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10.18.2013

Hiroshima to Fukushima: Biohazards of Radiation

The following book was published recently.

The title: "Hiroshima to Fukushima: Biohazards of Radiation"
The author: Eiichiro Ochiai
The Publishers: Springer Verlag (Heidelberg, Germany)
The publication date: Oct. 14, 2013

It deals with (1) the scientific bases of nuclear reactions/radiation/its effects on chemical world (including life); (2) the mechanisms of the effect of radiation on the biological systems, and some defense mechanisms against radiation; (3) the data obtained on the radiation effects on life in the aftermaths of the Chernobyl accident, Fukushima accident, the atomic bomb tests, depleted uranium munition, etc.; and (4) How the nuclear industry and its associates have been reluctant in admitting the negative radiation effects on human health and all other living organisms, and have been covering up the truth of radiation effects.

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 この書を著した動機は、東日本大震災に伴って起きた東京電力福島第1原子力発電所の事故,それに伴う放射能による様々な問題、特に健康への被害についての憂慮から発したものである。
 先ず,放射線はなんであるか、当たっても痛くもかゆくもないのに、10シーベルトぐらい以上浴びると、数時間から数週間内に死に至る。しかも、10,いやその10倍の100シーベルトでも、定義上は、100ジュール/kgという非常に僅かなエネルギーである。このエネルギーは、体温を僅かに0.0024度上げるに過ぎない。こんな熱で、人間、死にはしない。しかし、実際は、100シーベルトの被爆は、瞬時の死を意味する。どうなっているのか?ここに、放射能の人体(生物)への影響の秘密が隠されている。α,β、γ線などの高いエネルギーをもつ放射線というものが、どういうもので、どんな原因で出て来るか、そして、生物で代表される地球上の化学物質とどう関わるのか、このあたりの基本をまず理解しないと、放射能・健康問題は、充分に理解できないと思われる。
 放射線というものは、放射性物質から出て来るが,放射性物質は、自分の寿命(半減期)に従って、自然消滅はするが、それまでは、通常の手段では、人工的に変えたり、解毒したりすることはできない。したがって、一度環境に出てしまうと、それを避ける手だては、放射能の少ない所で生活し、放射能汚染されていない水、食べ物を食べる以外、有効な方法はない。しかし、現在こうしてかなり汚染されてしまった地球上に生活せざるを得ないあらゆる生き物はどうするか。原子力産業側は、放射能の影響をなるべく過小に評価して、これぐらいの汚染なら,心配はいらないと人々を安心させようと図っている。実際は、原子力産業は様々な意味で、放射性物質を放出し続けていること、それが健康へ負の影響を与えるていることを、認めることを拒否しているに過ぎない。これを認めれば,原子力産業は、存在してはならないことになるから。放射性物質のあるものは,かなりの長い半減期をもち、そうした廃棄物をどう安全に、保管処理するか、その方法すらまだ確立されていない。
