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3.28.2010

東京新聞 世論調査ニュース

『9条改憲不要』51% 普天間移設先 国外38%
2010年3月28日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010032802000076.html

 本社加盟の日本世論調査会は十三、十四両日、面接による全国世論調査を実施し、安全保障に関する国民の意識を探った。日米安全保障条約改定からことしで五十年を迎える節目に日米同盟の評価を聞いたところ「現状のままでよい」との答えが59%を占めた。戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法九条に関しては51%が改正は不要と回答。焦点の米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先は38%が日米合意を見直し、日本国外へ移設するよう求めた。

 日米安保条約が日本の平和と安全にどの程度役立っているかとの質問には「大いに」(16%)と「ある程度」(62%)を合わせ78%に上った。

 集団的自衛権の行使を憲法解釈で禁じている政府見解に対しては「今のままでよい」が47%と最多。これに「解釈を変更して、行使できるようにする」の17%が続いた。日米同盟の評価に関しては現状肯定に次いで、同盟関係を「強化する」が17%。「弱める」が16%で「解消する」は3%にとどまった。

 九条改憲をめぐっては「改正する必要があると思う」が24%。具体的には「自衛隊の存在を明記する」が52%と最も多く、次いで「国際貢献を行う規定を設ける」(27%)、「自衛隊について拡大解釈を防ぐ規定を設ける」(16%)の順だった。

 普天間移設先に関しては「沖縄県以外の日本国内」が21%。国外と合わせて59%が沖縄県外を求めた。次いで、日米同意に沿って沖縄県名護市の「キャンプ・シュワブ沿岸部に移設」が18%。シュワブ沿岸部以外の沖縄県内移設は12%だった。

 【注】小数点第一位を四捨五入した。

3.23.2010

「アメリカ文明の終焉から持続可能な文明へ」

日刊ベリタなるインターネット紙に掲載されたいくつかの論考をまとめて、表題のような本をまとめました。ここで、この本を紹介することが適当かどうかわかりませんが、この第1部をなすアメリカ文明の様々な問題点を、皆様に知ってもらいたいと思い、下に本の前文と目次を掲げます。現在アメリカと日本の関係が、沖縄の基地問題や、核兵器持ち込みの密約などなど非常にきわどい状態になっています。それはアメリカのほとんど狂気に近い覇権主義、軍事主義の一端が日本への圧力として作用しているのですが、日本の人々の多く(70%)は、アメリカとの関係を「深化」させるべきと考えていることは脅威です。アメリカという国の本質を良く知り、アメリカとのつきあいは、距離を置いて(深化ではなく)慎重に是々非々の態度で行うべき時に来ていると思います。ご興味のある方は次のウェッブサイトから、無料でダウンロードできますので、ご覧ください:http://www.e-bookland.net/gateway_a/details.aspx?bookid=EBLS10071200&c=142(落合栄一郎)。



