以下に掲載するのは、1996年に発表された原発の現場からの証言です。証言者平井憲夫氏は、20年間、現場監督として原子力発電所で働き,原発での様々な事故にも立ち会ってきた人です。その仕事中に放射能物質に晒され続けたためか、1997年にガンで亡くなられた。この証言は1996年に発表されたものですが、原発の現状が、あの時点より格段に改善されたとは到底言い切れないので、この証言で語られている原子力発電所の様々な問題は、まだ、解消されていないと思う。ここで語られているのは,現時点での地震・津波による事故以前の問題、すなわち原発の建設や運営上の技術的基本問題で、原発が本来安全なことはあり得ないこと、そして燃料廃棄も含めたら、エネルギー的にも経済的にも原発は引き合わないことを証言しています。
証言
優しい地球残そう子どもたちに
平井憲夫
二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。
私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二十代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業員だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。
「安全」は机上の話
去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。
世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。
なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。
素人が造る原発
原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。
原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。
日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。
仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。
例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。
また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。
それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。
また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになりま
す。
皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。
ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。
名ばかりの検査・検査官
原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。
検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。
原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。 それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。
そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力−でないと、詳しいことは分からないのです。
私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや
特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。
いいかげんな原発の耐震設計
阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原
発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。
定期点検工事も素人が
原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることに
なっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧
とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管
の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸
気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。
原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。
防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。
また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。
そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。
例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。
現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴び
てよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間
作業ができる所だとすると、20分経つとアラ−ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。
そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたか
な、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、
顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。
放射能垂れ流しの海
冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。
日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。
海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。
原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。
防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなく
なると思いますよ。
数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。
内部被爆が一番怖い
原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。
ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直
接放射線を浴びるわけですから。
体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、
決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。
原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。
私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。
普通の職場環境とは全く違う
放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。
例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。
稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。 中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。
なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。
「絶対安全」だと五時間の洗脳教育
原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。
原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。
私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。
私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていまし
た。
だれが助けるのか
また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが
大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。
一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。
びっくりした美浜原発細管破断事故!
皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。
そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。
原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。
この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数
千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。
原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。
この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。
もんじゅの大事故
去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。
図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。
これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。
どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五
mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。
どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。
動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。
しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。
それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ!事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。
地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。
普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。
日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。
そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。
日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。
日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。
世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。
いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。
日本には途中でやめる勇気がない
世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。
もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。
どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。
とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。
もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、 それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。
また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。
原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力
談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。
廃炉も解体も出来ない原発
一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。
具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた
原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。
この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。
机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。
「閉鎖」して、監視・管理
なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。
今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇〜八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。
どうしようもない放射性廃棄物
それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。
日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。
現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、
「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか?そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、 私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。
住民の被曝と恐ろしい差別
日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のよう
に、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。こういう差別の話は、言えば差別になる。 でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。
私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がななってもいいから、私は原発はいやだ。最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。ど
こへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したこ
とはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。
原発がある限り、安心できない
みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。
だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も着実に止めなければならないと思っています。原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。
平井憲夫(1997年1月逝去;1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。)
Vancouver Save Article 9 was established in May, 2005 to work for preservation, realization, and promotion of Article 9, the war-renunciation clause of the Japanese Constitution. Since 2021, our activities have been mostly on-line, involving audiences in all Canada, Japan, and beyond. Our online identity is "Article 9 Canada." バンクーバー九条の会は2005年に設立されました。戦争放棄、武力不保持を誓う日本国憲法を守り、実現し、その精神を日本国外に広めるために活動しています。2021年より、「カナダ9条の会」としてオンラインの活動をしています。連絡先はTo contact us, email article9canada@gmail.com
3.21.2011
2.28.2011
アメリカ市民の蜂起−3−全国に波及

(日刊ベリタ2011.03.01からの転載)
これは先の報告(日刊ベリタ2011.02.20, 02.25)に続く2月26日現在のアメリカ市民蜂起の報告である。
まず、ウイスコンシン州下院は、共和党の強行採決(日本では自民党が、新教育基本法や国民投票法案などで使った)により、25日早朝、例の問題の法案を可決した。上院は、先の報告のように、14名の民主党議員が、州外に隠れて出席を拒んでいるので、開かれていない。また、共和党の上院議員の一人、デール・シュルツ氏が、この法案へ反対の意思を表明した。あと2人の共和党議員が反対に回ると、この議案は上院では成立しない。これがどう進展するか。
マジソンのデモは、26日(土曜日)には約10万に膨れ上がったようである(この数は、最低の見積もりで、15万ぐらいという推計もある)。気温は零下、しかも雪の降るなかでのことである(右上の写真)。また、MoveOnという全国組織の推計では、この日、全国各地のデモ参加者は約5万になったそうである(*)。
主な動きを拾ってみる(*)。先ず、オハイオ州では、ウイスコンシンと同様な法案を提出し、数千人のデモが州都コロンバスで行われた。ここの議会では、共和党が圧倒的多数なので、民主党議員が雲隠れするという手が使えない。しかし、インジアナ州では、労働組合弾圧の法規提案に対して、民主党議員が、ウイスコンシンに倣って雲隠れしている。ニュージャージー州でも、同様な共和党の法規提案に対して、約3100人ほどのデモが金曜日にトレトン市で行われた。ニューヨークでは数千人、シカゴとロスアンジェルスでそれぞれ2000人ほど、首都ワシントンでも約1000人がデモ。数百人のデモがオレゴン州のポートランドと州都のサレム市で、ワシントン州の州都オリンピアでは数千のデモがあった。
ペンシルバニア州フィラデルフィアでは、数日間にわたって1000人ほどのデモが展開され、彼らは「Tax the rich, stop the war」と点呼したそうである(*)。実は、この二つ(富裕層への減税と軍事予算の肥大化)が、差し当たっての最大の問題点であり、この2つが解決すると,現在の世界各国の財政緊迫問題のかなりの部分が解決できるはずのものである。これを認識する人は多いと思うが、それを声を大きくして多くの人が権力側に訴え、変更をせまることが非常に重要である。アメリカが特にそうだが、日本も含め多くの国の問題でもある。
日本でも、税制改革が議論されているが、消費税のように、国民全部に貧富の差に拘らず同率で徴収することは、貧富の差を広げることになる。企業や富裕層への税率を上げることこそが、必要なのである。日本ではいざ知らず、アメリカでは、企業は様々なループホールを使って、税を納めないところが多い。
アメリカでの根本問題の一つは、多くの市民の無知である。例えば、多くの市民は、社会保障年金とか(高齢者のための)医療保険(Medicaid)とか貧窮家庭に与えられるフードスタンプなどが、政府による社会福祉策であることを理解していない(*)。そして、共和党やエリート層による、現政府が社会主義的であり、政府が大きすぎる、だから縮小(そして年金などのカット)すべきだという宣伝に乗って、共和党を選び、それが自分達の首をしめることになるのに気がつかない。対する民主党も、基本的には企業に操られていることもあり、共和党に対する有効な批判ができていない(実際は国会議員のレベルでは残念ながら民主党と共和党もあまり差がない)。
今までに述べたきたように身近な問題から、自分達の権利剥奪を共和党が画策していることに気がついた市民が立ち上がったのが、今回の市民運動である。そして中には、フィラデルフィアでの連呼のように「富者(企業も含む)への税の引き上げと軍事費削減」という緊急課題に気がつき出したことは、非常に喜ばしい。世界中で多くの市民がこのことを声を大にして叫ぶことが必要である。企業への税の引き上げなどについては、したり顔の識者や政治家達は、国際競争力に足かせになることになるとか、様々な理由を持ち出して来るだろうが,根本的に考えなければならないのは、「経済は何の為にあるのか」(企業や少数の富裕層を肥やすためか、または、市民の多数の生活を豊かにするためか)という問題である。
(*: http://www.alternet.org/story/150059/%28updated%29_rally_for_the_american_dream%3A_huge_gatherings_nationwide_in_solidarity_with_wisconsin_democratic_uprising/?page=entire)
2.27.2011
アメリカ市民立ち上がる
チュニジアから始まり、エジプト、リビアなどの中東に広がっている、政権に対する市民の蜂起がアメリカにも波及してきているのですが、日本のメデイアはほとんど報道していません。そこで、私が日刊ベリタに書いた記事二つを纏めて下に掲げますので、ご覧下さい。これに関しては,アメリカの通常メデイアイも無視できないためにある程度の報道はしていますが、詳しくは、Democracynow.org,Alternet.org, Huffingtonpost.orgなどのインターネットメデイアをご覧になってください。
アメリカ市民の蜂起
(2011.02.20)
エジプト/チュニジアなどの市民運動に勇気づけられたかして、アメリカにも市民が政府/経済エリートのやり方に抗議して立ち上がるケースが増えてきたようである。実際、政府や経済エリートのアメリカの市民無視/抑制は新自由主義経済があからさまに導入され始めた1980年から徐々に進行していたが、2001年のいわゆる同時多発テロ(9.11事件—あの事件の真相は政府発表とは違うらしいことがますますはっきりしてきた)をきっかけにして、国民の安全保障を理由に、市民の思想、集会などの自由の制限が拡大してきた。これには、さらにキリスト教原理主義的な考えの持ち主達が、政治の右翼に台頭し、反オバマ(人種差別主義)も含めて、さらに市民や労働者の権利や自由を狭めつつある。経済的にも、中流階級は消滅しつつあり、少数のエリートと大多数の貧民という第3世界的構造になりつつある。
すなわち、政治的にも経済的にもアメリカは第3世界的になりつつある。ただし、一般市民の物質生活は、それでもまだ第3世界とはかけ離れてはいる。多くのアメリカ市民は、このことを肌で感じているのではないかと思われる。とはいえ、例のテイーパーテイーという人種差別主義、(見かけの)反社会主義的右翼に踊らされている人々は、そうした抑圧感情は感じていないようで、アメリカ憲法そのものこそが、自分達の自由を束縛するものだなどというとんでもないデマを信じ込んでいる。
今回、昨年の中間選挙で当選したウイスコンシン州知事は、共和党(テイーパーテイー派)のスコット・ウオーカー氏だが、彼は、州の財政を立て直す一助にと、労働者(州政府労働者)の年金や健康保険の自己分担金の増額などを提案し、さらに労働組合の交渉権などをはぎ取るような提案を出してきた。(なお、州政府労働者のうち、警官と消防士はこうした規制を適用しない例外とされた。)これに抗議して1月末頃に700人ほどの労働者が州議事堂前で抗議集会を開いたが、ほとんどメデイアの注意を引かなかった。
同時期に起っていたチュニジア・エジプトでの多数市民の蜂起に刺激されて、2月15日には、1万5千を超す労働組合員、市民が州議会場に押し掛けて抗議した。州都マデイソンには、州立のウイスコンシン大があり、その教師達、大学職員、公立学校教師、州政府役人などが対象の主なところだが、この抗議集会には、鉄鋼労組、トラック運転手組合その他の労働組合員も参加した。マデイソン東高校の生徒800人もクラスをボイコットしてデモに参加。さらに例外とされた警官や消防士達もデモに加わった。翌日の16日には、公立学校の教師の40%以上が抗議の為に病欠の届けをしたため、公立学校は全て休校となった。17日には、デモ参加者は3万になったようである。議会内でのこの議案に対する公聴会では、反対の意見が多数であるが、共和党は、これを無視して、上程し、通過させようとしている。日本の自民党が新教育基本法や国民投票法案などを無理矢理に成立させたのと同じやり方である。このぐらいに拡大すると、普通のメデイアも取り上げざるをえなくなったようである。日本にまで報道されているかどうか。この結果はいかに。
この他にもまだこれほど大規模には至っていないが、アメリカの各地で、大企業(とくに健康保険業—保険料の値上げ)や地方政府による市民抑圧・貧窮化政策への抗議が起こりつつある。これらの動きがアメリカ中で大きなうねりとなって、現在の政府や経済エリートをなんとか動かす運動まで進展するかどうか。
アメリカ市民の蜂起—2
(2011.02.25)
先頃報告した(日刊ベリタ2011.02.20)2月14日頃に始まったウイスコンシン州の公務員の組合組織の交渉権剥奪の州法に反対する州都マジソンでの抗議集会は増々大きくなり、先週土曜日(2月18日)にはおよそ8万人に膨れ上がったそうである。今週になっても参加者は増え続けているようである。地元の教師達は、そうそう教育をおろそかにはできないので、交代で抗議に参加したり、州外からも労働組合関係者が駆けつけたりしている。また、大学生や大学院生達も参加していて、彼らは、人々の残したゴミくずを自発的に清掃している。また、全体として暴力は振るわれず、バンドが登場したり、ピッザが配達されたりと、険悪な雰囲気はないとのことである。なお、この法規には組合組織をつぶすという意図の他に、賃金カット(年金、医療保険の自己負担増額)があるが、この点については、抗議側はすでに譲歩している。
しかし、このカネの面については、州内の市町村の財政を圧迫するようになるので、市町村レベルの反撥が台頭してきていて、それらがこの抗議運動に参加し始めている。マジソンの市長が、組合員を先導して、州議会へ行進した。すなわち運動は州全体の問題になりつつあり、ビジネスも知事支持に躊躇しだしたようである。
ところで、法律の審議はどうなっているか。州の上院議会では、民主党議員14名が、州外に身を隠すという手段にでた。そうすると、定足数に1人足らず、正式な議会が開催できない。デモ参加者は、こうした民主党議員達のやり方に拍手を送っている。与党共和党側は、あらゆる策略をめぐらして、民主党議員を議会に引っぱり出そうと躍起になっている。警察を動かして、少なくとも1人を捕まえてこようともしているそうである。定足数にするには、1名でよい。
