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9.26.2011

国民意見「脱原発」が98% 原子力委、大綱議論再開

2011.09.27日付けの東京新聞の記事です。


国民意見「脱原発」が98% 原子力委、大綱議論再開

2011年9月27日 11時33分

 国の原子力委員会(近藤駿介委員長)は27日、今後の原子力開発の基本方針を示す「原子力政策大綱」の見直しを議論する策定会議を半年ぶりに開いた。東京電力福島第1原発事故後、原子力委に国民から寄せられた原発に関する意見のうち98%を「脱原発」が占めたと報告された。

 意見は全部で1万件で、原発に関するものは4500件。「直ちに廃止」が67%、「段階的に廃止」が31%だった。理由は「災害時も含め環境への影響が大きい」「日本は地震国だ」「放射性廃棄物の問題が解決していない」などが多かった。

 この日は、東電や政府が事故の概要、住民避難や損害賠償の状況を説明した。

9.24.2011

福島で市民を排除して行われた放射線国際会議を信用できるか

『週刊金曜日』9月16日号より、

福島医大で開催された、「放射線と健康リスク」国際会議を報告した記事を紹介する。笹川の金に支えられ、放射線の一番の害は心理的なものであるとする国際的な「専門家」先生たちが集まった会議である。「100ミリシーベルトで大丈夫」で有名な山下俊一が副学長に就任した福島医大で開催された。

パネリストをICRP勧告の信奉者に限定し、市民も排除した会議に、市民の健康を考えた放射線の知識など期待する人はいるだろうか。


9.20.2011

911-同時多発テロと震災・原発事故と

日本での911は、東日本大震災の半年後、世界にとっては、アメリカ東部の同時多発テロの10年目。様々な意味で、考えさせられることの多い記念日である。この二つは丸で違った、無関係な事象のように見える。一方は、テロリストと称される人々が遂行したとされるとんでもない事件、そしてもう一方は、自然がもたらした巨大地震と津波、そしてそれに起因する原発事故。どこにも接点はない。911はまた、1973年にアメリカのCIAの後押しによるチリでの軍事クーデターの記念日でもあるそうだ。これらに共通点は“911”以外にあるのだろうか。
10年前のあの時、筆者は、ニューヨーク州の隣(ニューヨーク市からは間にニュージャージー州)ペンシルバニア州の大学で教鞭をとっていた。第1時限のクラスを終えて自分のオフィスに戻ると、自宅からの電話で、今とんでもないことがニューヨークで起きているということを知らされた。その後は、大学も授業を中断、人々はテレビに釘付けになった。あの飛行機が高いビルに激突するという異常さ、本当のことには思われない。そして、それを知らされたブッシュ大統領が、子ども達との対話を続け、驚いた様子も見せない映像は、非常に違和感を与えた。そして、あのビルの崩壊の速さ、あんな速度であんなビルが崩壊するのは、これも夢を見ているような気分だった。筆者の息子は、あのマンハッタンの川向こうのブルクッリンに住んでいたので、電話するとアパートの屋上から家族で呆然とあの崩壊の有様をみていたそうだ。彼らは、あの数日前、友人の訪問者をあの崩壊したビルに案内したそうだ。ペンシルバニアのシャンクスビルという村にもハイジャックされた一機が墜落したとされている。その現地の映像も映されたが、比較的小さな窪みで、機体とか人間の死体が散乱しているようにはとても見えなかった。実は、あの村は、筆者が住んでいたところからさほど遠くない場所なので、あの場所には行ってみるべきであったと今は残念に思う。しかし、仕事もあるし、何がなんだかわからず混乱していて、そういう探究心がおきる余裕もなかったようだ。
その後の経過、政府発表の公式見解、それへの様々な異論・疑問の噴出などについてはある程度報道されたが、民間からの異論・疑問点に答えるべきさらなる政府側の事件究明はない。このこと自体、非常に異常である。主要メデイアは、この件について報道することを禁止されているかのように、触れようとはしない。真相は、未だに闇の中である。今年の911記念日には、死者を悼んだり、記念碑を建てたりする行事ばかりで、あの事件の真相についてはどこからも報道はなし。ただ、カナダのトロントでは真相解明の会議が開かれはしたが。
しかし、イスラム系のテロの恐怖をアメリカ国民の多くと世界の人々に植え付けることには成功した。そしてテロ対策を口実(真の目的は別)に、アフガニスタン、イラクなどへ攻撃を仕掛け、莫大な戦費を浪費してやまない。この戦費はどこへ行くのか、無辜の市民も含め多くの人間を殺すために、経済的に困った若者を兵士に仕立て、安月給で使うが、その間で様々な権益に与る企業に、戦費の多くが転がり込む。なぜこんな無駄を続けるか、それは、そうして儲ける側が政権や立法府を牛耳っているからである。
一方、テロ対策、国家安全のためと称して国家保安局を設け、これにも多額の資金を注ぎ込んでいる。テロは、イスラム系の組織(と称される)のそればかりでなく、権力を批判する人々をもテロリストと規定し、監視の対象としている。アメリカ市民の自由はかなり制限されはじめた。
大平洋戦争では、真珠湾攻撃を米政府は第2次世界大戦へのアメリカ参戦の正当化に用いた。すなわち、真珠湾攻撃の真相は、米政府があの日本の海軍の動きを知りながら、日本のするままに任せ(アメリカ兵の犠牲も容認して)、国民に参戦の正当さを納得させ(*)、30年代からの経済不況を回復させる意図があったようである。戦争を経済活性化に利用したのである。それは成功し、アメリカは一躍世界の最強国になった。その後、20−30年間は、経済を握る人々の余力もあってか、労働者達(労働組合の努力もあって)にもその恩恵がもたらされ、中産階級が増え、いわゆるアメリカ的豊かさを、多くの市民が享受した。(なお、人類の歴史を通じて、戦争はしばしば国内での問題から市民の目を逸らさせるために用いられた)
しかし、経済の実権を握る層の利益追求がさらに募り、新自由主義などという退廃的市場経済理論なども援用して、レーガン政権(イギリスのサッチャー政権の方が先)があらゆる企業の規制緩和を始めた。そして、 経済エリートは利益を上げるのに近道の金融を操作することに血道をあげた。ヨーロッパで金融業を始めたエリート中のエリートがその上層部を形成している。またアメリカの企業は、利潤増大を計るために、労賃が安く、様々な制約の少ない海外に生産拠点を移していった。アメリカ市民の雇用機会、したがってその生活・生命などは無視しての利益重視の典型で、現在のアメリカの失業率の高さの遠因である。多くの製造業を海外に移したが、軍需関係の製造業やサービス業は海外に移すわけにはいかない。すなわち、アメリカの大地に残った製造業は主に軍需産業である。
1989年にソ連圏が崩壊するまでは、冷戦を理由に軍需産業は繁栄していた。しかし、冷戦が終結して、高い軍事力を維持する必要性は減少した。冷戦終結に伴う東側の混乱はともかく、欧米側も軍需産業が低迷せざるをえなくなった。そのため、例えば、フランスでは、軍需産業に活を入れるために、 原爆のテストを世界各国の反対を押し切って、1995年に挙行した。上にも述べたように、アメリカは軍需産業以外の産業が空洞化し、経済が殆ど戦争依存となってしまっている。
911事件は、本当のところ誰が企画し遂行したかは定かではないが、テロへの軍事行使を正当化することに利用された。しかも所在や組織・人数なども不明確なテロリスト相手であり、終わりの見えない戦争である。しかも欧米の軍事組織NATO諸国の多くが参加し、アメリカに強制されたNATO以外の國も参加させられている。軍需産業にとってはありがたい戦争である。事実、軍需産業は、アフガニスタン、イラクには、軍需物資供給ばかりでなく、正規の兵士と同じぐらいの数の民間傭兵も供給して、アメリカ市民からの税を懐にしている。一方国民の多くは職を失い、賃金低下を余儀なくされ、医療保険なども完備していないなどなど、その生活基盤は増々低下している。今年、アメリカの貧困所帯(4人家族で年収2万2千ドル以下)は15.1%に増大した。
さて、日本の911、いや本来は311の事象はどうか。地震・津波とも自然現象であり、現時点では人類はどうすることもできない。ただし、防潮堤その他をより強固なものを設定していたら、防げた部分もあったであろうし、避難への準備などももっと整っていたならば、死者の数を減らすことはできたであろう。福島第1原子力発電所では、先ず地震で、そして津波により運転中の原子炉3基と、冷却プール(4号基)に故障が生じ、燃料棒の冷却が不十分になり、水素爆発などの事故が発生し、放射性物質が環境(空中、海水、などへ)に放出された。この部分は人災である。地震、津波に対する十分な安全策をとっていなかったことがそもそもの原因である。
さて、この事故を起こした主体は 東京電力という企業である。しかも、他の数社の電力会社とともに、日本全国を分割して、それぞれがその地方の独占企業であるうちの最大のものである。この会社が、建設し、他に迷惑をかけないように運転し、そして、独占である以上、電力を供給する責任を負う。もちろん、原発が国策として導入されたので、建設費その他国家からの補助が与えられた。さて今回の事故では、大量の放射性物質が炉外に出て、原発敷地ばかりでなく、かなり広範にバラまかれた。
この震災からの復興には主に二つの基本問題がある。壊滅的な被害を受けた個人・地方自治体・企業体などの復旧・復興と、原発事故被害をどう償うかである。前者はすでに起きてしまった被害を修復し、人々の生活を元通り(必ずしも完全に同じようにという意味ではない)にするための財政的、その他の援助である。これを早急に十分に行うことは国家の為政者(行政、立法)の責任である。国民にも一端の責任はあるが、このための財源を國が確保することが必要である。この財源を赤字国債発行や増税などにより、またまた国民からカネを吸い上げるよりも、日本国民の利益にあまり関係のない出費を削減して、災害復興に回すのが妥当なやり方ではないだろうか。それは、例えば、駐留アメリカ軍のための思いやり予算であったり、利権のためだけにする、実際は国民の役に立たない様々な公共投資などなど。
原発事故の収拾とその被害の賠償。いやその前に放射能被害を出来るだけ食い止める、汚染を除去する方策にまず全力を上げることが必要である。これはだれが責任を負うべきか、事故を引き起こした電力会社である。先ず、この企業が出来るだけの努力と出費とを負担しなければならない。原発以外の事故ではそれが通常である。放射性物質拡散(除染は可能な限りやった上で)の被害は様々である。住民の直接的な健康被害、農作物汚染、漁獲物汚染、瓦礫汚染などなど。健康への影響は、直ちには現れないケースが多い。こうした悪影響は、金銭のみで解決できるものではないが、金銭的な賠償は十分になされるべきである。
以上二つの事象(同時多発テロとそれに付随する諸々の事象、と福島原発事故)は、人類の現状に対する警告である。先ず自分達の立場をテロという形でしか表現できない追いつめられた人達がいること(テロという行為を、宗教が要請すると思い込むような原理主義者もいるにはいる)、しかし、2001年の911事件が本当にそうしたテロであったかはまだ不明。テロがアメリカに向けられたことを利用して自分達のやりたいことを遂行した人々(石油のためにアフガン、イラク侵攻を遂行した)は、テロを公式発表の如くであると民衆に印象づける努力をしたし、そうした権力に牛耳られたメデイアはそれに協力した。そして、一部のエリート達がその戦争により利益を得、一方、同じような意図を持つ金融業者たちも、普通市民の生活や生命をも犠牲に利益獲得に執心している。これは、かって人類が克服した(全ての國でではないが)絶対王制と同様な少数支配への退歩である。このような状況下では、共和制の基礎となるいわゆる代表制民主主義は、その選挙過程、選挙された国民代表の大部分も少数エリートに買い取られていて、市民の利益を代表するようには機能していない;形骸化された民主主義である。残念なことには、アメリカ市民の多くが、宗教原理主義的思考などに毒されて、こうした支配層の繰り出すウソに乗せられてしまっている。彼らは、支配層の言う「政府が最大の問題;全ては個人の力に依存」などなどの宣伝を信じ込み、支配層の隠された企み(國の富を大多数の国民から少数の支配層が奪取)には気がついていない。大多数市民は、支配層による愚民化・奴隷化策に気づいていない。この傾向は、特に911事件以降顕著になってきた。
さて、日本はどうか。福島原発事故で原発の安全性が否定され、経済的にも原発は引き合わないことも暴露され、国民の多数は脱原発の方向に動き出した。ただし、原発維持・推進派は、あらゆる手段で、原発維持の方向に国民をつなぎ止めておきたいと躍起になっている。脱原発に方向転換した菅首相を与野党がそろって追い落とし、背後の権力は原発容認派を政権の座に据えた。新経産大臣が、脱原発の方向を打ち出すや、僅かな失言をもとに、速やかに更迭してしまった。この一連の動きの背後には、国民の生命よりも、利益を重大視する市場資本主義(新自由主義)に毒された経済機構とそれを操る人達がある。日本の資本主義はまだアメリカのそれのように退廃しきってはいないようだが、特定企業は、原発維持(原爆開発も視野に入れた)を超えて、軍需創出を目ざしているようである。この災害・原発事故の混乱を幸いに、憲法9条改悪へも動き始めた気配がある。
911も311も、人間の生命や福祉よりも、企業利益を優先する企業に依存する経済体制・文明(コーポラトクラシー)を浮き彫りにした。災害復興、脱原発への動きにおいても、企業利益優先の精神は発揮されているようである。復興のための努力に、動機づけが必要ではあるだろうが、それが企業などの利益というような形で発揮されるのは、現在の経済体制の延長にすぎない。今、人類は、こうした「利益」優先の経済体制を放棄して、市民(普通人)の幸福への寄与を土台にした経済体制を築かねばならない。
(*「Day of Deceit: The Truth about FDR and Pearl Harbor」(Robert B. Stinnett, Touchstone, 2000)     (日刊ベリタ2011.09.15より転載)

