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9.20.2011

911-同時多発テロと震災・原発事故と

日本での911は、東日本大震災の半年後、世界にとっては、アメリカ東部の同時多発テロの10年目。様々な意味で、考えさせられることの多い記念日である。この二つは丸で違った、無関係な事象のように見える。一方は、テロリストと称される人々が遂行したとされるとんでもない事件、そしてもう一方は、自然がもたらした巨大地震と津波、そしてそれに起因する原発事故。どこにも接点はない。911はまた、1973年にアメリカのCIAの後押しによるチリでの軍事クーデターの記念日でもあるそうだ。これらに共通点は“911”以外にあるのだろうか。
10年前のあの時、筆者は、ニューヨーク州の隣(ニューヨーク市からは間にニュージャージー州)ペンシルバニア州の大学で教鞭をとっていた。第1時限のクラスを終えて自分のオフィスに戻ると、自宅からの電話で、今とんでもないことがニューヨークで起きているということを知らされた。その後は、大学も授業を中断、人々はテレビに釘付けになった。あの飛行機が高いビルに激突するという異常さ、本当のことには思われない。そして、それを知らされたブッシュ大統領が、子ども達との対話を続け、驚いた様子も見せない映像は、非常に違和感を与えた。そして、あのビルの崩壊の速さ、あんな速度であんなビルが崩壊するのは、これも夢を見ているような気分だった。筆者の息子は、あのマンハッタンの川向こうのブルクッリンに住んでいたので、電話するとアパートの屋上から家族で呆然とあの崩壊の有様をみていたそうだ。彼らは、あの数日前、友人の訪問者をあの崩壊したビルに案内したそうだ。ペンシルバニアのシャンクスビルという村にもハイジャックされた一機が墜落したとされている。その現地の映像も映されたが、比較的小さな窪みで、機体とか人間の死体が散乱しているようにはとても見えなかった。実は、あの村は、筆者が住んでいたところからさほど遠くない場所なので、あの場所には行ってみるべきであったと今は残念に思う。しかし、仕事もあるし、何がなんだかわからず混乱していて、そういう探究心がおきる余裕もなかったようだ。
その後の経過、政府発表の公式見解、それへの様々な異論・疑問の噴出などについてはある程度報道されたが、民間からの異論・疑問点に答えるべきさらなる政府側の事件究明はない。このこと自体、非常に異常である。主要メデイアは、この件について報道することを禁止されているかのように、触れようとはしない。真相は、未だに闇の中である。今年の911記念日には、死者を悼んだり、記念碑を建てたりする行事ばかりで、あの事件の真相についてはどこからも報道はなし。ただ、カナダのトロントでは真相解明の会議が開かれはしたが。
しかし、イスラム系のテロの恐怖をアメリカ国民の多くと世界の人々に植え付けることには成功した。そしてテロ対策を口実(真の目的は別)に、アフガニスタン、イラクなどへ攻撃を仕掛け、莫大な戦費を浪費してやまない。この戦費はどこへ行くのか、無辜の市民も含め多くの人間を殺すために、経済的に困った若者を兵士に仕立て、安月給で使うが、その間で様々な権益に与る企業に、戦費の多くが転がり込む。なぜこんな無駄を続けるか、それは、そうして儲ける側が政権や立法府を牛耳っているからである。
一方、テロ対策、国家安全のためと称して国家保安局を設け、これにも多額の資金を注ぎ込んでいる。テロは、イスラム系の組織(と称される)のそればかりでなく、権力を批判する人々をもテロリストと規定し、監視の対象としている。アメリカ市民の自由はかなり制限されはじめた。
大平洋戦争では、真珠湾攻撃を米政府は第2次世界大戦へのアメリカ参戦の正当化に用いた。すなわち、真珠湾攻撃の真相は、米政府があの日本の海軍の動きを知りながら、日本のするままに任せ(アメリカ兵の犠牲も容認して)、国民に参戦の正当さを納得させ(*)、30年代からの経済不況を回復させる意図があったようである。戦争を経済活性化に利用したのである。それは成功し、アメリカは一躍世界の最強国になった。その後、20−30年間は、経済を握る人々の余力もあってか、労働者達(労働組合の努力もあって)にもその恩恵がもたらされ、中産階級が増え、いわゆるアメリカ的豊かさを、多くの市民が享受した。(なお、人類の歴史を通じて、戦争はしばしば国内での問題から市民の目を逸らさせるために用いられた)