州知事は、全然妥協の様子を見せていない。滑稽なことに、この知事は、有名な金持ちの支持者を装ったリベラルなジャーナリストと電話で対談し、この金持ち(偽)に、自分の本音—労働者の自由の剥奪、中流階級消滅などーを赤裸々に語ったのが、ネットメデイアに流された。この内容はかなり広く知られ、州警察所長は、その内容に強い抗議の意を知事にしたようである。
州知事は、来週火曜日には、予算案についての演説をすることになっているが、州議場外で行うらしい。これは州法違反だそうである。
通常のメデイアはこの抗議行動を報道してはいるが、重点の置き方は、州財政の立て直しのための賃金カットの必要性であり、しかも州労働者(公務員)が民間人よりも年金や医療保険などの面で、かなり優位にあることを強調していて、民間人の反感を煽るような傾向もある。また、多数の抗議デモに対して、州知事に賛成するテイーパーテイーの少数の対抗デモに焦点を当てたりしている。
全米で、29の州で共和党員が知事をしていて、オハイオ、ペンシルバニアなどでも、公務員の交渉権などの権利剥奪、自由抑制などの動きを起こしている。こうした知事が選挙で選ばれたという点では、形式的には、民主主義には違いないが、当選するや、このように、反対を遮二無二押し切って強行するのは、民意に反する。なお、どうしてこうした人々が選挙されたのかについては、先の選挙の際に、簡単な考察を述べた。日本の政治体制でも同様な現象が起っていて、いわゆる代表制民主主義の根本問題である。ウイスコンシン州での反対・抗議運動が、どこまで持ちこたえ、さらに他の州まで拡大していくか、注目したい。
アメリカ市民の蜂起
(2011.02.20)
エジプト/チュニジアなどの市民運動に勇気づけられたかして、アメリカにも市民が政府/経済エリートのやり方に抗議して立ち上がるケースが増えてきたようである。実際、政府や経済エリートのアメリカの市民無視/抑制は新自由主義経済があからさまに導入され始めた1980年から徐々に進行していたが、2001年のいわゆる同時多発テロ(9.11事件—あの事件の真相は政府発表とは違うらしいことがますますはっきりしてきた)をきっかけにして、国民の安全保障を理由に、市民の思想、集会などの自由の制限が拡大してきた。これには、さらにキリスト教原理主義的な考えの持ち主達が、政治の右翼に台頭し、反オバマ(人種差別主義)も含めて、さらに市民や労働者の権利や自由を狭めつつある。経済的にも、中流階級は消滅しつつあり、少数のエリートと大多数の貧民という第3世界的構造になりつつある。
すなわち、政治的にも経済的にもアメリカは第3世界的になりつつある。ただし、一般市民の物質生活は、それでもまだ第3世界とはかけ離れてはいる。多くのアメリカ市民は、このことを肌で感じているのではないかと思われる。とはいえ、例のテイーパーテイーという人種差別主義、(見かけの)反社会主義的右翼に踊らされている人々は、そうした抑圧感情は感じていないようで、アメリカ憲法そのものこそが、自分達の自由を束縛するものだなどというとんでもないデマを信じ込んでいる。
今回、昨年の中間選挙で当選したウイスコンシン州知事は、共和党(テイーパーテイー派)のスコット・ウオーカー氏だが、彼は、州の財政を立て直す一助にと、労働者(州政府労働者)の年金や健康保険の自己分担金の増額などを提案し、さらに労働組合の交渉権などをはぎ取るような提案を出してきた。(なお、州政府労働者のうち、警官と消防士はこうした規制を適用しない例外とされた。)これに抗議して1月末頃に700人ほどの労働者が州議事堂前で抗議集会を開いたが、ほとんどメデイアの注意を引かなかった。
同時期に起っていたチュニジア・エジプトでの多数市民の蜂起に刺激されて、2月15日には、1万5千を超す労働組合員、市民が州議会場に押し掛けて抗議した。州都マデイソンには、州立のウイスコンシン大があり、その教師達、大学職員、公立学校教師、州政府役人などが対象の主なところだが、この抗議集会には、鉄鋼労組、トラック運転手組合その他の労働組合員も参加した。マデイソン東高校の生徒800人もクラスをボイコットしてデモに参加。さらに例外とされた警官や消防士達もデモに加わった。翌日の16日には、公立学校の教師の40%以上が抗議の為に病欠の届けをしたため、公立学校は全て休校となった。17日には、デモ参加者は3万になったようである。議会内でのこの議案に対する公聴会では、反対の意見が多数であるが、共和党は、これを無視して、上程し、通過させようとしている。日本の自民党が新教育基本法や国民投票法案などを無理矢理に成立させたのと同じやり方である。このぐらいに拡大すると、普通のメデイアも取り上げざるをえなくなったようである。日本にまで報道されているかどうか。この結果はいかに。
この他にもまだこれほど大規模には至っていないが、アメリカの各地で、大企業(とくに健康保険業—保険料の値上げ)や地方政府による市民抑圧・貧窮化政策への抗議が起こりつつある。これらの動きがアメリカ中で大きなうねりとなって、現在の政府や経済エリートをなんとか動かす運動まで進展するかどうか。
アメリカ市民の蜂起—2
(2011.02.25)
先頃報告した(日刊ベリタ2011.02.20)2月14日頃に始まったウイスコンシン州の公務員の組合組織の交渉権剥奪の州法に反対する州都マジソンでの抗議集会は増々大きくなり、先週土曜日(2月18日)にはおよそ8万人に膨れ上がったそうである。今週になっても参加者は増え続けているようである。地元の教師達は、そうそう教育をおろそかにはできないので、交代で抗議に参加したり、州外からも労働組合関係者が駆けつけたりしている。また、大学生や大学院生達も参加していて、彼らは、人々の残したゴミくずを自発的に清掃している。また、全体として暴力は振るわれず、バンドが登場したり、ピッザが配達されたりと、険悪な雰囲気はないとのことである。なお、この法規には組合組織をつぶすという意図の他に、賃金カット(年金、医療保険の自己負担増額)があるが、この点については、抗議側はすでに譲歩している。
しかし、このカネの面については、州内の市町村の財政を圧迫するようになるので、市町村レベルの反撥が台頭してきていて、それらがこの抗議運動に参加し始めている。マジソンの市長が、組合員を先導して、州議会へ行進した。すなわち運動は州全体の問題になりつつあり、ビジネスも知事支持に躊躇しだしたようである。
ところで、法律の審議はどうなっているか。州の上院議会では、民主党議員14名が、州外に身を隠すという手段にでた。そうすると、定足数に1人足らず、正式な議会が開催できない。デモ参加者は、こうした民主党議員達のやり方に拍手を送っている。与党共和党側は、あらゆる策略をめぐらして、民主党議員を議会に引っぱり出そうと躍起になっている。警察を動かして、少なくとも1人を捕まえてこようともしているそうである。定足数にするには、1名でよい。
州知事は、全然妥協の様子を見せていない。滑稽なことに、この知事は、有名な金持ちの支持者を装ったリベラルなジャーナリストと電話で対談し、この金持ち(偽)に、自分の本音—労働者の自由の剥奪、中流階級消滅などーを赤裸々に語ったのが、ネットメデイアに流された。この内容はかなり広く知られ、州警察所長は、その内容に強い抗議の意を知事にしたようである。
州知事は、来週火曜日には、予算案についての演説をすることになっているが、州議場外で行うらしい。これは州法違反だそうである。
通常のメデイアはこの抗議行動を報道してはいるが、重点の置き方は、州財政の立て直しのための賃金カットの必要性であり、しかも州労働者(公務員)が民間人よりも年金や医療保険などの面で、かなり優位にあることを強調していて、民間人の反感を煽るような傾向もある。また、多数の抗議デモに対して、州知事に賛成するテイーパーテイーの少数の対抗デモに焦点を当てたりしている。
全米で、29の州で共和党員が知事をしていて、オハイオ、ペンシルバニアなどでも、公務員の交渉権などの権利剥奪、自由抑制などの動きを起こしている。こうした知事が選挙で選ばれたという点では、形式的には、民主主義には違いないが、当選するや、このように、反対を遮二無二押し切って強行するのは、民意に反する。なお、どうしてこうした人々が選挙されたのかについては、先の選挙の際に、簡単な考察を述べた。日本の政治体制でも同様な現象が起っていて、いわゆる代表制民主主義の根本問題である。ウイスコンシン州での反対・抗議運動が、どこまで持ちこたえ、さらに他の州まで拡大していくか、注目したい。
1.23.2011
尖閣諸島問題「常識」再考する冷静さを 落合栄一郎
『日刊ベリタ』2010年9月26日に掲載された落合栄一郎さんの論考です。
尖閣諸島問題の「常識」再考する冷静さを 領土・海底資源の日中話し合いの契機に
今回の尖閣諸島問題は、小泉政権下の2004年3月24 日に起った尖閣諸島に上陸した中国人活動家を沖縄県警が逮捕した事件の再燃である。それは、尖閣諸島の領有問題をうやむやにして根底的に解決しなかった為に発生した。
今回も、大方は、尖閣諸島が日本固有の領土であるという「常識」に基づいて日本側の対応が行われている。それは、日本が、あの無人であった諸島を1895年に日本領に組み入れたことが歴史的事実で、それに対して中国は、1970年まで異議を唱えなかった。だから、国際法上、この地を日本領とするのは正当である。このような主張は、共産党機関紙「赤旗」ですら行っている。
しかし、あの場所を地図で眺めた時、長い歴史を持つ中国が、あの地に、定住はしなくとも、人を送ったり、漁船や軍事的船舶が立ち寄ったり、駐在したりしたことがなく、中国があの地を自国のもの
だと認識したことがないなどと考えられるであろうか。
2004年の事件に関してその当時発表された高橋義一氏の論考(注)をもう一度思い起こしたい。以下は氏の論考に基づく。
中国では,あの諸島は明の時代から、釣魚台あるいは 釣魚嶼、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・久米赤島、大正 島)などの名で知られていたし、沿岸防衛のための地図にも記載されていた。すなわち中国は、少なくとも明の時代からあの諸島を実効支配していたし、あの諸島について多数の歴史的文献を残している。
日清戦争後のどさくさにまぎれて、日本政府は、終戦の正式文書には領有権が言及されていなかったあの諸島を、日本領にしてしまったようなのである。そして英国の地図に記載されていた「Pinnacle Islands」を翻訳して尖閣諸島という日本名をつけたようである。このような事情を考える時、あの諸島が日本固有の領土であるという主張は正当であろうか。
さて以上の高橋氏の論点を検証する手段を筆者は持たないが、地理的、歴史的に考えて、真実に近いものと考える。しかし、中国は、これに対して長い間異議を唱えなかった。それも事実のようである。おそらく、この問題は、中国国内の様々な大問題(日清/日中戦争、共産革命、建国、文化大革命,経済開発などなど)にまぎれて、意識の外に置かれていたのであろう。しかし、1969年になって、あの海域の海底に化石燃料が大量に埋蔵されている可能性が浮上し、にわかに領有権を主張しだしたのではあろう。
これらの事情を考慮して、今回の事件をただ単に日本の警察権行使の問題で終わらせるのではなく、この期に領土問題/海底資源開発問題を十分に話合うキッカケにすべきであろう。日本人の大多数が思い込んでしまっている「常識」を検討し直すには、非常な抵抗があるであろうが、これを避けていては、いつまでもこのような事件が繰り返されるばかりで、日中関係は悪化するのみであろう。
(注)http://www.jrcl.net/frame040405n.html
日刊ベリタ http://www.nikkanberita.com/
尖閣諸島問題の「常識」再考する冷静さを 領土・海底資源の日中話し合いの契機に
今回の尖閣諸島問題は、小泉政権下の2004年3月24 日に起った尖閣諸島に上陸した中国人活動家を沖縄県警が逮捕した事件の再燃である。それは、尖閣諸島の領有問題をうやむやにして根底的に解決しなかった為に発生した。
今回も、大方は、尖閣諸島が日本固有の領土であるという「常識」に基づいて日本側の対応が行われている。それは、日本が、あの無人であった諸島を1895年に日本領に組み入れたことが歴史的事実で、それに対して中国は、1970年まで異議を唱えなかった。だから、国際法上、この地を日本領とするのは正当である。このような主張は、共産党機関紙「赤旗」ですら行っている。
しかし、あの場所を地図で眺めた時、長い歴史を持つ中国が、あの地に、定住はしなくとも、人を送ったり、漁船や軍事的船舶が立ち寄ったり、駐在したりしたことがなく、中国があの地を自国のもの
だと認識したことがないなどと考えられるであろうか。
2004年の事件に関してその当時発表された高橋義一氏の論考(注)をもう一度思い起こしたい。以下は氏の論考に基づく。
中国では,あの諸島は明の時代から、釣魚台あるいは 釣魚嶼、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・久米赤島、大正 島)などの名で知られていたし、沿岸防衛のための地図にも記載されていた。すなわち中国は、少なくとも明の時代からあの諸島を実効支配していたし、あの諸島について多数の歴史的文献を残している。
日清戦争後のどさくさにまぎれて、日本政府は、終戦の正式文書には領有権が言及されていなかったあの諸島を、日本領にしてしまったようなのである。そして英国の地図に記載されていた「Pinnacle Islands」を翻訳して尖閣諸島という日本名をつけたようである。このような事情を考える時、あの諸島が日本固有の領土であるという主張は正当であろうか。
さて以上の高橋氏の論点を検証する手段を筆者は持たないが、地理的、歴史的に考えて、真実に近いものと考える。しかし、中国は、これに対して長い間異議を唱えなかった。それも事実のようである。おそらく、この問題は、中国国内の様々な大問題(日清/日中戦争、共産革命、建国、文化大革命,経済開発などなど)にまぎれて、意識の外に置かれていたのであろう。しかし、1969年になって、あの海域の海底に化石燃料が大量に埋蔵されている可能性が浮上し、にわかに領有権を主張しだしたのではあろう。
これらの事情を考慮して、今回の事件をただ単に日本の警察権行使の問題で終わらせるのではなく、この期に領土問題/海底資源開発問題を十分に話合うキッカケにすべきであろう。日本人の大多数が思い込んでしまっている「常識」を検討し直すには、非常な抵抗があるであろうが、これを避けていては、いつまでもこのような事件が繰り返されるばかりで、日中関係は悪化するのみであろう。
(注)http://www.jrcl.net/frame040405n.html
日刊ベリタ http://www.nikkanberita.com/
12.11.2010
2010年の回想
この年は,天然異変や地球温暖化の影響かと思われる異常気象が世界の多くの地域で多大な被害を及ぼした。ハイチの地震は多数の死者を出し、その後の復活もはかどらないうちに洪水に見舞われ、そして恐れられていた「コレラ」の蔓延となった。コレラ流行にはまだ終息の気配がない。モスクワを中心とするロシア西部は、記録的な、長期にわたる超高温に見舞われた。日本の夏も、長期にわたって高温が続いた。そして、パキスタンの大規模な洪水。年末にはローロッパの広範囲にわたって、異常な寒気がおそった。南半球では、オーストラリアでの洪水。その他多数の天災地変(火山爆発など)。
しかし、人災も大きかった。メキシコ湾の英国石油の原油噴出事故。噴出を抑えることには成功したが、大量に吐き出された原油の回収と回収され残された原油の環境、生物などのへの影響がどの程度のものであるのか。一方、チリの鉱山事故で、地中に取り残された33人の作業員が全員47日目に無事救助されたのは世界の人々の耳目を集め、やればできるという人命救助に手本を提供した。これからの同様な事故での救助への期待・要求が高くなるであろう。それは大変な責任を企業側に要求することになる。おそらく,事故を起こさないように、安全管理を厳格にするほうが、得策であろう。
人災という点で言えば,2酸化炭素などの温室効果ガスの放出の規制も遅々として進まなかった(12月に入ってのメキシコでのCOPも含めて)。また、生物多様性の減少(多くの生物の絶滅)についての国際会議も開催されたが、有効な手は打たれなかった。これも人災である。あらゆる環境問題は人災だが。
2009年に国民多数の期待を担って始まった日米の新政権(どちらも「民主党」ということになっている)は、どちらも、国民の期待を裏切って、本年行われたアメリカでの中間選挙、日本での参議院選挙で、与党側が敗北、前政権側が復活という完全に同じ経過を辿った。しかも、日米とも新政権は、国民に嫌われたはずの前政権と同じ政策を継続することが明確になってきている。このことは、政党・政治家が政治を行っているのではなく,その背後にある存在(大企業)が政治を左右していて、どの政党が政権を握ろうと、彼らの思う通りに政治が動かされていることを意味する。このような事態では、選挙を主体とする民主主義は形骸化され、国民多数の意思は政治に反映されない。
日米とも、2007年ごろから始まった経済危機を克服できず、特に雇用機会は低迷したままで、回復の兆しがないどころか、さらに悪化する気配がある。アメリカでは、一般市民の経済困難が増す一方、経済危機を招来させた元凶の金融業界は、業績を回復し、それら企業のトップ達の収入は大幅に増大した。そして、国家運営に必要な税については、企業や収入の多い人間達からはより少なく徴収し、消費税など(金持ちにも貧乏人にも同じ)の値上げでカバーしようとしていて、上位と下位の経済格差は増大するばかりである。日本も同様のようである。
また貨幣発行というもののいい加減さ(落合:日刊ベリタ2010.11.13)の結果が、いよいよ各国の財政悪化に反映しだして、ギリシャから始まって、多くの国で財政危機を生み出している。おそらく、これらの財政危機の多くは、持てる個人や企業への税率を上げることによって、かなりの程度緩和できるものであろう。これを果敢にやる人間が政治家にいなくなってしまって、持てる人間の提灯持ちしかいなくなってしまった。それをやらずに、財政引き締めなどで、急激な給料カット、大学授業料値上げなどが実施されると、国民の反撥があることは必定である。現に多くの国で、そのような反撥に基づく反乱が起っている。
さて、東アジアに目を向けると、日中、南北朝鮮間に緊張が走った。日中間では、尖閣諸島での海上保安艇と中国漁船の衝突に端を発して、日中間の関係が急速に悪化した。尖閣諸島そのものは、日清戦争後に日本が領有したことになっていて(沖縄では、あの諸島はもっと早くから自領と考えていたらしい)、中国は長い間、それに異議を唱えてこなかったが、ここに来て、尖閣諸島が中国領であるという主張は、「台湾」や「チベット」がそうであると同程度に重要問題であると宣言している。日本では、政治家もメデイアも、あの事件のヴィデオの流出のみが大問題化されたが、本質的な問題には触れていない。アメリカが日本の尖閣諸島擁護に支持を与えているのは、あの地域がアメリカの東アジアでの中国包囲網の一環をなしているからであろう。
北朝鮮では、金正日の後任が決まり、その権威を国民や外国にアッピールする必要が生じたのであろう。そのため、無理な施策を行っている可能性がある。それが、米国からの相変わらずの脅威に対して、ウラン濃縮技術やミサイルの開発を誇示したり、南北間の緊張関係に断固とした態度をみせようとするなどとなって、表に現れたようである。
一方、南を支配している米国は、北を悪者に仕立てたい意図があるようである。韓国哨戒艇の沈没を北朝鮮によるものと世界中に印象付ける努力は、功を奏しなかった。おそらく北朝鮮はあの沈没に関与していなかったであろう。そして11月になってからの、南北の打ち合い。そして、これを機に、アメリカの東アジアに於ける軍事力を見せつける為の、米韓、そして日米の大規模な軍事演習を行った。アメリカの意図はなんなのであろう。北が「悪者」であると世界に向けて言いつのることによって、やがては、北朝鮮侵攻を正当化しようとしているのであろうか。まったくのウソで、イラク侵攻を正当化したと同様に?
次に日本の安全保障の問題、沖縄の米軍基地の問題について。日本が第2次世界大戦に敗北し、連合国(実質米国)の占領下にかなりの期間置かれた。日本本土は、講和条約により占領状態を解かれたが、沖縄はその時点では返還されなかった。それは、ソ連圏との冷戦状態へ軍事的に対処するのに、沖縄が格好の場所だからである。沖縄を名目上日本へ返還する代償として、沖縄を恒久的な米軍基地にすることが約束された。これは日米安保では、このような約束は日本全域に適用される。
数年前に自民政権下でアメリカと約束された普天間基地返還・辺野古への移設を、民主党は交渉し直し、県外移設を掲げて鳩山政権が誕生したものの,アメリカに屈従させられて、沖縄県民の意思を無視して、結局辺野古移設を約束してしまった。それに代わった菅首相も辺野古移設を継承している。沖縄県民の意思は、無視し、なんとか再選された仲井真知事を陥落させようとしている。この経緯で、沖縄県民以外の日本国民が殆どなんらの意思表示をしていないことを奇異に感じる。
この間に、尖閣諸島問題や朝鮮半島での緊張などで、日本国民は、自国の安全のためには、アメリカ軍の駐留が有利だ、したがって辺野古移設もやむを得ない、だから沖縄県民に迷惑を押しつけたままの状態に目をつぶっているように見える。アメリカの世界戦略を大局的に見て、それに協力するのが、世界平和に貢献するのか、本当に日本の安全保障に有利なのかどうかなどを考えることはないように思われる。人類の歴史の上で、今が重大な分岐点にある。日本は、その位置と戦争体験・原爆体験と平和憲法を基に、世界平和実現に重要な役割を果たせる状態にあると思うが、政治家も国民もそうしたことには意を用いていないようなのを残念に思う。
こうした様々な現象の底流にある、アメリカ政府内の秘密文書や各国間の秘密裏の交渉文書がウィキリークスで暴露された。イラク・アフガニスタンに関する文書は、糊塗されていた実情が暴かれ、アメリカの権威の失墜はあるにしても、現状を覆すほどの影響力を持たなかった。しかし、最近暴露された外交文書は、アメリカばかりでなく、世界各国の外交文書から、表面上の「建前」でなく本音が垣間みられ、本当のことがみられるのは良いとしても、外交上難しい場面が出てくる可能性がある。アメリカを主軸とするNATO連合国がロシアを軍事標的にしていることもリークのなかにはみられ、米・ロの表面上の対話姿勢が今後どのように進展するか。特に、中国が表面上の北朝鮮擁護に反し、北朝鮮政治体制に非常に批判的であることが暴露され、それが今後の東アジアの情勢にどのような影響を与えるか、懸念される。北朝鮮が暴走し、アメリカがそれを口実に北を攻撃するような事態になってほしくない。この間日本はアメリカに追従するのではなく、十分冷静に、緊張緩和、平和維持に役割を果たせるはずである。しかし主要メデイアも政治家、企業家も、多くの国民もそのような意識を持ち合わせているようにはみえない。
2010年では、欧米文明—大量生産・大量消費市場経済体制、軍需依存経済と戦争文明、各国の財政破綻—の欠点・破綻がますます顕著になった。そして、台頭してきたジャイアント中国(そして地誌的に関連するロシア)との対立・緊張増大が顕著になり、近い将来軍事対決に発展する可能性が増大した。残念ながら、この対立は、持続可能性を軸にしたものではなく、単に資源獲得競争(欧米型文明の継承)に基づくように思われる。すなわち、このような軍事対立は、いずれの側が勝利しようと、今のところ、人類文明が自滅する方向性が強い。それを回避しようとする意識をもった人はいるが、それが支配的な位置になるまでには至っていない。
そして12月、またしてもアメリカと日本の政権が同じことを決定した。アメリカでは、高所得者の低い税率を前政権からそのまま継続することにし、日本では、経済界からの圧力で、法人税を5%引き下げた。どちらも高所得層を利し、財政悪化のしわよせが低所得層に及ぶという結果になる。経済はだれが主導しているか明らかであろう。
(なお、将来の持続可能な文明のあり方の例は「アメリカ文明の終焉から持続可能な文明へ」(下記のサイトからダウンロード(無料))をご参照ください。
http://www.e-bookland.net/gateway_a/details.aspx?bookid=EBLS10071200)
しかし、人災も大きかった。メキシコ湾の英国石油の原油噴出事故。噴出を抑えることには成功したが、大量に吐き出された原油の回収と回収され残された原油の環境、生物などのへの影響がどの程度のものであるのか。一方、チリの鉱山事故で、地中に取り残された33人の作業員が全員47日目に無事救助されたのは世界の人々の耳目を集め、やればできるという人命救助に手本を提供した。これからの同様な事故での救助への期待・要求が高くなるであろう。それは大変な責任を企業側に要求することになる。おそらく,事故を起こさないように、安全管理を厳格にするほうが、得策であろう。
人災という点で言えば,2酸化炭素などの温室効果ガスの放出の規制も遅々として進まなかった(12月に入ってのメキシコでのCOPも含めて)。また、生物多様性の減少(多くの生物の絶滅)についての国際会議も開催されたが、有効な手は打たれなかった。これも人災である。あらゆる環境問題は人災だが。
2009年に国民多数の期待を担って始まった日米の新政権(どちらも「民主党」ということになっている)は、どちらも、国民の期待を裏切って、本年行われたアメリカでの中間選挙、日本での参議院選挙で、与党側が敗北、前政権側が復活という完全に同じ経過を辿った。しかも、日米とも新政権は、国民に嫌われたはずの前政権と同じ政策を継続することが明確になってきている。このことは、政党・政治家が政治を行っているのではなく,その背後にある存在(大企業)が政治を左右していて、どの政党が政権を握ろうと、彼らの思う通りに政治が動かされていることを意味する。このような事態では、選挙を主体とする民主主義は形骸化され、国民多数の意思は政治に反映されない。
日米とも、2007年ごろから始まった経済危機を克服できず、特に雇用機会は低迷したままで、回復の兆しがないどころか、さらに悪化する気配がある。アメリカでは、一般市民の経済困難が増す一方、経済危機を招来させた元凶の金融業界は、業績を回復し、それら企業のトップ達の収入は大幅に増大した。そして、国家運営に必要な税については、企業や収入の多い人間達からはより少なく徴収し、消費税など(金持ちにも貧乏人にも同じ)の値上げでカバーしようとしていて、上位と下位の経済格差は増大するばかりである。日本も同様のようである。
また貨幣発行というもののいい加減さ(落合:日刊ベリタ2010.11.13)の結果が、いよいよ各国の財政悪化に反映しだして、ギリシャから始まって、多くの国で財政危機を生み出している。おそらく、これらの財政危機の多くは、持てる個人や企業への税率を上げることによって、かなりの程度緩和できるものであろう。これを果敢にやる人間が政治家にいなくなってしまって、持てる人間の提灯持ちしかいなくなってしまった。それをやらずに、財政引き締めなどで、急激な給料カット、大学授業料値上げなどが実施されると、国民の反撥があることは必定である。現に多くの国で、そのような反撥に基づく反乱が起っている。
さて、東アジアに目を向けると、日中、南北朝鮮間に緊張が走った。日中間では、尖閣諸島での海上保安艇と中国漁船の衝突に端を発して、日中間の関係が急速に悪化した。尖閣諸島そのものは、日清戦争後に日本が領有したことになっていて(沖縄では、あの諸島はもっと早くから自領と考えていたらしい)、中国は長い間、それに異議を唱えてこなかったが、ここに来て、尖閣諸島が中国領であるという主張は、「台湾」や「チベット」がそうであると同程度に重要問題であると宣言している。日本では、政治家もメデイアも、あの事件のヴィデオの流出のみが大問題化されたが、本質的な問題には触れていない。アメリカが日本の尖閣諸島擁護に支持を与えているのは、あの地域がアメリカの東アジアでの中国包囲網の一環をなしているからであろう。
北朝鮮では、金正日の後任が決まり、その権威を国民や外国にアッピールする必要が生じたのであろう。そのため、無理な施策を行っている可能性がある。それが、米国からの相変わらずの脅威に対して、ウラン濃縮技術やミサイルの開発を誇示したり、南北間の緊張関係に断固とした態度をみせようとするなどとなって、表に現れたようである。
一方、南を支配している米国は、北を悪者に仕立てたい意図があるようである。韓国哨戒艇の沈没を北朝鮮によるものと世界中に印象付ける努力は、功を奏しなかった。おそらく北朝鮮はあの沈没に関与していなかったであろう。そして11月になってからの、南北の打ち合い。そして、これを機に、アメリカの東アジアに於ける軍事力を見せつける為の、米韓、そして日米の大規模な軍事演習を行った。アメリカの意図はなんなのであろう。北が「悪者」であると世界に向けて言いつのることによって、やがては、北朝鮮侵攻を正当化しようとしているのであろうか。まったくのウソで、イラク侵攻を正当化したと同様に?
