-war Korea/Japan relationship, and issues surrounding zainichi Koreans (Korean residents in Japan), among other related issues, and think together about creating a peaceful future for Korea and Japan. It will be held 1:30 - 3:30 at Roundhouse Community Centre in Downtown Vancouver, across the street from Canada Line's Roundhouse Station. The admission will be free, and we accept donations to cover rental and other expenses. The event will be conducted in Japanese. For more information, email info@vsa9.org.

1910年の日本による韓国「併合」から今年で100年、多くの未解決問題を抱える日本と、朝鮮半島、そしてさらに中国等を含む東アジアの現況をどのように見ればいいのか。この地域の平和をこれからどのように築いて行けばいいのか。私達にできることはなにか。日本とカナダで活躍するゲスト3人に、それぞれの視点から語って頂きます。


シンポジウム

「日韓『併合』100年」の年に


東アジアの平和をもとめて


―在日コリアンの視点―


日時:9月11日(土)午後1時半~3時半 (1時15分開場)

場所:ラウンドハウスコミュニティーセンター:Multi-Media Room


(181 Roundhouse Mews, Vancouver、センターTel#:604-713-1800  カナダラインのラウンドハウス駅近く)

(会場は、2階の Multimedia Room です。受付前の階段から上に登ってください。)

主催:バンクーバー九条の会

協賛:ピース・フィロソフィー・センター


講演者:裵 安 (Pae Ann)氏、金 昇俊 (Kim Sung Joon)氏、黄 圭 (Hwang Kay)氏。

進行は全て日本語です。入場無料、寄付歓迎。ご家族、友人達にも声をかけ、一緒にご参加下さい。 お問合せは、info@vsa9.org  までお誘いあわせの上、ふるってご参加ください!

ゲストスピーカー プロフィール

裵 安

1957年東京生まれ。小学校から大学まで朝鮮学校で学ぶ。外国籍県民かながわ会議1,2期委員、NGOかながわ国際協力会議5,6期委員。NPO法人かながわ外国人すまいサポートセンター理事長、NPO法人アクションポートよこはま共同代表、横浜YMCA運営委員、共生のまちづくりネットワークよこはま代表、医療通訳コリア語スーパーバイザー、あーすフェスタかながわ企画委員などを務め、この2月外国人学校ネットワークかながわ設立。


黄 圭

1946年熊本県生まれ。
学生時代ベトナム反戦、朝鮮統一運動などに参加。 評論、小説などを執筆。
信用組合職員を経てビジネスオーナー。
1990年カナダに移民。
エッセイ集などの著書数冊。 「時代を生きる」(1997), 「群らん抄」 (2005), 「緋色のエッセー集」(2009) など。


金 昇俊


1945年、韓国の金海で誕生。
1953年に日本に移住。日本に居る間は、小学校から大学院まで学生として過ごす。
1973年にカナダに移住。
日本航空で18年、オーケー・グフト・ショップで10年勤務。
2001年からセミ・リタイアー生活(中学時代の後輩の会社の非常勤顧問を今も続けている)。
モットー・・・既存の絶対的価値基準(宗教・イデオロギー・ナショナリズム)に頼らず、自前の判断力で考え、行動すること。
著書
『「原罪」としてのナショナリズム」 教育史料出版会 2003年
『ナショナリズム イデオロギー 宗教  ー絶対的価値基準の恐るべき力とその秘密ー』 麻布学園・麻布文庫 2005年

8.30.2010

A problematic move of the government

From Asahi Shimbun's Editorial on August 28 朝日新聞8月28日社説より。日本語は下記を参照。

EDITORIAL: Defense policy review
http://www.asahi.com/english/TKY201008290167.html

2010/08/30

A major policy shift is being contemplated. We cannot help but be concerned.

We are referring to a set of proposals put forth by the prime minister's advisory council on security and defense capabilities, which is made up of private-sector experts.

The aim of the report, submitted to Prime Minister Naoto Kan, is to revise the current National Defense Program Guidelines.

We agree with the report's goal of building "peace-making nation." But we are concerned that the report indicates the need for the "logic of force," in other words, military force should be used to deal with threats.

The report rejects the concept of basic defense capability, which has long supported the principle of an exclusively defensive security stance. The report says the concept is no longer "valid."

The report also calls for review of the constitutional interpretation that bans the use of the right of collective self-defense, and the easing of the nation's three-point ban on weapons exports.

Moreover, the report questions the ban on the introduction of nuclear weapons into the country--one of the nation's three non-nuclear principles. It says banning the U.S. military from transporting nuclear arms through Japanese territory is "not necessarily wise."

What we cannot overlook most of all is a proposed reversal of the nation's defense capabilities. Ever since the National Defense Program Guidelines were established in 1976, the premise was one of restraint--the nation would "not directly confront a threat, but maintain a bare minimum defense force so that it would not become a destabilizing factor itself."

However, the report, in a drastic policy switch, says Japan should become a country that confronts threats.

What has changed?

The report points to the waning of U.S. military supremacy, the modernization of China's military and North Korea's nuclear and ballistic missile development. It is true that the possibility of increasing regional instability must be carefully watched.

However, at the same time, it is a fact that interdependence with the neighboring countries is deepening further and that the Japan-U.S. security alliance has grown stronger. To contend that there are nations ready to attack at any moment is not a well-balanced argument.

A defense buildup that seeks to match threats will lead to an increase in costs, an arms race and regional friction.

It would also deviate from the nation's postwar principle of a defense-only military posture based on the nation's promise that it would never become a threat to other nations.

It is necessary to think how such a shift would be viewed by other Asian countries.

National security issues are not the Democratic Party of Japan's forte. Since its opposition days, the party has failed to address these issues in earnest. This is clear just from looking at the way the DPJ government handled the the Futenma airbase issue in Okinawa Prefecture.

The fact that the DPJ outsourced the defense policy revision, despite its stance that politicians call shots in policymaking, is proof that the DPJ is weak on national security. The council barely made mention of how its members were selected or what their deliberations were like.

The government is to start putting together a basic defense program based on this report. Is it acceptable to barge ahead on such a major policy shift without appropriate oversight by politicians?

The government should re-examine the policy review process from scratch.

--The Asahi Shimbun, Aug. 28

http://www.asahi.com/paper/editorial20100828.html#Edit2

新安保懇報告―「力には力を」でいいのか 

大きな方向転換がもくろまれている。懸念をもたざるをえない。

 民間有識者でつくる「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が報告書をまとめ、菅直人首相に提出した。日本の安全保障の指針「防衛計画の大綱」の見直しに向けたものだ。

 「平和創造国家」を目標にすえるのはいい。しかし、脅威には軍事力で対抗するという「力の論理」があちこちに顔をのぞかせている点が危うい。

 たとえば、専守防衛の理念を長く支えてきた基盤的防衛力構想を、「もはや有効でない」とはっきり否定した。

 集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直しや、武器輸出三原則の緩和なども求めている。

 また戦後、「国是」とされてきた非核三原則のうち、米国の核持ち込みの禁止について「必ずしも賢明ではない」と疑問を投げかけている。

 とりわけ見過ごせないのは、防衛力のあり方をめぐる方針転換である。

 防衛大綱は1976年に初めて策定されて以来、「脅威に直接対抗せず、自らが不安定要因にならないよう必要最小限度の防衛力を保有する」という抑制的な考え方を継承してきた。

 ところが報告書は一転して、脅威対抗型にかじを切るべきだとしている。

 なにが変わったのか。

 報告書は米国の軍事力の優越性にかげりが生じていることや中国の軍事力の近代化、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発などをあげる。地域の不確実性が増す可能性には確かに注意が必要だ。

 しかし同時に、近隣諸国との相互依存はますます深まり、日米安保体制はより強化されてきた現実もある。日本周辺に、あたかも本格的な軍事侵攻を仕掛ける勢力がいるかのような指摘はバランスを欠いていないか。

 相手の脅威に応じた防衛力整備は、防衛費の増大ばかりか軍備競争や摩擦の拡大にもつながる。

 戦後一貫して、他国の脅威とならないとし、専守防衛を掲げてきたわが国の理念からも逸脱しかねない。

 それがアジア諸国の目にどう映るのか、いま一度考えてみる必要がある。

 安全保障問題は民主党政権の苦手分野といっていい。野党時代から、このテーマにきちんと向き合ってこなかった。沖縄の普天間移設問題の迷走一つを見ても、それは明らかだ。

 政治主導を掲げながら、大綱見直し作業を外部の有識者に丸投げしていたことも、その証左だろう。懇談会は、人選の理由や議論の中身についてさえほとんど明らかにしなかった。