しかし、経済の実権を握る層の利益追求がさらに募り、新自由主義などという退廃的市場経済理論なども援用して、レーガン政権(イギリスのサッチャー政権の方が先)があらゆる企業の規制緩和を始めた。そして、 経済エリートは利益を上げるのに近道の金融を操作することに血道をあげた。ヨーロッパで金融業を始めたエリート中のエリートがその上層部を形成している。またアメリカの企業は、利潤増大を計るために、労賃が安く、様々な制約の少ない海外に生産拠点を移していった。アメリカ市民の雇用機会、したがってその生活・生命などは無視しての利益重視の典型で、現在のアメリカの失業率の高さの遠因である。多くの製造業を海外に移したが、軍需関係の製造業やサービス業は海外に移すわけにはいかない。すなわち、アメリカの大地に残った製造業は主に軍需産業である。
1989年にソ連圏が崩壊するまでは、冷戦を理由に軍需産業は繁栄していた。しかし、冷戦が終結して、高い軍事力を維持する必要性は減少した。冷戦終結に伴う東側の混乱はともかく、欧米側も軍需産業が低迷せざるをえなくなった。そのため、例えば、フランスでは、軍需産業に活を入れるために、 原爆のテストを世界各国の反対を押し切って、1995年に挙行した。上にも述べたように、アメリカは軍需産業以外の産業が空洞化し、経済が殆ど戦争依存となってしまっている。
911事件は、本当のところ誰が企画し遂行したかは定かではないが、テロへの軍事行使を正当化することに利用された。しかも所在や組織・人数なども不明確なテロリスト相手であり、終わりの見えない戦争である。しかも欧米の軍事組織NATO諸国の多くが参加し、アメリカに強制されたNATO以外の國も参加させられている。軍需産業にとってはありがたい戦争である。事実、軍需産業は、アフガニスタン、イラクには、軍需物資供給ばかりでなく、正規の兵士と同じぐらいの数の民間傭兵も供給して、アメリカ市民からの税を懐にしている。一方国民の多くは職を失い、賃金低下を余儀なくされ、医療保険なども完備していないなどなど、その生活基盤は増々低下している。今年、アメリカの貧困所帯(4人家族で年収2万2千ドル以下)は15.1%に増大した。
さて、日本の911、いや本来は311の事象はどうか。地震・津波とも自然現象であり、現時点では人類はどうすることもできない。ただし、防潮堤その他をより強固なものを設定していたら、防げた部分もあったであろうし、避難への準備などももっと整っていたならば、死者の数を減らすことはできたであろう。福島第1原子力発電所では、先ず地震で、そして津波により運転中の原子炉3基と、冷却プール(4号基)に故障が生じ、燃料棒の冷却が不十分になり、水素爆発などの事故が発生し、放射性物質が環境(空中、海水、などへ)に放出された。この部分は人災である。地震、津波に対する十分な安全策をとっていなかったことがそもそもの原因である。
さて、この事故を起こした主体は 東京電力という企業である。しかも、他の数社の電力会社とともに、日本全国を分割して、それぞれがその地方の独占企業であるうちの最大のものである。この会社が、建設し、他に迷惑をかけないように運転し、そして、独占である以上、電力を供給する責任を負う。もちろん、原発が国策として導入されたので、建設費その他国家からの補助が与えられた。さて今回の事故では、大量の放射性物質が炉外に出て、原発敷地ばかりでなく、かなり広範にバラまかれた。
この震災からの復興には主に二つの基本問題がある。壊滅的な被害を受けた個人・地方自治体・企業体などの復旧・復興と、原発事故被害をどう償うかである。前者はすでに起きてしまった被害を修復し、人々の生活を元通り(必ずしも完全に同じようにという意味ではない)にするための財政的、その他の援助である。これを早急に十分に行うことは国家の為政者(行政、立法)の責任である。国民にも一端の責任はあるが、このための財源を國が確保することが必要である。この財源を赤字国債発行や増税などにより、またまた国民からカネを吸い上げるよりも、日本国民の利益にあまり関係のない出費を削減して、災害復興に回すのが妥当なやり方ではないだろうか。それは、例えば、駐留アメリカ軍のための思いやり予算であったり、利権のためだけにする、実際は国民の役に立たない様々な公共投資などなど。