次に日本の安全保障の問題、沖縄の米軍基地の問題について。日本が第2次世界大戦に敗北し、連合国(実質米国)の占領下にかなりの期間置かれた。日本本土は、講和条約により占領状態を解かれたが、沖縄はその時点では返還されなかった。それは、ソ連圏との冷戦状態へ軍事的に対処するのに、沖縄が格好の場所だからである。沖縄を名目上日本へ返還する代償として、沖縄を恒久的な米軍基地にすることが約束された。これは日米安保では、このような約束は日本全域に適用される。
数年前に自民政権下でアメリカと約束された普天間基地返還・辺野古への移設を、民主党は交渉し直し、県外移設を掲げて鳩山政権が誕生したものの,アメリカに屈従させられて、沖縄県民の意思を無視して、結局辺野古移設を約束してしまった。それに代わった菅首相も辺野古移設を継承している。沖縄県民の意思は、無視し、なんとか再選された仲井真知事を陥落させようとしている。この経緯で、沖縄県民以外の日本国民が殆どなんらの意思表示をしていないことを奇異に感じる。
この間に、尖閣諸島問題や朝鮮半島での緊張などで、日本国民は、自国の安全のためには、アメリカ軍の駐留が有利だ、したがって辺野古移設もやむを得ない、だから沖縄県民に迷惑を押しつけたままの状態に目をつぶっているように見える。アメリカの世界戦略を大局的に見て、それに協力するのが、世界平和に貢献するのか、本当に日本の安全保障に有利なのかどうかなどを考えることはないように思われる。人類の歴史の上で、今が重大な分岐点にある。日本は、その位置と戦争体験・原爆体験と平和憲法を基に、世界平和実現に重要な役割を果たせる状態にあると思うが、政治家も国民もそうしたことには意を用いていないようなのを残念に思う。
こうした様々な現象の底流にある、アメリカ政府内の秘密文書や各国間の秘密裏の交渉文書がウィキリークスで暴露された。イラク・アフガニスタンに関する文書は、糊塗されていた実情が暴かれ、アメリカの権威の失墜はあるにしても、現状を覆すほどの影響力を持たなかった。しかし、最近暴露された外交文書は、アメリカばかりでなく、世界各国の外交文書から、表面上の「建前」でなく本音が垣間みられ、本当のことがみられるのは良いとしても、外交上難しい場面が出てくる可能性がある。アメリカを主軸とするNATO連合国がロシアを軍事標的にしていることもリークのなかにはみられ、米・ロの表面上の対話姿勢が今後どのように進展するか。特に、中国が表面上の北朝鮮擁護に反し、北朝鮮政治体制に非常に批判的であることが暴露され、それが今後の東アジアの情勢にどのような影響を与えるか、懸念される。北朝鮮が暴走し、アメリカがそれを口実に北を攻撃するような事態になってほしくない。この間日本はアメリカに追従するのではなく、十分冷静に、緊張緩和、平和維持に役割を果たせるはずである。しかし主要メデイアも政治家、企業家も、多くの国民もそのような意識を持ち合わせているようにはみえない。
2010年では、欧米文明—大量生産・大量消費市場経済体制、軍需依存経済と戦争文明、各国の財政破綻—の欠点・破綻がますます顕著になった。そして、台頭してきたジャイアント中国(そして地誌的に関連するロシア)との対立・緊張増大が顕著になり、近い将来軍事対決に発展する可能性が増大した。残念ながら、この対立は、持続可能性を軸にしたものではなく、単に資源獲得競争(欧米型文明の継承)に基づくように思われる。すなわち、このような軍事対立は、いずれの側が勝利しようと、今のところ、人類文明が自滅する方向性が強い。それを回避しようとする意識をもった人はいるが、それが支配的な位置になるまでには至っていない。
そして12月、またしてもアメリカと日本の政権が同じことを決定した。アメリカでは、高所得者の低い税率を前政権からそのまま継続することにし、日本では、経済界からの圧力で、法人税を5%引き下げた。どちらも高所得層を利し、財政悪化のしわよせが低所得層に及ぶという結果になる。経済はだれが主導しているか明らかであろう。
(なお、将来の持続可能な文明のあり方の例は「アメリカ文明の終焉から持続可能な文明へ」(下記のサイトからダウンロード(無料))をご参照ください。
http://www.e-bookland.net/gateway_a/details.aspx?bookid=EBLS10071200)
11.17.2010
武器輸出規制の緩和
2010.11.17日の東京新聞の記事です。民主党と経済界が、日本政府の事実上の武器輸出全面禁止(アメリカは例外)を緩和しようとしています。この案では、まだ限られた数カ国のみが対象ですが、いずれなし崩しに拡大されることが懸念されます。
武器輸出、欧・韓・豪にも 三原則緩和、民主提言へ
2010年11月17日 朝刊
民主党の外交・安全保障調査会(中川正春会長)がまとめた武器輸出三原則の見直し案が十六日、明らかになった。武器輸出禁止を定めた三原則の例外 としている米国に加え、英国、フランス、韓国、オーストラリアなど武器輸出管理の厳格な国も例外化して禁輸を緩和する。同調査会は月内にも政府に提言。こ れを受け、政府は年内に策定する新たな「防衛計画の大綱」(防衛大綱)に三原則見直しを盛り込むかどうかを検討する。
武器輸出をめぐっては、佐藤内閣が一九六七年に(1)共産圏(2)国連決議で禁止された国(3)紛争当事国とその恐れのある国−には認めないとの 原則を表明。三木内閣が七六年に厳格化し、事実上の全面禁輸とした。現在は米国との武器技術供与や共同開発が例外になっている。
民主党調査会の見直し案は、当初の三原則は維持しながら、新基準を設けて事実上の全面禁輸を緩和し、三木内閣の見解を修正する内容。具体的には、 核拡散防止条約(NPT)など大量破壊兵器に関する三つの条約と四つの国際枠組みにすべて加盟・参加し、大量破壊兵器を拡散させる恐れがない「ホワイト 国」を共同開発・輸出の相手国の目安にするとしている。
経済産業省は現在、「ホワイト国」として米国と欧州二十カ国のほか、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アルゼンチンの計二十六カ国を指定している。
ほかにも、共同開発・生産された武器が紛争を助長する形で第三国に輸出されることがないように、相手国に法的担保を求めることなどの新基準を提案している。
武器輸出、欧・韓・豪にも 三原則緩和、民主提言へ
2010年11月17日 朝刊
民主党の外交・安全保障調査会(中川正春会長)がまとめた武器輸出三原則の見直し案が十六日、明らかになった。武器輸出禁止を定めた三原則の例外 としている米国に加え、英国、フランス、韓国、オーストラリアなど武器輸出管理の厳格な国も例外化して禁輸を緩和する。同調査会は月内にも政府に提言。こ れを受け、政府は年内に策定する新たな「防衛計画の大綱」(防衛大綱)に三原則見直しを盛り込むかどうかを検討する。
武器輸出をめぐっては、佐藤内閣が一九六七年に(1)共産圏(2)国連決議で禁止された国(3)紛争当事国とその恐れのある国−には認めないとの 原則を表明。三木内閣が七六年に厳格化し、事実上の全面禁輸とした。現在は米国との武器技術供与や共同開発が例外になっている。
民主党調査会の見直し案は、当初の三原則は維持しながら、新基準を設けて事実上の全面禁輸を緩和し、三木内閣の見解を修正する内容。具体的には、 核拡散防止条約(NPT)など大量破壊兵器に関する三つの条約と四つの国際枠組みにすべて加盟・参加し、大量破壊兵器を拡散させる恐れがない「ホワイト 国」を共同開発・輸出の相手国の目安にするとしている。
経済産業省は現在、「ホワイト国」として米国と欧州二十カ国のほか、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アルゼンチンの計二十六カ国を指定している。
ほかにも、共同開発・生産された武器が紛争を助長する形で第三国に輸出されることがないように、相手国に法的担保を求めることなどの新基準を提案している。
10.09.2010
「安保」再考
リンダ・ホーグランドさんの映画「ANPO Art x War」に続き、ガヴァン・マコーマックさんを囲んでの、安保(沖縄普天間基地問題)の討論が開かれようとしています。安保・米軍基地問題を考えなおす良い機会だと思います。リンダさんの映画を日本の人にアッピールする目的で、ネット紙「日刊ベリタ」に書いた文章の一部と、この問題についての筆者の考えの一端を、安保再考の議論へのイントロのつもりで、下に掲げますので、検討ください。
。。。。。。
映画「ANPO Art x War」について
日米安保条約改定から半世紀、安保体制がすっかり日本に根を下し、大多数の日本人はこれによって日本の安全が保障されているという「幻想」に陥っている。しかし、この改定安保が、岸政権の下で、異常な状況下で成立したことを覚えている人も大分少なくなったようである。
1960年、新安保条約は岸首相がアメリカに行って相手側の言いなりのそれを飲んで調印してきたものである。それを日本の国会が批准しなければ発効しないが、国会内ではその批准に反対する野党の議員を放り出し、外では日本国始まって以来という大規模な反対運動の中で、審議を無視して時間切れで成立という異常な仕方で成立させられてしまったものである。
この条約には、(今の日本人が思い込んでしまっている)アメリカの日本防衛義務は明記されていないし、日本全土の基地化が明記され、なにか事ある時には日米の事前協議はすることになっているが、日本の同意を必要とはしていない。これらの条文は日本国憲法違反の部分が多いばかりでなく、日本国の主権を完全に無視している。
北朝鮮や中国の軍事強化などの現状では、安保とそれに基づくアメリカ軍の日本(特に沖縄)駐留が、東アジアの平和維持に貢献しているという幻想があり、だから日米同盟をさらに深化させるべきというのが、大方の政府、立法府から国民にいたるまでの考えのようであり、安保再考などを言い出すことはタブーとなっている感すらある。アメリカの安保固執は、平和維持というよりは、自国の財政難により、軍事費を日本に肩代わりさせるという意図であることは、先にも報告した(日刊ベリタ2010.09.23)。
さて,こうした問題を思い起こさせる映画が最近作られ、上映され始めた。「ANPO Art x War」である。すでに日本でも公開されているが、カナダでは、トロントの国際映画祭で初公開され、最近バンクーバーでの国際映画祭でも上映された。監督はアメリカ人のリンダ・ホーグランドさんで、日本の政治に直接介入することを避けて、主として未公開の安保、戦争反対の芸術作品を通して安保批判を行っている。強烈で大胆な絵画(ピカソのゲルニカを思い起こさせるような)を始め、政治的配慮から今まで公開されたことのない様々な芸術作品を掘り起こして、語らせている。その合間、合間に挿入されているのは、1960年安保反対闘争の映像である。学生・労働組合員ばかりでなく、多くの普通の市民が、反対運動に参加した様がよく描かれている。(この筆者も、あの反対運動デモの中の一人であった)
。。。。。。
さて、現実には、日本は過去65年間、外国からの侵略を受けていない。多くの日本人は、これは「安保」によるアメリカの保護のおかげであると考えているらしい。しかし、これが、本当にそうだったのか、検証する方法はない。どうして、こういう状態(日本が過去65年間外国からの攻撃にさらされなかった)が続いたのであろうか。2つの可能性があろう。(1)アメリカ軍の極東での存在が、アメリカ軍が日本保護の意思を持とうが持つまいが、存在しているだけで日本攻撃をしかけようとする国の歯止めになった。もう一つは、(2)周辺国(中国や1990年までのソ連など)は日本を攻撃する必要を感じなかったし、その余裕もなく、むしろ(攻撃によって)日本の経済成長を阻むことはマイナスであると判断したなどなどの理由で、このような状態が続いた。すなわちアメリカ軍の存在は無関係であった。(2)の理由が主なものとするならば、(1)の影響はあったとしても、主な理由にはならない。すなわち、「安保」は日本の安全に不可欠であったわけではない。(ソ連の第2次世界大戦終了時の日本への態度には、問題がある、すなわち、日本をソ連の影響下に置くような試みをしたかどうか。しかし、この時点では「安保」は存在していなかったのだから、「安保」有無の問題外である)。
重要なことは、これからの世界で「日米安保」は必要だろうかという点であろう。すなわち「安保」をこのまま継続することは、日本や世界にとって得策かどうか。「安全保障」条約という名称による欺瞞(実際には日本保護は規定さていない)に惑わされて、大量の日本国民の血税を使い、しかも基地周辺に及ぼされる様々な負の影響をその周辺市民に押し付けてきたなどなど、マイナス要因のほうが日本にとっては大きい。アメリカ軍の日本駐留は、アメリカの帝国主義・覇権主義政策の一環であり、しかもその費用は日本に負担させている。このようなアメリカの覇権主義は、世界中の国々、人々から反感をかっている。アメリカが世界最大の軍事力をもっているから、このような状態が継続しているだけであり、世界平和をもたらすには最大の障害である。アメリカに対抗する軍事力を獲得するか、またはテロ的方法でアメリカへ報復しようとする人や国があるとすれば、世界中で最大の海外軍事基地を持つ日本が真っ先に攻撃の対象になるであろう。(なお、9/11事件が公式発表のような、本物のテロであったかどうかは疑わしい)どの面から考えても、現在の安保を継続することは、日本ばかりでなく、世界の平和達成のためにはマイナスである。
このままの状態を続け、アメリカの言いなりに日本の軍備を拡張し、中国の軍備拡張と張り合うというような方向に進むと、世界平和への道から後退するのみであり、おそらく結果は地球文明の破滅しかないであろう。軍事均衡は理想論にすぎず、ちょっとした破綻から人類破滅へ向かう確率は非常に高い。その上,軍備に無駄なカネを使い、市民の生活の向上にはなんらの貢献をしないばかりか、世界の市民を生活苦に追い込んでいる。(銀行,軍需企業などのとてつもない金銭欲に基づく、経済格差の拡大が原因だが、カネ儲けの最たるものが、軍需産業である)。
「安保」を廃棄し、日本が世界平和実現へのリーダーとして、憲法9条を堅持し、自衛隊を縮小し、平和条項を各国の憲法に採用する運動をすすめ,世界各国民に「非軍事的」な紛争解決が人類にとってノーマルであるという文化を作りださねばならない。そんなことは理想論に過ぎないと言われると思うが、この理想を実現しなければ、世界恒久平和はえられない。
沖縄問題は、こうした運動の第1歩で、普天間基地廃棄(移設地提供せず)実現を手始めに、アメリカ軍事基地の縮小を、アメリカに強く求める方向にもっていく必要がある(「安保」廃棄が実現すれば,必然的にそうなるが、それが実現しなくとも、こうした動きを強める必要はある)。こうした動きを、アメリカ軍基地を持つ多くの国との連帯運動に広げて行く。そしてアメリカという国そしてその国民がこうした自国の覇権主義の無意味さを実感するような雰囲気を作り出していく。(落合栄一郎)
。。。。。。
映画「ANPO Art x War」について
日米安保条約改定から半世紀、安保体制がすっかり日本に根を下し、大多数の日本人はこれによって日本の安全が保障されているという「幻想」に陥っている。しかし、この改定安保が、岸政権の下で、異常な状況下で成立したことを覚えている人も大分少なくなったようである。
1960年、新安保条約は岸首相がアメリカに行って相手側の言いなりのそれを飲んで調印してきたものである。それを日本の国会が批准しなければ発効しないが、国会内ではその批准に反対する野党の議員を放り出し、外では日本国始まって以来という大規模な反対運動の中で、審議を無視して時間切れで成立という異常な仕方で成立させられてしまったものである。
この条約には、(今の日本人が思い込んでしまっている)アメリカの日本防衛義務は明記されていないし、日本全土の基地化が明記され、なにか事ある時には日米の事前協議はすることになっているが、日本の同意を必要とはしていない。これらの条文は日本国憲法違反の部分が多いばかりでなく、日本国の主権を完全に無視している。
北朝鮮や中国の軍事強化などの現状では、安保とそれに基づくアメリカ軍の日本(特に沖縄)駐留が、東アジアの平和維持に貢献しているという幻想があり、だから日米同盟をさらに深化させるべきというのが、大方の政府、立法府から国民にいたるまでの考えのようであり、安保再考などを言い出すことはタブーとなっている感すらある。アメリカの安保固執は、平和維持というよりは、自国の財政難により、軍事費を日本に肩代わりさせるという意図であることは、先にも報告した(日刊ベリタ2010.09.23)。
さて,こうした問題を思い起こさせる映画が最近作られ、上映され始めた。「ANPO Art x War」である。すでに日本でも公開されているが、カナダでは、トロントの国際映画祭で初公開され、最近バンクーバーでの国際映画祭でも上映された。監督はアメリカ人のリンダ・ホーグランドさんで、日本の政治に直接介入することを避けて、主として未公開の安保、戦争反対の芸術作品を通して安保批判を行っている。強烈で大胆な絵画(ピカソのゲルニカを思い起こさせるような)を始め、政治的配慮から今まで公開されたことのない様々な芸術作品を掘り起こして、語らせている。その合間、合間に挿入されているのは、1960年安保反対闘争の映像である。学生・労働組合員ばかりでなく、多くの普通の市民が、反対運動に参加した様がよく描かれている。(この筆者も、あの反対運動デモの中の一人であった)
。。。。。。
さて、現実には、日本は過去65年間、外国からの侵略を受けていない。多くの日本人は、これは「安保」によるアメリカの保護のおかげであると考えているらしい。しかし、これが、本当にそうだったのか、検証する方法はない。どうして、こういう状態(日本が過去65年間外国からの攻撃にさらされなかった)が続いたのであろうか。2つの可能性があろう。(1)アメリカ軍の極東での存在が、アメリカ軍が日本保護の意思を持とうが持つまいが、存在しているだけで日本攻撃をしかけようとする国の歯止めになった。もう一つは、(2)周辺国(中国や1990年までのソ連など)は日本を攻撃する必要を感じなかったし、その余裕もなく、むしろ(攻撃によって)日本の経済成長を阻むことはマイナスであると判断したなどなどの理由で、このような状態が続いた。すなわちアメリカ軍の存在は無関係であった。(2)の理由が主なものとするならば、(1)の影響はあったとしても、主な理由にはならない。すなわち、「安保」は日本の安全に不可欠であったわけではない。(ソ連の第2次世界大戦終了時の日本への態度には、問題がある、すなわち、日本をソ連の影響下に置くような試みをしたかどうか。しかし、この時点では「安保」は存在していなかったのだから、「安保」有無の問題外である)。
重要なことは、これからの世界で「日米安保」は必要だろうかという点であろう。すなわち「安保」をこのまま継続することは、日本や世界にとって得策かどうか。「安全保障」条約という名称による欺瞞(実際には日本保護は規定さていない)に惑わされて、大量の日本国民の血税を使い、しかも基地周辺に及ぼされる様々な負の影響をその周辺市民に押し付けてきたなどなど、マイナス要因のほうが日本にとっては大きい。アメリカ軍の日本駐留は、アメリカの帝国主義・覇権主義政策の一環であり、しかもその費用は日本に負担させている。このようなアメリカの覇権主義は、世界中の国々、人々から反感をかっている。アメリカが世界最大の軍事力をもっているから、このような状態が継続しているだけであり、世界平和をもたらすには最大の障害である。アメリカに対抗する軍事力を獲得するか、またはテロ的方法でアメリカへ報復しようとする人や国があるとすれば、世界中で最大の海外軍事基地を持つ日本が真っ先に攻撃の対象になるであろう。(なお、9/11事件が公式発表のような、本物のテロであったかどうかは疑わしい)どの面から考えても、現在の安保を継続することは、日本ばかりでなく、世界の平和達成のためにはマイナスである。
このままの状態を続け、アメリカの言いなりに日本の軍備を拡張し、中国の軍備拡張と張り合うというような方向に進むと、世界平和への道から後退するのみであり、おそらく結果は地球文明の破滅しかないであろう。軍事均衡は理想論にすぎず、ちょっとした破綻から人類破滅へ向かう確率は非常に高い。その上,軍備に無駄なカネを使い、市民の生活の向上にはなんらの貢献をしないばかりか、世界の市民を生活苦に追い込んでいる。(銀行,軍需企業などのとてつもない金銭欲に基づく、経済格差の拡大が原因だが、カネ儲けの最たるものが、軍需産業である)。
「安保」を廃棄し、日本が世界平和実現へのリーダーとして、憲法9条を堅持し、自衛隊を縮小し、平和条項を各国の憲法に採用する運動をすすめ,世界各国民に「非軍事的」な紛争解決が人類にとってノーマルであるという文化を作りださねばならない。そんなことは理想論に過ぎないと言われると思うが、この理想を実現しなければ、世界恒久平和はえられない。
沖縄問題は、こうした運動の第1歩で、普天間基地廃棄(移設地提供せず)実現を手始めに、アメリカ軍事基地の縮小を、アメリカに強く求める方向にもっていく必要がある(「安保」廃棄が実現すれば,必然的にそうなるが、それが実現しなくとも、こうした動きを強める必要はある)。こうした動きを、アメリカ軍基地を持つ多くの国との連帯運動に広げて行く。そしてアメリカという国そしてその国民がこうした自国の覇権主義の無意味さを実感するような雰囲気を作り出していく。(落合栄一郎)
10.08.2010
Peace Philosophy Salon with Gavan McCormack on October 16 ピース・フィロソフィー・サロンの案内 ガバン・マコーマックさんを迎えて
日本語の案内は下方をご覧ください。For notice in Japanese, scroll down.
Peace Philosophy Salon - Fall Special -
A special event by Peace Philosophy Centre and Vancouver Save Article 9
Five decades after the adoption of the (revised) US-Japan Security Treaty, Cold War assumptions still underpin the relationship between Japan and the US. A belated Japanese attempt to reform the relationship in 2009-2010 ended in failure and the collapse of the Hatoyama government. Whether the Kan government can do better remains to be seen. The “Okinawa problem” has emerged as a crucial bone of contention between the two governments. 65 years after the Battle of Okinawa, Okinawans' anger towards the two governments have reached a peak. What are the implications of the now 14-year long attempt to resolve the Okinawan demand for closure and return of Futenma Marine base in Ginowan City?
Peace Philosophy Salon - Fall Special -
A special event by Peace Philosophy Centre and Vancouver Save Article 9
"The Battle of Okinawa 2010: Japan-US Relation at a Crossroad"
7 PM, Saturday, October 16
With special guest
Gavan McCormack
Professor Emeritus, Australian National University
Author of "Client State: Japan in the American Embrace"
Author of "Client State: Japan in the American Embrace"
@ Peace Philosophy Centre (Vancouver, BC - participants will be given a direction)
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Photo by Chuck Overby |
- Free admission. Snack and drink donation welcome.
- RSVP and inquiry to info@peacephilosophy.com
(Detailed direction will be given to participants)
Gavan McCormack is emeritus professor at Australian National University. A graduate of the universities of Melbourne and London , he joined the ANU in 1990 after teaching at the Universities of Leeds (UK), La Trobe (Melbourne), and Adelaide. He has also been Visiting Professor at many universities in Japan, where he has lived and worked on many occasions since first visiting it as a student in 1962. He was elected a Fellow of the Academy of Humanities of Australia in 1992. His work has been translated and published in Japanese, Chinese, Korean, Thai, Arabic, and the main European languages. His most recent book is Client State: Japan in the American Embrace, (Verso, 2007), of which Japanese, Korean, and Chinese editions were published by Gaifusha, Changbi, and Social Science Academic Press of China. He is the author of Target North Korea: Pushing North Korea to the Brink of Nuclear Catastrophe. A media commentator on North-East Asia, he is a coordinator of Japan Focus. In 2008 and 2009, he contributed an invited monthly essay published in Korean to Kyunghyang Shinmun (Seoul). He is a regular visitor to Okinawa, and was convener in December 2009 of the "Nago Conference" held in Nago City, Okinawa, on "Civil Society and Social Movements in East Asia."
