コロナヴィールス感染と放射線被ばく
この年、2020年は、コロナヴィールス感染拡大とその対応が世界的規模で大問題であったとして、歴史に記録されるでしょう。医療施設、経済、社会(基本的な人間間の物理的接触が基本)その他の問題、現在進行中です。
さて、日本は、その経過のなかで
、特殊なケースです。この医療上の世界的危機にあって、2020年オリンピック・パラリンピック開催をなんとか実現しようという意図の元に対応してきた。それが、ようやく、安倍首相とIOC会長は中止はできないが、なんとか1年延期とした。こうした経緯から見て、IOCも安倍も、人間の命よりも、オリンピック・パラリンピック開催の経済的利益を優先していることは明らかであることは言うまでもない。
じつはコロナヴィールスの蔓延によってこうした延期にさらされることになったオリンピック開催そのものは、安倍首相による、福島原発事故の影響を無視した、「事故はアンダーコントロール」というウソの証言によって獲得したものである。コロナヴィールス感染が収束し、オリンピック・パラリンピックが開催されたとするならば、福島事故の影響を無視して開催することになる。
そこで、コロナヴィールス感染と福島事故によって引き起こされている放射線被ばくを比較検討してみたい。
(1)共通点は、ヴィールスも放射線も人間の目には見えないこと。しかし、ヴィールスに感染したかどうかは、PCR法その他で検証できる。放射線被ばくは特殊な例(甲状腺)を除いて、検証がむずかしい。原発事故後の被ばくの問題は、主として環境に放出された放射性微粒子による内部被ばくであり、これが、誰に、いつ、どこで起るかを予測することはほとんど不可能であり、それを避ける唯一の方法は、汚染地域に行かない・居住しないことである。しかし、汚染はすでにかなり広範囲に拡大している(オリンピック開催地である東日本全体)。ヴィールスの場合は、困難なケースもあるが、一応は、ヴィールスを排出する可能性のある場合は、その排出源(個人が特定できるケースは多くある)に近寄らないことで避けることは可能である。特定できない場合が多いので、常に近距離に近寄らないように各国では、市民に示唆している。
(2)違いの一つは、ヴィールスは半生き物であり、体内に侵入すれば宿主の細胞を利用して繁殖し、それがさらに排出され、他の個人に侵入する。微小放射性物質が個人に侵入しても、それが他人に移ることはない。ただし、コロナヴィールスで亡くなった人が火葬されれば、体内のヴィールスは燃焼により死滅。放射性微粒子の内部被曝で死亡した人が火葬されても、放射性物質はそのまま残る。そしてそれは、やがては様々な経路を通過して他の人に侵入する可能性はある。
(3)この放射性物質の性質—すなわち火葬であろうとなんであろうと化学的手段では、放射性を消滅させることはできない。ただし、放射性物質は、自然に自らの速度で非放射性に変質する。ただし、その速度は、多くの放射性物質でかなり遅い。充分になくなるには、多くのもの(セシウム−137、ストロンチウム−90,トリチウム、プルトニウム−239など)で、数百年から数百万年かかる。その間、放射線を出し続け、生物に影響を与え続ける。
(4)放射線とヴィールスの基本的な違いは、特定のヴィールスは主として特定臓器に作用し、死に至らしめることはあるが、やがては地球上の手段で対応できるー免疫力、ワクチン、有効薬品などー。もちろんその間に、現在のように、多くの人命が失われるが。一方、放射線は防ぎ様がないのである。しかも、放射線の生体破壊力は、強力でそれが到達するあらゆる部分(臓器、細胞、その中の分子)を破壊してしまう。ということは、放射線はほとんどあらゆる病因になりうるー特にガン,心臓疾患、脳機能の破壊など。
(5)現実問題としては、ヴィールス感染がより深刻であることは事実である。それは、人々にこのヴィールスへの免疫がないことと、急拡大のために既存の医療体制を凌駕して、診療・治癒が追いつけないということによる。
(6)一方、原発事故後に環境に放出された放射性物質は、多くの人に内部被曝をもたらし、健康に影響を与えているのだが、それと認識されていない。核企業・政権側全体は、こうした事実を隠蔽するのに躍起になっているし、報道機関も報道に躊躇しているか、こうした事実を認識していない。
(7)このように考えると、本質的には放射線被ばくのほうが、コロナヴィールス感染よりも、脅威的なのである。したがって、東京オリンピック・パラリンピックは延期よりも中止にすべきなのであろう。