9.06.2011

震災のごたごたに紛れて改憲の動き

震災からの復旧、復興、原発事故処理などの重要な問題があるなか、憲法審議会を立ち上げる動きが出ているようです。それを止めさせようという運動の報告です。
*********

憲法審査会を始動させるな、憲法を震災復興に生かせ!9・13緊急院内集会
○全ての原発からの撤退を!全ての大震災被災者の救援を!
○普天間基地即時撤去!辺野古新基地建設反対!南西諸島への自衛隊基地建設反対!
○国会議員の比例区定数削減反対! 増税反対! 

13日から野田新内閣で初めての臨時国会が始まります。すでに民主党はこの間、未解決の問題が多々あるため開店休業状態だった憲法審査会の委員の選出を進めることを決め、会長に大畠氏を内定していると報道されています。
原発震災が収まらず、福島県をはじめ東日本一帯の復旧・復興にとって緊急な課題が山積している中、改憲を画策するなどとんでもないことです。
新内閣は米国の要求に従い、沖縄の辺野古新基地建設を進める構えであり、南西諸島への自衛隊基地建設を進めようとしています。また増税や国会議員の比例区定数削減を進める方向です。
私たちは臨時国会の冒頭に際して、緊急に院内集会を開催し、これらの悪政に反対の意思を表明したいと思います。

日時:9月13日(火)午後4時から5時まで
会場:衆議院第1議員会館第5会議室(午後3時半から会館ロビーで入館証を配布します。)
入場無料
呼びかけ:2012年5・3憲法集会実行委員会事務局
憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会
連絡先:憲法会議 03−3261−9007、市民連絡会 03−3221−4668

9.03.2011

野田新内閣は原発推進派

野田新政権が発足したが、それが発足するやいなや、原発維持/推進派の動きが活発になったようで、残念である。実は、菅首相の追い落としは、彼の脱原発姿勢をやめさせるために、財界/電力業界側が画策したのではないかと思っていたが、どうもそのようであったらしい。この新政権が、原発廃止、自然エネルギー促進にどんな態度をとるか、しかと目を見張っていなければならないだろう。最近の、電力業界からの巻きかえしについての記事のいくつかを、下に掲げる。