秋の特別ピース・フィロソフィー・サロンのご案内
「バンクーバー九条の会」との共催
スペシャルゲスト ガバン・マコーマックさん(オーストラリア国立大学名誉教授、『「属国」:米国の抱擁とアジアでの孤立』著者)を迎えて
バンクーバーのピース・フィロソフィー・センターにて(参加者に詳しい行き方を案内します)
安保改定から50年、「沖縄問題」で日米関係は岐路に立つ。2009年の政権交代に伴い、鳩山首相は冷戦構造を引きずったままの日米関係からの脱却を試みたが失敗に終わり、菅政権がこの問題にどう取り組んでいくのかは不透明なままだ。基地反対候補として当選した名護市の市長は「海にも陸にも作らせない」と宣言している。普天間飛行場を抱える宜野湾市の市長は新基地に反対し知事選に立候補した。沖縄戦65年、長年の抑圧に対する沖縄の怒りは頂点に達している。日本現代史第一人者のガバン・マコーマック氏が、こじれた普天間『移設』問題を読み解き、日米関係、東アジアにおけるこの問題の意義を語る。
★入場無料。
★参加申し込みと問い合わせは info@peacephilosophy.com まで
★スナック、飲み物差し入れ歓迎。
★ガバンさんは英語日本語バイリンガルです。質問やコメントなど、日本語でできます
★会場の住所、行き方は申し込んだ人にメールで案内します。
ガバン・マコーマック プロフィール
オーストラリア国立大学名誉教授。1974年ロンドン大学博士号取得。日本と東アジアの政治、社会問題を歴史的視点で幅広く把握しようと研究を続けてきた。リーズ大学(英)、ラ・トローブ大学(豪)、アデレード大学(豪)で現代日本史および日中、日韓、日米関係を中心に教え、1990からオーストラリア国立大学アジア太平洋研究所教授。1962年の日本留学以来ほぼ毎年来日し、東京滞在時にはよく皇居の周りをジョギングする。オンライン誌「Japan Focus」のコーディネーターもつとめる。
- RSVP and inquiry to info@peacephilosophy.com
(Detailed direction will be given to participants)

秋の特別ピース・フィロソフィー・サロンのご案内
「バンクーバー九条の会」との共催
スペシャルゲスト ガバン・マコーマックさん(オーストラリア国立大学名誉教授、『「属国」:米国の抱擁とアジアでの孤立』著者)を迎えて
「『沖縄戦』2010ー普天間『移設』問題と正念場の日米関係」
10月16日(土)午後7時から
バンクーバーのピース・フィロソフィー・センターにて(参加者に詳しい行き方を案内します)
安保改定から50年、「沖縄問題」で日米関係は岐路に立つ。2009年の政権交代に伴い、鳩山首相は冷戦構造を引きずったままの日米関係からの脱却を試みたが失敗に終わり、菅政権がこの問題にどう取り組んでいくのかは不透明なままだ。基地反対候補として当選した名護市の市長は「海にも陸にも作らせない」と宣言している。普天間飛行場を抱える宜野湾市の市長は新基地に反対し知事選に立候補した。沖縄戦65年、長年の抑圧に対する沖縄の怒りは頂点に達している。日本現代史第一人者のガバン・マコーマック氏が、こじれた普天間『移設』問題を読み解き、日米関係、東アジアにおけるこの問題の意義を語る。
★入場無料。
★参加申し込みと問い合わせは info@peacephilosophy.com まで
★スナック、飲み物差し入れ歓迎。
★ガバンさんは英語日本語バイリンガルです。質問やコメントなど、日本語でできます
★会場の住所、行き方は申し込んだ人にメールで案内します。
ガバン・マコーマック プロフィール
オーストラリア国立大学名誉教授。1974年ロンドン大学博士号取得。日本と東アジアの政治、社会問題を歴史的視点で幅広く把握しようと研究を続けてきた。リーズ大学(英)、ラ・トローブ大学(豪)、アデレード大学(豪)で現代日本史および日中、日韓、日米関係を中心に教え、1990からオーストラリア国立大学アジア太平洋研究所教授。1962年の日本留学以来ほぼ毎年来日し、東京滞在時にはよく皇居の周りをジョギングする。オンライン誌「Japan Focus」のコーディネーターもつとめる。

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VSA9 Events
9.26.2010
TBS Special Program on Film ANPO and Linda Hoaglund 映画「安保」とリンダ・ホ―グランド監督 TBS特集
バンクーバー九条の会・ピースフィロソフィーセンター共催の10月4日のイベントのゲストはバンクーバー国際映画祭参加の映画「安保」監督、リンダ・ホ―グランドさんを囲む会です。TBSでこの映画とホ―グランド監督に焦点をあてた特集番組があり、YouTubeリンクがありましたのでここに貼り付けます。
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VSA9 Events
9.24.2010
Meeting Linda Hoaglund, Director of a VIFF Film "ANPO" VIFF参加「映画 安保」監督 リンダ・ホ―グランドさんを囲む会
Are you ready for VIFF (Vancouver International Film Festival)?
Film ANPO - by director Linda Hoaglund, producer of highly acclaimed film "Tokko-Wings of Defeat," will be shown in VIFF (6PM on Oct. 3, and 1:15 PM on Oct.4).
You are invited to a gathering with Linda, at
6:45 PM - 8:15 PM, Monday October 4
Please see the movie, and come to our event to meet Linda, ask questions, and talk about whatever is inspired by the film. (It is not mandatory to have seen the film to be part of this event, though. You can meet her and always see the film later.)
Free admission (donations to cover the rental expense are welcome.) Children are welcome. Snack donations are welcome.
For inquiry and RSVP, contact: info@peacephilosophy.com
Vancouver Save Article 9 and Peace Philosophy Centre
Linda Hoaglund Profile:
Linda Hoaglund was born and raised in Japan. Her previous film, Wings of Defeat, told the story of Kamikaze pilots who survived WWII. She has recently directed and produced ANPO, a film about Japanese resistance to U.S. bases seen through the eyes and works of celebrated Japanese artists.
注目の映画がVIFF(バンクーバー国際映画祭)で公開されます。
映画「安保」 Film ANPO
映画のオフィシャルサイト(日本語)は
http://www.uplink.co.jp/anpo/introduction.php
(予告編もここで観られます)
トロント映画祭にも参加し、日本でも今公開中です。10月には沖縄でも公開されます。
映画についての詳細は下記をご覧ください。
さて、この映画の監督、リンダ・ホ―グランドさんとの交流会を企画します。ぜひVIFFで映画を観た上で参加してください。もちろん都合がつかない場合は映画を観ないでの参加もOKです。
VIFFでの上映は、10月3日(日)午後6時と、10月4日(月)午後1時15分です。
VIFFのチケット購入は:
http://www.viff.org/tixSYS/2010/xslguide/eventnote?EventNumber=2584&
リンダ監督を囲む会は
日時 10月4日(月)午後6時45分から8時15分まで
場所 ラウンドハウスコミュニティーセンター2階 マルチメディアルーム
(カナダライン ラウンドハウス駅)
入場無料ですが、会場費をカバーするためのドネーションを受け付けます。
★スナック差し入れ歓迎。
★大体の人数を確認するため、 info@peacephilosophy.com に出席のお知らせいただければ幸いです。
★主催:バンクーバー九条の会、ピースフィロソフィーセンター
★お子さん連れ歓迎です。
★リンダさんは、日本語、英語完璧バイリンガルの人です。来た人の顔ぶれを見て、日本語と英語で必要に応じて使いわけながら進行する予定です。
★私は7月に日本でプレス試写会に参加しましたが、深く心に残る作品でした。60年安保の時期を生き抜き、表現したアーティストたちのインタビューと作品が織りなす「時代のさけび」とも言えるでしょうか。私は生まれたいなかった時代だけに、想像力がかきたてられ、感情の奥底に響く深い体験をしました。その時代を知る人も知らない人も、かけがえのない体験ができる、そんな映画だと思います。
(作品とともに映画に登場するアーティスト、ジャーナリストたち:会田誠、朝倉摂、池田龍雄、石内都、石川真生、嬉野京子、風間サチコ、桂川寛、加藤登紀子、串田和美、東松照明、冨沢幸男、中村宏、比嘉豊光、細江英公、山城知佳子、横尾忠則出演:佐喜眞加代子、ティム・ワイナー、半藤一利、保阪正康)
オフィシャルウェブサイトhttp://www.uplink.co.jp/anpo/introduction.php より。
今から半世紀前の60年安保当時、熱かった日本をアーティストがどのように表現したのか。1960年6月に日米安全保障条約が岸信介政権下で自動更新されるまでの一ヶ月間、国会周辺は安保に反対する市民のデモで溢れかえりました。1945年の敗戦からまだ15年しかたっていないその時代、学生、労働者、主婦など様々な立場の人が参加したこの運動を一つにした最大の原因は「二度と戦争をしたくない」という市民の強い意志だったことをアーティストたちは語っています。
本作『ANPO』を監督した、リンダ・ホーグランドは、日本の映画業界人の間では、海外映画祭に出品する際の通訳や英語字幕翻訳者として知られる、日本で生まれ育ったアメリカ人です。彼女は、字幕翻訳の仕事を通して日本映画を深く知るにつれ、1960年の安保闘争が、当時を経験した映画監督に大きなトラウマを残していることに気づきました。さらに、当時のアーティストたちが絵画や写真を通して安保問題、米軍基地問題を表現しており、日本にも市民による“抵抗”の歴史がある事を発見しました。そのことが、ホーグランド監督のこの映画制作のきっかけになっています。「60年安保闘争とは何だったのか、彼らを闘争に掻き立てたのは何だったのか、そして、その後遺症として未だに日本に残る米軍基地が日本にどういう影響を及ぼしているのか等を映画という形で表現することに決めました」とホーグランド監督は語っています。
現在も日本は、沖縄の普天間基地の問題など、安保に象徴される日米の関係を、根本的にはなにも問い直しをせずに棚上げしてきました。 『ANPO』は、日本で生まれ育ったアメリカン人リンダ・ホーグランド監督が、60年安保を知るアーティストたちの証言と作品を通して、日本とアメリカの関係の問い直しを日本人に迫るドキュメンタリーです。
どうぞお誘いあわせの上お越しください。
リンダ・ホ―グランド プロフィール
日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年 に日本で公開された映画『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。黒沢明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、是枝裕和、黒沢清、西川美和等の監督の映画200本 以上の英語字幕を制作している。
Film ANPO - by director Linda Hoaglund, producer of highly acclaimed film "Tokko-Wings of Defeat," will be shown in VIFF (6PM on Oct. 3, and 1:15 PM on Oct.4).
*Thanks to ANPO, the "American-Japanese Joint Security Pact", there are still 90 American military bases on Japanese soil, 30 of them in Okinawa. The "Pact" dates from the post-war years when Japan was governed by General MacArthur, and its periodic renewals attracted mass protests - sometimes violent - in the 1950s and 1960s, as seen in films by Oshima and others. Protests against the US Army presence on Japanese soil also surfaced in Japanese painting and sculpture, as shown in Linda Hoaglund's eye-opening documentary essay, which offers some broad historical perspectives on the struggles but centres on the responses of engaged artists. Hoaglund's own perspective (she is an American who was born and raised in Japan, well-known as the subtitler of many Japanese movies) gives the film real heft: she coaxes forthright statements from usually-reticent interviewees as well as getting up close to the political stances embedded in a wide range of paintings....
To purchase tickets: http://www.viff.org/tixSYS/2010/xslguide/eventnote?EventNumber=2584&&
To purchase tickets: http://www.viff.org/tixSYS/2010/xslguide/eventnote?EventNumber=2584&&
You are invited to a gathering with Linda, at
6:45 PM - 8:15 PM, Monday October 4
![]() |
Linda Hoaglund |
Please see the movie, and come to our event to meet Linda, ask questions, and talk about whatever is inspired by the film. (It is not mandatory to have seen the film to be part of this event, though. You can meet her and always see the film later.)
Free admission (donations to cover the rental expense are welcome.) Children are welcome. Snack donations are welcome.
For inquiry and RSVP, contact: info@peacephilosophy.com
Vancouver Save Article 9 and Peace Philosophy Centre
Linda Hoaglund Profile:
Linda Hoaglund was born and raised in Japan. Her previous film, Wings of Defeat, told the story of Kamikaze pilots who survived WWII. She has recently directed and produced ANPO, a film about Japanese resistance to U.S. bases seen through the eyes and works of celebrated Japanese artists.
注目の映画がVIFF(バンクーバー国際映画祭)で公開されます。
映画「安保」 Film ANPO
映画のオフィシャルサイト(日本語)は
http://www.uplink.co.jp/anpo/introduction.php
(予告編もここで観られます)
トロント映画祭にも参加し、日本でも今公開中です。10月には沖縄でも公開されます。
映画についての詳細は下記をご覧ください。
さて、この映画の監督、リンダ・ホ―グランドさんとの交流会を企画します。ぜひVIFFで映画を観た上で参加してください。もちろん都合がつかない場合は映画を観ないでの参加もOKです。
VIFFでの上映は、10月3日(日)午後6時と、10月4日(月)午後1時15分です。
VIFFのチケット購入は:
http://www.viff.org/tixSYS/2010/xslguide/eventnote?EventNumber=2584&
リンダ監督を囲む会は
日時 10月4日(月)午後6時45分から8時15分まで
場所 ラウンドハウスコミュニティーセンター2階 マルチメディアルーム
(カナダライン ラウンドハウス駅)
入場無料ですが、会場費をカバーするためのドネーションを受け付けます。
★スナック差し入れ歓迎。
★大体の人数を確認するため、 info@peacephilosophy.com に出席のお知らせいただければ幸いです。
★主催:バンクーバー九条の会、ピースフィロソフィーセンター
★お子さん連れ歓迎です。
★リンダさんは、日本語、英語完璧バイリンガルの人です。来た人の顔ぶれを見て、日本語と英語で必要に応じて使いわけながら進行する予定です。
★私は7月に日本でプレス試写会に参加しましたが、深く心に残る作品でした。60年安保の時期を生き抜き、表現したアーティストたちのインタビューと作品が織りなす「時代のさけび」とも言えるでしょうか。私は生まれたいなかった時代だけに、想像力がかきたてられ、感情の奥底に響く深い体験をしました。その時代を知る人も知らない人も、かけがえのない体験ができる、そんな映画だと思います。
(作品とともに映画に登場するアーティスト、ジャーナリストたち:会田誠、朝倉摂、池田龍雄、石内都、石川真生、嬉野京子、風間サチコ、桂川寛、加藤登紀子、串田和美、東松照明、冨沢幸男、中村宏、比嘉豊光、細江英公、山城知佳子、横尾忠則出演:佐喜眞加代子、ティム・ワイナー、半藤一利、保阪正康)
オフィシャルウェブサイトhttp://www.uplink.co.jp/anpo/introduction.php より。
今から半世紀前の60年安保当時、熱かった日本をアーティストがどのように表現したのか。1960年6月に日米安全保障条約が岸信介政権下で自動更新されるまでの一ヶ月間、国会周辺は安保に反対する市民のデモで溢れかえりました。1945年の敗戦からまだ15年しかたっていないその時代、学生、労働者、主婦など様々な立場の人が参加したこの運動を一つにした最大の原因は「二度と戦争をしたくない」という市民の強い意志だったことをアーティストたちは語っています。
本作『ANPO』を監督した、リンダ・ホーグランドは、日本の映画業界人の間では、海外映画祭に出品する際の通訳や英語字幕翻訳者として知られる、日本で生まれ育ったアメリカ人です。彼女は、字幕翻訳の仕事を通して日本映画を深く知るにつれ、1960年の安保闘争が、当時を経験した映画監督に大きなトラウマを残していることに気づきました。さらに、当時のアーティストたちが絵画や写真を通して安保問題、米軍基地問題を表現しており、日本にも市民による“抵抗”の歴史がある事を発見しました。そのことが、ホーグランド監督のこの映画制作のきっかけになっています。「60年安保闘争とは何だったのか、彼らを闘争に掻き立てたのは何だったのか、そして、その後遺症として未だに日本に残る米軍基地が日本にどういう影響を及ぼしているのか等を映画という形で表現することに決めました」とホーグランド監督は語っています。
現在も日本は、沖縄の普天間基地の問題など、安保に象徴される日米の関係を、根本的にはなにも問い直しをせずに棚上げしてきました。 『ANPO』は、日本で生まれ育ったアメリカン人リンダ・ホーグランド監督が、60年安保を知るアーティストたちの証言と作品を通して、日本とアメリカの関係の問い直しを日本人に迫るドキュメンタリーです。
どうぞお誘いあわせの上お越しください。
リンダ・ホ―グランド プロフィール
日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年 に日本で公開された映画『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。黒沢明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、是枝裕和、黒沢清、西川美和等の監督の映画200本 以上の英語字幕を制作している。
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VSA9 Events
9.16.2010
黄圭さんのスピーチ
Speech by Hwang Kay, one of the guest speakers at the event on September 11, marking the 100th year of Japan's annexation of Korea.
9月11日のVSA9のイベントでスピーカーの一人として発言いただいた黄圭(Hwang Kay)さんのスピーチ原稿を投稿します。
今から115年ほど前に、日本は清国中国と戦争しました。そしてそれから7年ほどして今度はロシアと戦争になりました。このどの戦争も朝鮮の利権をめぐての戦争でした。こうして日本は、朝鮮半島との関わりの中で歴史の道を大きく誤り、自国や周辺の国ぐにの運命をも変えていく不幸な時代へと入っていったのです。
19世紀中ごろまでに、帝国主義列強による植民地分割の時代はとうに過ぎていたのですが、遅くデヴューを果たした日本帝国は、無理やりLateComerとして侵略性をあらわにして行きました。
韓国併合から少し後の第一次大戦後には、パリ講和会議の席上、米大統領ウイルソンによって民族自決が提唱されるほどに、世界の政治情勢は成熟してきていました。
日清戦争の原因ですが、韓国南部の全羅道という所で、「東学農民戦争」といわれる封建支配体制に反対する農民蜂起があり、これを鎮圧しきれなくなった李朝政府は、清国中国に援軍を求めました。日本軍は在留自国民保護を名目に軍隊を出してきました。朝鮮政府は日本側に、農民軍との和解が成立したので撤退を求めたのですが、日本軍はそのまま居座っていました。
そこで日清両軍の衝突となったわけです。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、日清戦争は牙山沖で東郷平八郎率いる日本艦隊が清国兵を満載した英国船を撃沈たことから勃発したとされていますが、実はその前に日本軍は朝鮮王宮に夜襲をかけて近衛兵30数名を殺害し、国王を虜にして口実をつくったというのが実相でした。
日本は、日清戦争で得た賠償金で義務教育の学校と、全国の鉄道網を整備しました。その後も、義和団の乱(北清事変ともいいますが。)に乗じて清国の国家予算を上回る巨額の賠償金をとって軍事費を補填したので、日本の軍備は益々増強されていきました。
こうした近代における日本の戦争の歴史と直接関連した産業発展史という側面から、日本が朝鮮半島や中国とどう関わってきたのか、僅かな時間ですが、たぶん皆さんがあまりご存知ないようなことを用意しましたので、お話ししたいと思います。 これまで当たり前だと思っていたことが、よく勉強して考えてみると違うと言うことがあります。
政治と経済、戦争と経済はそのまま直結している、ということは云うまでもありません。
「東アジア共同体構想」は東アジアの平和と繁栄を志向していく上で素晴らしいアイデアだと思います。しかし、私は日本が現状のままでは、この構想は到底実現不可能なことだと考えております。その「現状」とはどういうことなのか、それをお話したいと思います。
東アジアには異質な国があって、それはどこの国かと言いますと中国や北朝鮮ではなく、日本だと言えば、皆さん驚かれるのではないかと思います。
「日本が異質だ」と云うのは一体どういうことなのか、と言いますと、日本人独特の歴史観、アジア観がそこに厳然としてあるという事実を指摘しておきたいと思います。それはあらゆる世代に共通していると言えるのですが、いったいなぜそうなってきたのでしょうか?
歴史というのは私たちの記憶であり、昔あったことと現代とは無関係ではなく、ちゃんと密接緊密に繋がっているという事をいつも確認しておくべきではないかと思います。
日清戦争以来、日本人の意識に深く刷り込まれて来た心理的深層を考えるとき、吉田松陰・福沢諭吉に行き着きますし、薩摩長州の明治政権にいきつくのです。私はこれを<虚構の歴史観>と呼んでいます。
19世紀半ばの黒舟来航以来、尊皇攘夷、討幕運動が起きる中、(NHKの大河ドラマでいま「竜馬伝」というのをやっていますが、面白いですがドラマなので、あまり本気で見ない方が良いと思います)いわゆる国学や、陽明学、水戸学派の中から独特の国粋主義が生み出され、明治以来天皇制国家主義が国家イデオロギーとして形成されてきました。
それまで天皇は武士階級にとっては、権威だったかもしれませんが、それ以外の日本人にとっては、無関係な存在でした。 鎌倉時代以来、国の統治者は武家の頭領だったからです。
明治になって、どういうことが起きたかといいいますと。
日清の対外戦争を煽る意図で「神国日本Story」のフィクションの色づけがますます激しくなっていきました。この大元は天皇制の専制国家をつくりあげた薩長(土肥)政権にこそあったのです。とりわけ長州でした。
「古事記」「日本書紀」「続日本紀」のことを「記紀」と云うのですが、これらは歴史書ではありません。先ずは倭王の権威と正当性を国内に示しておくために書かれました。記紀はすべて漢文で書かれており、中国の人も朝鮮の人もそのまま読めますから、未来の何時の日にか大和王権の存在を、内外に宣伝する目的でつくられたフィクションのようなものだったのです。
中国の「三国志」の中に「魏志倭人伝」という箇所があって、ここに「邪馬台国」や「卑弥呼」という女王の存在が記されているのですが、これと符合させるために、日本書紀は「神功皇后」という女王を出現させ「三韓征伐」というフィクションを作りました。
明治以来これを「国史」として学校で教えて来ました。
朝鮮はかって大和王権が征服した国だから、下に見る、という考え方はここに依拠しているのです。
むろん現代では教科書にはこういうことは書かれていません。書かれてはいませんが、大勢の人びとが集まる有名な神宮神社などには今でも堂々と書かれていて、仮に団体で旅行などに行くと、ガイドさんがそういう話をします。人びとの見方というか、考え方としてはちゃんと今に受け継がれて来ていると云えます。(古代史の話しは時間の都合上、とてもこれ以上ここでは出来ませんが・・・。)
今でも多くの日本人は、「仏教や文字は中国から伝えられた」と思っているようです。それならいっそ「仏教はインドから来た」といえばいいのだと思います。
明治以降、日本という国家がなぜあのような猛々しい帝国になっていったのか? 戦争における数々の残虐行為、その深層について考えてみるときに、一人ひとりの日本人をみれば 繊細で親切なとても良い人たちなのに、なぜそうなってしまったのだろうか?と思うわけです。
そこには眼に見えない、大きな根っ子があったのです。日本史で偉人とされる吉田松陰・福沢諭吉そう人たちの教えを、そのまま実行していったのが日本帝国そのものの姿ではなかったのだろうかと、私は考えています。
朝鮮、中国の他、インドシナ半島やフィリピン、ボルネオなどは日本帝国の侵略を受けて多くの被害を受けたのですが、こうしたアジア蔑視、歪んだ世界観による戦争政策が「大東亜共栄圏」という欺瞞の元で推し進められてきたのです。
いわゆる「皇国史観の教育」では、ヤマト民族は「アマテラスの子孫」で優れていて「一等国民」なのだから軍隊で他国の領土を侵してもよいのだ、という一種「狂気の論理」が、そのまま国家による国民への刷り込みとして国家権力総動員のもと、一環した教育政策として遂行されてきました。
歴史書には出て来ない実史があります。 日清戦争の講和のため下関を訪れた李鴻章を嘲る歌がつくられ、明治人ですら聞くに堪えないような民族蔑視観を広げる流行り歌として、巷で公然と歌われました。またある時代「鰯がサカナか朝鮮人が人間か」という歌もありました。
権力は、国民に対して「日本は必ず世界に冠する帝国になるのだから、今は我慢しろ」と言わんばかりの、フラストレーション懐柔策として、官主導で流行らせたようなふしが見受けられます。
近代以前の歴史の話しを少ししますと、 江戸時代の260余年間、日本と朝鮮国とはとても良い関係にありました。江戸の将軍が代わるたびに、朝鮮から一級の知識人で構成された通信使(数百人)が派遣され、対馬藩の案内で関門海峡を通って鞆の浦(広島・福山)で潮をまち「対潮楼」という迎賓館で数日休息しました。その間、知識を得ようと日本全国から僧侶や学者などが大勢つめかけて、夜遅くまで筆談が交わされたという記録がたくさん残っています。
大阪から江戸に至る道中、幕府から沿道の各藩には礼儀を失することなく、また汚い家はとり壊すなどの達しが出され、中仙道の宿場町の道は掃き清められ整備されたといいます。
高麗・朝鮮は、14世紀ごろからづっと倭寇の侵入に悩まされていて、また秀吉の「慶長文禄の役」で被害が甚大だったので、様子見の目的で、武力よりは外交による防衛政策をとってきました。そうして、徳川時代の朱子学は、李退渓という大儒学者の弟子が日本に伝えたとされまています。
18世紀中ごろになると、朝鮮には米やフランスの艦隊がそれぞれやって来て開港を求めましたが、朝鮮政府はこれを拒み「攘夷」を実行して撃退しました。(仏はインドシナを巡って清国と争いアメリカは南北戦争などがあったので、彼らにとって朝鮮は国力を傾けてまで開港を迫る必要性はなかったのでしょう)最後に日本によって門をこじ開けられたのは、同じ儒教の言葉をもつ間柄だったからでしょう。
さて、「間違った教育や戦争政策は昔のことではないか?}と思う人が多いと思います。
明治政権がつくり上げ積極的に「刷り込み」を続けてきた思想は、今も現代日本人の意識の中で連綿と受け継がれて来ている、ということを私は指摘しておきたいと思います。
1951年、日本は「あの戦争はまちがいだった」とサンフランシスコ平和条約で誓って独立を認められたのに、日本社会には「誤った道を歩んできた」という認識の共有性がありません。
「世界ではあの時代、日本はファッシズムだった」と学校で教えているのに、日本ではそうは教えていません。
日本を代表するような70万部も売っている複数の雑誌が、堂々と「あの戦争は自存自衛の正義の、戦争だった」という。そう書けば雑誌が売れる、という社会の合意のようなものがあるのです。国会議員にもそういうことを言う人がいます。
東京のああいう極右の都知事さんが、350万票もとって再選される、これは言論の自由とかいう問題とは本質的に異なります。
歴史的な出来事というのは見方によって様々だと云う事が言われます。それは私もそう思います。しかし、それは現代の価値基準に立脚したうえで客観的な歴史的事実をちゃんと踏まえるという前提で云えることです。
ある意図や予め決めておいた方向性で物事を見てしまうと、不都合なことは頭の中で無意識に消してしまうのです。サイコロジーでいう「バイアス」です。
近代、日本と朝鮮とのかかわり 1910年の強制併合は国権の強奪であり、その頃「何が起きたのか」を知ろうとすらしないのは、想像力を持って歴史を見る姿勢とはほど遠いと思います。
ひるがえって、簡単に35年の植民地統治といいますが、その中身は 言葉や文化、風俗というより、個人の尊厳、拠り所、もてる人間のすべてを、銃剣で奪い統治したと言う事でした。
素晴らしい伝統や美意識をもつ日本人の国が、なぜそういう他人の弱みに付け込むような侵略性をもつ国になっていったのか?