 その報告書をもとに、政府は年末に向け新たな防衛大綱をつくる作業にはいる。適切な政治のグリップなしに大きな政策転換に突き進んでいいのか。

 時間をかけてもいい。作業の進め方そのものから見直すべきである。

8.07.2010

原爆記念日に

広島・長崎に原爆が投下されて65周年の記念日にちなみ、感想を。

(1)バンクーバー時間8月7日にテレビジャパンの、NHKニュースのなかで、イラクファルージャにおける2004年(アメリカの無差別総攻撃があった)以後の小児がん患者や白血病患者の急増、奇形児の誕生の増加などの紹介があった。

(2)日刊ベリタ紙上に書いた落合の記事(8.06)はファルージャにおける下記の統計値を紹介している。

(a)幼児死亡率は、1000人誕生中80人で、周辺国の数倍以上(エジプト19、ヨルダン17、クウェート9.7)。
(b)癌は総体で4倍増加.14歳以下の小児癌は12倍、白血病は38倍、乳癌は10倍。これらのデータは広島の放射能による白血病の増加(17倍)よりも高い率であるうえに、その発生が広島よりもかなり速い。
(c)新生児の性比は通常1015男児/1000女児であるが、2005年以後のファルージャでは、850/1000で男児が非常に減少している。これは、遺伝子変化の影響が男児により多く現れるためで、広島の戦後にも見られた。なお、統計には現れないが、新生児の奇形もかなり多いらしい;例えば、頭を2つ持った女児とか、下半身不随とか。

(3)NHKの放送では、こうした現象の原因にはいっさい触れられていないが、日刊ベリタで紹介した専門家による報告書は、原因としてある種の放射性物質を示唆し、暗に劣化ウラン弾としている。劣化ウランは、その名から、原爆に使用されるウランとは異なり、その放射能は問題にならないという印象を与える。劣化ウラン弾を使用する側は、そう主張しているので、そのように思う人が多いのではないかと考えられる。しかし、上の統計にもあるように、例えば白血病の発生はファルージャでは、広島でのそれの2倍以上であり患者の増加率は広島よりもかなり速い。おそらく、放射性物質の単位面積あたりの量は、ファルージャのほうが、広島よりもかなり多いのではないかと思われる。これは、劣化ウラン弾は攻撃対象物周辺に、大量のウラン化合物の微粉末をまき散らすためである。そしてこの微粉末をそこに生活する人々は呼吸とともに吸い込まざるをえないのである。とくに、劣化ウラン弾により破壊された戦車などに取り付いて遊ぶ子供達に甚大な影響を及ぼしている。これは、原爆の炸裂により広範囲にまき散らされた放射能よりも影響力が大きい。放射性物質が皮膚など体外から作用する場合、その作用は皮膚への直接的な影響と、皮膚などを通しての体内への影響とあるが後者の影響はあまり大きくない。しかし、体内に一度入りこんだ放射性物質はその物質が体外へ排出されない限り、放出し続ける放射線で、その物質の周辺の体組織を破壊しつづける.この体内被爆のほうが、影響ははるかに大きいのである。劣化ウラン弾は、原爆のように瞬時の大量殺人は起こさないが、ローカルの人々への健康への影響は原爆に劣らず甚大である。

(4)今年の原爆記念日は、国連事務総長や、核保有国—米、英、仏の代表などが出席するという、シンボリックにすぎないとはいえ、記念すべき年になったことは結構である。いわゆる核兵器は大量破壊兵器として、その悪は認識しやすい(といっても日本人以外にはなかなか実感が難しいであろうが)し、その廃絶が促進される気配が世界中に出て来たことは喜ばしい。日本がそのような運動で世界の指導的役割をはたすことが望まれる。

(5)20世紀中頃までに人類は、核分裂(核融合も)など理論を確立し、その実用化を進めてきた。「科学」として人類の知識を促進することは望ましい。しかしその知識を応用するには、人類による周到な配慮がなされなければならない。核分裂による大量エネルギーの平和利用(原子力発電)も、核物質に常に付随する放射能の問題を、無視ではないが、十分な解決法を確立する前に、広範に使用してしまっているし、地球温暖化軽減の名の下に、核発電をさらにふやす傾向にある。原子力発電により長期の潜水が可能になったために、そうした利用も増えた。これらの施設が事故を起こせば、直ちに放射能汚染がその周辺に起ることは避けられない。そのものの事故でなくとも、不完全に廃棄処理された放射性物質からの放射線、また環境へ拡散した放射性物質からの放射線は、人間その他あらゆる地球上の生物に影響を及ぼすし、すでにかなり広範な影響を及ぼしているものと思われる。放射能の影響は、普通目に見えない。(なお、原爆の大量破壊は、放射能よりも、物理的(熱と風力)なものによる)。残念なことには、かなりの放射性物質がすでに地球上にバラまかれてしまっているし、その影響はあまり目に見えない形で、徐々に人類とその他の生物を蝕んでいく。
 ところで、ウランは地球上にかなりの量、鉱物として存在するのである。そして、この鉱物も放射能をもってはいるのである。しかし、これらの鉱物がその場に固定されているかぎり、あまり拡散することはない。したがって、今後の地球上の生命を放射能から守るためには、これ以上のウラン鉱物の採掘、利用、拡散を押しとどめる必要がある。核兵器廃絶の運動とともにこの点についての運動も進める必要がある。特に、カナダはウランの大供給国であるから。
落合栄一郎
 

7.27.2010

憲法9条なし崩しの動き

以下は、毎日新聞からの記事です。憲法9条は無視して、実質的に日本の軍備拡張、集団自衛権行使、武器生産・輸出拡大などを政府/企業が画策していることを意味しているでしょう。これは、9条の更なる無意味化につながります。これについて民主党内でどうなるかがこの記事の主眼ですが、憲法を守ろうとする日本国民への警告を強調すべきでしょう(落合栄一郎)。



安保懇報告原案:南西諸島に自衛隊配備…武器三原則緩和も

2010年7月27日 22時40分 更新:7月28日 0時38分

 菅直人首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長=佐藤茂雄・京阪電鉄最高経営責任者)が8月上旬に首相に提出す る報告書原案の全容が27日、明らかになった。中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発への懸念を背景に、鹿児島から沖縄にかけて点在する南西諸島を念 頭においた「離島地域への自衛隊の部隊配備」を検討するよう提言。また、集団的自衛権の行使を禁じる政府の憲法解釈の見直しや、武器輸出三原則の緩和など を求めている。

 報告書は、民主党政権下で初となる年末の「防衛計画の大綱」(防衛大綱)改定のたたき台となる。菅内閣として報告書をどの程度、大綱に反映させるかが、今後の議論の焦点となる。

 報告書原案では、東シナ海や日本近海で海洋進出を活発化させている中国、弾道ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮などによる日本周辺の安全保障 環境の悪化に言及。「離島地域の多くは日本の防衛力の配置が手薄で、領土や海洋利用の自由が脅かされかねない」として、南西諸島周辺を念頭に離島への自衛 隊部隊の重点配備の必要性などを指摘した。冷戦時代に採用された、自らが力の空白とならないよう必要最小限の基盤的な防衛力を保有する「基盤的防衛力」の 概念については、「もはや有効でない」として見直しを求めている。

 集団的自衛権の行使については、日米同盟を重視し、米国に向かうミサイルを迎撃することが可能となるよう、柔軟に解釈や制度を変える必要があると指摘。武器輸出三原則は、米国以外の国とも共同開発が可能となるよう、早期に緩和するよう提言している。

7.04.2010

Questions about Cheonan Sinking 韓国哨戒艦沈没についての疑惑

バンクーバー九条の会 会長の落合栄一郎さんが『日刊ベリタ』に書いた記事です。


落合栄一郎


韓国哨戒艦沈没についての疑惑


先に(日刊ベリタ2010.06.23)、この事件についての韓国国内での民間からの疑問提出を韓国政府が躍起になって押さえつけようとする様が報告された。日本では、世界中でも最も早い時期に田中宇氏が非常に重大な疑問符を投げかけた(http://tanakanews.com/100507korea.htm
http://tanakanews.com/100531korea.htm )が、主要なメデイアや政府は、公式報告(北朝鮮による魚雷攻撃と結論)を鵜呑みにして、沖縄普天間基地/辺野古移転への正当化、軍備強化、日米同盟深化などをすすめる道具に使っている。