○ 原子力施設周辺の活断層評価「見直し不要」 電力各社
 東京電力など電力会社8社と日本原子力発電、日本原子力研究開発機構、日本原燃は30日、東日本大震災を踏まえても、原子力施設周辺の活断層評価を見直す必要はないとの見解を公表した。今回の震災で東電が活断層ではないとしてきた断層が動いたため、経済産業省原子力安全・保安院が検討を求めていた。
 震災の影響で、東北地方を中心に地下の構造にかかる力が変わり、従来とは逆の東西に引っ張る力が働くようになった。4月11日にはこの影響とみられるマグニチュード(M)7の地震が福島県で起きている。このため、東電は、福島第一、第二原発周辺の五つの断層が動く可能性を否定できないとして新たに評価。動いたとしても想定を超える地震の揺れは起きないと結論づけた。 (朝日新聞 8月30日)
○ 原発周辺、地震起こす可能性低い 東北電力が調査
 東北電力は30日、女川原発(宮城県)、東通原発(青森県)周辺の断層が現時点で地震を起こす可能性は低いとの調査結果をまとめ、経済産業省原子力安全・保安院に報告した。東日本大震災後に東京電力福島第1原発、福島第2原発付近で地表に断層が現れたケースがあったため、報告を求められていた。
 東北電力によると、女川原発から半径約30キロ圏内には27の断層、東通原発の場合は8断層があるが、今回の地震で新たに発生した断層はないという。地殻の変動状況や余震、地質などを調査したところ、すでに把握している断層についても地震を引き起こす可能性は低いという評価だった。 (共同通信 8月30日)
○ 浜岡原発周辺の断層、異常なし 中部電、保安院に報告
 中部電力は30日、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)周辺にある断層を再評価し、いずれも地震を起こす可能性が低いとの調査結果をまとめ、原子力安全・保安院に報告した。
 中部電力は、これまで活動性がないとしてきた断層6カ所を再評価。東日本大震災に伴う地殻変動などを調査した結果、震災直後は周辺の地盤が東に5〜6センチ動く地殻変動があったが、7月までに数ミリ程度と通常に戻ったという。中部電は耐震設計上、新たに考慮すべき断層はない」と総括した。 (産経新聞 8月30日)
○ もんじゅ 来年度予算凍結せず
 開発中止か否かが議論になっている高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)について、中川正春文部科学相は二日、来年度予算に必要経費を計上する方針を明らかにした。ただ、水と触れると激しく反応するナトリウムを冷却材に使うことに懸念を表明。地震などに見舞われた際の安全性を再検証するため、識者による検証委員会を設ける意向を示した。 (東京新聞 9月3日)

6.17.2011

放射線被曝量のエネルギ−値はそんなに小さいの, なのになぜ危険なの?

先に、「被曝量数値の意味するもの」という議論をこの欄でご覧いただいた(日刊ベリタ2001.04.25)。そこでは、被曝量のしきい値のおおよその値を出してみて、それに基づいて、現在許容されている被曝量数値を検討してみた。
ところで、β線、γ線では、Gy(グレイ)=Sv(シーベルト)、α線では、Sv=20Gyであり、1Gyは、1kgの物体(人体)に1Jのエネルギーを与えるものということは周知されているものと思う。そこで、“1Gyとか1Svとかがどの程度のエネルギ−かを考えてみると、1kgの水ならば、その温度を0.00024度上げる程度の極く小さいエネルギ−である”という解説をよく見かける(Jは、カロリーの4.18分の1)。この計算にもGyやSvの定義にも、間違いはない。本当にそうならば、1Svなんてとても危険とはほど遠い、少量のエネルギ−で、危険などと大騒ぎする必要なんかないではないか。ということになる。この論理にどこか間違いがありますか。しかも現在問題になっているのは、Svではなく、その1000分の1のmSvのレベル、またその1000分の1のμSvのレベルである。それならなおさら、問題にするほどのことではないではないか。しかし、先の記事( 日刊ベリタ2001.04.25)で議論したように、0.2μSv/h(h=時間)が一応の危険のしきい値となる。どうしてそんなに小さなエネルギ−が問題になるの?この謎というか理由を今回は検討してみようと思う。
まず、先の通常行われる説明(1Gyは、水1kgをわずかに0.00024程度上げるエネルギ−である−これは正当である)は、放射線粒子(電子、光子)からのエネルギ−が、サンプル(この場合は1kgの水)に当たった時、直ちにこの水全体に均等に分散することを前提にしている。この仮定は妥当であろうか。放射線粒子は、かなり小さい部分に集中する(特に放射性微小粒子による内部被曝のような場合)し、そのエネルギ−は直ちにはサンプル全体に分散しないのではなかろうか。これが一つの疑問。何しろ、生体内の事情は複雑である。まず、生体1kgといっても、その中には、水あり、様々な分子あり、また様々な組織(臓器)、細胞ありきで、放射性物質がどう分布するかなど特定は困難である。
さて、放射線粒子がたまたま特定の1分子に当たったとするとどういうことになるかを考えてみよう。放射線粒子はそれぞれ固有のエネルギ−を有している。それは様々で、β、γ線ではおよそ、5KeV-5MeVほどである。議論の都合上、その真ん中辺をとって500KeVとしておく。これは、8 x 10^(-14)Jに相当する。これが放射線粒子1個のもつ平均的(平均そのものではない)なエネルギ−である。(ということは、mSv(mGy)は、約10^(10)個(Bq)の放射線粒子、μSv(μGy)は約10^(7)個(Bq)に相当する。この換算計算はICRP(国際放射線防護委員会)の原理とは異なり、直接的な換算である。)
この放射線粒子のエネルギーを、化合物の電離エネルギ−(イオン化エネルギ−)や、結合エネルギー(分子中の原子間をつなぐエネルギ−)と比較してみる。電離エネルギ−は、千差万別だが、多くは約2000kJ/molぐらいまでで、1分子(原子)あたりにすると、約3.4 x 10^(-18) J。また結合エネルギ−も500kJ/mol ほどで、1結合あたり8 x 10^(-19) Jぐらいである。これらの数値を比較すると、放射線1粒子のエネルギ−は、こうした化合物1分子を壊す(電離とか結合を切る)に必要なエネルギ−の数万倍から十万倍ほどの大きさである。生体内の物質のおよそ80%は水であり、大部分の放射線粒子はその水に吸収されるのだろうが、その大部分は熱となって放散するだろうし、それほど重大な結果にはならない。しかし、時には(例えば10^(-7)以上の確率があれば)で、分子から電子を蹴り出したり(電離)、化学結合を切ったりする。例えば、健康に直接繋がる分子DNAの一部を電離させたり、結合を壊したりしてDNAを壊す。これは、1μSv の被曝量で起こりうる。しかし、この確率がもっと高く、例えば、10^(-5)ならば、0.01 μSv の被曝でも起る。この確率は、放射性物質の存在状態、周辺の生体物質の存在状態などなどの関連性で決まるのであろうが、推測することは不可能である。しかし、分子を電離させたり、結合を壊したりする確率は、当然のことながら、Bq値が上がるほど大きくなる。もう少し一般的な放射線の作用は、水を分解して、活性酸素を作ったり、細胞膜の分子の結合を切って、反応を起こさせ、もろくしたりする。こうした作用の起る確率は、特定DNA分子に衝突するより遥かに高いであろう。こうした生成物はさらに他の反応を起こし、細胞に不都合な状態をもたらすこともある。他にももっと様々な反応もあるであろうが、まだ十分には解明されてはいない(可能な反応の一応の解説はあるー http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-02-02-10)。
しかし、先の記事(日刊ベリタ2011.04.25)でも述べたように、生体にはある程度の修復能力(DNA修復や、活性酸素失活酵素とか)はあるので、その範囲内ならば、生体は、放射線によって引き起こされた傷を癒したり、有毒化合物(活性酸素も含む)を解毒できる。しかし、この過程でも、直ぐには修復されないが、すぐには負の効果を現さないないような傷もあり得るし、それが被曝の継続で堆積して後に健康に被害を及ぼす可能性もある。
以上、正確で明白な議論はできないが、Gyとか、mSv、μSvなどの数値は、エネルギ−値としてみる時、随分小さい値にみえるが、個々の放射性粒子と個々の分子との相互作用を考慮するならば、決して小さいどころか、かなり大きいエネルギ−値(分子を破壊するに必要なエネルギ−よりも数桁も大きい)であることを示した。そして、内部被曝では、こういう相互作用が起っていて、ここに放射線が、人体(一般に生体)にとって危険な原点がある。
(日刊ベリタ2011.05.04より転載)

6.03.2011

Should Canada continue building nuclear power plants?

CBC is conducting a poll about the issue of nuclear power plant, as follows. Please go to
http://www.cbc.ca/news/yourcommunity/2011/05/nuclear-power-should-canada-follow-germanys-lead.html
and vote.