 しかし、そうした放射能の健康被害が、過小評価が比較的信じられやすい状況が現実にはある。原爆直下や周辺での高レベルの被爆の影響は、死亡も含めて放射線急性症状として明らかで、原子力産業側からも、そのように認識されている。しかし、低レベルの被爆は、影響があるとはいえ、健康に負の影響を与える要素は無数にあるので、放射能が原因であると特定するのは非常に困難である。その上、汚染度もによるが、汚染地に住む人が一様に健康障害を起こすわけではない。多くの人は、影響を受けず、「放射能なんて問題なの」と否定的に捉えることは容易だし、なるべくそう思いたいのが人情であろう。しかし,不幸にも、放射能の影響を受けてしまう人は必ずいるのである。今のところ、比較的数は少ない(とはいえ,福島の子供達の甲状腺ガンの発生数は異常に高率)し、報道機関はこのような問題を追求しようとしていないし、医師・医療機関にも箝口令がしかれているようなので、あまり表沙汰にならない。また,福島の現場で働く作業員の健康問題(死亡も含めて)もあまり報道されない。というわけで,日本国民の多くは、事実を知らされていない。
 放射能の生体への影響の科学は、まだ不明なことが多い。そのうちでも、ガンとの関連は比較的詳しく研究されている。そのためもあって、放射能の健康被害というと、直ぐ『ガン』となる。これは専門家も市民も含めての反応である。しかし、ガン以外のあらゆる健康障害が、放射能によって引き起こされることは、科学者でなくとも推測できるし、事実すでにかなりのデータは集積されている。ガン発症には、細胞内の遺伝物質DNAが関係しているが、放射能の影響がガンのみというのは、放射線は、DNAのみを狙って悪影響を及ぼすことを意味し、放射線は、DNAと他の様々な物質を区別することを知っているということになる。こんなことはあり得ないと言いうるのだが、これも、放射線と生体内の化学物質との相互作用がどんなものであるかを理解しないと、わからないことなのかもしれない。
 本書は,こうした問題を簡潔に考察したものである。すなわち、放射能とその生体への影響の科学的根拠、実際に得られているそれに関するデータ(チェルノブイリ、福島、劣化ウラン、原爆などなど)の検討、原子力産業界がこの問題にどう関わってきたか、などを検討したものである。
 現在、福島原発事故の実態は,まだ解明されていない。メルトダウンした燃料棒がどうなっているかすら、見当すらついていない。また事故が地震によって引き起こされたのか,東電の云うように津波のためなのか、まだ確定していない。著者は、この書を書いた時点(2012年秋)では、地震による配管類の損傷(と地震による第1次電源の消失)が根本の原因と、推測したが、最近それを支持するデータや,現場をよく知る人の意見などが見られるようになってきた。そして、崩壊熱を冷却するための注水が、循環されることはなく、汚染されて出てきてタンクに納められているが、海への漏洩、地下水の汚染などなど、様々な問題を引き起こしている。汚染水の問題は、冷却機構の再検討などを含めて早急に解決しなければならない。また、保存プール(特に4号基)にある燃料棒の速やかな処理(安全な形で、安全な場所へ)なども緊急の課題である。
 しかし、本書はこうした福島原発の現実的な問題は、扱っていない。扱っているのは、放射能というものの健康への負の影響の解明であり、「(高エネルギー)放射線は、生命と相容れない」という命題を、検証しようとするものである。これが,検証されたならば、原爆・原発とも、放射性物質を作り出し、環境にばらまく(意図的、非意図的に)ことは、これ以上してはならないことになる。それは生命の存続の可否の問題であり、生きる権利というもっとも基本的な人権問題といってよいかもしれない。政治・経済を超越した問題である。もちろん,原爆そのものが戦争に再び使用されることがあれば,放射能はともかく、大量の人間,生命、環境、建造物などなどの破壊につながり,人類文明は大変な危機に見舞われるであろう。しかし,原発も、今後も継承され、いや、増やされるとすると、それが作り出す放射性物質、従って,環境での放射能レベルの増加が生命をより強く脅かすことになる。それへの警鐘が、この書の主題である。