一方、当の韓国政府は国連の安保理への書翰(http://en.rian.ru/world/20100604/159308808.html)では、検討を要請するのみで、北朝鮮制
裁を要求してはいない。それを受けて、安保理の議長国メキシコ代表は、非公式だが報告書をまとめ、あの攻撃は避難されるべきとしながらも、北朝鮮がその責任者であるとは言っていない(読売新聞、2010.07.01)。また、アメリカは、最近北朝鮮を「テリスト国家」に再度指定することを見送った。ここカナダバンクーバ-市の代表的新聞であるヴァンクーバーサン紙のコラムニストの一人は、この米韓(それに他の数カ国の専門家も係わったとされるがー疑問)による報告へ様々な疑問を提出している。また別のサイトでは、唯一の証拠品とされる魚雷の詳しい分析から報告書の結論は間違っているという指摘もされている。

これらの動きからは、あの事件の真実はまだ解明されていないことがわかるが、当事者達(韓国政府/米国政府)ですら真相究明を避けようとする(真相が解明されると当事者に不都合か)傾向があ
り、北朝鮮を本当に非難することは避けているきらいが見られる。日本政府/メデイアは、北朝鮮に責任をなすり付けることが、自分達に好都合なのか、または真相究明などという精神は持ち合わせな
いのか、北朝鮮制裁強化などを主張する唯一の国である。しかも多数の国民もあまり疑問を抱かないようである。これがひいては、無条件の普天間基地返還という沖縄県民の念願を無視する政府に加担
することになる。

6.21.2010

A Message from Chuck Overby, founder of the Article 9 Society in the U.S., for the 63rd Anniversary of the Japanese Constitution

From Dr. Chuck Overby

28 April 2010 [slightly revised 5/14/10]

TO: My Japanese Article 9 loving friends –

Greetings and best wishes on this May 3rd sixty third Anniversary of the adoption of your post World War II Constitution, with its Article 9 species wisdom – most all humanity’s cry for an end to that dominantly masculine obscenity called war.

Some of my recent writings suggest that we “Imagine The Magic Of An Article 9 Without Borders.” See my web-site www.article9society.org [English only].

Your supreme challenge, my dear Japanese friends, is not only to “imagine” a world in which all nations have an Article 9 type clause in their founding documents -- but to make it happen – and by vigorously working to keep Article 9 alive as a model for all nations on Planet Earth to emulate. Nations of the world so desperately need to be weaned from their age old “lust” for “Rules of War” and freshly nourished with Article 9’s wonderful non-violent “Rules of Law.”

Please, my dear friends, keep your Japanese and my U.S. governments from completely destroying Article 9 – and keep your government from its often stated passion to be like all the other “big-boys” on Planet Earth – a so-called “normal nation,” meaning one that bullies its way around the world with a military fist.

My 84 year journey on Planet Earth has profoundly helped me to understand how important Article 9 is for all life and for Mother Earth herself. My life-trip includes -- [1] service in two of America’s wars, World War II and the Korean War [combat pilot in Korea] – [2] over half a century as an engineering professor [and passionate humanist internationalist] – [3] over four decades of, thus far mostly unsuccessful, professional engineering dedication to the ideas of Green Technology By Design [GTBD] as means for enabling us to help prevent “oil” and other “resource wars” – and “global warming” – [4] and a growing understanding that there are no military solutions what-so-ever for the multitudes of problems and challenges we as a species face on Planet Earth.

If we do not replace “rules of war” with Article 9 like “rules of law,” and constrain our unjust and profligate material consumptions -- our trajectory points in the not too distant future to the end of life on beautiful Planet Earth. We will end things by one or the other of the following two means; or with both in synergy -- [1] our exponentially increasingly lethal science and engineering designed systems for killing and destruction and/or with [2] polluting and globally warming ourselves into Martian lifelessness with our “possessive-individualist” culture’s often greed-driven, mindless, profligate, and inequitable consumption of beautiful Mother Earth’s resource treasures -- converting them into entropic randomness -- resources over which we increasingly fight “resource wars.”

Never-ending economic “growth” “growth” and more “growth,” a philosophy, for which we in the USA have been Earth’s chief proponent, must be replaced across the planet with an equitable “no-growth-steady-state” model – both in “consumption” and in “population.”

One dimension of this “steady-state” model needs to be GTBD in all its multiplicity of possibilities -- something that Japan is uniquely equipped to demonstrate across Planet Earth. Please see my unsophisticated web site, www.article9society.org [unfortunately English only] for materials on GTBD along with much more on Article 9 and the things that Japan might do so as to provide leadership for Planet Earth in non-violence and in war and violence prevention with Article 9 as its “badge of honor.” Please also see pages 130 – 203 of any edition of our bilingual book [Japanese and English] -- Overby, Kunihiro, and Momoi, A Call For Peace: The Implications of Japan’s War-Renouncing Constitution, for much additional amplification on these themes.

Finally -- at this time, early May 2010, when you celebrate the 63rd anniversary of the adoption of your new constitution and its Article 9 wisdom -- a “review” is taking place at the United Nations on the 40th anniversary of the adoption of the 1970 nuclear Non-Proliferation Treaty [NPT] -- the “NPT 2010 Review.” Significant international demonstrations are being planned for this “NPT 2010 Review” event.

If everything materializes as planned, I hope to participate in some of these international demonstrations with my Veterans For Peace [VFP] friends by doing a bit of “Street Theater” -- in costume as Uncle Sam. I will be carrying signs that call for the elimination of all nuclear weapons from Planet Earth, with the help of Articles VI and VII of the NPT. Articles VI and VII of the 1979 NPT read as follows:

Article VI --“Each of the Parties to the Treaty undertakes to pursue negotiations in good faith on effective measures relating to cessation of the nuclear arms race at an early date and to nuclear disarmament, and on a Treaty on general and complete disarmament under strict and effective international control.”

Article VII -- “Nothing in this Treaty affects the right of any group of States to conclude regional treaties in order to assure the total absence of nuclear weapons in their respective territories.”

Best wishes in your efforts to save Article 9. You in Japan have primary responsibility for this challenge because A9 resides in your constitution.

Please wish us well in our New York City demonstrations at the “NPT 2010 Review” event.

Peace,

Chuck Overby
-- 1991 Founder of the Article 9 Society – USA

5.24.2010

NPT Review Conference - Determined for a World Without Nuclear Weapons: an Evening with Sachi Rummel, a Hiroshima Witness 核なき世界への決意:被爆者ランメル幸さんとの夕べ

Please see the report of this event on Peace Philosophy Centre's Blog.

Peace March in New York, May 2, in which one hundred Hibakusha (a-bomb survivors) among the 15,000 participants called for nuclear weapons abolition. 5月2日、ニューヨークで核廃絶のための平和行進の様子。日本から参加した100人の被爆者をはじめ、15,000人がニューヨークのタイムズスクエアから国連本部まで行進した。

イベントのご案内です。下方に日本語案内があります。
You are invited to:

A Special Event after the United Nations NPT (Non-Proliferation Treaty) Review Conference:

"Determined for a World Without Nuclear Weapons: an Evening with Sachi Rummel, a Hiroshima witness"

Time and Date: 7-9 PM, Wednesday, June 2

Place: Room C (Ground Floor), Roundhouse Community Centre , Yaletown, Downtown Vancouver (181 Roundhouse Mews, Vancouver, BC - Roundhouse Station of Canada Line)

A month-long negotiation of the NPT (Nuclear Non-Proliferation Treaty) Review Conference will come to the conclusion on May 28th. Satoko Norimatsu, Director of Peace Philosophy Centre and a founding member of Vancouver Save Article 9 will report her experience of NPT activities in New York, where near one hundred Hibakusha (a-bomb survivors) gathered to influence the UN's policy towards nuclear disarmament. The special guest of the evening will be Sachi Rummel, a Hiroshima witness. Sachi will share her precious experience of the atomic-bombing on August 6, 1945 and her life afterwards.

Free Admission (donation accepted)

RSVP and inquiries: info@peacephilosophy.com or 604-619-5627

Organizers: Vancouver Save Article 9, Peace Philosophy Centre

The primary language of this event will be English. Japanese/English translation can be provided during discussion.