Nuclear power: Should Canada follow Germany's lead?

May 30, 2011 10:06 AM | Read 155 comments155
By Community Team

An environmental activist sits on top of the Brandenburg Gate after Greenpeace activists fixed a radioactive sign to the Quadriga in Berlin, May 29. An environmental activist sits on top of the Brandenburg Gate after Greenpeace activists fixed a radioactive sign to the Quadriga in Berlin, May 29. (Michael Gottschalk/dapd/Associated Press)Germany will shut down all of the country's nuclear reactors by 2022, according to a plan adopted early Monday.

Germany has 17 nuclear power plants, which supplied about a quarter of its electricity before seven of them were shut down this year after the catastrophe at Japan's Fukushima reactor.

Energy from wind, solar and hydroelectric power currently produces about 17 per cent of the country's electricity, but the government aims to boost its share to around 50 per cent in the coming decades.

In Canada, existing nuclear reactors in Ontario, New Brunswick and Quebec are being refurbished to extend their lives, and there are plans to build more nuclear reactors.

Two new reactors at Ontario's Darlington nuclear plant are expected to go into service in 2018. A new "clean energy park" along side the Point Lepreau plant in New Brunswick, which would blend renewable and nuclear power, is still in planning stages.

The Government of Canada has set the objective that 90 per cent of Canada's electricity needs be provided by non-emitting sources such as hydro, nuclear, clean coal or wind power by 2020.

Should Canada continue investing in nuclear power generation or follow Germany's lead and shut down its reactors altogether? Let us know what you think in the comments below.

5.25.2011

原発擁護の議論の欺瞞

福島原発の事故が原発の安全性神話を破壊したことは事実でしょう。しかし、日本政府は安全性の改善を検討するという態度で、廃棄まではまだ考えてはいないようである。日本などより事故の危険性の低いドイツもスイスも原発全廃に踏み切った。おそらく技術的に完全に安全な原発はあり得ないし、とくに地震国日本では、事故の可能性が大きいのは事実なのであるから、早急に原発全廃(直ちに無理だとして、そういう意思とそれに基づく廃止計画策定を)に向けて動き始めねばならない。
しかるに政府も電力会社も原発を放棄するには至っていない。日本国民のかなりの部分もまだ原発全廃には与していないようである。それには、まだまだ原発擁護の様々な 議論が提出されているという理由もある。その第一は、原発がなくなれば、日本のエネルギ−供給が不足し、停電などが起るぞという脅しである。これへの反論はすでにここでも議論したし、多くの人が行っているのでこれ以上は言及しない。
 もう一つ別の原発擁護の議論は、放射能汚染と健康被害を過小評価して、事故が起っても、大したことはないのだよという説得である。例えば、広島、長崎にあの後、人が住んで十分に普通の生活をしているではないか、だから放射能の影響は現在騒がれているほどのものでないのである、という議論である。広島、長崎で人々はもう普通の生活をしていることは事実である。しかしあの原爆爆発後の放射性物質がどの程度、広島、長崎に残っていた/いるかについての十分なデータがなければ、ただ単に人はほらちゃんと生活できいるではないかといっても放射能物質が健康へ被害を及ぼす可能性を否定することにはならない。原爆後数年間のうちに内部被曝した人達は、いわゆる原爆後遺症に悩まされ続けたことは事実で、放射能の健康被害は明瞭にあったのである(この詳細については例えばhttp://blog.goo.ne.jp/saypeace/e/e7c0c4fb14788871a6c370f4284771c1参照)。しかし、現在では、放射性物質の存在量は、すでに影響を及ぼす程度以下になっているのであろう。
 次に、日本で原発擁護によく使われる論理に、ガンは老齢になるにしたがって発生率が上がる、そして日本は高齢化社会になったためにガン死が多くなっている(ガン死亡率が高いことは事実)。福島原発事故の結果予想されるガン死亡率の上昇(これがどのようにして予測されたか、その正当性の検証は別)は、こうした日本のガン死亡率の大きさと比べると無視できる程度というのがある。だから問題にするにはあたらない。この論理には、ガンが高齢になるしたがって、自然に発生するものという前提がある。そんなことはない、ガンには原因がある。様々な原因があるが、バックグラウンドの放射能が、ここ70年ほどの間に、原爆投下、原爆実験、原発事故、原子力潜水艦事故、劣化ウラン弾使用などなどにより、上昇していることもその一つであろう。その他には、様々なガン化を促す物質の環境への放散もあるが。そしてこの論理で見逃されているのは、幼児のガン発生率の上昇である。その上に、最も顕著な事故であったチルノブイリの、その後の人々への健康被害は、公には、かなり過小評価されて報道されている。
 さて先(http://vsa9.blogspot.com/2011/04/blog-post_24.html 落合日刊ベリタ2011.04.25)に、人間が自然からの放射能に晒されていることは事実であり、それでも人間は通常に生きているという現実に基づいて、しきい値的な数値を出してみた。それに基づいて、現在様々な状況下で許容されている基準値なるものの危険度を検討してみた。次の議論(落合日刊ベリタ2011.05.04)では、 内部被曝における放射線の影響の機構を考えてみた。そこでは、放射線粒子と体内分子の相互作用が内部被曝の健康被害の基礎であることに基づき、いかに放射線粒子が生体物質を破壊するかを検討した。このような観点に立つと、先に述べたしきい値以下でも、その影響があることは確率的にゼロではないことがわかる。これは、自然から受ける(いわゆるバックグラウンド)放射能でも、例えばガンになる確率はゼロではないし、ガンの近年における増大は、先にも述べたように、このことが関係していると考えられる。これを科学的に立証することは殆ど不可能である。しかし不可能だから無視してもよいということにはならない。
 人間に出来ることは、そうした(放射線汚染による)影響を人類や他の生物の健康に及ぼす可能性のある、原爆、劣化ウラン弾、原発などを廃止し、代換エネルギ−を開発すべきなのである。どうして原発を擁護するような理屈を持ち出す必要があるのか。原発がなくとも人間社会はちゃんと機能するし、人々が安心して生活ができる。そのほうが良いのではないだろうか。

