Languages

For English articles, click HERE. 日本語投稿はこちらをどうぞ。点击此处观看中文稿件

8.30.2010

A problematic move of the government

From Asahi Shimbun's Editorial on August 28 朝日新聞8月28日社説より。日本語は下記を参照。

EDITORIAL: Defense policy review
http://www.asahi.com/english/TKY201008290167.html

2010/08/30

A major policy shift is being contemplated. We cannot help but be concerned.

We are referring to a set of proposals put forth by the prime minister's advisory council on security and defense capabilities, which is made up of private-sector experts.

The aim of the report, submitted to Prime Minister Naoto Kan, is to revise the current National Defense Program Guidelines.

We agree with the report's goal of building "peace-making nation." But we are concerned that the report indicates the need for the "logic of force," in other words, military force should be used to deal with threats.

The report rejects the concept of basic defense capability, which has long supported the principle of an exclusively defensive security stance. The report says the concept is no longer "valid."

The report also calls for review of the constitutional interpretation that bans the use of the right of collective self-defense, and the easing of the nation's three-point ban on weapons exports.

Moreover, the report questions the ban on the introduction of nuclear weapons into the country--one of the nation's three non-nuclear principles. It says banning the U.S. military from transporting nuclear arms through Japanese territory is "not necessarily wise."

What we cannot overlook most of all is a proposed reversal of the nation's defense capabilities. Ever since the National Defense Program Guidelines were established in 1976, the premise was one of restraint--the nation would "not directly confront a threat, but maintain a bare minimum defense force so that it would not become a destabilizing factor itself."

However, the report, in a drastic policy switch, says Japan should become a country that confronts threats.

What has changed?

The report points to the waning of U.S. military supremacy, the modernization of China's military and North Korea's nuclear and ballistic missile development. It is true that the possibility of increasing regional instability must be carefully watched.

However, at the same time, it is a fact that interdependence with the neighboring countries is deepening further and that the Japan-U.S. security alliance has grown stronger. To contend that there are nations ready to attack at any moment is not a well-balanced argument.

A defense buildup that seeks to match threats will lead to an increase in costs, an arms race and regional friction.

It would also deviate from the nation's postwar principle of a defense-only military posture based on the nation's promise that it would never become a threat to other nations.

It is necessary to think how such a shift would be viewed by other Asian countries.

National security issues are not the Democratic Party of Japan's forte. Since its opposition days, the party has failed to address these issues in earnest. This is clear just from looking at the way the DPJ government handled the the Futenma airbase issue in Okinawa Prefecture.

The fact that the DPJ outsourced the defense policy revision, despite its stance that politicians call shots in policymaking, is proof that the DPJ is weak on national security. The council barely made mention of how its members were selected or what their deliberations were like.

The government is to start putting together a basic defense program based on this report. Is it acceptable to barge ahead on such a major policy shift without appropriate oversight by politicians?

The government should re-examine the policy review process from scratch.

--The Asahi Shimbun, Aug. 28

http://www.asahi.com/paper/editorial20100828.html#Edit2

新安保懇報告―「力には力を」でいいのか 

大きな方向転換がもくろまれている。懸念をもたざるをえない。

 民間有識者でつくる「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が報告書をまとめ、菅直人首相に提出した。日本の安全保障の指針「防衛計画の大綱」の見直しに向けたものだ。

 「平和創造国家」を目標にすえるのはいい。しかし、脅威には軍事力で対抗するという「力の論理」があちこちに顔をのぞかせている点が危うい。

 たとえば、専守防衛の理念を長く支えてきた基盤的防衛力構想を、「もはや有効でない」とはっきり否定した。

 集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直しや、武器輸出三原則の緩和なども求めている。

 また戦後、「国是」とされてきた非核三原則のうち、米国の核持ち込みの禁止について「必ずしも賢明ではない」と疑問を投げかけている。

 とりわけ見過ごせないのは、防衛力のあり方をめぐる方針転換である。

 防衛大綱は1976年に初めて策定されて以来、「脅威に直接対抗せず、自らが不安定要因にならないよう必要最小限度の防衛力を保有する」という抑制的な考え方を継承してきた。

 ところが報告書は一転して、脅威対抗型にかじを切るべきだとしている。

 なにが変わったのか。

 報告書は米国の軍事力の優越性にかげりが生じていることや中国の軍事力の近代化、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発などをあげる。地域の不確実性が増す可能性には確かに注意が必要だ。

 しかし同時に、近隣諸国との相互依存はますます深まり、日米安保体制はより強化されてきた現実もある。日本周辺に、あたかも本格的な軍事侵攻を仕掛ける勢力がいるかのような指摘はバランスを欠いていないか。

 相手の脅威に応じた防衛力整備は、防衛費の増大ばかりか軍備競争や摩擦の拡大にもつながる。

 戦後一貫して、他国の脅威とならないとし、専守防衛を掲げてきたわが国の理念からも逸脱しかねない。

 それがアジア諸国の目にどう映るのか、いま一度考えてみる必要がある。

 安全保障問題は民主党政権の苦手分野といっていい。野党時代から、このテーマにきちんと向き合ってこなかった。沖縄の普天間移設問題の迷走一つを見ても、それは明らかだ。

 政治主導を掲げながら、大綱見直し作業を外部の有識者に丸投げしていたことも、その証左だろう。懇談会は、人選の理由や議論の中身についてさえほとんど明らかにしなかった。