Profile: Sachi Rummel
Sachi was born in Hiroshima. Sachi was 8 years old, and at her school 3.5 kilometre away from the hypocentre when the atomic bomb was dropped on August 6, 1945. She married a Canadian man and moved to Canada in 1975. She has two children. Sachi's hobbies are tea ceremony and flower arrangement.



NPT再検討会議記念特別イベント:


「核なき世界への決意:ヒロシマ体験者 ランメル幸さんとの夕べ」


日時: 6月2日(水)午後7-9時

場所:ラウンドハウスコミュニティーセンター(バンクーバー、イェールタウン カナダライン・ラウンドハウス駅) 1階 C会議室

5年ごとに開催される核不拡散条約再検討会議が5月にニューヨーク国連本部で開催されました。被爆者100人が核廃絶を訴えたニューヨークで会議主催や通訳を務めた乗松聡子が報告します。スペシャルゲストとして、広島被爆者であるランメル幸さんをお迎えし、体験を語っていただきます。

参加費 無料(ドネーションを受け付けます)

参加申込、問い合わせ: info@peacephilosophy.com か電話 604-619-5627 へ

主催:バンクーバー九条の会、ピース・フィロソフィー・センター

この催しは英語で進めます。質疑応答のとき、英語・日本語間の通訳可能です。

プロフィール ランメル幸
ランメル幸さんは、広島出身で、8歳のとき、爆心地から3.5キロの学校で被爆しました。カナダ人と結婚し、1975年にカナダに移住、二児の母である。 趣味はお茶とお花。


ふるってご参加ください!

バンクーバー九条の会
ピース・フィロソフィー・センター

5.18.2010

Law on Referendum Came Into Effect on May 18 国民投票法 施行

(graph from Chosun Online. Graph shows Asahi and Yomiuri Polls.

Constitution revision necessary?

Yomiuri
Yes - 43%
No - 42%

Asahi
Yes - 47%
No - 39%

Should Article 9 be changed?

Yomiuri
Yes - 32%
No - 44%

Asahi
Yes - 24%
No - 67%

This has been an overall trend in many polls - people can agree to the general idea of constitutional revision, but it is generally the case that more people want to keep Article 9 as it is.

On May 18, 2010, the three-year freeze on the National Referendum Law was removed. Here are various news reports on the topic.

http://www.japantoday.com/category/politics/view/law-on-referendum-for-revising-constitution-takes-effect
Law on referendum for revising Constitution takes effect
Tuesday 18th May, 07:10 AM JST

TOKYO (Kyodo News)—
A law on a referendum for revising the Constitution came into effect on Tuesday, three years after its enactment, setting the scene for people to vote on any proposed revision of the pacifist Constitution. The National Referendum Law stipulates procedures for constitutional revisions and allows revision proposals to be submitted to the Diet at any time.

But the deliberative councils on the Constitution in both houses of the Diet, where draft revision proposals are to be deliberated, have so far been dormant. The law was enacted in 2007 by a coalition led by the then ruling Liberal Democratic Party as part of the party’s House of Councillors election manifesto.

However, the Democratic Party of Japan, which wrested power from the LDP in the House of Representatives election last August, has been reluctant to debate the issue as one of its coalition partners—the Social Democratic Party—staunchly opposes changing the Constitution.

As the law allows people aged 18 or older to vote in a referendum on revising the Constitution, it requires that other relevant laws also be revised before its enforcement to lower the age to 18 from 20 to be eligible to vote in elections, but the government has taken no concrete steps, citing the need for more discussion.

Meanwhile, the main opposition LDP has been studying revisions to its draft new constitution worked out in 2005 to make it more conservative, ahead of this summer’s upper house election.



以下、各紙報道

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100518/plc1005181955018-n2.htm 

 憲法改正の手続きを定めた国民投票法が18日、施行された。これで、衆院で100人以上、参院で50人以上の賛同があれば、憲法改正原案(改憲原案)の提出が可能になった。しかし、国民投票法制定に伴う国会法改正で、平成19年8月に設置された衆参の憲法審査会が、民主党のサボタージュと共産、社民両党の反対で今も始動していない。憲法審査会という審議の場がなければ、改憲原案は宙に浮き、国会が国民に憲法改正を発議できない状態がなお続く。

 国民が投票で、最高法規の改正の是非を最終的に決する制度がしかれるのは本来画期的だが、今回の国民投票法施行は、まるで羊頭狗肉、「不完全な施行」(中谷元・自民党憲法改正推進本部事務局長)だ。

 責任が最も大きいのは、改憲論者を自称する鳩山由紀夫首相と民主党だ。党内に護憲派議員を抱え、社民党と連立を組む民主党が一向に動かないため、憲法審査会は2年9カ月後の今も動いていない。「法律を制定し国民に順守を求める立場の国会が、法律を守らない」(中谷氏)事態は、日本の憲政史に泥を塗る事態と言っていい。

 国民投票法施行までに解決が期待された(1)18歳選挙権、成人年齢実現などの法整備(2)国民投票運動に関する公務員の政治的行為の法規制(3)国民投票の対象拡大の検討-の「3つの宿題」も解決していない。

 自民、公明両党などの国会議員有志は18日、「国民投票法施行記念集会」を国会内で開き、憲法審査会始動を求める緊急アピールを決議したが、「創憲」政党のはずの民主党の議員の姿はなかった。

 民主党護憲派の千葉景子法相は18日の記者会見で、成人年齢引き下げについて「国民投票法と一体として議論しなければならないものか」と、消極姿勢を示している。

 国民投票という、国民が「主権」の行使に直接参加する唯一の機会を封じ、憲法論議から逃げて、大きな世直しなどできるのか。明治時代の自由民権運動の闘士が今の国会の惨状を知ったら、激怒するに違いない。(榊原智)

朝日新聞
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000001005180005 
国民投票法きょう施行 憲法、若者は考えた
2010年05月18日

 憲法改正の手続きを定めた国民投票法は18日、施行される。5年前に民主、自民両党が示した改憲のカタチには、自衛軍の保持や環境権を含む新しい権利の確立などがうたわれたが、憲法論議は下火となった。18歳以上に投票権を認めた国民投票法も、年齢に関する法令の改正が進んでいない。いま20歳前後の若者は、憲法改正にどのような意識を持っているのか。新潟大学法学部の学生たちに聞いた。


   ◆


 18歳以上の投票について、3年の中野莉香子さん(20)は「早いうちから関心を持つためにもいいと思う」、2年の柿沼衣里さん(19)も「18、19歳なら、ちゃんと自分の意見を持つことができると思う」と肯定的だった。


 生活に身近な「環境権」や「プライバシー保護」を憲法に明記することについて、柿沼さんは「環境権はまだ議論が深まっていない。きちんと議論せずに規定されれば、企業活動が萎縮(い・しゅく)するなどのデメリットも考えられる。プライバシー権については、その重要性を認める判例もあるので、明文規定してもいいのではないか」と話した。


 戦争の放棄をうたう9条も、対テロ戦争や北朝鮮のミサイル問題などを契機に、改憲の波にさらされている。


 2年の横田佑花子さん(19)は、家庭や大学で、祖母や被爆者から戦争の体験談を聞いた。「9条は、悲惨な戦争を体験した日本が世界へ向けて発信している平和のメッセージでもある。日本が過去から今へつなげていくものとしてとても大切だと思う」と、改正に慎重な見方を示した。


 3年の女子学生(20)も「日本を取り巻く状況が変わっても、終戦時の反省の精神は変えるべきではない」と答えた。


   ◆


 2005年10月、民主党は「憲法提言」を、自民党は「新憲法草案」をそれぞれ発表し、改憲案の形を示した。


 民主党は9条に関し、「制約された自衛権」を掲げた。自衛権を、国連の集団安全保障活動が作動するまでの間の緊急避難的な活動に限定するとしている。また国連主導の集団安全保障活動以外には参加しないとした。


 また、環境権(良好な環境で生活を営む権利)や知る権利、生命倫理など新しい権利の確立をうたった。新しい権利を維持するための義務は、国や企業、個人が協力し合う「共同の責務」という考え方で位置づけた。