4.24.2011

被曝量数値の意味するもの

原発の事故とそれに伴う放射性物質の原子炉外への逸失に関して様々な数値が飛び交っている。それが何を意味するのか、特に人体、子どもの体にどんな影響を及ぼすのだろうかが、日本国民の最大関心事だと思う。これは難しい問題で、「これだから、こうだ」と断言することは出来ない場合が多い。放射線の健康への影響には不確定要素が多い。それにもかかわらず様々な主張がなされていて、安心感を与えたり、不安感をつのらせたりしている。
この原因は、内部被曝の放射能の影響を正確に判断するのが殆ど不可能だからである。原爆・原発が開発されて以来、様々な公的、私的機関が、放射能の影響を調査・研究してきたが、それは主として外部被曝についてである。内部被曝に関しての組織的調査・研究はほとんどない。チェルノブイル原発事故後の健康被害は、内部被曝に起因するが、被爆量との相関性は、詳しくはわからない。
まず外部被曝と内部被曝の違いを簡単に説明しておく(不必要かもしれないが)。原爆/原子炉内で放射性物質ができ、それが、外部に出る。それは、ガス状であったり、化合物として水に溶け出たり、微小な粉末になって飛び散ったりする。これらから放射線が出て来るが、それが人体にあたって影響を与える。これが外部被曝。しかし、放射性物質である粉を吸い込んだり、放射性物質の溶け込んだ水や牛乳、またそれが付着していたり、すでに中に入ってしまっている野菜や肉、魚などを食べることによって体内に放射性物質が入り込んで、そこで回りの体組織に放射線を浴びせるーこれが内部被曝です。外部被曝は比較的影響が少ない。放射線の透過力があまり大きくないので、主として表面近辺の被害である。ただし、大被爆量になれば、かなりのダメージを内部にも及ぼし、急性放射能症状を呈し、死にいたることもある。それに対して、内部被曝では、少量でも体の内部の組織が直接攻撃されるので、被害は大きい。
ただし、地球上のあらゆる生物(人間も)は、自然状態で、外部被曝のみならず、放射性物質による内部被曝にいつも晒されていることは事実で、それをある程度修復する機構は内蔵している。そうでなければ、いままで生物は進化してこられなかったはずである。その主なものの一つは、遺伝子DNAを修復するもので、何らかの原因(放射線照射も)でDNAの一部が壊れたり、間違って作られたりすると、それを監視する機構があって、間違いを見つけ、それを切り取って正しいものをつけ直すことができる。
 放射線によるガン治療の専門家(http://tnakagawa.exblog.jp/15239706/)によると、正常な細胞では、100—200mSv以下の放射線量であれば、放射線で受けた遺伝子の傷のほとんどは、2時間以内に修復されるそうである。傷を直せなかった細胞は、自殺することで、傷の影響(ガン化など)を防ぐこともする。最も問題なのは細胞分裂をコントロールする遺伝子が傷を受けた場合で、無制限な細胞分裂(ガン)に発展する可能性がある。この専門家の記述ではガンしか扱われていないが、細胞への放射線の影響は他にもいろいろあり、細胞や組織が放射線により化学変化をうけて正常に機能しなくなるはずだが、その詳細についてはまだわかっていない。ただし、ここで問題にされているのは,外部からの照射と思われるので、この被爆値100—200mSvの内のどれほどが、内部照射に相当するかがわからないので、この数値を内部被爆の許容量とするわけには行かない。
さて自然に人間が受ける被爆量は、平均で2.4mSvと見積もられている(この見積もり値には、1.0—2.4ぐらいの幅がある)。これは、常に人間が晒されている外部被曝と内部被曝の総計の1年分である。ということは、平均すると、0.274μSv/hとなる。このうち、約30%が内部被曝のようなので、 人間体内(1kgあたり)は自然に毎時、約0.1μSv/h被曝している。これくらいの被曝量は、体内で処理できていることになる。ただこれ以上どのぐらいまで、修復能力があるのか、データはない。まあ2—3倍程度とすると、約0.3μSv/hぐらいまでは大丈夫かもしれない(この推定には十分な科学的根拠はない)。これより多くの体内被曝は、様々な健康障害を引き起こすであろう。研究者仲間では、こうした「これ以下なら大丈夫という値」(しきい値という)があるかどうかはまだ決着がついていない。ここで出した0.2μSv/hが内部被曝のしきい値に相当することになる(0.2なのは、自然に被曝している分を差し引いたもの)。
さて一般市民の年間線量限度は、自然と医療由来のものを除いて1.0mSvとされている。この数値には内部と外部の両方が含まれていると仮定する。しかも、内部被曝をその10%としておこう。外部被曝するときには、内部被曝もする可能性がある,しかし,どのぐらいかは、個々の事情によるので、10%は単なる目安にすぎない。さてこの仮定のもとで、許容される内部被曝量は、年に均一に被曝したとすれば、1時間当たりの内部被曝量は、0.01μSv/hぐらいで、修復可能なようである。同じ量の被曝を1ヶ月に受けるとすると、0.14μSv/hで、修復できるぎりぎりのところである。
福島原発での作業員の年間許容被曝量が250mSvに引き上げられた。作業員の被爆下での実働時間が3時間x200日として、600時間/年。平均して約400μSv/hの被爆を許容することになる。これ全てが外部被爆であるならばあまり問題はないであろうが、呼吸とともに放射性物質を体の中に取り込む危険はあり、それが、たとえ許容される400μSv/hの1%(4μSv/h)であっても、体の修復能力をはるかに凌駕する。
最も危険な基準値設定の一つは、福島の放射能汚染地区の学校で子どもたちの被曝許容量を20mSv/年に設定したことである。年に屋外で遊ぶ時間を2時間/日で、250日/年とすると、500時間で20mSv、すなわち40μSv/hの被曝となり、この全被曝のうち1%ぐらいが内部に入って内部被曝を起こすと仮定すると、0.4μSv/hの内部被曝になり、上で推定したしきい値を凌駕する。これは、仮定の上に仮定を設けた推測なので問題だが、内部被曝がもっと大きな割合であったり、たまたま平均値よりもかなり高い放射線量の場所と時間に遭遇したりすれば、さらに不利な状況におかれることになる。
先にも述べたが、実際はこれらの基準値は、おそらく内部被爆を想定してはいない。そこに放射線源があるから放射線が出るのであって、その場にいる人が、外部被曝しか受けないというのは、はなはだ疑問である。以上3つの例で示したように、体内に入った放射性物質ならば、かなり少量でも体の修復能力を超過して、たとえ直ぐにではなくとも、ガンも含めた健康障害が出る可能性がある。
内部被爆問題はもっと複雑で、はっきりしたことを言うことは困難である。先ず、放射性物質が水に溶けているのか、粉末状か、これにより体内への侵入の仕方が違う。前者は口から消化器系統を通り、胃腸から吸収されるかも。前者ならば、肺と呼吸器系統に入るであろう。次に放射性物質の化合物形態、これはそれらがどのように体内に分布し、どのように、どのぐらいの速さで排泄されるかに関係する。最後に核種,I-131かCs-137か、はたまた別のものか(多くはそれらが混ざっているだろう)、これは、入った放射性物質がどのぐらい長く放射能を出し続けるか(半減期)に関係する。I-131なら、かなり速く消滅するが、Cs-137ならかなり長く放射線を出し続ける。
I-131は特殊な作用をする。甲状腺ホルモン(チロキシン)には I(ヨード)が含まれている。さて、普通のヨードは、I-127で放射性はない。甲状腺は、このホルモンを作るためにヨードをとり込むが、非放射性と放射性のヨードを区別することができず、放射性のものも取り込んでしまう。だから、甲状腺に放射能を持ったI-131も取り込まれ、そこでベータ線、ガンマ線を出して、細胞をガン化させてしまう。これをある程度予防するために、普通のヨードからできているヨー化カリが処方される。放射性ヨードを薄めて、甲状腺に取り込まれるのを少なくしようとするものである。
被曝する側の状態が被曝による健康障害にどのような関係があるかの問題も考えてみる必要がある。体内の組織・細胞の状態・全体の健康状態いかんで、同じ放射線量を受けても反応が違うことは当然である。これも、内部被曝の影響を予測しがたい原因の一つである。一般的に言えることの一つは、乳幼児に,ということは、胎児を抱えている妊婦にも、特に内部被曝の影響が大きいということである。人間の成長初期は、急成長期にあるので,体の中の細胞は、大人と比べて非常に活発に分裂を繰り返している。先にも述べたように、DNAの内でも、特に細胞分裂をコントロールする部分への放射線照射の影響が最も怖い。胎児、乳幼児では、大人と比べてこうした遺伝子が多く活動している。そこで、放射線被曝の影響は、大人と比べて格段に敏感である。おそらく、妊婦・乳幼児では、内部被曝のしきい値は、先に述べたものよりもかなり小さな値であろう。
汚染された食べ物、飲み物による内部汚染は、汚染程度と食べた・飲んだ量がわかれば、推定できるはずだが、個人がそんなことを自分でできるわけがない。そして、これも、一応の暫定値が決められているが、その適用は、あまりにも不確定要素が多すぎて、上での議論のようなことはしても無駄であろう。
(日刊ベリタ2011.04.25より転載ー落合栄一郎)

4.18.2011

原発を廃棄せずに運転しつづけたらー最悪のシナリオ

皆様:

 原発を残しておくべきだという意見が、まだ多く残っています。それは、電力供給が原発にかなり依存しているから、それを廃止したら困るという議論です。原発の必要性は、それほど深刻な問題ではないということは、先の田中優さんの話でもかなり納得できるところです。しかし、それでもなおという方には,次の最悪のシナリオ(落合:日刊ベリタ2011.04.19掲載)をお読みください。脅かすわけではなく、原発を続けていたら、かなりの確率で起こりうることだと思います。では、



原爆/原発/軍事的自衛


日本は、第2次世界大戦の最後に原爆を二つ落とされ、アメリカの水爆実験では漁船第5福竜丸乗組員が被曝、そして今回の原発の事故による放射性物質の拡散と様々な放射能被害に遭ってきた。