落合栄一郎

10.17.2013

日本国憲法はどこへ行く?

(以下は、JCCA月報Bulletinの2013年10月号に掲載された記事の転載です。)


日本では、明治22年(1889)に明治憲法が公布され(施行は1年後)、それが、第2次世界大戦後まで継続していた。ここで、明治憲法の制定過程や内容を議論するつもりはないが、「天皇主権」が根本原理であり,主権在民という民主主義の精神に基づいてはいない。
敗戦により、米国駐留軍が日本を占領し、日本の政治・社会を支配していた。その中で、旧議会派や民間の弁護士の組織などが、別々に、日本のそれからの社会の枠づくり、すなわち新憲法創出を議論し、それぞれが、その案をGHQに提示した。旧議会派の案は、明治憲法からの束縛を逃れられず、米占領側は一顧だにしなかった。一方、民間側からの案(映画「日本の青空」参照)は、米国側に共感を呼ぶものが多かった。米国も日本の新憲法草案を練りつつあった。こうしてできた新憲法草案には、「戦争放棄」の条項はなかったのだそうである。この条項は,GHQ司令官マッカーサーと当時の幣原喜重郎総理との会談で、幣原氏の発言に基づいて作られたことを、マッカーサーは後の回想で明言している。この点や基本的人権など、新憲法は日本側によって形づけられたと言ってよい。天皇の地位については、アメリカ側は、「天皇が日本国の象徴」という表現にまで譲歩し、そして天皇の戦争責任などは、不問にした。すなわち,新憲法がアメリカに一方的に押し付けられたという主張はあたらない。
戦争放棄と軍備を持たないという9条は、苦悩を押し付けられるだけだった戦争経験者・犠牲者の国民にとっては、非常に輝かしい未来を約束するように感じられた。アメリカ側には,日本が直ちに再軍備化するのは、アメリカや連合国にとって不都合、脅威であるから、それを避けるという思惑がこの条項には込められていた。この思惑をアメリカは、戦後の状況変化により、ほとんど直ちにかなぐり捨てたようである。それは朝鮮戦争に始まる、第2次世界大戦後のアメリカという唯一の大国が、世界中で様々な状況にちょっかいを出し始め、そのために足りない戦力を日本に負わせようという魂胆から出ている。それは朝鮮戦争に始まり,ヴェトナム戦争へと極東での戦争で、日本の加担を引き出そうと画策した。それに応じて、日本は,9条の精神から逸脱して、警察予備隊から、自衛隊へと軍事力を高めてきた。9条があるとはいえ、自衛は、国連憲章にも認められている権利であり、自衛に徹した軍事力は、9条の精神に反しないという論理である。冷戦が終わった1990年以降、アメリカの戦争介入の機会は増えた。そして、最近は特に,アメリカの財政逼迫による軍事費削減を日本に、経済的、軍事的に補填させるべく,プレッシャーが高まっている。それに呼応して、自民党は,憲法改定を公言して政権の座についた。このアメリカからのプレッシャーの下、憲法改定を経ずに、集団自衛権を確立しようという動きも同時にある。いずれにしても,現政権は,日本を通常の戦争ができる国にしようという意図である。
人類は、いつの時代にも、何らかの武力抗争をやってきた。21世紀の今も、武力を国際紛争、侵略の手段にしていることには変わりはない。これが、日本で、通常の軍事力を持てという議論の基本になる。すなわち、人類から戦争は絶対になくならないのだから、日本も正常な軍事国家になるべきと。特に,現今の中国、北朝鮮などとの緊張を強調することによって、そのことを正当化しようとしている。それに煽動された右翼勢力は、反対分子に対して、殺し文句「非国民」なるレッテルをはってプレッシャーをかけている。この雰囲気は,15年戦争開始/戦争中への回帰を危惧させる。
しかし、今までの武力抗争と、これから起こりうる大規模武力抗争には本質的な違いがある。それは武器にある。大量破壊兵器の存在、その大量の蓄積である。原爆、化学兵器(毒ガス)、生物兵器など。人類の縮少努力にも拘らず、大国は、これらの兵器を公に、ある場合には非公式に保持している。そして,現状を大幅に変えない限り,いずれは、これらの兵器が使用される地球規模の戦争になる可能性は高い。現状とは,紛争を武力で解決するという基本姿勢である。
ここに,9条の意味がある。9条は,交戦権を捨て、兵力をもたないことを世界に向かって公言したものである。日本は,勇気をもって、これを保持し、この理想に近づく努力をすべきである。勇気をもってというのは、隣国などからの脅威を、武力抗争でなく、なんとか話し合いで、平和裏に解決するという意気込みをもつということである。実際,日本が武力をより拡張し,自衛の為とはいえ、戦火を交えることに手を染めるとすると、現在の人類の技術レベルでは、日本国土を安泰に保持することはほとんど不可能であろう。日本に散在する54基の原子炉がミサイルの標的となり、その5分の1でも破壊されたら、日本は人間の住めない放射能汚染国になる。すなわち,原発が核兵器と同じ働きをするのである。逆に、日本が9条を保持し、非武力による紛争解決の世界のリーダーに成るならば,世界からの尊敬を受けこそすれ、武力攻撃の対象にする国はなくなると思う。スイスが良い例だと思う。そんな理想論はだめだ、と言ってしまえば、それまでだが、原爆の洗礼をうけた日本国こそが、この理想を高く掲げるべきである。
WFM(World Federalists Movement)のバンクーバー・ブランチは、現在、日本国憲法9条の貴重さを強調し、その擁護を日本政府関係者に訴える運動を起こそうとしている。世界中の人々を動かして、日本政府に働きかけることは有効であろうと思われる。
一方、日本国民は,戦争被害者ではあったとはいえ、戦争を引き起こした側への充分な反対の意志も伝えられず、軍部の独走、その暴挙などを許したことに一端の責任はあるものと考えて、その歴史事実を検証し、学ばなければならない。