 自民党は、9条で「自衛軍の保持」を明記。集団的自衛権の行使を認め、国際社会の平和と安全確保のための国際的な協調活動も行うとした。


 12条(自由・権利の保持の責任とその濫用(らんよう)の禁止)では「自由及び権利には責任及び義務が伴う」と記した。19条(思想及び良心の自由)には個人情報の保護を、25条(生存権、国の社会的使命)には環境権を、29条(財産権)には知的財産権を加えた。


 公明党は9条の表現を維持し、環境権などを加える「加憲」の立場。共産党、社民党は「護憲」の立場だ。


   ◆


■国民投票法 憲法96条は、改正の手続きとして、衆参両院それぞれの総議員の3分の2以上の賛成で改正案を発議し、国民投票で過半数の賛成を必要としている。この国民投票の具体的な手続きを定めた法律で、安倍政権下の2007年5月に成立した。改正原案を審議、採決する憲法審査会が同年8月に両院に設置されたが、委員は選任されていない。投票権は18歳以上の国民とされるが、関連法改正のめども立っていない。

毎日新聞
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100518ddm002040024000c.html 
国民投票法:きょう施行 目立つ機能不全
 <分析>

 ◇憲法審査会「開店休業」/「18歳投票権」法整備できず
 憲法改正の手続きを定めた国民投票法が18日、完全施行される。日本国憲法96条は改正手続きについて(1)衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成により憲法改正案を発議(2)国民投票の過半数の賛成で承認--と定めただけで、改正を進めるための法的な仕組みが整うのは初めて。ただ、国会は与野党の対立が激しく、憲法改正原案を審査する衆参両院の憲法審査会は始動のめどが立たない状況。同法に明記された「18歳投票権」も必要な法整備が間に合わず、同法は機能不全のまま施行を迎えることとなった。【高山祐、野原大輔、岡崎大輔】

 「参院に憲法審査会を立ち上げるための規程がないのは正常な状態ではない。早急に検討してもらいたい」

 江田五月参院議長は13日、民主、自民、公明3党の参院国対委員長を国会内の議長室に呼び、憲法審査会の委員数などを定める「規程」の策定を促した。

 国民投票法は07年5月に成立、公布され、施行まで3年の準備期間が設けられた。衆参両院に憲法審査会を設置する条項は07年8月に部分施行されたが、同年7月の参院選で民主党が圧勝し、政界は09年衆院選後の政権交代を挟んで与野党対立が激化。衆院では09年6月、当時与党だった自民、公明両党が民主党などの反対を押し切って審査会規程を議決したが、民主党が主導権を握る参院では見送られてきた。

 民主党が規程の策定を拒み続けるのは、改憲派と護憲派が混在する党内事情に加え、改憲に「断固反対」する社民党と連立を組んでいることも影響している。民主党内改憲派の西岡武夫参院議院運営委員長が「違法状態」だとして江田氏に働きかけ、議長自らが説得に乗り出したが、民主党の平田健二参院国対委員長は「党内の議論が十分なされていない」と先送りを主張。民主党出身議長の面目をつぶす形になった。

 18日の完全施行後も衆参両院の憲法審査会は「開店休業」状態が続く見通し。民主党は夏の参院選後も子ども手当など「マニフェスト政策」を優先する構えだ。ただ、参院選の結果次第では連立の組み替えも想定され、米軍普天間飛行場移設問題や消費税引き上げを巡って社民党の連立離脱も取りざたされる。そもそも鳩山由紀夫首相は「新憲法試案」の著書もある改憲論者。参院選後、改憲論議が動き始める可能性がないわけではない。

 国民投票に参加できる年齢を18歳以上とする課題も、国会と政府の不作為で積み残された。同法は選挙権・成人年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げることを前提とし、施行までに「必要な法制上の措置を講ずる」よう求めていた。法相の諮問機関・法制審議会民法成年年齢部会が昨年7月、成人年齢の18歳引き下げを「適当」とする報告書をまとめたが、たなざらしのまま。公職選挙法や民法の改正論議に与野党が取り組んだ形跡はなく、投票権年齢は「20歳以上」でスタートする。

 ◇「自民原案」路線対立で見送り
 野党転落後、「保守回帰」の傾向を強める自民党は夏の参院選マニフェストの「1丁目1番地」に自主憲法制定を掲げる方針。18日の国民投票法施行に合わせて憲法改正原案を国会に提出することも検討した。しかし「部分改正」か「全面改正」かを巡る路線対立が表面化し、あえなく見送り。谷垣禎一総裁ら執行部の求心力低下を改めて印象づける迷走劇となった。

 石破茂政調会長は12日の記者会見で「18日を期して改正案を提出すべきではないか」と述べた。石破氏が想定したのは(1)改正手続きを定めた96条の発議要件を「過半数の賛成」に緩和(2)財政の健全性確保に配慮する条項を83条に追加--する部分改正。国民投票法は憲法改正原案の国会提出に「衆院で100人以上、参院で50人以上」の賛成が必要と規定しており、自民党は単独で提出可能だ。

 同法はテーマごとに改正する「個別発議」の規定を設け、憲法全体の「一括改正」は難しい仕組みになっている。石破氏はこれに基づき党内の合意を得やすい「無難なテーマ」に絞って改正原案を提案したい考えだった。自民党の改憲姿勢をアピールするとともに、改憲、護憲両派を抱える民主党を揺さぶる狙いもあった。

 しかし、可決の見込みもないまま部分改正を提起する石破氏の提案を全面改正派は「拙速」と受け止めた。

 党憲法改正推進本部の保利耕輔本部長は「一部だけ取り出せば批判が必ず出る」と反対。谷垣総裁も「憲法全体の案を出すのが一番正しい対応だ。できるところからやる場合には与野党共通してすぐ取り組む必要があるが、そこまで議論は熟していない」と判断し、石破氏は断念に追い込まれた。

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 ■国民投票法のポイント■

 ▽憲法改正原案の国会提出

・衆院では100人以上、参院では50人以上の議員の賛成が必要

・内容が関連する事項ごとに区分して提案する(個別発議)

 ▽憲法審査会の設置

・憲法と関連法制について調査し、憲法改正原案を審査するため、衆参両院に憲法審査会を設ける(07年8月に施行済み)

 ▽憲法改正案の発議

・衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民に提案(憲法96条の規定)

 ▽国民投票の手続き

・発議の60日以後180日以内に投票

・有権者に働きかける「国民投票運動」は原則自由。インターネットは制限なく、テレビ・ラジオCMは投票14日前から禁止

・個別発議された改正案ごとに1人1票ずつ投票用紙に印刷された「賛成」か「反対」のいずれかを「○」で囲んで投票する

・無効票を除いた有効投票総数(賛成票と反対票の合計)の過半数の賛成で承認

 ▽投票権年齢

・投票権は満18歳以上の日本国民が有する

・国民投票法の施行までに18歳以上が国政選挙に参加できるよう公職選挙法の選挙権年齢や民法の成人年齢を検討し、必要な法制上の措置をとる

・18歳以上が国政選挙に参加できるまでは20歳以上が投票権を有する

読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100518-OYT1T00151.htm 

憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行
 憲法改正の手続きを定めた国民投票法が18日午前0時、施行された。


 衆院では議員100人以上、参院では同50人以上の賛成で憲法改正原案の国会提出が可能になる。ただ、原案を審査する衆参両院の憲法審査会は委員が選任されない状態が続いており、現状で原案が提出されても「たなざらし」となる見通しだ。

 国民投票法は2007年5月に自民、公明両党などの賛成で成立。民主党は、安倍首相(当時)が憲法改正を同年参院選の争点にする考えを示したことに反発し、反対した。「公布3年後」の施行日を迎えるにあたり、松本剛明・衆院議院運営委員長(民主)は17日、国会内で記者団に、憲法改正には各党の理解が必要だと強調。安倍政権が「何年もの議論を一瞬で葬り去った」とし、「真の改正論議につながるにはどうしたらいいかを考える反省の日」と位置づけた。

(2010年5月18日08時53分 読売新聞)