「アメリカ文明の終焉から持続可能な文明へ」

まえがき

 2008年のアメリカ発経済危機は、世界各国に深刻な影響を及ぼしている。日本では、新自由主義的政策によって数年前から創出された非正規雇用者、派遣社員などが安易に放り出され、路頭に迷っている。おそらく、経済の冷え込みはさらに拡大するであろう。これは市場経済の単なる一過性の落ち込み(恐慌)などではないのではないかと思われる。現在の危機は、いままでと同様に消費者の需要を喚起し、財布のひもをゆるめさせれば回復するといった安易な考えでは解決できないのではないかと思える。人類、特にそのうちのいわゆるエリート達(大企業家、金融業者)が無思慮に自分達の欲望を満たすことに奔走してきたが、その成長経済の限界に達したのである。アメリカ文明に代表される現状の継続は、持続できないどころか、地球環境・生態系の破壊そして人類文明の破滅にも導きかねない。
 2009年には、21世紀の最初の8年間の世界を大変間違った方向に導いてきた前政権に代わって、新大統領オバマ氏がアメリカの舵取りをすることになった。世界最大の消費国、軍事大国が今後どのような方向に動いて行くのか非常に興味深い。興味深いどころか、人類文明の今後を左右する。現時点2010年の初頭で、オバマ政権発足後1年が経過したが、今までのところ、前政権を継承したような政策が大部分で、選挙戦で約束した「変革」は殆ど実現、どころか提案もされていない。もちろん大統領ばかりの責任ではないかもしれないが、これまでの実績からは根本的な「変革」は期待できそうもない。特に問題なのは、中東その他での戦争拡大、経済危機の深化、それによる市民の貧困化などである。
さて現在の人類の陥っている危機から這い出すにはどのような方法があるのだろうか。持続可能な社会とはどのようなものか。この二つの問いは実は同一のものである。この問いになんとか答えてみようとする試みが本書である。人類の遭遇した最大の問題(人類の存続に関する)には、人類の多くが関心をもち、なんとか自分達を救い出そうとする努力が必要であろう。本書がそうした動きのキッカケを提供できれば幸いである。
実は、日本という国は、江戸時代2世紀半にわたって、平和を維持し、かなり高度な文化を、ソーラーエネルギーのみで持続させたという稀な経験をもっているのである。この経験を思い起こし、その経験を持続社会構築に生かすことは有意義であろう。本書でも、江戸時代の経験を下敷きにした部分は多い。この意味で、日本は、平和憲法9条とともに、江戸時代の経験を生かして、今後の世界の持続可能社会建設において指導的役割を担えるのではないだろうか。オバマ新政権についで、日本にも民主党の新政権が誕生した(2009.8)。今後、この新政権がどのような方向へ日本を引っ張って行くのか、その際に、本書で扱うレベルの持続性への配慮がどの程度取り入れられるのか注目したい。
本書は、第1部「(現代文明を代表する)アメリカ文明の黄昏」と第2部「経済危機・アメリカ的文明を乗りこえて持続可能な社会へ」とからなる。第1部ではアメリカ文明の問題点、特にその帝国主義的軍事優先的態度、消費依存経済など、持続可能性とはほど遠い現状を概観し、第2部では持続可能な未来社会の様々な制約、経済、政治状況を検討し、持続可能な未来社会のおおよそのイメージを具体的に描いてみる。そしてそのような社会を建設するにはどうしたら良いかを検討する。なおこれらの論考の大部分は、先にインターネット紙日刊ベリタに掲載されたものである。各章の冒頭にその掲載日を記す。

目次

第1部 アメリカ文明の終焉

1章 アメリカの帝国主義的心情と戦争意識
1.1。初期の歴史
1.2.アメリカの戦争意識の基礎 
1.3.アメリカの平和主義者達・リベラル派
1.4.人類の将来とアメリカ  
2章 アメリカ帝国主義の一形態—エコノミックヒットマンの物語
3章 非軍事面での帝国主義
  3.1.優生学
  3.2.食料を制するものは人間を制す
  3.3。緑の革命
  3.4。農畜産業の工業化
  3.5。遺伝子革命
  3.6。最後にー自然の反抗—
4章 悪/政治/戦争/新自由主義
5章 アメリカ的文明の黄昏
5.1.市場資本主義の退廃—コーポラテイズム
5.2.覇権主義—奢り
5.3.アメリカ的文明の持続不可能性

第2部 経済危機・アメリカ的文明を乗りこえて持続可能な社会へ

6章 総論
   6.1.概観
  6.2.歴史的展望
  6.3.持続可能な未来社会のアウトライン
7章  地球上の物質的・エネルギー的制約、物理的制約—気候変動など
  7.1.エネルギー的制約
  7.2.物質的制約
  7.3.物理的制約
8章 人口問題
  8.1.人口と食料
  8.2.人口の制御
9章 21世紀初頭の経済体系の問題点—持続可能文明形成を阻むものー
  9.1.必要と需要—新古典派経済学—
  9.2.新古典派経済から新自由主義へ
  9.3.グローバリズム
  9.4.カネをモノを等価と看做す誤り−1−未来のデイスカウント
  9.5.カネとモノを等価と看做す誤り−2−金融の経済支配
10章 江戸期のモデル
  10.1.持続した社会—概観
  10.2.なぜ江戸社会は持続できたか
  10.3.「自己制御(抑制)」の精神
11章 持続可能な未来社会のイメージ
  11.1.持続可能な社会の概観
  11.2.資源・エネルギー・環境
  11.3.インフラストラクチャー
  11.4.個人の開発
  11.5.社会システム
  11.6.政治システム
  11.7.経済システム
12章 持続可能社会への道のり
  12.1.世界観・価値観の変革
  12.2.経済通念と経済産業構造の変革
  12.3.変革実現の仕方