人類は、放射性元素の発見(有名なキューリー夫人が最初)に始まり、核分裂反応を発見した。第2次大戦後期には、核分裂を応用した大量破壊兵器を、ドイツが開発しているというウワサに基づき、それに負けじと、アメリカが原子爆弾開発を急いだ結果、実用可能なものが、1945年始めに完成した。人類というものは、可能だとなるとそれを実現しなければならない(科学・技術段階)、そして、それを完成したとなると、それを使用しなければならないという衝動を抑えるのがむずかしいようである。原爆はちょうど大平洋戦争が、最終段階に入る時にできたので、それを使いたい。原爆を使わずとも、日本が降伏することは、かなりの正確度で予想されていたにもかかわらず、原爆使用を正当化するシナリオを作り上げて,原爆を1つならず2つも落とした。1つ落とせば十分なのに、どうして2つ落としたか、それは、原爆とはいえ、2つは別のモノを使って作った(ウランとプルトニウーム)ので、2つとも実験してみたかったようである。

戦後、対立するソ連が、原爆開発に乗り出し、西欧諸国もそれに参加、アメリカは、さらに強力な大量殺人兵器−水爆を開発,実験を行って、それに日本人がまたも巻き添えをくってしまった。これらの原爆開発国は、その「悪魔」性を少しでも軽減させる(自分達自身も他の人をも納得させる)ために、この原理は平和的目的にも使えるのだということを世界に知らせるために、原子力発電なるものを開発しだした。そして、原爆の被害を受けた日本でこそ、原子力の平和利用を促進することは、宣伝効果(悪魔性収縮効果)があるというわけで、日本へ原発開発を持ち掛けた。日本側には、それによって利益を受ける集団が進んで、原発開発に乗り出した。その結果が現在日本全国に分布する54基の原子炉である。

さて,原爆では、瞬時に莫大な熱が発生し、強風を引き起こした結果、瞬時に多数の死者を出した。その上に、原爆が放出した放射性物質が、生き残った人々の体内に入り込み、放射線による内部被曝の結果、様々な後遺症、健康障害を引き起こし、生き残った人々を苦しめた。

原発の問題は、これと同様に、(この場合には事故により)放射性物質が原発施設外に出てしまうことによる。それが、人々に原爆の後遺症と同様な被害を及ぼすことにある。それがどの程度になるかは、今後放射性物質の漏出をどの程度うまく抑えられるかによる。さてこれが、日本人の被曝の第4回目である。

今ある原発を停止して放射性物質(燃料棒)を安定な状態に持って行かずに、運転を継続したら、どうなるかを考えてみよう。日本は、地震多発地帯に位置しており、いつまたかなり大きな地震が襲わないとは限らない。これは誰もが,予想していることである。そして、原発は、海岸沿いに造られていて,地震ばかりでなく津波の影響を受けることは必定である。福島原発は設計の段階で、十分な津波対策は考慮されていなかったらしいし、これ以外の現在稼働中の原発がどの程度災害対策ができているか、非常に疑問である。その上、プルサーマルや、高速増殖炉のような、より危険な炉も稼働している。次の地震・津波では、さらに大きな危険が予想される。それは、現在よりも苛烈な放射能被害をもたらすかもしれないーこれは日本の被曝第5回目ということになる。

もう一つ、現在、東アジアの国際間が緊張しており、日本国内では、自衛力強化を促進している。ということは、いざという場合、武力による対応を考慮しているのであろう。現在の国際間の武力衝突では、長距離からのミサイル攻撃が先制するであろう。敵は何をターゲットにするだろうか。軍事基地が先ず最初であろう。2番目は、おそらく日本全土にある原発であろう。これにミサイルが打ち込まれて、原子炉が一部でも破損したらどうなるか。放射性物質の漏出である。日本中がこれにより放射能で汚染されることになる。このあと、(この間、日本側も相手側をかなり破壊することはできたとしても)日本は数世紀は人間が住めなくなる。これが日本の第6番目のそして最後の被曝になるであろう。

こんな未来図は、望ましいことなのであろうか。このような未来を避けるためには、(1)原発廃棄,(2)武力に依存しない国際間の軋轢回避(平和憲法を堅持し、世界各国に原爆・その他の兵器放棄を呼びかける)しかない。

4.11.2011

原発は「必要悪」ではなく、単なる「悪」

社民党福島党首が、この期を「社会変革」のよい機会と捉えて、識者との対話を始めた。その第1回が、田中優氏との対話である。それは、ユーチューブ上で見られる(http://www.youtube.com/watch?v=KhEEwZ7xKyE)。これは、非常に重要で示唆に富んでいる発言なので、是非ご覧になって頂きたいが、その要旨をここに記しておきます。

(1)現在の震災とそれに端を発する原発/放射能の危機を世の中を変える端緒と捉えよう。原発の危険性は十分に証明されたが、原発は「必要悪」と考えられている。これは間違いである。その理由を下に記すが、その必要性が十分に否定されるならば、原発は「悪」に過ぎなくなる。
(2)原発の代わりに自然エネルギーへ転換することには様々な利点がある。原発は、大規模であるが、その規模に比較して雇用数が少ない。 現在、日本が電力供給のための輸入に使っている年間23兆円を自然エネルギー開発に振り向けたら、地域開発、雇用増大に大変な貢献をする。しかも、安全で、電力コストも安い。ドイツでは、このような自然エネルギーを促進した結果、80万人ぐらいの雇用を作り出した。
(3)現在メデイアに登場する広告の最大のスポンサーは電力会社で、そのためにメデイアは原発などに関して十分正確な情報を提供していない。このような事情は今こそ替える好機である。すなわち電力会社による広告業界の専横を禁止する。
(4)なお原発は、現在55基ほどあるが、その建設は、政府からの助成金(すなわち国民がはらった税)に多く依存している。
(5)自然エネルギー開発に歯止めをかけていることの一つに、送電系統が民間電力企業に握られていることがある。電力供給は、発電、送電、配電するシステムからなる。送電は,いわば、道路である。道路は普通公のものであり、送電も公有にすべきである。例えば、北海道で、風力発電を開発しようとしても,北海道電力が、送電系統を利用させないという足かせがある。送電システムが公有になればそのような邪魔はなくなる。
(6)さて問題は、電力の需要である。まず、総電力需要の4分の3は、家庭以外の事業所のものである。また、ピーク時の使用電力の91%は事業所。家庭でいかに節電しても、あまり影響がない。電力需要のピークは夏、気温31度以上になる真昼の2−3時間であることは、わかっているし、気温の予想はかなり確実である。したがって、この間の節電を事業所に知らせ,協力してもらうことは困難ではないし、事業所も計画的に対処できる。家庭の単位電気料金は、使用量と共に上がる(だから夏の最中は高くなりー節電を誘導しようというのだが、家庭使用料はたかがしれている)。一方、事業所の単位電力料金は、逆に使用量に従って安くなる。これでは、節電をするメリットがない。そのため、やろうとすれば出来る省エネ製品を導入していない。
(7)現在の日本の電力会社の年間稼働率は、全体で約55−60%ぐらいと低い。ヨーロッパでは平均70数%であるから、稼働率を少し上げるだけで、上昇する需要を賄える。
(8)以上のような事情を考慮すれば、原発は必要ないことがわかる。したがって、原発は「必要悪」ではなく、「悪」にすぎない。

3.21.2011

原発の恐ろしさ,原発は廃止すべきということについての現場からの証言

以下に掲載するのは、1996年に発表された原発の現場からの証言です。証言者平井憲夫氏は、20年間、現場監督として原子力発電所で働き,原発での様々な事故にも立ち会ってきた人です。その仕事中に放射能物質に晒され続けたためか、1997年にガンで亡くなられた。この証言は1996年に発表されたものですが、原発の現状が、あの時点より格段に改善されたとは到底言い切れないので、この証言で語られている原子力発電所の様々な問題は、まだ、解消されていないと思う。ここで語られているのは,現時点での地震・津波による事故以前の問題、すなわち原発の建設や運営上の技術的基本問題で、原発が本来安全なことはあり得ないこと、そして燃料廃棄も含めたら、エネルギー的にも経済的にも原発は引き合わないことを証言しています。

証言

優しい地球残そう子どもたちに

平井憲夫

 二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。
私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二十代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業員だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。



「安全」は机上の話

 

去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。
世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。
なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。



素人が造る原発

 

原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。
原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。
日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。
仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。
例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。
また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。 
それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになりま 
す。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。
ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。



名ばかりの検査・検査官

 

原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。
検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。
原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。 それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。
そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力−でないと、詳しいことは分からないのです。
私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや 
特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。



いいかげんな原発の耐震設計

 

阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原 
発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。



定期点検工事も素人が

 

原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることに 
なっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧 
とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管 
の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸 
気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。
原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。 
防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。
また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。
そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。
例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。
現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴び 
てよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間 
作業ができる所だとすると、20分経つとアラ−ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。
そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたか 
な、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、 
顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。



放射能垂れ流しの海

 

冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。 
日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。
原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。
防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなく 
なると思いますよ。
数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。



内部被爆が一番怖い

 

原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直 
接放射線を浴びるわけですから。
体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、 
決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。
原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。
私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。



普通の職場環境とは全く違う

 

放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。
例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。
稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。 中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。
なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。



「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

 

原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。
原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。
私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。
私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていまし 
た。



だれが助けるのか

 

また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが 
大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。
一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。



びっくりした美浜原発細管破断事故!