時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010051800011

国民投票法が施行=憲法改正原案、提出可能に-審査会休眠で審議できず
 憲法改正の手続きを定めた国民投票法が18日施行された。これに伴い改正原案の国会提出が可能となった。しかし、原案を審議する衆参両院の憲法審査会は、与野党対立や民主党政権の誕生などの影響で休眠状態が続いている。改正原案が提出されても審議できる環境にないのが実情だ。
 国民投票法は、改憲に積極的だった安倍内閣当時の2007年5月、自民、公明両党の賛成多数で成立した。施行後は衆院100人以上、参院50人以上の賛同で改正原案を国会に提出できる。原案が両院で可決され、改正が発議されると60-180日以内に国民投票が行われ、半数以上の賛成で承認される仕組みだ。
 同法は、成人年齢の18歳への引き下げを前提に、国民投票の有権者を18歳以上の国民と定めた。しかし、民法など関係法令の改正は進んでおらず、当面は20歳以上が対象となる。 
 憲法96条は、改正の発議には衆参両院で「総議員の3分の2以上の賛成」が必要としており、ハードルは高い。このため自民党は、発議要件を「2分の1以上の賛成」に緩和する改正原案を早期に提出することを検討している。
 憲法審査会は07年8月に衆参両院に設置された。ただ、委員の選任に連立与党の社民党が強く反対しているほか、護憲派を抱える民主党も慎重姿勢のままだ。衆院は昨年6月に審査会の運営ルールを定めた規程を作ったが、参院ではそれすら決まっていない。(2010/05/18-00:35)


朝鮮日報日本語版
憲法改正:日本できょう国民投票法施行(上)
http://www.chosunonline.com/news/20100518000029 
憲法制定から63年

 日本で18日から国民投票法(平成19年5月18日法律第51号「日本国憲法の改正手続に関する法律」)が施行された。日本の憲法は、憲法改正時に限って国民投票を認めている。衆参両院の3分の2の賛成と、国民投票での過半数の賛成が、憲法改正の要件だ(憲法96条)。今回施行された国民投票法は、この国民投票をどのように行うかを具体的に定めたもの。同法の施行により、日本は憲法改正のための手続き的枠組みを備えた、と見ることができる。


 野党・自民党は、国民投票法の施行と同時に、憲法改正案を国会に提出する方針だ。与党民主党も、原則的には憲法改正に賛成している。とはいえ、志向する憲法改正の内容・時期・意思は互いに異なっており、日本国民の関心も小さく、憲法改正論が日本社会の中心的話題となる可能性は非常に低い。


■関心は消えたが、法律は生きる


 日本の憲法は、1947年に施行されて以来、一字一句たりとも改正されていない。従って、憲法改正のための手続き法である国民投票法は、実際のところ必要なかった。


 突如この法律が注目を集めるようになったのは、2006年に憲法改正論者の安倍晋三首相(当時)が就任してからだ。05年の衆院選で自民党が大勝したことにより、連立与党が衆議院に占める議席は3分の2を超えた。07年の参院選でも、自民党の勝利が予想されていた。その間に政権に就いた安倍首相は、選挙で勝った後に憲法改正を推し進めたい、と語った。そのため、選挙直前の07年5月、施行は3年後とくぎを刺した上で、国民投票法案を通過させた。


 ところがその年の参院選は、自民党の敗北で終わった。09年の衆院選でも自民党が惨敗した。政権が変わり、憲法改正論も封印されたが、法律だけは生き残ったわけだ。憲法改正への関心がなくなったことで、国民投票法の規定と衝突する公職選挙法や民法の修正、国民投票法が定める国会憲法審査会の運営なども手つかずとなり、「国民投票法の施行そのものが違法状態」という批判まで受けている。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

憲法改正:日本できょう国民投票法施行(下)
http://www.chosunonline.com/news/20100518000030 
憲法制定から63年
■日本の憲法改正論の多様なスペクトラム


 憲法改正と護憲は、日本の戦後政治で左右を分かつ中核論点だった。自民党は、1955年の創立の際、憲法改正を「党の使命」と明文化した政党だ。現在は社民党が継承している旧社会党は、憲法の死守を存立の根拠として勢力を維持してきた。占領米軍が作った憲法を、戦力の非保持と交戦権の否定という理想的条項(9条)があるという理由で、親共・左派が擁護するという皮肉を演出したわけだ。


 現在の政権与党・民主党は、自民党と旧社会党出身の勢力が合流して作った混合政党だ。旧社会党の後身である社民党とは、連立を組んでいる。従って、憲法改正に関する見解も複雑で、その意思も弱い。「憲法改正には賛成だが、急ぐべきではなく、9条の改正は駄目だ」という点を、現在の立場として整理している。このため、民主党政権の下では、憲法改正が中心的話題になる可能性はほとんどない。


 80年代までは、憲法改正論といえば9条の改正だけが取り上げられていた。しかしその憲法改正論も、90年代に入り、環境権やプライバシー権といった人権の新たな価値が登場したことで、大きく幅を広げている。9条改正に反対する人々の間でも、新たな価値を盛り込むことができない63年前の憲法に手を入れるべきだ、という見解が広まっているという。そのため、これまでとは異なり、憲法改正への賛否の世論と9条改正への賛否の世論は別々に形成される様相を見せている。


 今月3日に公開された朝日新聞の世論調査を見ると、「憲法改正が必要」という意見は47%で、「必要ない」という意見(39%)より多かった。だが9条については、67%が「そのままにしておくのが良い」と答えた。「変えた方が良い」という意見は24%だった。


 こうした世論があるため、自民党ですら、今回提出する憲法改正案で9条に手を付けることはしなかった。9条があるにもかかわらず、政府が法解釈により十分な軍備強化を進めてきたことも、9条改正の現実的必要性が弱まった理由の一つだ。日本では、「憲法9条を永久化して世界文化遺産に登録しよう」という余裕ある意見まで出ている。


東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版


「改憲手続き法」の施行にあたって
日本共産党書記局長 市田忠義
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-05-18/2010051803_02_1.html 

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 「改憲手続き法」の施行にあたり、日本共産党の市田忠義書記局長が発表した談話は以下の通りです。


 本日、いわゆる「改憲手続き法」(日本国憲法の改正手続に関する法律)が完全施行されたことによって、憲法を改定するさいの国民投票など、改憲を具体化するための一連の制度的な枠組みが発効することとなった。

 もともとこの法律は、国民の要求にこたえて制定されたものでもなければ、さしせまった必要があって制定されたものでもない。「憲法を頂点とした戦後レジームからの脱却」などという時代錯誤のスローガンをかかげ、ひたすら、現憲法の平和・人権・民主主義の原理・原則を根こそぎ改悪することを「政権の使命」として追求した安倍・自公政権が、国民の強い反対を押し切って強行成立させたものである。

 「改憲手続き法」制定直後の参院選(2007年7月)での改憲派の惨敗、それにつづく昨年の総選挙での壊滅的敗北、この間の世論調査で多くの人びとが「改憲反対」と回答していることなどをみれば、主権者国民は現憲法の改定などまったく求めておらず、したがって、この法律を発動する条件も必要もないことは明瞭(めいりょう)である。

 そのうえこの法律は、「投票年齢」を何歳とするのか、憲法改定の是非に関する国民運動の自由をどう保障するのか、「最低投票率」の要件をどう規定するのか等々、民主主義的な制度として当然備えるべき条項を欠いた、まったくの「欠陥法」にほかならない。このような「改憲手続き法」は、すみやかに廃止すべきである。

 自民党は、この法律の施行を機に改憲案を国会に提出して改憲機運を盛り上げようと躍起になっているが、日本共産党は、わが国の憲政史に取り返しのつかない汚点を残すこのような暴挙に強く反対する。

 憲法にかかわっていま切実に求められていることは、世界に誇るべき「9条」をはじめ、日本国民が大切にはぐくんできた憲法の平和・人権・民主主義の原理・原則をまもり、わが国の社会と政治にいっそう深く定着させることである。そのために日本共産党は、多くの国民とともに力をつくす決意である。

2010年5月17日
日本国憲法の改正手続きに関する法律(改憲手続法)の施行にあたって(談話)
社会民主党幹事長
重野安正
http://www5.sdp.or.jp/comment/2010/dannwa100517.htm 


1.憲法を改定するための国民投票法などの手続きを定めた「日本国憲法の改正手続きに関する法律」(改憲手続法)が、明日施行される。この法律は、かつての自公政権・安倍内閣が、戦前のシステムや価値観への回帰を目論み、国会での審議や国民的議論が十分なされないまま強行に成立させたものである。社民党は、国の基本を定めた憲法を変える重要法案を軽々に取り扱う自公政権の暴挙に強く抗議し、法案成立に反対してきた。