繊細で親切な日本人の国家が、なぜ猛々しい帝国に変貌していったのか、という疑問を私はづっともって来ました?
昨今は「歴女ブーム」という言葉があって、ドラマや小説を通して 戦国時代や幕末にはやたらと詳しいのですが、アジア太平洋戦争は知らない ひどい場合は中国への侵略や朝鮮の植民地支配すらよく知らない、という人が多いのはなぜなのでしょうか?
「知らなくても何も恥ずかしくない」 というある種の「異常性」がそこにあるように思いました。
「学校で習わなかった」「自分には関係ない」と言う論理がもし成り立つのであれば、日本人である事をやめ、パスポートを破り捨て、無国籍者か難民にでもなる方法があるのではないかと思います。
自分の国の近い過去を知らない、という事は、自分はどこで生まれて、どこで学校に通い、どこで仕事をし、という人生の経歴を忘れたのと同じです。
最近わたしは日本から、瀋陽、大連ツアー旅行というパッケージツアーに参加して行ったことがあります。瀋陽はむかし「奉天」といって、そこの郊外にあるミュージアム(戦争記念館)はあの満州事変が起きた柳条湖にあるのですが、日本関東軍が様々な不法行為をやったことが写真などの説明に(英語と中国語で)記されていました。ところが日本人旅行者は誰ひとりとして、そういうことを知らないのです。「なぜ日本のことをそんなに悪く言うのだ」とさえ云います。
大連では、旅順の203高地で乃木稀助将軍がどうしたこうしたという武勇伝にばかり関心があって、呆れてしまいました。
サンフランシスコ平和条約の意味についてですが、国際社会にへつらったのは「戦争に負けて仕方がなかったから」と云わんばかりの論調は、社会的に批判されなけばなりません。歴代の政府も国民も過去を批判的に受け入れられない これこそが現代日本の最大の歪みであり、大きな問題ではないかと思います。「靖国 」の意味もそうです。
平和教育運動をやっているという元教師の人と話しをした事がありますが、ただ「命が無残に失われる悲惨さから戦争を考える」のみ、という印象を受けました。「戦争はむごい、すべて戦争が悪い」とオウム返しで言うだけですから、子供たちも同じ事しか云えません。
原爆とか戦争の悲惨さのみを教え加害者としての過去を教えない また、戦争の本質的なところには関心がないように私にはみえました。失われた命は、日本人の戦没者310万、アジア太平洋地域で1900万人です。
縄文時代も大切なのでしょうが、学校では近現代史をちゃんと教えるべきです。
「東アジア共同体構想」を念頭に、日本の近代史を産業発展史という側面からみますと、明治維新の頃、(これはカナダの歴史にも関係して来るのですが) 欧州では英・仏の争いあいがあり、東アジアでロシアを牽制したかった英国は、日本を使ってそれをやろうとし、1902年日英同盟を結びました。日本の戦争債(債権・国債)を引き受け、大々的な武器供与をし日露戦争に肩入れしました。一方フランスは、ロシアに大きな借款を供与し投資もしていたので、ロシアをバックアップしました。そういうことから日露戦争は英仏の代理戦争だったと云えます。
先ごろ破綻した米のリーマンブラザーズ(それにゴールドマン・サックスも)は、既にその時代からあって、米政府の勧めで日本の外債を大量に引き受けていたので、セオドア・ルーズベルト大統領はポーツマスで講和の仲介に積極的に乗り出しました。ロシアはまんまと米の思うつぼに嵌って情報戦に負けたと言えるでしょう。
そういう事から、西欧の産業や軍事技術は1922年の日英同盟の破棄に至るまではイギリスから、次にドイツからもたらされました。
日本は、最先端の軍事教育機関に人材を送り、総国力をあげた技術移転が英についで独から行われたのです。造船、機械、航空機、電子、化学、光学の技術は独由来でした。
中国など東アジアの綿工業製品市場では、日本と米英との間で奪い合いが起き、関係は悪くなりました。 三菱商事、三井物産などが国家権力と癒着して戦争政策に加担していきました。
戦後に軍民の兵器廠からあふれ出た膨大な数の技術者たちが、町工場に集まり物づくりを始めました。ソニー ホンダ キャノン 日本光学=ニコン・・・などです。
トヨタや日産は1930年ごろにデトロイトのGMが使っていた廃棄設備を、技術者ともども買い取り、国の戦争政策に沿った産業として、育成されました。トヨタは戦後に破綻の危機にありましたが、朝鮮戦争で米軍から70台のトラックの発注を受け復活発展して来ました。
コスト計算のない戦争政策が 皮肉にも後世に産業の技術的基盤を残したのです。こうして日本はドイツ由来の生産技術を積みあげ、朝鮮戦争特需が追い風となってわずか20年で経済大国になって行きました。
1945年敗戦 日本はGHQの統治となり、52年サンフランシスコ平和条約が発効して、日本は独立を認められるのですが、その後の社会や産業はどのようにして発展を遂げてきたのでしょうか?
1951年 国連からの復興調査チームは、道路事情の悪さに驚き、世界銀行融資を勧告して、名神高速や黒部ダム、東海道新幹線などが整備されました。
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日韓の関係を振り返りますと、65年アメリカの後押しによって、日韓基本条約が結ばれ、国交が開かれました。北朝鮮とは今も国交がないままです。
互いの国と国とが、ウィンウィンの関係になるには、Marketがアンフェアーであってはいけません。日本ブランドをアジアで作った物は売れるのでしょうが、アジアブランドの商品は日本では売れません。中国製の扇風機や電気ヒーターのような付加価値性の低いものは売れるのでしょうが、中国製エアーコンや冷蔵庫は今や、世界市場で日本メーカーを寄せつけないほどのシェアーを持っているのに、日本の消費者は誰として買いません。
こんにち中国はGDP世界第2位になり世界経済を牽引しています。日本にとって最大の貿易相手国となりました。
世界の新興市場が注目されている現在グローバルマーケットの中、東アジアの求められる「信頼できるパートナー」像として日本をみるとき、アジアの工業製品を日本の消費者は誰も買わない、このような日本のままではいけないのです。商品を買う買わないは無論消費者の自由なのですが、先ほど来わたしが述べた「特異の歴史観、アジア観」によって近隣の国に対するリスペクトが成立しませんから、人びとの消費行動には大きな限界と影響とが存在するのです。
その例ですが、薄型TV LCD市場では既にサムソンやLGが世界マーケットを席巻しているのに、日本市場では日本の消費者は誰も買いません。欧米市場で高い評価を受けているにもかかわらず、日本では全く売れないのです。日本の家電量販店でこれらの商品は見ることすら出来ません。
このような状況下では日韓のFTA自由貿易協定の締結は無理でしょう。EPA経済連携協定の話しも出てきていますが、これは関税の撤廃の他、資金や技術を互いに自由に融通しあおうという協定です。本当は、こういうことを推進しなければなりません。(韓国はFTAでEUとも米国などとも進んでいますが日本とはうまく進まないでいます。)
世界の半導体市場では10年以上も前から韓国企業がトップシェアーを占めており、今後注目を集めている二次電池(りちゅうむいおん電池)分野でも今後50%になる勢いとなっています。
空港からダウンタウンまでのカナダラインは現代ローテム社製の電車と交通システムで動いています。フレーザー河にかかるスカイ・トレインの橋など韓国企業が国際入札で落札していますし、ブラジルではこれまで地下鉄の訳70%近くが韓国企業によって作られ運行されています。そういうニュースは日本語メディアは余り報道したがりません。これでは鎖国です。
これからの東アジアは、互いに自由貿易なくして生きられないのですから、グロバルマーけっとの中で良きパートナーとして生きていく道を探るべきでしょう。
ルックダウン 嫉妬 否定の論理を排除し、互いがリスペクトする対等の関係となれば、人の交流も更に増え、未来はより明るいものになるでしょう。
日本が、東アジアの信頼されるパートナーとして、生きていくためには 過去、現代からよりよき未来へと繋げられるよう皆で努力すべきなのです。これからは欧米の顔色ばかり見ているような時代ではありません。
日本が、歩んで来た近代という時代の中で、近隣の国ぐにとどのように関わってきたのか?そういうことを知り理解する事こそが、これからの良い時代を築いていくための土台となるのです。
そうすれば、私は、アジアの未来は必ず明るいものになると信じています。
9月11日のVSA9のイベントでスピーカーの一人として発言いただいた黄圭(Hwang Kay)さんのスピーチ原稿を投稿します。
今から115年ほど前に、日本は清国中国と戦争しました。そしてそれから7年ほどして今度はロシアと戦争になりました。このどの戦争も朝鮮の利権をめぐての戦争でした。こうして日本は、朝鮮半島との関わりの中で歴史の道を大きく誤り、自国や周辺の国ぐにの運命をも変えていく不幸な時代へと入っていったのです。
19世紀中ごろまでに、帝国主義列強による植民地分割の時代はとうに過ぎていたのですが、遅くデヴューを果たした日本帝国は、無理やりLateComerとして侵略性をあらわにして行きました。
韓国併合から少し後の第一次大戦後には、パリ講和会議の席上、米大統領ウイルソンによって民族自決が提唱されるほどに、世界の政治情勢は成熟してきていました。
日清戦争の原因ですが、韓国南部の全羅道という所で、「東学農民戦争」といわれる封建支配体制に反対する農民蜂起があり、これを鎮圧しきれなくなった李朝政府は、清国中国に援軍を求めました。日本軍は在留自国民保護を名目に軍隊を出してきました。朝鮮政府は日本側に、農民軍との和解が成立したので撤退を求めたのですが、日本軍はそのまま居座っていました。
そこで日清両軍の衝突となったわけです。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、日清戦争は牙山沖で東郷平八郎率いる日本艦隊が清国兵を満載した英国船を撃沈たことから勃発したとされていますが、実はその前に日本軍は朝鮮王宮に夜襲をかけて近衛兵30数名を殺害し、国王を虜にして口実をつくったというのが実相でした。
日本は、日清戦争で得た賠償金で義務教育の学校と、全国の鉄道網を整備しました。その後も、義和団の乱(北清事変ともいいますが。)に乗じて清国の国家予算を上回る巨額の賠償金をとって軍事費を補填したので、日本の軍備は益々増強されていきました。
こうした近代における日本の戦争の歴史と直接関連した産業発展史という側面から、日本が朝鮮半島や中国とどう関わってきたのか、僅かな時間ですが、たぶん皆さんがあまりご存知ないようなことを用意しましたので、お話ししたいと思います。 これまで当たり前だと思っていたことが、よく勉強して考えてみると違うと言うことがあります。
政治と経済、戦争と経済はそのまま直結している、ということは云うまでもありません。
「東アジア共同体構想」は東アジアの平和と繁栄を志向していく上で素晴らしいアイデアだと思います。しかし、私は日本が現状のままでは、この構想は到底実現不可能なことだと考えております。その「現状」とはどういうことなのか、それをお話したいと思います。
東アジアには異質な国があって、それはどこの国かと言いますと中国や北朝鮮ではなく、日本だと言えば、皆さん驚かれるのではないかと思います。
「日本が異質だ」と云うのは一体どういうことなのか、と言いますと、日本人独特の歴史観、アジア観がそこに厳然としてあるという事実を指摘しておきたいと思います。それはあらゆる世代に共通していると言えるのですが、いったいなぜそうなってきたのでしょうか?
歴史というのは私たちの記憶であり、昔あったことと現代とは無関係ではなく、ちゃんと密接緊密に繋がっているという事をいつも確認しておくべきではないかと思います。
日清戦争以来、日本人の意識に深く刷り込まれて来た心理的深層を考えるとき、吉田松陰・福沢諭吉に行き着きますし、薩摩長州の明治政権にいきつくのです。私はこれを<虚構の歴史観>と呼んでいます。
19世紀半ばの黒舟来航以来、尊皇攘夷、討幕運動が起きる中、(NHKの大河ドラマでいま「竜馬伝」というのをやっていますが、面白いですがドラマなので、あまり本気で見ない方が良いと思います)いわゆる国学や、陽明学、水戸学派の中から独特の国粋主義が生み出され、明治以来天皇制国家主義が国家イデオロギーとして形成されてきました。
それまで天皇は武士階級にとっては、権威だったかもしれませんが、それ以外の日本人にとっては、無関係な存在でした。 鎌倉時代以来、国の統治者は武家の頭領だったからです。
明治になって、どういうことが起きたかといいいますと。
日清の対外戦争を煽る意図で「神国日本Story」のフィクションの色づけがますます激しくなっていきました。この大元は天皇制の専制国家をつくりあげた薩長(土肥)政権にこそあったのです。とりわけ長州でした。
「古事記」「日本書紀」「続日本紀」のことを「記紀」と云うのですが、これらは歴史書ではありません。先ずは倭王の権威と正当性を国内に示しておくために書かれました。記紀はすべて漢文で書かれており、中国の人も朝鮮の人もそのまま読めますから、未来の何時の日にか大和王権の存在を、内外に宣伝する目的でつくられたフィクションのようなものだったのです。
中国の「三国志」の中に「魏志倭人伝」という箇所があって、ここに「邪馬台国」や「卑弥呼」という女王の存在が記されているのですが、これと符合させるために、日本書紀は「神功皇后」という女王を出現させ「三韓征伐」というフィクションを作りました。
明治以来これを「国史」として学校で教えて来ました。
朝鮮はかって大和王権が征服した国だから、下に見る、という考え方はここに依拠しているのです。
むろん現代では教科書にはこういうことは書かれていません。書かれてはいませんが、大勢の人びとが集まる有名な神宮神社などには今でも堂々と書かれていて、仮に団体で旅行などに行くと、ガイドさんがそういう話をします。人びとの見方というか、考え方としてはちゃんと今に受け継がれて来ていると云えます。(古代史の話しは時間の都合上、とてもこれ以上ここでは出来ませんが・・・。)
今でも多くの日本人は、「仏教や文字は中国から伝えられた」と思っているようです。それならいっそ「仏教はインドから来た」といえばいいのだと思います。
明治以降、日本という国家がなぜあのような猛々しい帝国になっていったのか? 戦争における数々の残虐行為、その深層について考えてみるときに、一人ひとりの日本人をみれば 繊細で親切なとても良い人たちなのに、なぜそうなってしまったのだろうか?と思うわけです。
そこには眼に見えない、大きな根っ子があったのです。日本史で偉人とされる吉田松陰・福沢諭吉そう人たちの教えを、そのまま実行していったのが日本帝国そのものの姿ではなかったのだろうかと、私は考えています。
朝鮮、中国の他、インドシナ半島やフィリピン、ボルネオなどは日本帝国の侵略を受けて多くの被害を受けたのですが、こうしたアジア蔑視、歪んだ世界観による戦争政策が「大東亜共栄圏」という欺瞞の元で推し進められてきたのです。
いわゆる「皇国史観の教育」では、ヤマト民族は「アマテラスの子孫」で優れていて「一等国民」なのだから軍隊で他国の領土を侵してもよいのだ、という一種「狂気の論理」が、そのまま国家による国民への刷り込みとして国家権力総動員のもと、一環した教育政策として遂行されてきました。
歴史書には出て来ない実史があります。 日清戦争の講和のため下関を訪れた李鴻章を嘲る歌がつくられ、明治人ですら聞くに堪えないような民族蔑視観を広げる流行り歌として、巷で公然と歌われました。またある時代「鰯がサカナか朝鮮人が人間か」という歌もありました。
権力は、国民に対して「日本は必ず世界に冠する帝国になるのだから、今は我慢しろ」と言わんばかりの、フラストレーション懐柔策として、官主導で流行らせたようなふしが見受けられます。
近代以前の歴史の話しを少ししますと、 江戸時代の260余年間、日本と朝鮮国とはとても良い関係にありました。江戸の将軍が代わるたびに、朝鮮から一級の知識人で構成された通信使(数百人)が派遣され、対馬藩の案内で関門海峡を通って鞆の浦(広島・福山)で潮をまち「対潮楼」という迎賓館で数日休息しました。その間、知識を得ようと日本全国から僧侶や学者などが大勢つめかけて、夜遅くまで筆談が交わされたという記録がたくさん残っています。
大阪から江戸に至る道中、幕府から沿道の各藩には礼儀を失することなく、また汚い家はとり壊すなどの達しが出され、中仙道の宿場町の道は掃き清められ整備されたといいます。
高麗・朝鮮は、14世紀ごろからづっと倭寇の侵入に悩まされていて、また秀吉の「慶長文禄の役」で被害が甚大だったので、様子見の目的で、武力よりは外交による防衛政策をとってきました。そうして、徳川時代の朱子学は、李退渓という大儒学者の弟子が日本に伝えたとされまています。
18世紀中ごろになると、朝鮮には米やフランスの艦隊がそれぞれやって来て開港を求めましたが、朝鮮政府はこれを拒み「攘夷」を実行して撃退しました。(仏はインドシナを巡って清国と争いアメリカは南北戦争などがあったので、彼らにとって朝鮮は国力を傾けてまで開港を迫る必要性はなかったのでしょう)最後に日本によって門をこじ開けられたのは、同じ儒教の言葉をもつ間柄だったからでしょう。
さて、「間違った教育や戦争政策は昔のことではないか?}と思う人が多いと思います。
明治政権がつくり上げ積極的に「刷り込み」を続けてきた思想は、今も現代日本人の意識の中で連綿と受け継がれて来ている、ということを私は指摘しておきたいと思います。
1951年、日本は「あの戦争はまちがいだった」とサンフランシスコ平和条約で誓って独立を認められたのに、日本社会には「誤った道を歩んできた」という認識の共有性がありません。
「世界ではあの時代、日本はファッシズムだった」と学校で教えているのに、日本ではそうは教えていません。
日本を代表するような70万部も売っている複数の雑誌が、堂々と「あの戦争は自存自衛の正義の、戦争だった」という。そう書けば雑誌が売れる、という社会の合意のようなものがあるのです。国会議員にもそういうことを言う人がいます。
東京のああいう極右の都知事さんが、350万票もとって再選される、これは言論の自由とかいう問題とは本質的に異なります。
歴史的な出来事というのは見方によって様々だと云う事が言われます。それは私もそう思います。しかし、それは現代の価値基準に立脚したうえで客観的な歴史的事実をちゃんと踏まえるという前提で云えることです。
ある意図や予め決めておいた方向性で物事を見てしまうと、不都合なことは頭の中で無意識に消してしまうのです。サイコロジーでいう「バイアス」です。
近代、日本と朝鮮とのかかわり 1910年の強制併合は国権の強奪であり、その頃「何が起きたのか」を知ろうとすらしないのは、想像力を持って歴史を見る姿勢とはほど遠いと思います。
ひるがえって、簡単に35年の植民地統治といいますが、その中身は 言葉や文化、風俗というより、個人の尊厳、拠り所、もてる人間のすべてを、銃剣で奪い統治したと言う事でした。
素晴らしい伝統や美意識をもつ日本人の国が、なぜそういう他人の弱みに付け込むような侵略性をもつ国になっていったのか?