 

皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。
そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。 
原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。
この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数 
千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。
原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。
この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。



もんじゅの大事故

 

去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。
図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。
これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。
どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五 
mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。
どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。
動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。
しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。
それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ!事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。 
地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。
普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。



日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

 

もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。
そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。
日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。
日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。
世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。
いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。



日本には途中でやめる勇気がない

 

世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。
もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。
どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。
とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。
もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、 それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。
また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。
原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力 
談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。



廃炉も解体も出来ない原発

 

一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。
具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた 
原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。
机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。



「閉鎖」して、監視・管理

 

なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇〜八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。



どうしようもない放射性廃棄物

 

それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。
現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、 
「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか?そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、 私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。



住民の被曝と恐ろしい差別

 

日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のよう 
に、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。こういう差別の話は、言えば差別になる。 でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がななってもいいから、私は原発はいやだ。最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。ど 
こへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したこ 
とはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。



原発がある限り、安心できない

 

みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も着実に止めなければならないと思っています。原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。




平井憲夫(1997年1月逝去;1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。)



2.28.2011

アメリカ市民の蜂起−3−全国に波及


(日刊ベリタ2011.03.01からの転載)

これは先の報告(日刊ベリタ2011.02.20, 02.25)に続く2月26日現在のアメリカ市民蜂起の報告である。
まず、ウイスコンシン州下院は、共和党の強行採決(日本では自民党が、新教育基本法や国民投票法案などで使った)により、25日早朝、例の問題の法案を可決した。上院は、先の報告のように、14名の民主党議員が、州外に隠れて出席を拒んでいるので、開かれていない。また、共和党の上院議員の一人、デール・シュルツ氏が、この法案へ反対の意思を表明した。あと2人の共和党議員が反対に回ると、この議案は上院では成立しない。これがどう進展するか。
マジソンのデモは、26日(土曜日)には約10万に膨れ上がったようである(この数は、最低の見積もりで、15万ぐらいという推計もある)。気温は零下、しかも雪の降るなかでのことである(右上の写真)。また、MoveOnという全国組織の推計では、この日、全国各地のデモ参加者は約5万になったそうである(*)。
主な動きを拾ってみる(*)。先ず、オハイオ州では、ウイスコンシンと同様な法案を提出し、数千人のデモが州都コロンバスで行われた。ここの議会では、共和党が圧倒的多数なので、民主党議員が雲隠れするという手が使えない。しかし、インジアナ州では、労働組合弾圧の法規提案に対して、民主党議員が、ウイスコンシンに倣って雲隠れしている。ニュージャージー州でも、同様な共和党の法規提案に対して、約3100人ほどのデモが金曜日にトレトン市で行われた。ニューヨークでは数千人、シカゴとロスアンジェルスでそれぞれ2000人ほど、首都ワシントンでも約1000人がデモ。数百人のデモがオレゴン州のポートランドと州都のサレム市で、ワシントン州の州都オリンピアでは数千のデモがあった。
ペンシルバニア州フィラデルフィアでは、数日間にわたって1000人ほどのデモが展開され、彼らは「Tax the rich, stop the war」と点呼したそうである(*)。実は、この二つ(富裕層への減税と軍事予算の肥大化)が、差し当たっての最大の問題点であり、この2つが解決すると,現在の世界各国の財政緊迫問題のかなりの部分が解決できるはずのものである。これを認識する人は多いと思うが、それを声を大きくして多くの人が権力側に訴え、変更をせまることが非常に重要である。アメリカが特にそうだが、日本も含め多くの国の問題でもある。
日本でも、税制改革が議論されているが、消費税のように、国民全部に貧富の差に拘らず同率で徴収することは、貧富の差を広げることになる。企業や富裕層への税率を上げることこそが、必要なのである。日本ではいざ知らず、アメリカでは、企業は様々なループホールを使って、税を納めないところが多い。
アメリカでの根本問題の一つは、多くの市民の無知である。例えば、多くの市民は、社会保障年金とか(高齢者のための)医療保険(Medicaid)とか貧窮家庭に与えられるフードスタンプなどが、政府による社会福祉策であることを理解していない(*)。そして、共和党やエリート層による、現政府が社会主義的であり、政府が大きすぎる、だから縮小(そして年金などのカット)すべきだという宣伝に乗って、共和党を選び、それが自分達の首をしめることになるのに気がつかない。対する民主党も、基本的には企業に操られていることもあり、共和党に対する有効な批判ができていない(実際は国会議員のレベルでは残念ながら民主党と共和党もあまり差がない)。
 今までに述べたきたように身近な問題から、自分達の権利剥奪を共和党が画策していることに気がついた市民が立ち上がったのが、今回の市民運動である。そして中には、フィラデルフィアでの連呼のように「富者(企業も含む)への税の引き上げと軍事費削減」という緊急課題に気がつき出したことは、非常に喜ばしい。世界中で多くの市民がこのことを声を大にして叫ぶことが必要である。企業への税の引き上げなどについては、したり顔の識者や政治家達は、国際競争力に足かせになることになるとか、様々な理由を持ち出して来るだろうが,根本的に考えなければならないのは、「経済は何の為にあるのか」(企業や少数の富裕層を肥やすためか、または、市民の多数の生活を豊かにするためか)という問題である。
(*: http://www.alternet.org/story/150059/%28updated%29_rally_for_the_american_dream%3A_huge_gatherings_nationwide_in_solidarity_with_wisconsin_democratic_uprising/?page=entire)

2.27.2011

アメリカ市民立ち上がる

チュニジアから始まり、エジプト、リビアなどの中東に広がっている、政権に対する市民の蜂起がアメリカにも波及してきているのですが、日本のメデイアはほとんど報道していません。そこで、私が日刊ベリタに書いた記事二つを纏めて下に掲げますので、ご覧下さい。これに関しては,アメリカの通常メデイアイも無視できないためにある程度の報道はしていますが、詳しくは、Democracynow.org,Alternet.org, Huffingtonpost.orgなどのインターネットメデイアをご覧になってください。

アメリカ市民の蜂起
(2011.02.20)