2.改憲手続法は、18項目にもわたる付帯決議が付けられた欠陥法案であり、施行までには多くの法整備や検討課題が残されていた。しかしこれまで、憲法改正原案、改正発議を審議する憲法審査会は一度も開かれていない。これは、改憲に反対する国民の意思を国が真摯に受け止め慎重な配慮をすべきである、という世論のうねりが高まってきたからであり、国民が憲法改正を求めていないことにほかならない。社民党はこの声をしっかりと受け止め、憲法審査会を始動させないよう国会内外で働きかけてきた。なお、改憲手続法が施行されても、同法附則が定めている投票年齢と公務員の政治的行為に対する制限に関する検討と、必要な法制上の措置が講じられるまでの間は、同法は不完全な状態であり、憲法改正原案の発議を行うことができないことは当然である。

3.昨年の総選挙で、国民生活を無視し続けた自公政権は敗れ、社民党・民主党・国民新党の3党連立による「新しい政治」への転換がなされた。「新しい政治」に求められるものは、憲法に定められた「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を実現する真の政治を取り戻すことにある。また、国民主権と基本的人権の尊重は、広く国民のなかに定着しており、さらなる充実をはかることが私たちの責務である。

4.日本国憲法は、国の最高法規であり、わが国が平和国家として歩むための基礎となってきた。連立政権の政策合意においては、憲法の3原則の遵守と、「憲法の保障する諸権利の実現を第一とし、国民の生活再建に全力を挙げる」ことが確認されている。今こそ、平和憲法を正しく理解し、その理念の実現に傾注すべき時である。法施行の今再び、自民党を中心に改憲策動が強まり、改正原案を今国会に提出しようとする動きが出ている。憲法を尊重し擁護すべき義務をかなぐり捨て「米国に追従し、戦争のできる国づくり」を進めようとするタカ派の危険な策動には、断固として対決していく。

5.鳩山内閣での社民党の責務は、人権が保障された平和で豊かな社会を築くため、憲法の理念を生かした政治を実現させることである。社民党は、新しい政治の品質保証役として、引き続き、憲法改悪に反対する人々や、国の礎である憲法を軽々しく扱うことに異議を唱える人々と手を携えて、憲法審査会を動かさないよう監視していく。

以上



日本経済新聞

これでは国民投票法が泣く
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE2E5E4E0E1E3E1E2E3EAE2E7E0E2E3E28297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8D8D   憲法改正の手続きを定めた国民投票法の施行日を迎えた。これにより、国会が憲法改正を発議し、国民投票で過半数の賛成があれば、憲法改正が実現する仕組みが整う。

 本来であれば画期的な出来事だが、国民投票法が定めている衆参両院の憲法審査会は休眠状態が続き、憲法改正の作業は停滞している。これではせっかくの国民投票法を生かせない。違法ともいえる状態を速やかに改め、国会で憲法改正の議論を始めるよう重ねて求めたい。

 国民投票法の成立から施行まで3年間の準備期間があった。しかしこの間、衆参両院の憲法審査会は一度も開かれなかった。参院は審査会の運営規程すら決まっていない。

 民主党出身の江田五月参院議長は13日に民主、自民、公明3党の参院国会対策委員長に審査会の運営規程を早急に制定するよう求めた。自民、公明両党は賛同したが、民主党は慎重姿勢を崩さなかった。

 憲法改正をめぐる党内の意見がまとまっていないうえ、憲法審査会の開催に反対している社民党への配慮からとみられるが、理解に苦しむ対応である。

 3年間の準備期間を空費したため、施行までに法整備をしなければならなかった選挙権年齢の18歳への引き下げなども実現していない。公務員の政治活動をどこまで認めるかという課題も積み残したままだ。

 国民投票法は本則で18歳以上に投票権を与えると定めている。ただ付則で、施行されるまでに一般の選挙権や民法の成人年齢を18歳に引き下げる法整備をすることを条件にしていた。このままだと国民投票法の投票年齢も20歳以上になり、10代の若者の声が国民投票に反映されなくなってしまう。

 18歳選挙権は民主党のかねての主張であり、民主党の政策集にも明記されている。にもかかわらず鳩山内閣の下でも検討は進んでいない。

 法相の諮問機関である法制審議会は昨年秋に成人年齢の引き下げを千葉景子法相に答申したが、関連法案の提出のめどは立っていない。成人年齢の引き下げは少年法など他の法律にも大きな影響を与える。政府は成人年齢の引き下げに向けて、具体的な検討を急ぐ必要がある。

5.12.2010

沖縄問題に関して —日本の皆さん、目を覚ましてくださいー

 2009年9月民主党政権が、長く続いた自民党政権にあいそをつかした日本国民の期待に答えるべく発足したが、政治献金などの非本質的問題(重大問題ではあるし、早急に解決しなければならない問題だが)でつまずき、今、公約した普天間基地沖縄県外移設問題で、沖縄県民の念願である沖縄基地縮小(さしあたり普天間基地撤廃、代換地なし)を、アメリカ政府に堂々と要求することが出来ないでいることは日本国民の信頼を裏切るものである。
 しかし、一方これは沖縄県民以外の日本国民に責任の一端があるように思われる。首相もなんども発言しているように、日本の安全保障に沖縄の基地が一役かっているという思い込みである。政治家も日本人の多くも,日米安保が日本の安全に寄与していると思い込んでいるようである。従って、日米関係はさらに深化すべきという意見が多数を占めているという事実こそが、普天間基地県内移設に、沖縄県民以外の日本国民が声を大にして反対の意思表示をしないでいることの原因であろう。そこで、現政権は、断固としてアメリカに普天間基地撤廃、県内移設反対を主張しない(できないのではなく)のではないかと思われる。
 さて日米安保とそれに基づくとされている日本国土上への米軍基地の維持は、本当に日本を守るためにあるのだろうか。本当にいざという場合、アメリカは日本の安全を保障してくれるのだろうか。そもそも、日米安保は、冷戦中敵対国であったソ連と中国へ睨みをきかせる格好の場所に日本が位置しているがために、日本への安全保障を口実に、アメリカが第2次世界大戦後も占領しつづけるために作りあげたものである。過去半世紀、日本が侵略の危機に晒されるような事態がなかったので、アメリカの本心を試す機会がなかったから、確認のしようはなかったが。
 逆に、日本人の多くは、アメリカの保護下にあったからこそ、今まで日本は安泰だったのだと思っているようだが。しかし、なにも起らなかった原因が、そのためであったと実証することは不可能である。それよりも大戦後の世界情勢、なかんずく日本の世界的地位への台頭などの実情から考えるに、日本を攻撃しようとする国があったとか、現在もあるようには思われない。北朝鮮の脅威を政治家は強調するが、あの国にはそんな余裕はない。アメリカの脅威に対して強がりを見せているだけであるし、「金」独裁体制を維持するため、国民の目を外からの脅威に向けるような雰囲気を作り出しているだけに過ぎないと思われる。
 アメリカの軍事主義、世界制覇欲などについては、このブログ(vsa9.org)でお知らせした筆者の著書(未出版だが、日刊ベリタ紙上に発表)に詳しく議論したので、参照していただきたい。しかし、そのような努力をされなくとも、現在の世界を見渡して見ていただけば、このことは歴然としているのではないだろうか。現在世界中の紛争のあるところで、アメリカが全然関与していないところは非常に少数である。そのアメリカの関与の仕方だが、平和構築ではなく、覇権の拡大、資源の獲得などという帝国主義的なものが大部分である。アメリカという国は、世界平和構築への大きな障害なのである。日本がいつまでもそれに加担していてよいものだろうか。さしあたり普天間基地閉鎖、移設地を提供しないということを声を大にして多くの人が主張してほしい。(落合栄一郎)

自民改憲案提出へ 九条は避ける LDP to submit a constitutional revision draft

自民、18日に改憲案提出へ 民主揺さぶりも
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010051201000380.html 

東京新聞
2010年5月12日 13時15分

 自民党の石破茂政調会長は12日の記者会見で、憲法改正手続きを定めた国民投票法が施行される18日に財政健全化条項などを盛り込んだ党の憲法改正案を国会提出する考えを示した。改憲に賛否両論がある民主党を揺さぶると同時に、参院選に向け、党の独自色をアピールする狙いもありそうだ。

 改憲案の提出には衆院では100人、参院で50人の賛同が必要だが、いずれでも自民党単独での提出が可能。衆参両院のどちらに提出するかは明らかにしなかった。

 財政健全化については、国会議決に基づく財政処理原則を定めた憲法83条に「財政の健全性の確保は常に配慮されなければならない」との条文を付け加え、後世につけを残さないよう明記する。さらに憲法改正の発議に関し、衆参両院それぞれ総議員の「3分の2以上」の賛成が必要な要件をいずれも「過半数」に下げる内容とする。

 石破氏は「財政健全化と改憲発議要件の緩和とに関しては党内に異論はない」と説明した。他の改憲内容を加えるか検討を進めて、最終案を取りまとめる方針。ただ9条改正には自民党内のほか国民の間でも慎重論が強く、踏み込まない見通しだ。

(共同)

4.20.2010

Upcoming Events in New York

There will be numerous events happening in New York in May, related to the UN Non-Proliferation Treaty Review Conference. About 100 Hibakusha (a-bomb survivors) will be there to call for nuclear abolition.