繊細で親切な日本人の国家が、なぜ猛々しい帝国に変貌していったのか、という疑問を私はづっともって来ました?
昨今は「歴女ブーム」という言葉があって、ドラマや小説を通して 戦国時代や幕末にはやたらと詳しいのですが、アジア太平洋戦争は知らない ひどい場合は中国への侵略や朝鮮の植民地支配すらよく知らない、という人が多いのはなぜなのでしょうか?
「知らなくても何も恥ずかしくない」 というある種の「異常性」がそこにあるように思いました。
「学校で習わなかった」「自分には関係ない」と言う論理がもし成り立つのであれば、日本人である事をやめ、パスポートを破り捨て、無国籍者か難民にでもなる方法があるのではないかと思います。
自分の国の近い過去を知らない、という事は、自分はどこで生まれて、どこで学校に通い、どこで仕事をし、という人生の経歴を忘れたのと同じです。
最近わたしは日本から、瀋陽、大連ツアー旅行というパッケージツアーに参加して行ったことがあります。瀋陽はむかし「奉天」といって、そこの郊外にあるミュージアム(戦争記念館)はあの満州事変が起きた柳条湖にあるのですが、日本関東軍が様々な不法行為をやったことが写真などの説明に(英語と中国語で)記されていました。ところが日本人旅行者は誰ひとりとして、そういうことを知らないのです。「なぜ日本のことをそんなに悪く言うのだ」とさえ云います。
大連では、旅順の203高地で乃木稀助将軍がどうしたこうしたという武勇伝にばかり関心があって、呆れてしまいました。
サンフランシスコ平和条約の意味についてですが、国際社会にへつらったのは「戦争に負けて仕方がなかったから」と云わんばかりの論調は、社会的に批判されなけばなりません。歴代の政府も国民も過去を批判的に受け入れられない これこそが現代日本の最大の歪みであり、大きな問題ではないかと思います。「靖国 」の意味もそうです。
平和教育運動をやっているという元教師の人と話しをした事がありますが、ただ「命が無残に失われる悲惨さから戦争を考える」のみ、という印象を受けました。「戦争はむごい、すべて戦争が悪い」とオウム返しで言うだけですから、子供たちも同じ事しか云えません。
原爆とか戦争の悲惨さのみを教え加害者としての過去を教えない また、戦争の本質的なところには関心がないように私にはみえました。失われた命は、日本人の戦没者310万、アジア太平洋地域で1900万人です。
縄文時代も大切なのでしょうが、学校では近現代史をちゃんと教えるべきです。
「東アジア共同体構想」を念頭に、日本の近代史を産業発展史という側面からみますと、明治維新の頃、(これはカナダの歴史にも関係して来るのですが) 欧州では英・仏の争いあいがあり、東アジアでロシアを牽制したかった英国は、日本を使ってそれをやろうとし、1902年日英同盟を結びました。日本の戦争債(債権・国債)を引き受け、大々的な武器供与をし日露戦争に肩入れしました。一方フランスは、ロシアに大きな借款を供与し投資もしていたので、ロシアをバックアップしました。そういうことから日露戦争は英仏の代理戦争だったと云えます。
先ごろ破綻した米のリーマンブラザーズ(それにゴールドマン・サックスも)は、既にその時代からあって、米政府の勧めで日本の外債を大量に引き受けていたので、セオドア・ルーズベルト大統領はポーツマスで講和の仲介に積極的に乗り出しました。ロシアはまんまと米の思うつぼに嵌って情報戦に負けたと言えるでしょう。
そういう事から、西欧の産業や軍事技術は1922年の日英同盟の破棄に至るまではイギリスから、次にドイツからもたらされました。
日本は、最先端の軍事教育機関に人材を送り、総国力をあげた技術移転が英についで独から行われたのです。造船、機械、航空機、電子、化学、光学の技術は独由来でした。
中国など東アジアの綿工業製品市場では、日本と米英との間で奪い合いが起き、関係は悪くなりました。 三菱商事、三井物産などが国家権力と癒着して戦争政策に加担していきました。
戦後に軍民の兵器廠からあふれ出た膨大な数の技術者たちが、町工場に集まり物づくりを始めました。ソニー ホンダ キャノン 日本光学=ニコン・・・などです。
トヨタや日産は1930年ごろにデトロイトのGMが使っていた廃棄設備を、技術者ともども買い取り、国の戦争政策に沿った産業として、育成されました。トヨタは戦後に破綻の危機にありましたが、朝鮮戦争で米軍から70台のトラックの発注を受け復活発展して来ました。
コスト計算のない戦争政策が 皮肉にも後世に産業の技術的基盤を残したのです。こうして日本はドイツ由来の生産技術を積みあげ、朝鮮戦争特需が追い風となってわずか20年で経済大国になって行きました。
1945年敗戦 日本はGHQの統治となり、52年サンフランシスコ平和条約が発効して、日本は独立を認められるのですが、その後の社会や産業はどのようにして発展を遂げてきたのでしょうか?
1951年 国連からの復興調査チームは、道路事情の悪さに驚き、世界銀行融資を勧告して、名神高速や黒部ダム、東海道新幹線などが整備されました。
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日韓の関係を振り返りますと、65年アメリカの後押しによって、日韓基本条約が結ばれ、国交が開かれました。北朝鮮とは今も国交がないままです。
互いの国と国とが、ウィンウィンの関係になるには、Marketがアンフェアーであってはいけません。日本ブランドをアジアで作った物は売れるのでしょうが、アジアブランドの商品は日本では売れません。中国製の扇風機や電気ヒーターのような付加価値性の低いものは売れるのでしょうが、中国製エアーコンや冷蔵庫は今や、世界市場で日本メーカーを寄せつけないほどのシェアーを持っているのに、日本の消費者は誰として買いません。
こんにち中国はGDP世界第2位になり世界経済を牽引しています。日本にとって最大の貿易相手国となりました。
世界の新興市場が注目されている現在グローバルマーケットの中、東アジアの求められる「信頼できるパートナー」像として日本をみるとき、アジアの工業製品を日本の消費者は誰も買わない、このような日本のままではいけないのです。商品を買う買わないは無論消費者の自由なのですが、先ほど来わたしが述べた「特異の歴史観、アジア観」によって近隣の国に対するリスペクトが成立しませんから、人びとの消費行動には大きな限界と影響とが存在するのです。
その例ですが、薄型TV LCD市場では既にサムソンやLGが世界マーケットを席巻しているのに、日本市場では日本の消費者は誰も買いません。欧米市場で高い評価を受けているにもかかわらず、日本では全く売れないのです。日本の家電量販店でこれらの商品は見ることすら出来ません。
このような状況下では日韓のFTA自由貿易協定の締結は無理でしょう。EPA経済連携協定の話しも出てきていますが、これは関税の撤廃の他、資金や技術を互いに自由に融通しあおうという協定です。本当は、こういうことを推進しなければなりません。(韓国はFTAでEUとも米国などとも進んでいますが日本とはうまく進まないでいます。)
世界の半導体市場では10年以上も前から韓国企業がトップシェアーを占めており、今後注目を集めている二次電池(りちゅうむいおん電池)分野でも今後50%になる勢いとなっています。
空港からダウンタウンまでのカナダラインは現代ローテム社製の電車と交通システムで動いています。フレーザー河にかかるスカイ・トレインの橋など韓国企業が国際入札で落札していますし、ブラジルではこれまで地下鉄の訳70%近くが韓国企業によって作られ運行されています。そういうニュースは日本語メディアは余り報道したがりません。これでは鎖国です。
これからの東アジアは、互いに自由貿易なくして生きられないのですから、グロバルマーけっとの中で良きパートナーとして生きていく道を探るべきでしょう。
ルックダウン 嫉妬 否定の論理を排除し、互いがリスペクトする対等の関係となれば、人の交流も更に増え、未来はより明るいものになるでしょう。
日本が、東アジアの信頼されるパートナーとして、生きていくためには 過去、現代からよりよき未来へと繋げられるよう皆で努力すべきなのです。これからは欧米の顔色ばかり見ているような時代ではありません。
日本が、歩んで来た近代という時代の中で、近隣の国ぐにとどのように関わってきたのか?そういうことを知り理解する事こそが、これからの良い時代を築いていくための土台となるのです。
そうすれば、私は、アジアの未来は必ず明るいものになると信じています。
9.10.2010
An email from Masa Kagami
9月11日のイベントと関連し、VSA9の世話人である賀上マサさんが中国から帰ってすぐVSA9関係者に送ったメールを、ご本人の許可を得て共有します。
**************
この1週間、中国での現代建築も興味をもって見たのですが、上海や南京での高層ビルやその他の最新の建築物を見て感じた事は、やはり中国建築の伝統と特徴が脈打っている事です。その昔日本や朝鮮半島から僧侶や学者が漢字や仏典を学びに長安等の都に渡った際、初めて目にする壮大な建築物を目にして感激又は畏怖の念を抱いたに違いないと思うのですが、1200年以上前の日本人が持ったであろう感慨と同じようなものを今日の中国建築に接した現代の私が持った事です。その意味では中国の歴史と文化の懐の深さを感じました。
又一人で安旅行をしながら店や駅やホテルなどで普通の市民と接したのですが、漢字を取り入れた (というよりそれ以前は表記する手段が日本語には無かったのでしょうが) という以外にも日本語そのものが中国語の影響を、特に発音で大きく受けていて我々日本人はそれを知らずに、又は意識せずに日本語を使っているという事実です。
漢字の音読みの事を言っているのですが、例えば、上海空港で蘇州行きのバスを待っていた際に出発定刻10分前になったので、バスが既にターミナルに来ているのかどうか、言葉では聞けなかったので、切符を取り出し出発時刻の数字を指差して (少しあせりの表情が私の顔に出たかどうかは分かりませんが)、質問に代えた所、向こうもすぐ察して返ってきた言葉が、”ミィライ”と私の耳に聞こえたました。反射的に頭に浮かんだのは、「未来:未だ来たらず」という漢字と漢文読み日本文で、多分その意味と漢字は間違っていないと思います。案の定、その蘇州行きバスは数分後に到着しました。日本語と中国語の繋がりを感じた一瞬でした。
それから、今日の上海からの飛行機の中では、隣の中国人だろう乗客は、飲み物サービスの時にほとんど"チャー、又はジャーと私の耳に聞こえた言葉を発し、何が出されるのかと見ていたら、これはお茶でした。日本語でもチャと発音するので、これは多分、茶が中国から朝鮮半島を経て日本に伝わった時点では、お茶は日本には存在せず、そのために中国語の発音がそのまま日本語になったのだろうと想像します。そう考えると、明治維新以後に西洋の外来語が多く日本語に取り込まれたように、もっと以前には中国語が外来語として日本語になったものが、又同様の理由で朝鮮語が日本語になったものも多くあるのだろうと思います。
その昔の日本人は、明治維新後に西洋に遅れを感じ、その文化を取り入れて追いつこうとしたように、中国、朝鮮半島の文化や工芸技術を憧れと尊敬の念を持って取り入れようとし、実際そうしたのですが、どうしてその経緯が葬り去られ、明治以降の侵略と現代までにつながる蔑視に向かっていったのかという疑問が出てきます。
この点は、黄 圭さんが土曜日に触れられると思うのですが、そして黄さんは福沢諭吉をその一人として指差しているようですが、同じ事を8月27日付けの週間金曜日812号で、安川寿之輔という名古屋大学の名誉教授で不戦兵士・市民の会福代表理事が述べていて、その記事(P.18)によると、
”福沢がやったことは、朝鮮と中国に対する丸ごとの蔑視・偏見の垂れ流しであり、おっしゃったように侵略の扇動でした。明治国家が朝鮮への介入を強化していく1880年代には、「朝鮮人は未開の民・・・・極めて頑愚・・・凶暴」 「支那人民の怯ダ(リッシン偏に需)卑屈は実に法外無類」 「チャイニーズ・・・恰も乞食穢多」 「朝鮮国・・・人民一般の利害如何を論ずるときは、滅亡こそ・・・其幸福は大」などと発信している。”と有ります。出典等は記されていませんが。
さらに安川氏は、同記事で福沢諭吉は1882年の「東洋の政略果たして如何せん」において、「印度支那の土人等を御すること英人に倣うのみならず、其英人をもクルシ(ウ冠に八、その下に君)メテ東洋の権柄を我一手に握らん」 「日章の国旗以って東洋の全面をオオ(手偏に奄)ふて其旗風は遠く西洋諸国にまでも」と引用し、強烈であからさまな植民地主義、侵略主義の扇動を指摘しています。
確かに私達が学校やテレビで習ったり聞かされた福沢諭吉の言葉 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という平等思想とはなんという違いでしょうか。そしてそのような福沢諭吉が1万円札に印刷され、彼の上記思想が日本の学校やメディアでほとんど教えられない、取り上げられないという日本の戦後と現在は一体どうなっているのでしょうか。何故戦後のいわゆる左派歴史家からもこのような指摘がなされなかったか、声が届かなかったのでしょうか?
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この1週間、中国での現代建築も興味をもって見たのですが、上海や南京での高層ビルやその他の最新の建築物を見て感じた事は、やはり中国建築の伝統と特徴が脈打っている事です。その昔日本や朝鮮半島から僧侶や学者が漢字や仏典を学びに長安等の都に渡った際、初めて目にする壮大な建築物を目にして感激又は畏怖の念を抱いたに違いないと思うのですが、1200年以上前の日本人が持ったであろう感慨と同じようなものを今日の中国建築に接した現代の私が持った事です。その意味では中国の歴史と文化の懐の深さを感じました。
又一人で安旅行をしながら店や駅やホテルなどで普通の市民と接したのですが、漢字を取り入れた (というよりそれ以前は表記する手段が日本語には無かったのでしょうが) という以外にも日本語そのものが中国語の影響を、特に発音で大きく受けていて我々日本人はそれを知らずに、又は意識せずに日本語を使っているという事実です。
漢字の音読みの事を言っているのですが、例えば、上海空港で蘇州行きのバスを待っていた際に出発定刻10分前になったので、バスが既にターミナルに来ているのかどうか、言葉では聞けなかったので、切符を取り出し出発時刻の数字を指差して (少しあせりの表情が私の顔に出たかどうかは分かりませんが)、質問に代えた所、向こうもすぐ察して返ってきた言葉が、”ミィライ”と私の耳に聞こえたました。反射的に頭に浮かんだのは、「未来:未だ来たらず」という漢字と漢文読み日本文で、多分その意味と漢字は間違っていないと思います。案の定、その蘇州行きバスは数分後に到着しました。日本語と中国語の繋がりを感じた一瞬でした。
それから、今日の上海からの飛行機の中では、隣の中国人だろう乗客は、飲み物サービスの時にほとんど"チャー、又はジャーと私の耳に聞こえた言葉を発し、何が出されるのかと見ていたら、これはお茶でした。日本語でもチャと発音するので、これは多分、茶が中国から朝鮮半島を経て日本に伝わった時点では、お茶は日本には存在せず、そのために中国語の発音がそのまま日本語になったのだろうと想像します。そう考えると、明治維新以後に西洋の外来語が多く日本語に取り込まれたように、もっと以前には中国語が外来語として日本語になったものが、又同様の理由で朝鮮語が日本語になったものも多くあるのだろうと思います。
その昔の日本人は、明治維新後に西洋に遅れを感じ、その文化を取り入れて追いつこうとしたように、中国、朝鮮半島の文化や工芸技術を憧れと尊敬の念を持って取り入れようとし、実際そうしたのですが、どうしてその経緯が葬り去られ、明治以降の侵略と現代までにつながる蔑視に向かっていったのかという疑問が出てきます。
この点は、黄 圭さんが土曜日に触れられると思うのですが、そして黄さんは福沢諭吉をその一人として指差しているようですが、同じ事を8月27日付けの週間金曜日812号で、安川寿之輔という名古屋大学の名誉教授で不戦兵士・市民の会福代表理事が述べていて、その記事(P.18)によると、
”福沢がやったことは、朝鮮と中国に対する丸ごとの蔑視・偏見の垂れ流しであり、おっしゃったように侵略の扇動でした。明治国家が朝鮮への介入を強化していく1880年代には、「朝鮮人は未開の民・・・・極めて頑愚・・・凶暴」 「支那人民の怯ダ(リッシン偏に需)卑屈は実に法外無類」 「チャイニーズ・・・恰も乞食穢多」 「朝鮮国・・・人民一般の利害如何を論ずるときは、滅亡こそ・・・其幸福は大」などと発信している。”と有ります。出典等は記されていませんが。
さらに安川氏は、同記事で福沢諭吉は1882年の「東洋の政略果たして如何せん」において、「印度支那の土人等を御すること英人に倣うのみならず、其英人をもクルシ(ウ冠に八、その下に君)メテ東洋の権柄を我一手に握らん」 「日章の国旗以って東洋の全面をオオ(手偏に奄)ふて其旗風は遠く西洋諸国にまでも」と引用し、強烈であからさまな植民地主義、侵略主義の扇動を指摘しています。
確かに私達が学校やテレビで習ったり聞かされた福沢諭吉の言葉 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という平等思想とはなんという違いでしょうか。そしてそのような福沢諭吉が1万円札に印刷され、彼の上記思想が日本の学校やメディアでほとんど教えられない、取り上げられないという日本の戦後と現在は一体どうなっているのでしょうか。何故戦後のいわゆる左派歴史家からもこのような指摘がなされなかったか、声が届かなかったのでしょうか?