エジプト/チュニジアなどの市民運動に勇気づけられたかして、アメリカにも市民が政府/経済エリートのやり方に抗議して立ち上がるケースが増えてきたようである。実際、政府や経済エリートのアメリカの市民無視/抑制は新自由主義経済があからさまに導入され始めた1980年から徐々に進行していたが、2001年のいわゆる同時多発テロ(9.11事件—あの事件の真相は政府発表とは違うらしいことがますますはっきりしてきた)をきっかけにして、国民の安全保障を理由に、市民の思想、集会などの自由の制限が拡大してきた。これには、さらにキリスト教原理主義的な考えの持ち主達が、政治の右翼に台頭し、反オバマ(人種差別主義)も含めて、さらに市民や労働者の権利や自由を狭めつつある。経済的にも、中流階級は消滅しつつあり、少数のエリートと大多数の貧民という第3世界的構造になりつつある。
すなわち、政治的にも経済的にもアメリカは第3世界的になりつつある。ただし、一般市民の物質生活は、それでもまだ第3世界とはかけ離れてはいる。多くのアメリカ市民は、このことを肌で感じているのではないかと思われる。とはいえ、例のテイーパーテイーという人種差別主義、(見かけの)反社会主義的右翼に踊らされている人々は、そうした抑圧感情は感じていないようで、アメリカ憲法そのものこそが、自分達の自由を束縛するものだなどというとんでもないデマを信じ込んでいる。
今回、昨年の中間選挙で当選したウイスコンシン州知事は、共和党(テイーパーテイー派)のスコット・ウオーカー氏だが、彼は、州の財政を立て直す一助にと、労働者(州政府労働者)の年金や健康保険の自己分担金の増額などを提案し、さらに労働組合の交渉権などをはぎ取るような提案を出してきた。(なお、州政府労働者のうち、警官と消防士はこうした規制を適用しない例外とされた。)これに抗議して1月末頃に700人ほどの労働者が州議事堂前で抗議集会を開いたが、ほとんどメデイアの注意を引かなかった。
同時期に起っていたチュニジア・エジプトでの多数市民の蜂起に刺激されて、2月15日には、1万5千を超す労働組合員、市民が州議会場に押し掛けて抗議した。州都マデイソンには、州立のウイスコンシン大があり、その教師達、大学職員、公立学校教師、州政府役人などが対象の主なところだが、この抗議集会には、鉄鋼労組、トラック運転手組合その他の労働組合員も参加した。マデイソン東高校の生徒800人もクラスをボイコットしてデモに参加。さらに例外とされた警官や消防士達もデモに加わった。翌日の16日には、公立学校の教師の40%以上が抗議の為に病欠の届けをしたため、公立学校は全て休校となった。17日には、デモ参加者は3万になったようである。議会内でのこの議案に対する公聴会では、反対の意見が多数であるが、共和党は、これを無視して、上程し、通過させようとしている。日本の自民党が新教育基本法や国民投票法案などを無理矢理に成立させたのと同じやり方である。このぐらいに拡大すると、普通のメデイアも取り上げざるをえなくなったようである。日本にまで報道されているかどうか。この結果はいかに。
この他にもまだこれほど大規模には至っていないが、アメリカの各地で、大企業(とくに健康保険業—保険料の値上げ)や地方政府による市民抑圧・貧窮化政策への抗議が起こりつつある。これらの動きがアメリカ中で大きなうねりとなって、現在の政府や経済エリートをなんとか動かす運動まで進展するかどうか。

アメリカ市民の蜂起—2
(2011.02.25)

先頃報告した(日刊ベリタ2011.02.20)2月14日頃に始まったウイスコンシン州の公務員の組合組織の交渉権剥奪の州法に反対する州都マジソンでの抗議集会は増々大きくなり、先週土曜日(2月18日)にはおよそ8万人に膨れ上がったそうである。今週になっても参加者は増え続けているようである。地元の教師達は、そうそう教育をおろそかにはできないので、交代で抗議に参加したり、州外からも労働組合関係者が駆けつけたりしている。また、大学生や大学院生達も参加していて、彼らは、人々の残したゴミくずを自発的に清掃している。また、全体として暴力は振るわれず、バンドが登場したり、ピッザが配達されたりと、険悪な雰囲気はないとのことである。なお、この法規には組合組織をつぶすという意図の他に、賃金カット(年金、医療保険の自己負担増額)があるが、この点については、抗議側はすでに譲歩している。
しかし、このカネの面については、州内の市町村の財政を圧迫するようになるので、市町村レベルの反撥が台頭してきていて、それらがこの抗議運動に参加し始めている。マジソンの市長が、組合員を先導して、州議会へ行進した。すなわち運動は州全体の問題になりつつあり、ビジネスも知事支持に躊躇しだしたようである。
ところで、法律の審議はどうなっているか。州の上院議会では、民主党議員14名が、州外に身を隠すという手段にでた。そうすると、定足数に1人足らず、正式な議会が開催できない。デモ参加者は、こうした民主党議員達のやり方に拍手を送っている。与党共和党側は、あらゆる策略をめぐらして、民主党議員を議会に引っぱり出そうと躍起になっている。警察を動かして、少なくとも1人を捕まえてこようともしているそうである。定足数にするには、1名でよい。
州知事は、全然妥協の様子を見せていない。滑稽なことに、この知事は、有名な金持ちの支持者を装ったリベラルなジャーナリストと電話で対談し、この金持ち(偽)に、自分の本音—労働者の自由の剥奪、中流階級消滅などーを赤裸々に語ったのが、ネットメデイアに流された。この内容はかなり広く知られ、州警察所長は、その内容に強い抗議の意を知事にしたようである。
州知事は、来週火曜日には、予算案についての演説をすることになっているが、州議場外で行うらしい。これは州法違反だそうである。
通常のメデイアはこの抗議行動を報道してはいるが、重点の置き方は、州財政の立て直しのための賃金カットの必要性であり、しかも州労働者(公務員)が民間人よりも年金や医療保険などの面で、かなり優位にあることを強調していて、民間人の反感を煽るような傾向もある。また、多数の抗議デモに対して、州知事に賛成するテイーパーテイーの少数の対抗デモに焦点を当てたりしている。
全米で、29の州で共和党員が知事をしていて、オハイオ、ペンシルバニアなどでも、公務員の交渉権などの権利剥奪、自由抑制などの動きを起こしている。こうした知事が選挙で選ばれたという点では、形式的には、民主主義には違いないが、当選するや、このように、反対を遮二無二押し切って強行するのは、民意に反する。なお、どうしてこうした人々が選挙されたのかについては、先の選挙の際に、簡単な考察を述べた。日本の政治体制でも同様な現象が起っていて、いわゆる代表制民主主義の根本問題である。ウイスコンシン州での反対・抗議運動が、どこまで持ちこたえ、さらに他の州まで拡大していくか、注目したい。

1.23.2011

尖閣諸島問題「常識」再考する冷静さを 落合栄一郎

『日刊ベリタ』2010年9月26日に掲載された落合栄一郎さんの論考です。

尖閣諸島問題の「常識」再考する冷静さを 領土・海底資源の日中話し合いの契機に
 
今回の尖閣諸島問題は、小泉政権下の2004年3月24 日に起った尖閣諸島に上陸した中国人活動家を沖縄県警が逮捕した事件の再燃である。それは、尖閣諸島の領有問題をうやむやにして根底的に解決しなかった為に発生した。

今回も、大方は、尖閣諸島が日本固有の領土であるという「常識」に基づいて日本側の対応が行われている。それは、日本が、あの無人であった諸島を1895年に日本領に組み入れたことが歴史的事実で、それに対して中国は、1970年まで異議を唱えなかった。だから、国際法上、この地を日本領とするのは正当である。このような主張は、共産党機関紙「赤旗」ですら行っている。

しかし、あの場所を地図で眺めた時、長い歴史を持つ中国が、あの地に、定住はしなくとも、人を送ったり、漁船や軍事的船舶が立ち寄ったり、駐在したりしたことがなく、中国があの地を自国のもの
だと認識したことがないなどと考えられるであろうか。

2004年の事件に関してその当時発表された高橋義一氏の論考(注)をもう一度思い起こしたい。以下は氏の論考に基づく。

中国では,あの諸島は明の時代から、釣魚台あるいは 釣魚嶼、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・久米赤島、大正 島)などの名で知られていたし、沿岸防衛のための地図にも記載されていた。すなわち中国は、少なくとも明の時代からあの諸島を実効支配していたし、あの諸島について多数の歴史的文献を残している。

日清戦争後のどさくさにまぎれて、日本政府は、終戦の正式文書には領有権が言及されていなかったあの諸島を、日本領にしてしまったようなのである。そして英国の地図に記載されていた「Pinnacle Islands」を翻訳して尖閣諸島という日本名をつけたようである。このような事情を考える時、あの諸島が日本固有の領土であるという主張は正当であろうか。

さて以上の高橋氏の論点を検証する手段を筆者は持たないが、地理的、歴史的に考えて、真実に近いものと考える。しかし、中国は、これに対して長い間異議を唱えなかった。それも事実のようである。おそらく、この問題は、中国国内の様々な大問題(日清/日中戦争、共産革命、建国、文化大革命,経済開発などなど)にまぎれて、意識の外に置かれていたのであろう。しかし、1969年になって、あの海域の海底に化石燃料が大量に埋蔵されている可能性が浮上し、にわかに領有権を主張しだしたのではあろう。

これらの事情を考慮して、今回の事件をただ単に日本の警察権行使の問題で終わらせるのではなく、この期に領土問題/海底資源開発問題を十分に話合うキッカケにすべきであろう。日本人の大多数が思い込んでしまっている「常識」を検討し直すには、非常な抵抗があるであろうが、これを避けていては、いつまでもこのような事件が繰り返されるばかりで、日中関係は悪化するのみであろう。

(注)http://www.jrcl.net/frame040405n.html 

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