Vancouver Save Article 9 is one of the endorsing organizations of the NGO Conference in New York "Disarm! Now," which will take place on April 30 and May 1 at Riverside Church, New York. About 1,000 delegates from all around the world will gather to call for a sustainable world without nuclear weapons.
http://peaceandjusticenow.org/wordpress/

VSA9, Peace Philosophy Centre and Hiroshima's NGO HANWA (Hiroshima Alliance for Nuclear Weapons Abolition) will offer a workshop on May 1.

"Atomic Bombings and Indiscriminate Attacks On Civilians "
http://peaceandjusticenow.org/wordpress/2010/04/workshops/

Also, Peace Philosophy Centre is one of the co-sponsors of Symposium "The Wisdom of the Survivor"to take place at Schimmel Theater, at Pace University in Lower Manhattan.
http://johnjay.jjay.cuny.edu/wisdomconf/index.html

The bilingual version (English and Japanese) of the program is here:
http://peacephilosophy.blogspot.com/2010/03/may-4-symposium-in-new-york-wisdom-of.html

I hope those of you who have friends, family, and colleagues in New York will spread the word.

Satoko Norimatsu
Director, VSA9

4.16.2010

Okinawa marines said dispensable

Rarely in the Japanese media we see this well-researched, well-balanced article like this.

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20100416f4.html

Okinawa marines said dispensable
Analysts say force levels have been greatly reduced and question their role as a deterrent

By YUTAKA YOSHIDA
Kyodo News
The clock is ticking for Prime Minister Yukio Hatoyama as he works to decide where to relocate the controversial U.S. Marine Corps Air Station Futenma, but there has been little discussion regarding whether it is reasonable to assert that the presence of the marines in Okinawa is indispensable.

Military experts in Japan say the number of marines actually stationed in Okinawa has been much smaller in recent years than the formal tally, prompting some to doubt whether keeping many marines there would act as a deterrent.

In February, a top marine commander came to Tokyo and made a pitch for the importance of the marines' presence in terms of the fundamental nature of the 1960 bilateral security treaty.

During a U.S. Embassy-organized gathering, Lt. Gen. Keith Stalder, commander of the Marine Corps' Pacific force, said the current deployment of marines in Okinawa is "the perfect model" to support the bilateral alliance's objectives of "deterring, defending and defeating potential adversaries."

"Our service members are prepared to risk their lives in defense of Japan. . . . Japan does not have a reciprocal obligation to defend the United States" under the treaty, Stalder said.

"In return for U.S. defense guarantees, Japan provides bases, opportunities to train and, in more recent times, financial support," he said.

Stalder said the United States "accepts this asymmetry" but hinted Washington wants Tokyo to always keep this in mind.

But military analyst Shoji Fukuyoshi has his doubts, saying the deployment of marines in Okinawa has been "hollowed out."

The United States says the full strength of the marines in Okinawa is around 18,000, while the prefectural government says the number is actually about 12,000.

Many ground units do not remain in Okinawa on a regular basis but rotate to the prefecture, local government officials said, adding some of the units have been sent to Iraq and Afghanistan.

Fukuyoshi said the U.S. side claims it has four infantry battalions in Okinawa, but three of them, with a total of around 2,000 members, have been away from the island since 2003.

Under the current bilateral agreement on the realignment of U.S. forces in Japan, around 8,000 marines in Okinawa will be transferred to Guam and the remaining 10,000 will theoretically remain in the prefecture.

The U.S. Marine Corps has three expeditionary forces and Okinawa is the only location outside of the U.S. mainland that hosts one of them, the 3rd Marine Expeditionary Force, which manages facilities including the Futenma air station — the base at the center of the controversy between Japan and the United States. Nearly 60 percent of U.S. service personnel stationed in Okinawa are marines.

But there is a view that only the 31st Marine Expeditionary Unit, which has about 2,200 members, could deal with an emergency by boarding four amphibious assault ships in Sasebo, Nagasaki Prefecture.

Security experts say marine units should stay in Okinawa for purposes such as providing ground force presence, rescuing civilians in an emergency on the Korean Peninsula, antiterrorism operations in Asia and disaster relief activities.

But Masaaki Gabe, an expert on international politics, said, "The U.S. Navy and Air Force in Japan could be seen as a deterrent. But I don't see meaning in keeping the marines."

4.14.2010

In Memory of Inoue

Inoue was one of the founding members of Article 9 Association, like Kato Shuichi and Oda Makoto, who also passed away recently. (photo from the Article 9 Association website)

VSA9 produced a play reading "The Face of Jizo" by Inoue in June, 2006, as part of the World Peace Forum. (photo by Nishimura Makoto, Kyodo News)

Inoue will be remembered forever.



Asahi Editorial April 13, 2010

An extraordinary comedy writer and a modern-day popular writer. A man of knowledge and fountain of wisdom. An observer of the times. A pro-Constitution pacifist, activist and intellectual.

Hisashi Inoue, who died last Friday at age 75, was all these things--and more. But there was just one thread that tied his many activities together, and that was his determination to rely on his own eyes and head to deliver his messages to his audience in simple language.

Inoue's novels and plays deal with profound subjects, but all are easy to read and understand. That was because he focused on the core or essence of each subject, refined it with great care and chose the most appropriate language and style in which to package his product.

To make this possible, Inoue collected every bit of research material he could lay his hands on, pored over the materials and thought them through. He expended tremendous time and energy in his quest to establish his own paradigm of history and the workings of the world.

Such a fastidious approach to his profession was not unrelated to his background.

Born in 1934, Inoue was 5 years old when he lost his father, a leftist activist. He was 10 at the end of World War II, and spent his boyhood in an atmosphere of postwar liberalism. His home of many years was a Catholic institution for children, where he lived until he graduated from senior high school.

Inoue began writing and submitting his works to literary contests in hopes of winning prize money. He got his training as a skit writer at a strip-tease joint in Tokyo's Asakusa district. He also wrote scripts for TV shows when television was still in its infancy as a mass communication medium.

And when he debuted as a playwright, he chose comedy as his genre, even though it was still considered out of the mainstream in the theatrical world.

Anything but an Establishment elite, Inoue was a writer born from the undulating waves of populism of his era. And precisely because of this, he understood the necessity of depending on his own eyes and using his own head to learn from history, lest he make the mistake of getting caught unawares and being swept away in a surge of some "wrong" wave of history that might again engulf the nation.

In particular, Inoue persisted in questioning what World War II had been really about.

"Yami ni Saku Hana" (A flower blooming in the dark) is a play about Class B and C war criminals, and its protagonist is a young World War II veteran. A line in this play goes: "It's wrong to forget what happened. It's even more wrong to pretend to forget."

From 2001 to 2006, Inoue worked on a series of three plays written for New National Theatre, Tokyo. Collectively known as "Tokyo Saiban Sanbu-saku" (Tokyo war crimes trial trilogy), the plays deal with the issue of war responsibility of ordinary Japanese citizens.

Inoue called the Tokyo tribunal "a flawed gemstone." But despite the flaw, he evaluated it highly for enabling the Japanese people to learn their nation's hidden history from classified government documents submitted to the tribunal.

In part of the serial run of the three plays at New National Theatre, Tokyo, Part One of the trilogy started last Thursday. Inoue died the following day, right after the curtain came down on the play amid thunderous applause.

"If we continue to disrespect the past, the future will eventually disrespect us," Inoue commented concerning this play. These became his final words for the public.

Inoue's entire life was spent creating a vast "universe of words." The constellations that shimmer there will continue to entertain us. They will also be our guiding stars as we journey through life.

--The Asahi Shimbun, April 13