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3.07.2010

地図にない里から 2 by Tajima Yoshio

(長野の会員の方の文を投稿します)

私は長野県の最南端・南信州の山襞の里に住んでいます。金田千寿さんのご両親が住んでおられる村と隣接しています。ここから高速道路に乗るには一時間ほどかかり、高速道路の地図帳に載っていない集落です。(載っている地図帳もあるかもしれませんが)。しかし私は「地図にない里」というフレーズがとても気に入っているのです。このような山の中にも「9条の会」があって私は副会長ということになっております。一昨年は「日刊ベリタ」を購読していて、落合さんの健筆ぶりに感服しておりました。

 先頃ラジオニュースで「日本は日米安保で平和が守られてきた」と考えている人が75%というアンケート結果が出ていると報じていました。日米安保から50年という節目に「反

安保」の動きを作ろうという様々な試みがありますが、それらにとって厳しい数字ではあるとおもいます。この「地図にない里」の人々にアンケートをとったならば、もっと厳しい数字がでるでしょう。

 5,6年前だったと思いますが、当時金田千寿さんが住んでおられた平岡村で元アメリカ海兵隊員の故 アレン・ネルソンさんの講演会がありました。通訳は金田千寿さんでした。その時一人の高校生が質問しました。「僕たちの社会科の教科書にはアメリカはベトナム戦争で敗北したとの記述がありますが、アメリカの教科書にはどんな風に表現されていますか」と。これに対して「アメリカはアジアの人々をイエローモンキーとしてしか見ていない。誇り高いアメリカがモンキーなんぞに負けたなどと教科書に記載するなど、そのような発想は存在しない」といった主旨のことをネルソンさんは言っておられたと思います。

 昨年「8.6ヒロシマ平和へのつどい2009」には、乗松さんとともに来日されたピーター・カズニックさん(アメリカン大学核問題研究所・所長)が講演しました。米国の核兵器戦略を検証することによって、日米関係(日米安保)の本当の姿を追求する、そういう意味で私にとって興味あるお話でした。以下「  」内はカズニックさんのお話。通訳は田中利幸さん。

 「(原爆によって)広島が破壊されたという報告を聞いた時、トルーマン大統領は『これは歴史的に最も偉大なことである』と述べました。最初の世論調査では85%のアメリカ人が原爆投下はよかったと支持しました。」トルーマンは回想録の中で「大統領になった最初の日に」「原爆のことを知らされた」「国務長官ジェームズ・バーンズに『この兵器は世界をほろぼす力のあるものである』と告げられた」「『その爆弾が全世界を破壊してしまう力を持っていることを恐れたため』、陸軍長官スチムソンは、アメリカがこの爆弾を果たして使うべきかどうかの迷いを『ひじょうに重苦しく』語った」「スチムソンとグローブズの説明を聞き、さらにグローブズが持ってきた説明書を読んで、自分も『同じように感じた』とトルーマンは認めています」

 以上のことから、アメリカの上層部の中にも、広島・長崎への原爆投下に関してはある種の葛藤があったことが窺えます。しかしそれから4年後の1949年8月、ソ連が最初の原爆実験箇行ったのです。これに対してトルーマンは、まわりの反対を押し切って水爆開発計画を推し進めたのです。

 「かくしてトルーマンは、人類滅亡を可能なものにしました」そして「彼の後継者であるアイゼンハワーは人類滅亡を現実的なものにしました」「アイゼンハワーが1953年1月に大統領になったとき、彼はそれまでの大統領の中で誰よりも核兵器についてよく知っていました。なぜなら、陸軍参謀長ならびにNATO最高司令官として核戦争計画に深く関与していたからです」「アイゼンハワー政権の下で、アメリカの核兵器は1750個から2万3千個に増え、そのうちの2500個がソ連を攻撃目標にしていました。ほとんど知られていないことは、もし戦闘司令官あるいは特別司令官が緊急の事態であると見なした場合や、大統領と連絡が取れない場合、もしくは大統領が任務を遂行をできなくなった場合には、核兵器を使う権限が彼らに与えられるということを、アイゼンハワー政権が許したということです」さらに「戦闘司令官たちの幾人かが、同じような状況が自分に起きた場合には、彼らの部下にも核兵器使用の権限を与えることを認めました。この部下の中には、航空軍団や艦隊の司令官が含まれていました。つまり、核のボタンを押せる人間が数十人もいたのです」「1960年8月、アイゼンハワー大統領は国家戦略攻撃目標リストと統合作戦計画なるものの作成を許可しました」「統合参謀本部が出した数字がありますが(その作戦計画に沿って攻撃が行われた場合の推定死亡者数)、中ソ両国で3億2千5百万人、東ヨーロッパで1億人、死の灰での死亡者が」「1億人」でその中には日本も含まれているのです。

 日本は日米安保で平和が守られてきた  と考えている人が75%、というアンケート結果がでているのだそうですが、下手をするとソ連、中国も日本も一蓮托生で皆殺しにされていたかも知れないのです。そして日本やヨーロッパにはアメリカの軍事基地があって、自国の軍人やその家族も住んでいたのです。このような作戦計画をたてること自体、人類、否、この地球上にいきとしいきるもの達への冒涜だとおもいませんか。6億5千万人を殺害することになるというこの計画をアイゼンハワーは、修正することなく次の政権に手渡したといいますから、なんら反省の意思はなかったということになります。仮にこの作戦計画が実行された場合、死の灰はやがて偏西風によって運ばれ、アメリカ大陸にも惨禍をもたらすのです。歴代のアメリカ大統領は一体なにを守ろうとしてきたのか、そのことはこれまで続いてきた日本の支配層についてもそっくりそのまま当てはまることであると思います。