落合栄一郎

映画鑑賞と討論会:「はだしのゲンから見たヒロシマ」

バンクーバー9条の会とピースフィソロフィーセンタ—共催で、『はだしのゲンから見たヒロシマ』を見て、平和の意味について討論を、下記の要領で催しますので、ご参加ください。

日時:10月30日午後7時−7時
場所:イエールタウン、ラウンドハウス(カナダライン、ラウンドハウス下車)

『はだしのゲン』は、中沢啓治さんの、反戦漫画の古典で、最近日本では,右翼などの圧力で、学校の図書館で、閲覧が制限されたりする問題が発生しています。それは、ヒロシマの悲劇に負けずに生きるゲンの生き様を描くと同時に、戦争への批判、日本の植民地支配、軍部の過酷さ、天皇批判などにも、触れられているからです。この映画は、その中沢啓治さんのインタビューを通して、彼の半生などが描かれています。自民党政権の、日本国を軍事力を行使できる普通の国にすべく、また、新憲法にもられた主権在民、基本的人権などの最も重要な憲法の基本概念を捨てて、戦前の体制に逆転させようとする動きが、活発化しています。この機に、この映画の鑑賞を通して、これから平和を維持するためにはどうするべきかなど、討論したいと思っています。どうぞ,ご参加ください。入場は無料ですが、会場費などの補助のための、寄付をお願いします。

落合栄一郎

 

7.03.2013

原爆展—平和の基礎を築くためにー

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原爆は,日本に最初に落とされましたが,現在でも地球上には全人類をなん度も皆殺しできるほどの核兵器が存在しています。先ずその恐ろしさをこの展示で見て頂きますが、恐ろしさの原因の1つは、死の灰—放射性物質—です.しかし、その影響はこれらの写真や絵では表現できません。死の灰、それは福島の原発事故でまき散らされたものも同じです。原発も原爆同様に、廃棄しなければならないものです。核兵器が、また戦争に用いられることになったら、広島・長崎程度のことでは済まされず、人類の多数が消失することになるでしょう。これを避けるには,核兵器の廃絶と戦争そのものをなくす努力が必要です。
この原爆展では、以下のような催しを行います。
(1)原爆の悲惨さを示す写真/絵の展示
(2)原爆と原発:放射能の健康被害、カナダの役割など—スライドショー
(3)鶴の折り方:千羽鶴の意味をアニメ映画で。

主宰:VSA9Peace Philosophy Centre
日時2013年、834日 午前11時—午後5
場所:日本語学校 487 Alexander Street, Vancouver
ヴォランテアー募集:展示会での手伝いをして下さる方を募集しています。特別な条件はありません。eo1921@telus.netにご連絡ください。


Atomic Bomb Exhibition – To Make Peaceful World –

      The atomic bombs were dropped on Hiroshima and Nagasaki, 68 years ago.
Since then, mankind has gathered nuclear weapons so many that they can annihilate ourselves several times over. This exhibition shows how terrible the effects of the atomic bombs were, but one thing cannot be illustrated.  That is the health effects of the radioactive material produced in the atomic bomb explosion. The same radioactive materials are being produced in the nuclear power reactor, and have been released into the environment from some accidents including that of Fukushima Daiich Nuclear Power Plants in 2011.  Hence the nuclear power reactor may be regarded to be one of WMD’s and hence must be abolished, like the nuclear weapons.
     An exhibition “Atomic bomb in relation to Peace” will be held as follows.
(1)  Panels to show the horrors of Atomic Bomb
(2)  Slide show: Nuclear weapon/nuclear power; their radiation effects and what Canada is doing.
(3)  Senbaduru (Thousand cranes): An anime movie of the story of Senbaduru

When: 11:00-17:00 on Aug. 3 and 4
Where: Japanese Language School, at 487 Alexander Street, Vancouver
Volunteers: Volunteers to help in setting up, manning tables and others are needed.
Please help us as you can, and email to eo1921@telus.net, if you can.