Film "The Sirota Family and the 20th Century" 映画「シロタ家の20世紀」


映画上映会のお知らせです。日本語版は英語版の後に続きます。
Film

"The Sirota family and the 20th Century"

• 93 minute / a colour documentary film
• Directed by Tomoko Fujiwara
• Produced by The Leo Sirota Production Committee and Nippon Eiga Shinsha
• First screened in October, 2008 at Iwanami Hall in Tokyo ; received many great reviews in Japan and France.
• The film won the Jury Award at the Seventh Kiev International Film Festival in 2008.

Please join us at this Canadian premier public showing of the film, made under a special arrangement with its director.

Time:
English version: 1:15 PM, April 24 (Sat.)


(Japanese version: 3:00 PM of the same day)

Venue:
Multimedia Room, 2nd Floor
Roundhouse Community Centre in Yaletown
181 Roundhouse Mews, Vancouver
(Roundhouse Station of Canada Line)

Inquiry: info@vsa9.org or 604-619-5627

Admission by donation (suggested: $5)

Organized by: Vancouver Save Article 9 Endorsed by: Peace Philosophy Centre

About the film:

This is a moving story of the 20th century about an artistic Jewish family, the Sirota family, originally from Ukraine. Beate Sirota, daughter of an internationally renowned pianist Leo Sirota, and Aline, Leo’s brother’s granddaughter, together trace the lives of Leo and his brothers, who lived in many parts of the world including Ukraine, Vienna, Tokyo, Warsaw, Paris, and the United States. Leo Sirota lived in Japan for almost two decades starting in 1929, and fostered many great Japanese musicians.

The Sirota family's tragic life seems like a miniature history of the 20th century.

Beate Sirota Gordon, who drafted the women's rights clause in the post-war Japanese Constitution, describes this film as follows:

"The remarkable documentary film maker Ms. Tomoko Fujiwara has again demonstrated her courage and her dedication to peace by producing this film. The film describes the fate of a Jewish family in WWII in Europe - their flight from one country to another, their loves and their sorrows, their deaths in battle and concentration camps. As the daughter of one of the family members, the pianist Leo Sirota, who lived in Japan for 17 years, my hope is that the people who see the film will learn about history and horrors of war, and will strive for everlasting peace in the future."

Beate Sirota, an outspoken defender of Article 9, the war-renouncing clause of the Japanese Constitution says, "It is a model constitution. The real creator of the Constitution is the wisdom of history." Towards the end of this film, we are taken to the Peace Square in Telde, Spain, where Article 9 is inscribed on a plaque. The mayor says, “Article 9 is the hope of the world."


映画 『シロタ家の20世紀』

・ドキュメンタリー映画、脚本・演出/藤原智子
・スタンダード/カラー/93分
・2008年10月東京岩波ホールにて初公開
 日本、フランス各地で大好評
・製作/レオ・シロタ製作委員、日本映画新社
• 2008年第7回キエフ国際ドキュメンタリー映画祭
「審査員大賞」受賞

今回藤原智子監督のご協力 の基に当映画をカナダで初公開 する機会を得ましたので皆さんふるってご参加下さい。

日時:

日本語版: 4月24日(土)午後3時00分(上映開始)

(英語版:同日午後1時15分)

場所:
Multimedia Room, 2nd floor (1階受付手前の階段を上り右方面)
Roundhouse Community Centre
181 Roundhouse Mews, Vancouver (カナダライン Roundhouse 駅前)

問い合わせ:info@vsa9.org まで。電話は 604-619-5627

入場料:寄付による入場(目安は5ドル) 