 その報告書をもとに、政府は年末に向け新たな防衛大綱をつくる作業にはいる。適切な政治のグリップなしに大きな政策転換に突き進んでいいのか。

 時間をかけてもいい。作業の進め方そのものから見直すべきである。

8.07.2010

原爆記念日に

広島・長崎に原爆が投下されて65周年の記念日にちなみ、感想を。

(1)バンクーバー時間8月7日にテレビジャパンの、NHKニュースのなかで、イラクファルージャにおける2004年(アメリカの無差別総攻撃があった)以後の小児がん患者や白血病患者の急増、奇形児の誕生の増加などの紹介があった。

(2)日刊ベリタ紙上に書いた落合の記事(8.06)はファルージャにおける下記の統計値を紹介している。

(a)幼児死亡率は、1000人誕生中80人で、周辺国の数倍以上(エジプト19、ヨルダン17、クウェート9.7)。
(b)癌は総体で4倍増加.14歳以下の小児癌は12倍、白血病は38倍、乳癌は10倍。これらのデータは広島の放射能による白血病の増加(17倍)よりも高い率であるうえに、その発生が広島よりもかなり速い。
(c)新生児の性比は通常1015男児/1000女児であるが、2005年以後のファルージャでは、850/1000で男児が非常に減少している。これは、遺伝子変化の影響が男児により多く現れるためで、広島の戦後にも見られた。なお、統計には現れないが、新生児の奇形もかなり多いらしい;例えば、頭を2つ持った女児とか、下半身不随とか。

(3)NHKの放送では、こうした現象の原因にはいっさい触れられていないが、日刊ベリタで紹介した専門家による報告書は、原因としてある種の放射性物質を示唆し、暗に劣化ウラン弾としている。劣化ウランは、その名から、原爆に使用されるウランとは異なり、その放射能は問題にならないという印象を与える。劣化ウラン弾を使用する側は、そう主張しているので、そのように思う人が多いのではないかと考えられる。しかし、上の統計にもあるように、例えば白血病の発生はファルージャでは、広島でのそれの2倍以上であり患者の増加率は広島よりもかなり速い。おそらく、放射性物質の単位面積あたりの量は、ファルージャのほうが、広島よりもかなり多いのではないかと思われる。これは、劣化ウラン弾は攻撃対象物周辺に、大量のウラン化合物の微粉末をまき散らすためである。そしてこの微粉末をそこに生活する人々は呼吸とともに吸い込まざるをえないのである。とくに、劣化ウラン弾により破壊された戦車などに取り付いて遊ぶ子供達に甚大な影響を及ぼしている。これは、原爆の炸裂により広範囲にまき散らされた放射能よりも影響力が大きい。放射性物質が皮膚など体外から作用する場合、その作用は皮膚への直接的な影響と、皮膚などを通しての体内への影響とあるが後者の影響はあまり大きくない。しかし、体内に一度入りこんだ放射性物質はその物質が体外へ排出されない限り、放出し続ける放射線で、その物質の周辺の体組織を破壊しつづける.この体内被爆のほうが、影響ははるかに大きいのである。劣化ウラン弾は、原爆のように瞬時の大量殺人は起こさないが、ローカルの人々への健康への影響は原爆に劣らず甚大である。

(4)今年の原爆記念日は、国連事務総長や、核保有国—米、英、仏の代表などが出席するという、シンボリックにすぎないとはいえ、記念すべき年になったことは結構である。いわゆる核兵器は大量破壊兵器として、その悪は認識しやすい(といっても日本人以外にはなかなか実感が難しいであろうが)し、その廃絶が促進される気配が世界中に出て来たことは喜ばしい。日本がそのような運動で世界の指導的役割をはたすことが望まれる。

(5)20世紀中頃までに人類は、核分裂(核融合も)など理論を確立し、その実用化を進めてきた。「科学」として人類の知識を促進することは望ましい。しかしその知識を応用するには、人類による周到な配慮がなされなければならない。核分裂による大量エネルギーの平和利用(原子力発電)も、核物質に常に付随する放射能の問題を、無視ではないが、十分な解決法を確立する前に、広範に使用してしまっているし、地球温暖化軽減の名の下に、核発電をさらにふやす傾向にある。原子力発電により長期の潜水が可能になったために、そうした利用も増えた。これらの施設が事故を起こせば、直ちに放射能汚染がその周辺に起ることは避けられない。そのものの事故でなくとも、不完全に廃棄処理された放射性物質からの放射線、また環境へ拡散した放射性物質からの放射線は、人間その他あらゆる地球上の生物に影響を及ぼすし、すでにかなり広範な影響を及ぼしているものと思われる。放射能の影響は、普通目に見えない。(なお、原爆の大量破壊は、放射能よりも、物理的(熱と風力)なものによる)。残念なことには、かなりの放射性物質がすでに地球上にバラまかれてしまっているし、その影響はあまり目に見えない形で、徐々に人類とその他の生物を蝕んでいく。
 ところで、ウランは地球上にかなりの量、鉱物として存在するのである。そして、この鉱物も放射能をもってはいるのである。しかし、これらの鉱物がその場に固定されているかぎり、あまり拡散することはない。したがって、今後の地球上の生命を放射能から守るためには、これ以上のウラン鉱物の採掘、利用、拡散を押しとどめる必要がある。核兵器廃絶の運動とともにこの点についての運動も進める必要がある。特に、カナダはウランの大供給国であるから。
落合栄一郎