原発事故の収拾とその被害の賠償。いやその前に放射能被害を出来るだけ食い止める、汚染を除去する方策にまず全力を上げることが必要である。これはだれが責任を負うべきか、事故を引き起こした電力会社である。先ず、この企業が出来るだけの努力と出費とを負担しなければならない。原発以外の事故ではそれが通常である。放射性物質拡散(除染は可能な限りやった上で)の被害は様々である。住民の直接的な健康被害、農作物汚染、漁獲物汚染、瓦礫汚染などなど。健康への影響は、直ちには現れないケースが多い。こうした悪影響は、金銭のみで解決できるものではないが、金銭的な賠償は十分になされるべきである。
以上二つの事象(同時多発テロとそれに付随する諸々の事象、と福島原発事故)は、人類の現状に対する警告である。先ず自分達の立場をテロという形でしか表現できない追いつめられた人達がいること(テロという行為を、宗教が要請すると思い込むような原理主義者もいるにはいる)、しかし、2001年の911事件が本当にそうしたテロであったかはまだ不明。テロがアメリカに向けられたことを利用して自分達のやりたいことを遂行した人々(石油のためにアフガン、イラク侵攻を遂行した)は、テロを公式発表の如くであると民衆に印象づける努力をしたし、そうした権力に牛耳られたメデイアはそれに協力した。そして、一部のエリート達がその戦争により利益を得、一方、同じような意図を持つ金融業者たちも、普通市民の生活や生命をも犠牲に利益獲得に執心している。これは、かって人類が克服した(全ての國でではないが)絶対王制と同様な少数支配への退歩である。このような状況下では、共和制の基礎となるいわゆる代表制民主主義は、その選挙過程、選挙された国民代表の大部分も少数エリートに買い取られていて、市民の利益を代表するようには機能していない;形骸化された民主主義である。残念なことには、アメリカ市民の多くが、宗教原理主義的思考などに毒されて、こうした支配層の繰り出すウソに乗せられてしまっている。彼らは、支配層の言う「政府が最大の問題;全ては個人の力に依存」などなどの宣伝を信じ込み、支配層の隠された企み(國の富を大多数の国民から少数の支配層が奪取)には気がついていない。大多数市民は、支配層による愚民化・奴隷化策に気づいていない。この傾向は、特に911事件以降顕著になってきた。
さて、日本はどうか。福島原発事故で原発の安全性が否定され、経済的にも原発は引き合わないことも暴露され、国民の多数は脱原発の方向に動き出した。ただし、原発維持・推進派は、あらゆる手段で、原発維持の方向に国民をつなぎ止めておきたいと躍起になっている。脱原発に方向転換した菅首相を与野党がそろって追い落とし、背後の権力は原発容認派を政権の座に据えた。新経産大臣が、脱原発の方向を打ち出すや、僅かな失言をもとに、速やかに更迭してしまった。この一連の動きの背後には、国民の生命よりも、利益を重大視する市場資本主義(新自由主義)に毒された経済機構とそれを操る人達がある。日本の資本主義はまだアメリカのそれのように退廃しきってはいないようだが、特定企業は、原発維持(原爆開発も視野に入れた)を超えて、軍需創出を目ざしているようである。この災害・原発事故の混乱を幸いに、憲法9条改悪へも動き始めた気配がある。
911も311も、人間の生命や福祉よりも、企業利益を優先する企業に依存する経済体制・文明(コーポラトクラシー)を浮き彫りにした。災害復興、脱原発への動きにおいても、企業利益優先の精神は発揮されているようである。復興のための努力に、動機づけが必要ではあるだろうが、それが企業などの利益というような形で発揮されるのは、現在の経済体制の延長にすぎない。今、人類は、こうした「利益」優先の経済体制を放棄して、市民(普通人)の幸福への寄与を土台にした経済体制を築かねばならない。
(*「Day of Deceit: The Truth about FDR and Pearl Harbor」(Robert B. Stinnett, Touchstone, 2000)     (日刊ベリタ2011.09.15より転載)

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