主催:バンクーバー九条の会 協力:ピース・フィロソフィー・センター

あらすじ

この映画はウクライナに生まれた芸術家の一族、シロタ家の人々の心打つ20世紀の実話を描いたもの。レオ・シロタの娘、ベアテとレオの弟の孫娘、アリーヌと共に、世界諸々の地,即ち、母国ウクライナ,ウイーン,東京、ワルシャワ、パリ、アメリカ等点々と移住 していくレオと彼 の兄弟の生涯をたどる。レオは当時世界でも指折りのピアニストで日本には結局20年近くも住む事になる。その間日本で優秀な音楽家を数多く育て上げる。此のシロタ家の悲劇は正に20世紀歴史の縮図のようにも見える。

戦後新日本国憲法の草案を作成する際、女性の人権に関する24条を執筆したベアテ・シロタ・ゴードン女史はこの映画について次のように語っている。

『すぐれたドキュメンタリー映画の監督藤原智子さんは、此の 「シロタ家の20世紀」をつくることによって、再び彼女の勇気とそして平和への貢献を表現されました。この映画は第2次大戦中のヨーロッパでユダヤ人の一家族のたどった運命を描いています。国から国への移動,愛と悲しみ、そして戦死と収容所の事などを。此の家族の一員であり、日本に17年以上も住んでいたピアニスト、レオ・シロタ、その娘として,この映画を観た方々が、ここから歴史や戦争の悲劇さを学ぶとともに、いつまでも平和な未来が続くように努力してくださることを私は願っています。』

日本憲法,特に戦争放棄を誓う第9条の擁護者であるシロタ女史は其の憲法を『模範憲法であり、又憲法真の著者は歴史の英知だ』と、表現している。この映画の終わり近い画面にはスペイン、テルデの平和広場に飾られた日本憲法9条の銘版が出場。市長は 『9条は世界の希望だ』と、云う。 正にこれは藤原監督自身が此の作品を単なるユダヤ系家族のルーツを辿るだけでなく、日本の平和憲法を守るためのメッセージも含めた作品を製作 したことが 良く理解できる。

(注:ベアテ・シロタ・ゴードン女史とバンクーバーの関係:女史は1999年サイモン・フレイザー大学に招聘され『私は日本憲法(24条)を書いた』の題のもとに英語/日本語で新日本憲法執筆の体験を数回にわたって一般公開講演した。これは多くの聴衆の関心を誘った。)

3.07.2010

地図にない里から 2 by Tajima Yoshio

(長野の会員の方の文を投稿します)

私は長野県の最南端・南信州の山襞の里に住んでいます。金田千寿さんのご両親が住んでおられる村と隣接しています。ここから高速道路に乗るには一時間ほどかかり、高速道路の地図帳に載っていない集落です。(載っている地図帳もあるかもしれませんが)。しかし私は「地図にない里」というフレーズがとても気に入っているのです。このような山の中にも「9条の会」があって私は副会長ということになっております。一昨年は「日刊ベリタ」を購読していて、落合さんの健筆ぶりに感服しておりました。

 先頃ラジオニュースで「日本は日米安保で平和が守られてきた」と考えている人が75%というアンケート結果が出ていると報じていました。日米安保から50年という節目に「反

安保」の動きを作ろうという様々な試みがありますが、それらにとって厳しい数字ではあるとおもいます。この「地図にない里」の人々にアンケートをとったならば、もっと厳しい数字がでるでしょう。

 5,6年前だったと思いますが、当時金田千寿さんが住んでおられた平岡村で元アメリカ海兵隊員の故 アレン・ネルソンさんの講演会がありました。通訳は金田千寿さんでした。その時一人の高校生が質問しました。「僕たちの社会科の教科書にはアメリカはベトナム戦争で敗北したとの記述がありますが、アメリカの教科書にはどんな風に表現されていますか」と。これに対して「アメリカはアジアの人々をイエローモンキーとしてしか見ていない。誇り高いアメリカがモンキーなんぞに負けたなどと教科書に記載するなど、そのような発想は存在しない」といった主旨のことをネルソンさんは言っておられたと思います。

 昨年「8.6ヒロシマ平和へのつどい2009」には、乗松さんとともに来日されたピーター・カズニックさん(アメリカン大学核問題研究所・所長)が講演しました。米国の核兵器戦略を検証することによって、日米関係(日米安保)の本当の姿を追求する、そういう意味で私にとって興味あるお話でした。以下「  」内はカズニックさんのお話。通訳は田中利幸さん。