4.17.2013

猛暑を考慮に入れても今年の夏、原発なしで電力は足りる−新聞記事ー

以下に、原発が稼働しなくとも、今年の夏の電力は足りること、節電の要請も必要ないとの新聞の記事を掲げます。


1、9日の電力需給検証小委員会で、経済産業省は沖縄を除く9電力会社の今夏の
 電力需給見通しを報告。10年夏並みの猛暑となり、これ以上原発が再稼働しな
 い場合でも、全社が3%以上の供給余力を持てる見通しとなった。
  猛暑日の昼過ぎなどに想定される電力の最大需要に対し、どの程度供給力の
 余裕があるかを示す「供給予備率」は、全国平均で6.3%。今夏、電力不足だ
 った関電と九電がそれぞれ3.0%、3.1%との見通しを示し、安定供給に最低限
 必要な水準(3%)は何とか確保した。節電意識の定着で、昨夏の節電の7〜9
 割が今夏も継続すると見込み、景気回復に伴う需要増加分を吸収した。
 (後略)           (毎日新聞4月10日より抜粋)

2、さらに節電意識定着、電力9社不足せずと発表(4月17日)

  経済産業省は17日、電力需要検証小委員会(委員長・柏木孝夫東工大特命教
 授)を開いた。今夏は、猛暑を想定し原発をこれ以上再稼働させなくても、節
 電意識が定着したことで、沖縄を除く電力9社の電力は不足しないとする報告
 書案を示した。
  報告書案では、今夏の最大需要を1億6644万キロワットとした。東日本大震
 災後の節電実績を踏まえ、今夏の全国の節電効果は、無理な節電をしなくても
 1340万キロワットに上がると見込んだ。現在稼働している関西電力大飯原発3、
 4号機以外の原発が再稼働せず、景気回復による需要増(122万キロワット)を想
 定しても、9社の供給余力を示す「予備率」は、安定的な電力供給に最低限必
 要な3%以上を確保した。
                 (東京新聞4月17日より抜粋)

4.11.2013

安倍政権下での改憲の動きを論じる: UBC法学部松井茂記教授をむかえて (2013年5月4日、バンクーバーにて)


日本国憲法施行66周年・バンクーバー九条の会設立8年記念講座

 

安倍政権下での改憲の動きを論じる

UBC法学部松井茂記教授をむかえて-


日時:5月4日(土)午後2時―3時半


(開場1時45分) 

場所:Roundhouse Community Centre (Yaletown)

     2階 Multimedia Room

ラウンドハウスコミュニティーセンター(カナダライン Yaletown/Roundhouse 駅そば) 

費用:Admission by donation  

主催:バンクーバー九条の会、Peace Philosophy Centre 

問い合わせ:info@peacephilosophy.com  or 604-619-5627
 

集団的自衛権行使権容認、「国防軍」設置等を目的としながら、まずは改憲のハードルを下げるため憲法96条のみを改変し、国会両院の3分の2以上が必要な改憲発議を2分の1にしようとしている安倍政権。「アベノミクス」への期待感から上がる株価に勢いづいて、参院選に向けて高支持率を維持している、戦後最も好戦保守的な政権にストップをかけることは可能なのでしょうか!2007年に続き、UBCの憲法学者の松井茂記さんを招き、憲法についての私たちのさまざまな問いにお答えいただきます。
 

松井茂記教授 プロフィール

京都大学大学院法学研究科修士、スタンフォード大学法学博士。大阪大学法学部教授を務めた後、2006年よりUBC法学部教授。専門は憲法学、比較憲法学、マスメディア法、情報公開法、インターネット法、法律と医学。著書は『日本国憲法を考える(大阪大学出版会 2003年)『マス・メディアの表現の自由』(日本評論社 2005年)、『カナダの憲法-多文化主義の国のかたち』(岩波書店、2012年)等多数。