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10.09.2010

「安保」再考

 リンダ・ホーグランドさんの映画「ANPO Art x War」に続き、ガヴァン・マコーマックさんを囲んでの、安保(沖縄普天間基地問題)の討論が開かれようとしています。安保・米軍基地問題を考えなおす良い機会だと思います。リンダさんの映画を日本の人にアッピールする目的で、ネット紙「日刊ベリタ」に書いた文章の一部と、この問題についての筆者の考えの一端を、安保再考の議論へのイントロのつもりで、下に掲げますので、検討ください。
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映画「ANPO Art x War」について

 日米安保条約改定から半世紀、安保体制がすっかり日本に根を下し、大多数の日本人はこれによって日本の安全が保障されているという「幻想」に陥っている。しかし、この改定安保が、岸政権の下で、異常な状況下で成立したことを覚えている人も大分少なくなったようである。
  1960年、新安保条約は岸首相がアメリカに行って相手側の言いなりのそれを飲んで調印してきたものである。それを日本の国会が批准しなければ発効しないが、国会内ではその批准に反対する野党の議員を放り出し、外では日本国始まって以来という大規模な反対運動の中で、審議を無視して時間切れで成立という異常な仕方で成立させられてしまったものである。
 この条約には、(今の日本人が思い込んでしまっている)アメリカの日本防衛義務は明記されていないし、日本全土の基地化が明記され、なにか事ある時には日米の事前協議はすることになっているが、日本の同意を必要とはしていない。これらの条文は日本国憲法違反の部分が多いばかりでなく、日本国の主権を完全に無視している。
 北朝鮮や中国の軍事強化などの現状では、安保とそれに基づくアメリカ軍の日本(特に沖縄)駐留が、東アジアの平和維持に貢献しているという幻想があり、だから日米同盟をさらに深化させるべきというのが、大方の政府、立法府から国民にいたるまでの考えのようであり、安保再考などを言い出すことはタブーとなっている感すらある。アメリカの安保固執は、平和維持というよりは、自国の財政難により、軍事費を日本に肩代わりさせるという意図であることは、先にも報告した(日刊ベリタ2010.09.23)。
 さて,こうした問題を思い起こさせる映画が最近作られ、上映され始めた。「ANPO Art x War」である。すでに日本でも公開されているが、カナダでは、トロントの国際映画祭で初公開され、最近バンクーバーでの国際映画祭でも上映された。監督はアメリカ人のリンダ・ホーグランドさんで、日本の政治に直接介入することを避けて、主として未公開の安保、戦争反対の芸術作品を通して安保批判を行っている。強烈で大胆な絵画(ピカソのゲルニカを思い起こさせるような)を始め、政治的配慮から今まで公開されたことのない様々な芸術作品を掘り起こして、語らせている。その合間、合間に挿入されているのは、1960年安保反対闘争の映像である。学生・労働組合員ばかりでなく、多くの普通の市民が、反対運動に参加した様がよく描かれている。(この筆者も、あの反対運動デモの中の一人であった)
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 さて、現実には、日本は過去65年間、外国からの侵略を受けていない。多くの日本人は、これは「安保」によるアメリカの保護のおかげであると考えているらしい。しかし、これが、本当にそうだったのか、検証する方法はない。どうして、こういう状態(日本が過去65年間外国からの攻撃にさらされなかった)が続いたのであろうか。2つの可能性があろう。(1)アメリカ軍の極東での存在が、アメリカ軍が日本保護の意思を持とうが持つまいが、存在しているだけで日本攻撃をしかけようとする国の歯止めになった。もう一つは、(2)周辺国(中国や1990年までのソ連など)は日本を攻撃する必要を感じなかったし、その余裕もなく、むしろ(攻撃によって)日本の経済成長を阻むことはマイナスであると判断したなどなどの理由で、このような状態が続いた。すなわちアメリカ軍の存在は無関係であった。(2)の理由が主なものとするならば、(1)の影響はあったとしても、主な理由にはならない。すなわち、「安保」は日本の安全に不可欠であったわけではない。(ソ連の第2次世界大戦終了時の日本への態度には、問題がある、すなわち、日本をソ連の影響下に置くような試みをしたかどうか。しかし、この時点では「安保」は存在していなかったのだから、「安保」有無の問題外である)。
 重要なことは、これからの世界で「日米安保」は必要だろうかという点であろう。すなわち「安保」をこのまま継続することは、日本や世界にとって得策かどうか。「安全保障」条約という名称による欺瞞(実際には日本保護は規定さていない)に惑わされて、大量の日本国民の血税を使い、しかも基地周辺に及ぼされる様々な負の影響をその周辺市民に押し付けてきたなどなど、マイナス要因のほうが日本にとっては大きい。アメリカ軍の日本駐留は、アメリカの帝国主義・覇権主義政策の一環であり、しかもその費用は日本に負担させている。このようなアメリカの覇権主義は、世界中の国々、人々から反感をかっている。アメリカが世界最大の軍事力をもっているから、このような状態が継続しているだけであり、世界平和をもたらすには最大の障害である。アメリカに対抗する軍事力を獲得するか、またはテロ的方法でアメリカへ報復しようとする人や国があるとすれば、世界中で最大の海外軍事基地を持つ日本が真っ先に攻撃の対象になるであろう。(なお、9/11事件が公式発表のような、本物のテロであったかどうかは疑わしい)どの面から考えても、現在の安保を継続することは、日本ばかりでなく、世界の平和達成のためにはマイナスである。
 このままの状態を続け、アメリカの言いなりに日本の軍備を拡張し、中国の軍備拡張と張り合うというような方向に進むと、世界平和への道から後退するのみであり、おそらく結果は地球文明の破滅しかないであろう。軍事均衡は理想論にすぎず、ちょっとした破綻から人類破滅へ向かう確率は非常に高い。その上,軍備に無駄なカネを使い、市民の生活の向上にはなんらの貢献をしないばかりか、世界の市民を生活苦に追い込んでいる。(銀行,軍需企業などのとてつもない金銭欲に基づく、経済格差の拡大が原因だが、カネ儲けの最たるものが、軍需産業である)。
 「安保」を廃棄し、日本が世界平和実現へのリーダーとして、憲法9条を堅持し、自衛隊を縮小し、平和条項を各国の憲法に採用する運動をすすめ,世界各国民に「非軍事的」な紛争解決が人類にとってノーマルであるという文化を作りださねばならない。そんなことは理想論に過ぎないと言われると思うが、この理想を実現しなければ、世界恒久平和はえられない。
 沖縄問題は、こうした運動の第1歩で、普天間基地廃棄(移設地提供せず)実現を手始めに、アメリカ軍事基地の縮小を、アメリカに強く求める方向にもっていく必要がある(「安保」廃棄が実現すれば,必然的にそうなるが、それが実現しなくとも、こうした動きを強める必要はある)。こうした動きを、アメリカ軍基地を持つ多くの国との連帯運動に広げて行く。そしてアメリカという国そしてその国民がこうした自国の覇権主義の無意味さを実感するような雰囲気を作り出していく。(落合栄一郎)

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