 「(原爆によって)広島が破壊されたという報告を聞いた時、トルーマン大統領は『これは歴史的に最も偉大なことである』と述べました。最初の世論調査では85%のアメリカ人が原爆投下はよかったと支持しました。」トルーマンは回想録の中で「大統領になった最初の日に」「原爆のことを知らされた」「国務長官ジェームズ・バーンズに『この兵器は世界をほろぼす力のあるものである』と告げられた」「『その爆弾が全世界を破壊してしまう力を持っていることを恐れたため』、陸軍長官スチムソンは、アメリカがこの爆弾を果たして使うべきかどうかの迷いを『ひじょうに重苦しく』語った」「スチムソンとグローブズの説明を聞き、さらにグローブズが持ってきた説明書を読んで、自分も『同じように感じた』とトルーマンは認めています」

 以上のことから、アメリカの上層部の中にも、広島・長崎への原爆投下に関してはある種の葛藤があったことが窺えます。しかしそれから4年後の1949年8月、ソ連が最初の原爆実験箇行ったのです。これに対してトルーマンは、まわりの反対を押し切って水爆開発計画を推し進めたのです。

 「かくしてトルーマンは、人類滅亡を可能なものにしました」そして「彼の後継者であるアイゼンハワーは人類滅亡を現実的なものにしました」「アイゼンハワーが1953年1月に大統領になったとき、彼はそれまでの大統領の中で誰よりも核兵器についてよく知っていました。なぜなら、陸軍参謀長ならびにNATO最高司令官として核戦争計画に深く関与していたからです」「アイゼンハワー政権の下で、アメリカの核兵器は1750個から2万3千個に増え、そのうちの2500個がソ連を攻撃目標にしていました。ほとんど知られていないことは、もし戦闘司令官あるいは特別司令官が緊急の事態であると見なした場合や、大統領と連絡が取れない場合、もしくは大統領が任務を遂行をできなくなった場合には、核兵器を使う権限が彼らに与えられるということを、アイゼンハワー政権が許したということです」さらに「戦闘司令官たちの幾人かが、同じような状況が自分に起きた場合には、彼らの部下にも核兵器使用の権限を与えることを認めました。この部下の中には、航空軍団や艦隊の司令官が含まれていました。つまり、核のボタンを押せる人間が数十人もいたのです」「1960年8月、アイゼンハワー大統領は国家戦略攻撃目標リストと統合作戦計画なるものの作成を許可しました」「統合参謀本部が出した数字がありますが(その作戦計画に沿って攻撃が行われた場合の推定死亡者数)、中ソ両国で3億2千5百万人、東ヨーロッパで1億人、死の灰での死亡者が」「1億人」でその中には日本も含まれているのです。

 日本は日米安保で平和が守られてきた  と考えている人が75%、というアンケート結果がでているのだそうですが、下手をするとソ連、中国も日本も一蓮托生で皆殺しにされていたかも知れないのです。そして日本やヨーロッパにはアメリカの軍事基地があって、自国の軍人やその家族も住んでいたのです。このような作戦計画をたてること自体、人類、否、この地球上にいきとしいきるもの達への冒涜だとおもいませんか。6億5千万人を殺害することになるというこの計画をアイゼンハワーは、修正することなく次の政権に手渡したといいますから、なんら反省の意思はなかったということになります。仮にこの作戦計画が実行された場合、死の灰はやがて偏西風によって運ばれ、アメリカ大陸にも惨禍をもたらすのです。歴代のアメリカ大統領は一体なにを守ろうとしてきたのか、そのことはこれまで続いてきた日本の支配層についてもそっくりそのまま当てはまることであると思います。