朝日新聞サイトより 喧騒と沈黙のはざまで 金賢姫訪日の不思議な4日間
朝日新聞ウェブサイトより。
http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/new.html
【放送】喧騒と沈黙のはざまで 金賢姫訪日の不思議な4日間
2010年9月10日
筆者 桜井 均
7月20日、大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯として韓国で死刑判決をうけ、のちに恩赦された金賢姫(キムヒョンヒ)が、超法規的な上陸特別許可で日本を訪れた。拉致被害者家族と面談するためだ。金賢姫が離日する23日までの4日間、この国の中に“不思議”な時間が流れた。メディアの喧騒ぶりからその後の極端なだんまり―その間に「拉致事件」に関する日本人の独特な感受性を垣間見ることができた。
テレビに登場するほとんどすべての論者が、紋切り型の踏み絵を踏むところから話を始める。まず北朝鮮に対する非難を人道上の立場から表明し、続いて、日本政府の無策ぶりを非難する。だが一様に「今度の来日は、いろいろ問題はあるが拉致事件の風化を防ぐ効果はあった」と締めくくる。こうした常套句を集団的に使いながら、誰もその地点にとどまるようには見えない。これを風化というのではないか。“不思議”というのは、そのことである。
この疑問を抱いて、私は、4日分のテレビの収録画像(NHK「ニュース7」「ニュース9」、日テレ「スッキリ!!」「ズームイン!!SUPER」、TBS「みのもんたの朝ズバッ!」「ニュース23クロス」、フジ「スーパーニュース」「とくダネ!」、テレ朝「スーパーモーニング」「報道ステーション」など)を時系列で視聴してみた。
◆宙に浮いた日朝平壌宣言
しかし、この比較に意味がないことはすぐに分かった。それぞれの保存映像の違いはあっても、情報源が同じでは、局ごとの主張を比べようがないのだ。
金賢姫の移動を逐一追跡することを仕事と決め込んだ各テレビ局のリポーターたちは、空から地上から生中継でまくしたてる。中継が伝えるのは内容ではなく“臨場感”だけ。過剰な警備と贅沢な遊覧飛行を非難するために、メディアは車50台、ヘリ7機を雇った。そこへ中井洽拉致問題担当相からうるさくて話もできなかったと逆ねじを食らった。これはもう真面目な話とはいえない。
しかし、耳を澄ませば、微妙な言い回しの行間から大事な言葉が聴こえてきた。以下、4日の間に発せられた関係者の発言を拾い出し、拉致問題と不可分の関係にある2002年9月17日の「日朝平ピョンヤン壌宣言」と比べながら読みこんでみた。
「(日朝)双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。(双方は)この地域の関係各国の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした」という文言は、長いあいだ断絶してきた日朝両国の国交正常化が、北東アジア地域の平和と安定につながるという見取図を表現していた。
しかし、当時日本が認定した拉致被害者13人のうち、北朝鮮は、1人は入国せずとしたが、リストにはなかった1人を含む13人の拉致を認め、そのうち5人が生存、8人が死亡という衝撃的な情報がもたらされると、状況は一転。拉致問題の解決抜きに国交正常化などありえないという論調が大勢を占めるようになった。以後「平壌宣言」は宙に浮いてしまった。
この4日間、誰一人としてそこに立ち返ることはなかった。
もとより、「平壌宣言」とても、理念先行で行われたわけではなかった。前年の9・11事件以降、アメリカは「対テロ戦争」に突入。02年1月の一般教書演説でブッシュ大統領は北朝鮮をイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」と名指し、北朝鮮は態度を硬化させた。この年の秋、アメリカはイラク戦争の準備に着手していた。小泉首相の電撃的な訪朝は、日米関係を基軸としつつ、朝鮮半島の危険除去をねらった対応型政治でもあった。
とはいえ、日本側は共同宣言の中に、拉致問題と工作船問題に対する北朝鮮側からの謝罪を盛り込むことに成功し、加えて大量破壊兵器の拡散を抑える枠組み(核不拡散条約の遵守)を設定することもできた。過去の植民地支配に対する補償についても、日韓基本条約(1965年)とレベルを合わせ、強制動員という“日本による大規模拉致事件”の前面化を回避した。
拉致問題はこうした大きな文脈の中に位置づけられるはずであった。しかし、日朝の認識の隔たりは、二国間の友好を前提として北東アジアの平和と安定に向かうという道を完全に閉ざしてしまった。
今回の金賢姫の来訪は、この閉塞をさらに悪化させるのか、それとも何らかの突破口を開くことにつながるのか、注目された。しかし、残念ながら以上のようないきさつはあまり語られることなく、4日間は喧騒のうちに過ぎていった。
◆日本・北朝鮮双方に歴史の犠牲者
それでも、メディアのノイズの中に、拉致被害者の発話時における真実、声の変調を聞き分けることはできた。
「平壌宣言」の日、横田めぐみさんの死を知らされた母早紀江さんは、記者会見で「(私たちの運動が)大きな政治の問題であることを暴露しました。このことはほんとに日本にとって大事なことでした。北朝鮮にとっても大事なことです。そのようなことのために、ほんとに、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたと思います。私はまだめぐみが生きていると信じて闘ってまいります」と語った。
このときの早紀江さんは、長い政治の空白のためにめぐみさんたちが、冷戦体制下で激しく敵対する日朝の谷間、歴史の大きなうねりに呑み込まれた「犠牲者」だ、という認識を語っていた。
その後、めぐみさんの生存の可能性が伝えられ、遺骨のDNA鑑定の結果、めぐみさんのものといえないことが分かると、生還への期待が一気に高まった。大きな転機であった。しかし、いまだに生存の確認には至っていない。そこに金賢姫がやってきた。
金賢姫が来日する前日、7月19日のTBS「ニュース23クロス」は、早紀江さんのつぶやきをそのまま伝えていた。「いま聞いてもね、昔の話だから何が分かるってこともないけど……、見えない部分が出てくるわけだから、知ってかえって悲しくなるのかねえ。でも現実を知るしかないしね……」
スタジオのキャスターは、横田夫妻はめぐみさんについて過去の情報が入るたびに、そのとき自分たちはどこに転勤し、どう暮らしていただろうと、自らの生活に重ね合わせてきた、とコメントした。空白の年表を作っているというのだ。
「現実を知ること」によって空白を埋め、状況を変えていこうとするのは、歴史に対する正しい態度である。少なくとも横田早紀江さんのつぶやきに、政治と歴史を直視しようという萌芽のようなものを見分けることができる。
7月22日、早紀江さんは前日の金賢姫との対面の様子を記者会見で語った。日テレの「スッキリ!!」はその肉声を未編集に近い状態で放送した。「一番感動したのは、両方ともが同じ中心点にある、同じものからのいろんな圧力とか指令によってものすごい人生を歩んできたわけですが、それでも時間をかけてぱたっとお会いしたときになんともいえない懐かしさというか、表現のしようのない懐かしさを感じました(傍点筆者)」。この発言は注目に値する。
金賢姫は田口八重子さんから日本語を学び、その後、大韓航空機爆破事件を起こしたとされるが、めぐみさんは金賢姫の同期の工作員金淑姫に日本語を教えていたというのである。要するに、田口さんもめぐみさんも北の工作員育成の一端を担わされていたことになる。
こうした中で、横田早紀江さんは、娘より2歳上の金賢姫との対面で体感しえたことを、個人のレベルを超えて、娘も金賢姫も北朝鮮の厳しい“強制”の中で生きていたことを確認しあった、と語ったのだ。それが「両方ともが同じ中心点にある、同じものからのいろんな圧力とか指令によってものすごい人生を歩んできた」という表現になったのである。しかし、他の放送局は、めぐみさんが猫を飼っていたとか、皆を笑わせていたとかという家族感情に訴える情報を伝えることが多かった。
NHKは、編集によって肝心の部分を落として、「(互いに)ものすごい人生を歩んできたわけですが、それでも時間をかけて会った時になんともいえないなつかしさというか」という部分だけを放送した。早紀江さんの真意を聞き落としたのか、切り落としたのか分からないが、これでは政治のリアリズム、冷戦の遺構の中に今も生きる人々の現実は伝わってこない。
◆解凍できない冷戦構造
テレ朝「スーパーモーニング」では、「救う会」会長の西岡力東京基督教大学教授が「金賢姫は、韓国で拉致被害者の情報を証言したために、北にいる家族が収容所に送られた可能性がある。金元工作員の家族についても心配している。これは北朝鮮の体制の罪であり、めぐみさんも工作員(金淑姫)の教師としてテロに加担させられた。だから、金賢姫もめぐみさんも被害者である。むろん、金賢姫は大韓航空機爆破の実行犯としての罪は免れないが……」と解説を加えた。
拉致事件と大韓航空機爆破事件を核心部分で結びつける背景があるというのだ。
折から、ベトナムのハノイで東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議(7月20~23日)が開催されていた。会議では、韓国の哨戒艦沈没事件をめぐって米韓日が一致して北朝鮮に対する強硬姿勢をとることがより鮮明になった。
当然のことながら、金賢姫の来日は、こうした北東アジアの緊張関係の中で語られることになった。
金賢姫が離日して2日後のTBS「サンデーモーニング」で、国際政治学者の浅井信雄氏は東アジア情勢を「日米韓は、韓国の哨戒艦爆破事件では一貫して結束している。国連を舞台にした北朝鮮非難の決議を出したかったが、北朝鮮の名前も出さない議長声明に終わった。それへの巻き返しとして、米韓が日本海で合同軍事演習をする。そこに日本がオブザーバーとして参加する。意外なのは、ASEAN外相会議で北朝鮮代表団は話し合い路線を表明している。中国は日米韓の動きを警戒している」と分析した。
さらに「コリア・レポート」編集長の辺真一氏は、今回の金賢姫の来日は、朝鮮半島情勢の緊張を高め、結果として普天間基地の抑止力を再認識させる作用をもたらしていると発言した。
大韓航空機爆破事件と韓国哨戒艦沈没事件。これらを結びつけて強硬路線に舵を切るのか、それとも、歴史的な背景を踏まえた対話の道を探るのか、拉致問題はまたもや錯綜する政治の文脈の中に置かれようとしている。そして、冷戦の落とし子である「拉致問題」は、北東アジアの解凍できない冷戦構造の真っ只中にある。
◆まかり通る非歴史的思考
この間、拉致被害者の会と距離をとってきた元事務局長の蓮池透氏がフジテレビ「ニュースジャパン」のインタビューに答えて、「(今回の金賢姫の招待は)韓国政府と日本政府のある一部の人の利害関係が一致したパフォーマンスだと思う」と述べた。政治を利用しようとして政治に利用される、その逆はないという意味であろう。
金賢姫が日本を離れた7月23日、朝日新聞の夕刊に蓮池氏の発言が紹介された。7月3日に都内で行われたシンポジウム「拉致と日韓併合100年―いま、どのような対話が可能か?」での講演の一部だ。「悪に対しては交渉するのも許されないとされ、北朝鮮と柔軟に話し合おうという自分のような意見は非国民、売国奴と言われるようになった。家族会を聖域化し、とにかく強硬な姿勢をとれば解決を早められるとミスリードしてきたマスメディアは、家族に見果てぬ夢を与えてしまったという意味でも罪深い」
白か黒か、敵か味方か、国民か非国民かという乱暴で非歴史的な思考がまかり通っている間は、前述の母親のような微妙だが確かな認識の変化を読み取ることは難しいかもしれない。
評論家・加藤周一の「夕陽妄語」に「それでもお前は日本人か」という一文(朝日新聞夕刊、2002年6月24日)がある。戦前の日本では国の規格に合わない者は、「非国民」と呼ばれて排除された。加藤は書く、「『それでもお前は日本人か』をくり返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焦土として、崩壊した」。こうしたことはほんとうに昔話になったと言いきれるかどうか。
今年は、韓国併合から100年の節目の年である。朝鮮学校の授業料無償化、永住外国人の地方参政権の問題などが、東アジア情勢の変化と歴史認識の相違のなかで揺れ動きながら議論されている。
不思議な4日間が過ぎて、メディアは多数派の大勢順応主義の側に身を委ねるのか、それともわずかな変化の兆しを読み取ろうとする側に立つのか、これから真価が問われることになろう。(「ジャーナリズム」10年9月号掲載)
◇
桜井 均(さくらい・ひとし)
元NHKプロデューサー。1946年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。主にNHKスペシャル番組を制作。番組「埋もれたエイズ報告」「東京裁判への道」など。著書に『テレビの自画像』(筑摩書房)、『テレビは戦争をどう描いてきたか』(岩波書店)など。NHK放送文化研究所でアーカイブ研究。立正大学文学部教授、立命館大学、東京大学で客員教授も。
http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/new.html
【放送】喧騒と沈黙のはざまで 金賢姫訪日の不思議な4日間
2010年9月10日
筆者 桜井 均
7月20日、大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯として韓国で死刑判決をうけ、のちに恩赦された金賢姫(キムヒョンヒ)が、超法規的な上陸特別許可で日本を訪れた。拉致被害者家族と面談するためだ。金賢姫が離日する23日までの4日間、この国の中に“不思議”な時間が流れた。メディアの喧騒ぶりからその後の極端なだんまり―その間に「拉致事件」に関する日本人の独特な感受性を垣間見ることができた。
テレビに登場するほとんどすべての論者が、紋切り型の踏み絵を踏むところから話を始める。まず北朝鮮に対する非難を人道上の立場から表明し、続いて、日本政府の無策ぶりを非難する。だが一様に「今度の来日は、いろいろ問題はあるが拉致事件の風化を防ぐ効果はあった」と締めくくる。こうした常套句を集団的に使いながら、誰もその地点にとどまるようには見えない。これを風化というのではないか。“不思議”というのは、そのことである。
この疑問を抱いて、私は、4日分のテレビの収録画像(NHK「ニュース7」「ニュース9」、日テレ「スッキリ!!」「ズームイン!!SUPER」、TBS「みのもんたの朝ズバッ!」「ニュース23クロス」、フジ「スーパーニュース」「とくダネ!」、テレ朝「スーパーモーニング」「報道ステーション」など)を時系列で視聴してみた。
◆宙に浮いた日朝平壌宣言
しかし、この比較に意味がないことはすぐに分かった。それぞれの保存映像の違いはあっても、情報源が同じでは、局ごとの主張を比べようがないのだ。
金賢姫の移動を逐一追跡することを仕事と決め込んだ各テレビ局のリポーターたちは、空から地上から生中継でまくしたてる。中継が伝えるのは内容ではなく“臨場感”だけ。過剰な警備と贅沢な遊覧飛行を非難するために、メディアは車50台、ヘリ7機を雇った。そこへ中井洽拉致問題担当相からうるさくて話もできなかったと逆ねじを食らった。これはもう真面目な話とはいえない。
しかし、耳を澄ませば、微妙な言い回しの行間から大事な言葉が聴こえてきた。以下、4日の間に発せられた関係者の発言を拾い出し、拉致問題と不可分の関係にある2002年9月17日の「日朝平ピョンヤン壌宣言」と比べながら読みこんでみた。
「(日朝)双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。(双方は)この地域の関係各国の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした」という文言は、長いあいだ断絶してきた日朝両国の国交正常化が、北東アジア地域の平和と安定につながるという見取図を表現していた。
しかし、当時日本が認定した拉致被害者13人のうち、北朝鮮は、1人は入国せずとしたが、リストにはなかった1人を含む13人の拉致を認め、そのうち5人が生存、8人が死亡という衝撃的な情報がもたらされると、状況は一転。拉致問題の解決抜きに国交正常化などありえないという論調が大勢を占めるようになった。以後「平壌宣言」は宙に浮いてしまった。
この4日間、誰一人としてそこに立ち返ることはなかった。
もとより、「平壌宣言」とても、理念先行で行われたわけではなかった。前年の9・11事件以降、アメリカは「対テロ戦争」に突入。02年1月の一般教書演説でブッシュ大統領は北朝鮮をイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」と名指し、北朝鮮は態度を硬化させた。この年の秋、アメリカはイラク戦争の準備に着手していた。小泉首相の電撃的な訪朝は、日米関係を基軸としつつ、朝鮮半島の危険除去をねらった対応型政治でもあった。
とはいえ、日本側は共同宣言の中に、拉致問題と工作船問題に対する北朝鮮側からの謝罪を盛り込むことに成功し、加えて大量破壊兵器の拡散を抑える枠組み(核不拡散条約の遵守)を設定することもできた。過去の植民地支配に対する補償についても、日韓基本条約(1965年)とレベルを合わせ、強制動員という“日本による大規模拉致事件”の前面化を回避した。
拉致問題はこうした大きな文脈の中に位置づけられるはずであった。しかし、日朝の認識の隔たりは、二国間の友好を前提として北東アジアの平和と安定に向かうという道を完全に閉ざしてしまった。
今回の金賢姫の来訪は、この閉塞をさらに悪化させるのか、それとも何らかの突破口を開くことにつながるのか、注目された。しかし、残念ながら以上のようないきさつはあまり語られることなく、4日間は喧騒のうちに過ぎていった。
◆日本・北朝鮮双方に歴史の犠牲者
それでも、メディアのノイズの中に、拉致被害者の発話時における真実、声の変調を聞き分けることはできた。
「平壌宣言」の日、横田めぐみさんの死を知らされた母早紀江さんは、記者会見で「(私たちの運動が)大きな政治の問題であることを暴露しました。このことはほんとに日本にとって大事なことでした。北朝鮮にとっても大事なことです。そのようなことのために、ほんとに、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたと思います。私はまだめぐみが生きていると信じて闘ってまいります」と語った。
このときの早紀江さんは、長い政治の空白のためにめぐみさんたちが、冷戦体制下で激しく敵対する日朝の谷間、歴史の大きなうねりに呑み込まれた「犠牲者」だ、という認識を語っていた。
その後、めぐみさんの生存の可能性が伝えられ、遺骨のDNA鑑定の結果、めぐみさんのものといえないことが分かると、生還への期待が一気に高まった。大きな転機であった。しかし、いまだに生存の確認には至っていない。そこに金賢姫がやってきた。
金賢姫が来日する前日、7月19日のTBS「ニュース23クロス」は、早紀江さんのつぶやきをそのまま伝えていた。「いま聞いてもね、昔の話だから何が分かるってこともないけど……、見えない部分が出てくるわけだから、知ってかえって悲しくなるのかねえ。でも現実を知るしかないしね……」
スタジオのキャスターは、横田夫妻はめぐみさんについて過去の情報が入るたびに、そのとき自分たちはどこに転勤し、どう暮らしていただろうと、自らの生活に重ね合わせてきた、とコメントした。空白の年表を作っているというのだ。
「現実を知ること」によって空白を埋め、状況を変えていこうとするのは、歴史に対する正しい態度である。少なくとも横田早紀江さんのつぶやきに、政治と歴史を直視しようという萌芽のようなものを見分けることができる。
7月22日、早紀江さんは前日の金賢姫との対面の様子を記者会見で語った。日テレの「スッキリ!!」はその肉声を未編集に近い状態で放送した。「一番感動したのは、両方ともが同じ中心点にある、同じものからのいろんな圧力とか指令によってものすごい人生を歩んできたわけですが、それでも時間をかけてぱたっとお会いしたときになんともいえない懐かしさというか、表現のしようのない懐かしさを感じました(傍点筆者)」。この発言は注目に値する。
金賢姫は田口八重子さんから日本語を学び、その後、大韓航空機爆破事件を起こしたとされるが、めぐみさんは金賢姫の同期の工作員金淑姫に日本語を教えていたというのである。要するに、田口さんもめぐみさんも北の工作員育成の一端を担わされていたことになる。
こうした中で、横田早紀江さんは、娘より2歳上の金賢姫との対面で体感しえたことを、個人のレベルを超えて、娘も金賢姫も北朝鮮の厳しい“強制”の中で生きていたことを確認しあった、と語ったのだ。それが「両方ともが同じ中心点にある、同じものからのいろんな圧力とか指令によってものすごい人生を歩んできた」という表現になったのである。しかし、他の放送局は、めぐみさんが猫を飼っていたとか、皆を笑わせていたとかという家族感情に訴える情報を伝えることが多かった。
NHKは、編集によって肝心の部分を落として、「(互いに)ものすごい人生を歩んできたわけですが、それでも時間をかけて会った時になんともいえないなつかしさというか」という部分だけを放送した。早紀江さんの真意を聞き落としたのか、切り落としたのか分からないが、これでは政治のリアリズム、冷戦の遺構の中に今も生きる人々の現実は伝わってこない。
◆解凍できない冷戦構造
テレ朝「スーパーモーニング」では、「救う会」会長の西岡力東京基督教大学教授が「金賢姫は、韓国で拉致被害者の情報を証言したために、北にいる家族が収容所に送られた可能性がある。金元工作員の家族についても心配している。これは北朝鮮の体制の罪であり、めぐみさんも工作員(金淑姫)の教師としてテロに加担させられた。だから、金賢姫もめぐみさんも被害者である。むろん、金賢姫は大韓航空機爆破の実行犯としての罪は免れないが……」と解説を加えた。
拉致事件と大韓航空機爆破事件を核心部分で結びつける背景があるというのだ。
折から、ベトナムのハノイで東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議(7月20~23日)が開催されていた。会議では、韓国の哨戒艦沈没事件をめぐって米韓日が一致して北朝鮮に対する強硬姿勢をとることがより鮮明になった。
当然のことながら、金賢姫の来日は、こうした北東アジアの緊張関係の中で語られることになった。
金賢姫が離日して2日後のTBS「サンデーモーニング」で、国際政治学者の浅井信雄氏は東アジア情勢を「日米韓は、韓国の哨戒艦爆破事件では一貫して結束している。国連を舞台にした北朝鮮非難の決議を出したかったが、北朝鮮の名前も出さない議長声明に終わった。それへの巻き返しとして、米韓が日本海で合同軍事演習をする。そこに日本がオブザーバーとして参加する。意外なのは、ASEAN外相会議で北朝鮮代表団は話し合い路線を表明している。中国は日米韓の動きを警戒している」と分析した。
さらに「コリア・レポート」編集長の辺真一氏は、今回の金賢姫の来日は、朝鮮半島情勢の緊張を高め、結果として普天間基地の抑止力を再認識させる作用をもたらしていると発言した。
大韓航空機爆破事件と韓国哨戒艦沈没事件。これらを結びつけて強硬路線に舵を切るのか、それとも、歴史的な背景を踏まえた対話の道を探るのか、拉致問題はまたもや錯綜する政治の文脈の中に置かれようとしている。そして、冷戦の落とし子である「拉致問題」は、北東アジアの解凍できない冷戦構造の真っ只中にある。
◆まかり通る非歴史的思考
この間、拉致被害者の会と距離をとってきた元事務局長の蓮池透氏がフジテレビ「ニュースジャパン」のインタビューに答えて、「(今回の金賢姫の招待は)韓国政府と日本政府のある一部の人の利害関係が一致したパフォーマンスだと思う」と述べた。政治を利用しようとして政治に利用される、その逆はないという意味であろう。
金賢姫が日本を離れた7月23日、朝日新聞の夕刊に蓮池氏の発言が紹介された。7月3日に都内で行われたシンポジウム「拉致と日韓併合100年―いま、どのような対話が可能か?」での講演の一部だ。「悪に対しては交渉するのも許されないとされ、北朝鮮と柔軟に話し合おうという自分のような意見は非国民、売国奴と言われるようになった。家族会を聖域化し、とにかく強硬な姿勢をとれば解決を早められるとミスリードしてきたマスメディアは、家族に見果てぬ夢を与えてしまったという意味でも罪深い」
白か黒か、敵か味方か、国民か非国民かという乱暴で非歴史的な思考がまかり通っている間は、前述の母親のような微妙だが確かな認識の変化を読み取ることは難しいかもしれない。
評論家・加藤周一の「夕陽妄語」に「それでもお前は日本人か」という一文(朝日新聞夕刊、2002年6月24日)がある。戦前の日本では国の規格に合わない者は、「非国民」と呼ばれて排除された。加藤は書く、「『それでもお前は日本人か』をくり返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焦土として、崩壊した」。こうしたことはほんとうに昔話になったと言いきれるかどうか。
今年は、韓国併合から100年の節目の年である。朝鮮学校の授業料無償化、永住外国人の地方参政権の問題などが、東アジア情勢の変化と歴史認識の相違のなかで揺れ動きながら議論されている。
不思議な4日間が過ぎて、メディアは多数派の大勢順応主義の側に身を委ねるのか、それともわずかな変化の兆しを読み取ろうとする側に立つのか、これから真価が問われることになろう。(「ジャーナリズム」10年9月号掲載)
◇
桜井 均(さくらい・ひとし)
元NHKプロデューサー。1946年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。主にNHKスペシャル番組を制作。番組「埋もれたエイズ報告」「東京裁判への道」など。著書に『テレビの自画像』(筑摩書房)、『テレビは戦争をどう描いてきたか』(岩波書店)など。NHK放送文化研究所でアーカイブ研究。立正大学文学部教授、立命館大学、東京大学で客員教授も。
9.07.2010
Vancouver Save Article 9 Event "For Peace in Northeast Asia" バンクーバー九条の会イベント 「東アジアの平和をもとめて」
This year marks the 100th year since Japan's forceful annexation of Korea. Vancouver Save Article 9 will host an event on September 11, 2010, with special guest speakers Hwang Kay, Kim Sung Joon, and Pae Ann, to learn about the history of Japan's colonization of Korea, the post-war Korea/Japan relationship, and issues surrounding zainichi Koreans (Korean residents in Japan), among other related issues, and think together about creating a peaceful future for Korea and Japan. It will be held 1:30 - 3:30 at Roundhouse Community Centre in Downtown Vancouver, across the street from Canada Line's Roundhouse Station. The admission will be free, and we accept donations to cover rental and other expenses. The event will be conducted in Japanese. For more information, email info@vsa9.org.
1910年の日本による韓国「併合」から今年で100年、多くの未解決問題を抱える日本と、朝鮮半島、そしてさらに中国等を含む東アジアの現況をどのように見ればいいのか。この地域の平和をこれからどのように築いて行けばいいのか。私達にできることはなにか。日本とカナダで活躍するゲスト3人に、それぞれの視点から語って頂きます。
シンポジウム
「日韓『併合』100年」の年に
東アジアの平和をもとめて
―在日コリアンの視点―
日時:9月11日(土)午後1時半~3時半 (1時15分開場)
場所:ラウンドハウスコミュニティーセンター:Multi-Media Room
(181 Roundhouse Mews, Vancouver、センターTel#:604-713-1800 カナダラインのラウンドハウス駅近く)
(会場は、2階の Multimedia Room です。受付前の階段から上に登ってください。)

黄 圭
1946年熊本県生まれ。
学生時代ベトナム反戦、朝鮮統一運動などに参加。 評論、小説などを執筆。
信用組合職員を経てビジネスオーナー。
1990年カナダに移民。
エッセイ集などの著書数冊。 「時代を生きる」(1997), 「群らん抄」 (2005), 「緋色のエッセー集」(2009) など。
金 昇俊
1945年、韓国の金海で誕生。
1953年に日本に移住。日本に居る間は、小学校から大学院まで学生として過ごす。
1973年にカナダに移住。
日本航空で18年、オーケー・グフト・ショップで10年勤務。
2001年からセミ・リタイアー生活(中学時代の後輩の会社の非常勤顧問を今も続けている)。
モットー・・・既存の絶対的価値基準(宗教・イデオロギー・ナショナリズム)に頼らず、自前の判断力で考え、行動すること。
著書
『「原罪」としてのナショナリズム」 教育史料出版会 2003年
『ナショナリズム イデオロギー 宗教 ー絶対的価値基準の恐るべき力とその秘密ー』 麻布学園・麻布文庫 2005年
1910年の日本による韓国「併合」から今年で100年、多くの未解決問題を抱える日本と、朝鮮半島、そしてさらに中国等を含む東アジアの現況をどのように見ればいいのか。この地域の平和をこれからどのように築いて行けばいいのか。私達にできることはなにか。日本とカナダで活躍するゲスト3人に、それぞれの視点から語って頂きます。
シンポジウム
「日韓『併合』100年」の年に
東アジアの平和をもとめて
―在日コリアンの視点―
日時:9月11日(土)午後1時半~3時半 (1時15分開場)
場所:ラウンドハウスコミュニティーセンター:Multi-Media Room
(181 Roundhouse Mews, Vancouver、センターTel#:604-713-1800 カナダラインのラウンドハウス駅近く)
(会場は、2階の Multimedia Room です。受付前の階段から上に登ってください。)
主催:バンクーバー九条の会
協賛:ピース・フィロソフィー・センター
講演者:裵 安 (Pae Ann)氏、金 昇俊 (Kim Sung Joon)氏、黄 圭 (Hwang Kay)氏。
進行は全て日本語です。入場無料、寄付歓迎。ご家族、友人達にも声をかけ、一緒にご参加下さい。 お問合せは、info@vsa9.org までお誘いあわせの上、ふるってご参加ください!