3.04.2010

普天間基地のキャンプ・シュワブ陸上部へ移設の疑惑

(1)TBS報道(2月25日23:59)より

“北澤防衛大臣は、アメリカ軍普天間基地の移設問題にからみ、国民新党の下地国対委員長と「大体、方向性は一緒だ」と述べ、「キャンプ・シュワブ」陸上部への移設案を支持する考えを改めて示しました
 「大体、方向性は一緒でありまして、この普天間の代替問題については、彼が『下地』(しもじ)じゃなくて、『下地』(したじ)を大体作っていただいて、その方向へ今進んでおります」(北澤俊美防衛相)
普天間基地の移設問題をめぐり、国民新党の下地国対委員長は、沖縄県内の米軍施設「キャンプ・シュワブ」の陸上部への移設と嘉手納基地への統合を軸として、15年後のアメリカ海兵隊撤退を目指す党の案を、政府の沖縄基地問題検討委員会に提出する方針です。北澤防衛大臣は25日夜、下地氏のパーティーで、「私が出演をするだけでも意味があると理解して欲しい」とした上で、基地問題で下地氏と頻繁にやりとりを重ねてきたことを明らかにしました。その上で基地の移設先については、「大体、方向性は一緒だ」と述べ、下地氏の案を支持する考えを改めて示しました。
一方、北澤大臣の発言について、社民党の福島党首は次のように述べて批判しました。「先日の沖縄県議会の決議を最重視すべきであって、沖縄県民の負担軽減や気持ちを大事にすべきだと思います」(社民党 福島党首)“

ということで、民主党なかんずくその防衛大臣が「下地」議員(自民党から国民新党に移籍)とグルになって普天間基地をキャンプ・シュワブに移設することに決めているようである。

(2)アメリカは普天間基地をグアムに移転−沖縄県内に代替施設不必要

 アメリカ軍部は普天間基地をグアムに移設するべくすでに行動を開始している。これはすでに周知のこのなとなのだが、日本のメデイアは報道していない。ただ、最近朝日新聞(2月20日付け)だけが「(普天間の)代替施設は必要なの?」という記事によって紹介している。吉田健正氏は、米軍の報告書から「アンダーセン空軍基地(グアム)は、沖縄からの移転が提案されている航空機を受け入れるのに十分のスペースをもつ、国防総省の現存空港である」「空港機能に対する海兵隊の要件は、アンダーセン空軍基地の現存飛行場で対応できる」と引用している(a)。朝日新聞の記事では、「普天間のヘリ部隊は代替施設へ、航空管制はグアムへ」などという海兵隊側の報道に自衛隊の幹部が疑問を呈していることも含めている。すなわち「管制がいなくてはヘリは離着陸できない」と。

(3)それなのになぜ県内移設か

名護市長も市民も、大部分の沖縄県民も県内に新たな米軍施設を作ることには反対であるし、日本国民としても、さらに沖縄県民に苦痛を押し付けることには反対であろう。県外移設を標榜してきた民主党がなぜ(不必要な)県内移設にこだわるのであろうか。それは、(あ)アメリカの思惑(なるべく多くの施設を沖縄(日本)に保有)に譲歩することと、(い)施設を建設することによって儲けが期待できる側からの圧力に屈しつつあることであろう。第1項は、日本国民に有利に図るのが日本政府の役目であり、アメリカが独自の考えでグアム移転を決めたのに、彼らがさらに沖縄に施設を持っておきたいだろうなどと、または代替施設を提供しなければアメリカの怒りを買うだろうといったことを懸念しているのかもしれないが、日本の立場を十分に説明すべきである。
さて、第2項であるが、これに関連して、沖縄新報および目取氏のブロッグからのデータを紹介しておこう。2008年度沖縄防衛局発注工事の請負件数と請負額上位は以下の通りになっている。

1 仲本工業  2件  12億1400万円
2 大米建設  3件   8億9000万円
3 屋部土建  4件   7億8800万円
4 仲程土建  3件   6億      円
5 渡嘉敷組  2件   4億1100万円

下地議員のファミリー企業である大米建設が、沖縄防衛局発注工事の請負額ランキングで2位に入っている。沖縄に米軍が駐留していることは、下地議員にとってはファミリー企業の利益につながるわけだ。普天間基地の「移設」に関しても、県外・国外ではファミリー企業に利益はない。下地氏は、議員になる前は、この企業の副社長(兄が社長)であった(b)。

(a) http://www.alter-magazine.jp/backno/backno_72.html#08) 
(b)目取真俊 http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/d092bfd07814879cd1d322d27c2a2eb7

落合栄一郎