ゲストスピーカー プロフィール
裵 安

1957年東京生まれ。小学校から大学まで朝鮮学校で学ぶ。外国籍県民かながわ会議1,2期委員、NGOかながわ国際協力会議5,6期委員。NPO法人かながわ外国人すまいサポートセンター理事長、NPO法人アクションポートよこはま共同代表、横浜YMCA運営委員、共生のまちづくりネットワークよこはま代表、医療通訳コリア語スーパーバイザー、あーすフェスタかながわ企画委員などを務め、この2月外国人学校ネットワークかながわ設立。

1946年熊本県生まれ。
学生時代ベトナム反戦、朝鮮統一運動などに参加。 評論、小説などを執筆。
信用組合職員を経てビジネスオーナー。
1990年カナダに移民。
エッセイ集などの著書数冊。 「時代を生きる」(1997), 「群らん抄」 (2005), 「緋色のエッセー集」(2009) など。
金 昇俊
1945年、韓国の金海で誕生。
1953年に日本に移住。日本に居る間は、小学校から大学院まで学生として過ごす。
1973年にカナダに移住。
日本航空で18年、オーケー・グフト・ショップで10年勤務。
2001年からセミ・リタイアー生活(中学時代の後輩の会社の非常勤顧問を今も続けている)。
モットー・・・既存の絶対的価値基準(宗教・イデオロギー・ナショナリズム)に頼らず、自前の判断力で考え、行動すること。
著書
『「原罪」としてのナショナリズム」 教育史料出版会 2003年
『ナショナリズム イデオロギー 宗教 ー絶対的価値基準の恐るべき力とその秘密ー』 麻布学園・麻布文庫 2005年
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8.30.2010
A problematic move of the government
From Asahi Shimbun's Editorial on August 28 朝日新聞8月28日社説より。日本語は下記を参照。
EDITORIAL: Defense policy review
http://www.asahi.com/english/TKY201008290167.html
2010/08/30
A major policy shift is being contemplated. We cannot help but be concerned.
We are referring to a set of proposals put forth by the prime minister's advisory council on security and defense capabilities, which is made up of private-sector experts.
The aim of the report, submitted to Prime Minister Naoto Kan, is to revise the current National Defense Program Guidelines.
We agree with the report's goal of building "peace-making nation." But we are concerned that the report indicates the need for the "logic of force," in other words, military force should be used to deal with threats.
The report rejects the concept of basic defense capability, which has long supported the principle of an exclusively defensive security stance. The report says the concept is no longer "valid."
The report also calls for review of the constitutional interpretation that bans the use of the right of collective self-defense, and the easing of the nation's three-point ban on weapons exports.
Moreover, the report questions the ban on the introduction of nuclear weapons into the country--one of the nation's three non-nuclear principles. It says banning the U.S. military from transporting nuclear arms through Japanese territory is "not necessarily wise."
What we cannot overlook most of all is a proposed reversal of the nation's defense capabilities. Ever since the National Defense Program Guidelines were established in 1976, the premise was one of restraint--the nation would "not directly confront a threat, but maintain a bare minimum defense force so that it would not become a destabilizing factor itself."
However, the report, in a drastic policy switch, says Japan should become a country that confronts threats.
What has changed?
The report points to the waning of U.S. military supremacy, the modernization of China's military and North Korea's nuclear and ballistic missile development. It is true that the possibility of increasing regional instability must be carefully watched.
However, at the same time, it is a fact that interdependence with the neighboring countries is deepening further and that the Japan-U.S. security alliance has grown stronger. To contend that there are nations ready to attack at any moment is not a well-balanced argument.
A defense buildup that seeks to match threats will lead to an increase in costs, an arms race and regional friction.
It would also deviate from the nation's postwar principle of a defense-only military posture based on the nation's promise that it would never become a threat to other nations.
It is necessary to think how such a shift would be viewed by other Asian countries.
National security issues are not the Democratic Party of Japan's forte. Since its opposition days, the party has failed to address these issues in earnest. This is clear just from looking at the way the DPJ government handled the the Futenma airbase issue in Okinawa Prefecture.
The fact that the DPJ outsourced the defense policy revision, despite its stance that politicians call shots in policymaking, is proof that the DPJ is weak on national security. The council barely made mention of how its members were selected or what their deliberations were like.
The government is to start putting together a basic defense program based on this report. Is it acceptable to barge ahead on such a major policy shift without appropriate oversight by politicians?
The government should re-examine the policy review process from scratch.
--The Asahi Shimbun, Aug. 28
http://www.asahi.com/paper/editorial20100828.html#Edit2
新安保懇報告―「力には力を」でいいのか
大きな方向転換がもくろまれている。懸念をもたざるをえない。
民間有識者でつくる「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が報告書をまとめ、菅直人首相に提出した。日本の安全保障の指針「防衛計画の大綱」の見直しに向けたものだ。
「平和創造国家」を目標にすえるのはいい。しかし、脅威には軍事力で対抗するという「力の論理」があちこちに顔をのぞかせている点が危うい。
たとえば、専守防衛の理念を長く支えてきた基盤的防衛力構想を、「もはや有効でない」とはっきり否定した。
集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直しや、武器輸出三原則の緩和なども求めている。
また戦後、「国是」とされてきた非核三原則のうち、米国の核持ち込みの禁止について「必ずしも賢明ではない」と疑問を投げかけている。
とりわけ見過ごせないのは、防衛力のあり方をめぐる方針転換である。
防衛大綱は1976年に初めて策定されて以来、「脅威に直接対抗せず、自らが不安定要因にならないよう必要最小限度の防衛力を保有する」という抑制的な考え方を継承してきた。
ところが報告書は一転して、脅威対抗型にかじを切るべきだとしている。
なにが変わったのか。
報告書は米国の軍事力の優越性にかげりが生じていることや中国の軍事力の近代化、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発などをあげる。地域の不確実性が増す可能性には確かに注意が必要だ。
しかし同時に、近隣諸国との相互依存はますます深まり、日米安保体制はより強化されてきた現実もある。日本周辺に、あたかも本格的な軍事侵攻を仕掛ける勢力がいるかのような指摘はバランスを欠いていないか。
相手の脅威に応じた防衛力整備は、防衛費の増大ばかりか軍備競争や摩擦の拡大にもつながる。
戦後一貫して、他国の脅威とならないとし、専守防衛を掲げてきたわが国の理念からも逸脱しかねない。
それがアジア諸国の目にどう映るのか、いま一度考えてみる必要がある。
安全保障問題は民主党政権の苦手分野といっていい。野党時代から、このテーマにきちんと向き合ってこなかった。沖縄の普天間移設問題の迷走一つを見ても、それは明らかだ。
政治主導を掲げながら、大綱見直し作業を外部の有識者に丸投げしていたことも、その証左だろう。懇談会は、人選の理由や議論の中身についてさえほとんど明らかにしなかった。
その報告書をもとに、政府は年末に向け新たな防衛大綱をつくる作業にはいる。適切な政治のグリップなしに大きな政策転換に突き進んでいいのか。
時間をかけてもいい。作業の進め方そのものから見直すべきである。
EDITORIAL: Defense policy review
http://www.asahi.com/english/TKY201008290167.html
2010/08/30
A major policy shift is being contemplated. We cannot help but be concerned.
We are referring to a set of proposals put forth by the prime minister's advisory council on security and defense capabilities, which is made up of private-sector experts.
The aim of the report, submitted to Prime Minister Naoto Kan, is to revise the current National Defense Program Guidelines.
We agree with the report's goal of building "peace-making nation." But we are concerned that the report indicates the need for the "logic of force," in other words, military force should be used to deal with threats.
The report rejects the concept of basic defense capability, which has long supported the principle of an exclusively defensive security stance. The report says the concept is no longer "valid."
The report also calls for review of the constitutional interpretation that bans the use of the right of collective self-defense, and the easing of the nation's three-point ban on weapons exports.
Moreover, the report questions the ban on the introduction of nuclear weapons into the country--one of the nation's three non-nuclear principles. It says banning the U.S. military from transporting nuclear arms through Japanese territory is "not necessarily wise."
What we cannot overlook most of all is a proposed reversal of the nation's defense capabilities. Ever since the National Defense Program Guidelines were established in 1976, the premise was one of restraint--the nation would "not directly confront a threat, but maintain a bare minimum defense force so that it would not become a destabilizing factor itself."
However, the report, in a drastic policy switch, says Japan should become a country that confronts threats.
What has changed?
The report points to the waning of U.S. military supremacy, the modernization of China's military and North Korea's nuclear and ballistic missile development. It is true that the possibility of increasing regional instability must be carefully watched.
However, at the same time, it is a fact that interdependence with the neighboring countries is deepening further and that the Japan-U.S. security alliance has grown stronger. To contend that there are nations ready to attack at any moment is not a well-balanced argument.
A defense buildup that seeks to match threats will lead to an increase in costs, an arms race and regional friction.
It would also deviate from the nation's postwar principle of a defense-only military posture based on the nation's promise that it would never become a threat to other nations.
It is necessary to think how such a shift would be viewed by other Asian countries.
National security issues are not the Democratic Party of Japan's forte. Since its opposition days, the party has failed to address these issues in earnest. This is clear just from looking at the way the DPJ government handled the the Futenma airbase issue in Okinawa Prefecture.
The fact that the DPJ outsourced the defense policy revision, despite its stance that politicians call shots in policymaking, is proof that the DPJ is weak on national security. The council barely made mention of how its members were selected or what their deliberations were like.
The government is to start putting together a basic defense program based on this report. Is it acceptable to barge ahead on such a major policy shift without appropriate oversight by politicians?
The government should re-examine the policy review process from scratch.
--The Asahi Shimbun, Aug. 28
http://www.asahi.com/paper/editorial20100828.html#Edit2
新安保懇報告―「力には力を」でいいのか
大きな方向転換がもくろまれている。懸念をもたざるをえない。
民間有識者でつくる「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が報告書をまとめ、菅直人首相に提出した。日本の安全保障の指針「防衛計画の大綱」の見直しに向けたものだ。
「平和創造国家」を目標にすえるのはいい。しかし、脅威には軍事力で対抗するという「力の論理」があちこちに顔をのぞかせている点が危うい。
たとえば、専守防衛の理念を長く支えてきた基盤的防衛力構想を、「もはや有効でない」とはっきり否定した。
集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直しや、武器輸出三原則の緩和なども求めている。
また戦後、「国是」とされてきた非核三原則のうち、米国の核持ち込みの禁止について「必ずしも賢明ではない」と疑問を投げかけている。
とりわけ見過ごせないのは、防衛力のあり方をめぐる方針転換である。
防衛大綱は1976年に初めて策定されて以来、「脅威に直接対抗せず、自らが不安定要因にならないよう必要最小限度の防衛力を保有する」という抑制的な考え方を継承してきた。
ところが報告書は一転して、脅威対抗型にかじを切るべきだとしている。
なにが変わったのか。
報告書は米国の軍事力の優越性にかげりが生じていることや中国の軍事力の近代化、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発などをあげる。地域の不確実性が増す可能性には確かに注意が必要だ。
しかし同時に、近隣諸国との相互依存はますます深まり、日米安保体制はより強化されてきた現実もある。日本周辺に、あたかも本格的な軍事侵攻を仕掛ける勢力がいるかのような指摘はバランスを欠いていないか。
相手の脅威に応じた防衛力整備は、防衛費の増大ばかりか軍備競争や摩擦の拡大にもつながる。
戦後一貫して、他国の脅威とならないとし、専守防衛を掲げてきたわが国の理念からも逸脱しかねない。
それがアジア諸国の目にどう映るのか、いま一度考えてみる必要がある。
安全保障問題は民主党政権の苦手分野といっていい。野党時代から、このテーマにきちんと向き合ってこなかった。沖縄の普天間移設問題の迷走一つを見ても、それは明らかだ。
政治主導を掲げながら、大綱見直し作業を外部の有識者に丸投げしていたことも、その証左だろう。懇談会は、人選の理由や議論の中身についてさえほとんど明らかにしなかった。
その報告書をもとに、政府は年末に向け新たな防衛大綱をつくる作業にはいる。適切な政治のグリップなしに大きな政策転換に突き進んでいいのか。
時間をかけてもいい。作業の進め方そのものから見直すべきである。
8.07.2010
原爆記念日に
広島・長崎に原爆が投下されて65周年の記念日にちなみ、感想を。
(1)バンクーバー時間8月7日にテレビジャパンの、NHKニュースのなかで、イラクファルージャにおける2004年(アメリカの無差別総攻撃があった)以後の小児がん患者や白血病患者の急増、奇形児の誕生の増加などの紹介があった。
(2)日刊ベリタ紙上に書いた落合の記事(8.06)はファルージャにおける下記の統計値を紹介している。
(a)幼児死亡率は、1000人誕生中80人で、周辺国の数倍以上(エジプト19、ヨルダン17、クウェート9.7)。
(b)癌は総体で4倍増加.14歳以下の小児癌は12倍、白血病は38倍、乳癌は10倍。これらのデータは広島の放射能による白血病の増加(17倍)よりも高い率であるうえに、その発生が広島よりもかなり速い。
(c)新生児の性比は通常1015男児/1000女児であるが、2005年以後のファルージャでは、850/1000で男児が非常に減少している。これは、遺伝子変化の影響が男児により多く現れるためで、広島の戦後にも見られた。なお、統計には現れないが、新生児の奇形もかなり多いらしい;例えば、頭を2つ持った女児とか、下半身不随とか。
(3)NHKの放送では、こうした現象の原因にはいっさい触れられていないが、日刊ベリタで紹介した専門家による報告書は、原因としてある種の放射性物質を示唆し、暗に劣化ウラン弾としている。劣化ウランは、その名から、原爆に使用されるウランとは異なり、その放射能は問題にならないという印象を与える。劣化ウラン弾を使用する側は、そう主張しているので、そのように思う人が多いのではないかと考えられる。しかし、上の統計にもあるように、例えば白血病の発生はファルージャでは、広島でのそれの2倍以上であり患者の増加率は広島よりもかなり速い。おそらく、放射性物質の単位面積あたりの量は、ファルージャのほうが、広島よりもかなり多いのではないかと思われる。これは、劣化ウラン弾は攻撃対象物周辺に、大量のウラン化合物の微粉末をまき散らすためである。そしてこの微粉末をそこに生活する人々は呼吸とともに吸い込まざるをえないのである。とくに、劣化ウラン弾により破壊された戦車などに取り付いて遊ぶ子供達に甚大な影響を及ぼしている。これは、原爆の炸裂により広範囲にまき散らされた放射能よりも影響力が大きい。放射性物質が皮膚など体外から作用する場合、その作用は皮膚への直接的な影響と、皮膚などを通しての体内への影響とあるが後者の影響はあまり大きくない。しかし、体内に一度入りこんだ放射性物質はその物質が体外へ排出されない限り、放出し続ける放射線で、その物質の周辺の体組織を破壊しつづける.この体内被爆のほうが、影響ははるかに大きいのである。劣化ウラン弾は、原爆のように瞬時の大量殺人は起こさないが、ローカルの人々への健康への影響は原爆に劣らず甚大である。
(4)今年の原爆記念日は、国連事務総長や、核保有国—米、英、仏の代表などが出席するという、シンボリックにすぎないとはいえ、記念すべき年になったことは結構である。いわゆる核兵器は大量破壊兵器として、その悪は認識しやすい(といっても日本人以外にはなかなか実感が難しいであろうが)し、その廃絶が促進される気配が世界中に出て来たことは喜ばしい。日本がそのような運動で世界の指導的役割をはたすことが望まれる。
(5)20世紀中頃までに人類は、核分裂(核融合も)など理論を確立し、その実用化を進めてきた。「科学」として人類の知識を促進することは望ましい。しかしその知識を応用するには、人類による周到な配慮がなされなければならない。核分裂による大量エネルギーの平和利用(原子力発電)も、核物質に常に付随する放射能の問題を、無視ではないが、十分な解決法を確立する前に、広範に使用してしまっているし、地球温暖化軽減の名の下に、核発電をさらにふやす傾向にある。原子力発電により長期の潜水が可能になったために、そうした利用も増えた。これらの施設が事故を起こせば、直ちに放射能汚染がその周辺に起ることは避けられない。そのものの事故でなくとも、不完全に廃棄処理された放射性物質からの放射線、また環境へ拡散した放射性物質からの放射線は、人間その他あらゆる地球上の生物に影響を及ぼすし、すでにかなり広範な影響を及ぼしているものと思われる。放射能の影響は、普通目に見えない。(なお、原爆の大量破壊は、放射能よりも、物理的(熱と風力)なものによる)。残念なことには、かなりの放射性物質がすでに地球上にバラまかれてしまっているし、その影響はあまり目に見えない形で、徐々に人類とその他の生物を蝕んでいく。
ところで、ウランは地球上にかなりの量、鉱物として存在するのである。そして、この鉱物も放射能をもってはいるのである。しかし、これらの鉱物がその場に固定されているかぎり、あまり拡散することはない。したがって、今後の地球上の生命を放射能から守るためには、これ以上のウラン鉱物の採掘、利用、拡散を押しとどめる必要がある。核兵器廃絶の運動とともにこの点についての運動も進める必要がある。特に、カナダはウランの大供給国であるから。
落合栄一郎
(1)バンクーバー時間8月7日にテレビジャパンの、NHKニュースのなかで、イラクファルージャにおける2004年(アメリカの無差別総攻撃があった)以後の小児がん患者や白血病患者の急増、奇形児の誕生の増加などの紹介があった。
(2)日刊ベリタ紙上に書いた落合の記事(8.06)はファルージャにおける下記の統計値を紹介している。
(a)幼児死亡率は、1000人誕生中80人で、周辺国の数倍以上(エジプト19、ヨルダン17、クウェート9.7)。
(b)癌は総体で4倍増加.14歳以下の小児癌は12倍、白血病は38倍、乳癌は10倍。これらのデータは広島の放射能による白血病の増加(17倍)よりも高い率であるうえに、その発生が広島よりもかなり速い。
(c)新生児の性比は通常1015男児/1000女児であるが、2005年以後のファルージャでは、850/1000で男児が非常に減少している。これは、遺伝子変化の影響が男児により多く現れるためで、広島の戦後にも見られた。なお、統計には現れないが、新生児の奇形もかなり多いらしい;例えば、頭を2つ持った女児とか、下半身不随とか。
(3)NHKの放送では、こうした現象の原因にはいっさい触れられていないが、日刊ベリタで紹介した専門家による報告書は、原因としてある種の放射性物質を示唆し、暗に劣化ウラン弾としている。劣化ウランは、その名から、原爆に使用されるウランとは異なり、その放射能は問題にならないという印象を与える。劣化ウラン弾を使用する側は、そう主張しているので、そのように思う人が多いのではないかと考えられる。しかし、上の統計にもあるように、例えば白血病の発生はファルージャでは、広島でのそれの2倍以上であり患者の増加率は広島よりもかなり速い。おそらく、放射性物質の単位面積あたりの量は、ファルージャのほうが、広島よりもかなり多いのではないかと思われる。これは、劣化ウラン弾は攻撃対象物周辺に、大量のウラン化合物の微粉末をまき散らすためである。そしてこの微粉末をそこに生活する人々は呼吸とともに吸い込まざるをえないのである。とくに、劣化ウラン弾により破壊された戦車などに取り付いて遊ぶ子供達に甚大な影響を及ぼしている。これは、原爆の炸裂により広範囲にまき散らされた放射能よりも影響力が大きい。放射性物質が皮膚など体外から作用する場合、その作用は皮膚への直接的な影響と、皮膚などを通しての体内への影響とあるが後者の影響はあまり大きくない。しかし、体内に一度入りこんだ放射性物質はその物質が体外へ排出されない限り、放出し続ける放射線で、その物質の周辺の体組織を破壊しつづける.この体内被爆のほうが、影響ははるかに大きいのである。劣化ウラン弾は、原爆のように瞬時の大量殺人は起こさないが、ローカルの人々への健康への影響は原爆に劣らず甚大である。
(4)今年の原爆記念日は、国連事務総長や、核保有国—米、英、仏の代表などが出席するという、シンボリックにすぎないとはいえ、記念すべき年になったことは結構である。いわゆる核兵器は大量破壊兵器として、その悪は認識しやすい(といっても日本人以外にはなかなか実感が難しいであろうが)し、その廃絶が促進される気配が世界中に出て来たことは喜ばしい。日本がそのような運動で世界の指導的役割をはたすことが望まれる。
(5)20世紀中頃までに人類は、核分裂(核融合も)など理論を確立し、その実用化を進めてきた。「科学」として人類の知識を促進することは望ましい。しかしその知識を応用するには、人類による周到な配慮がなされなければならない。核分裂による大量エネルギーの平和利用(原子力発電)も、核物質に常に付随する放射能の問題を、無視ではないが、十分な解決法を確立する前に、広範に使用してしまっているし、地球温暖化軽減の名の下に、核発電をさらにふやす傾向にある。原子力発電により長期の潜水が可能になったために、そうした利用も増えた。これらの施設が事故を起こせば、直ちに放射能汚染がその周辺に起ることは避けられない。そのものの事故でなくとも、不完全に廃棄処理された放射性物質からの放射線、また環境へ拡散した放射性物質からの放射線は、人間その他あらゆる地球上の生物に影響を及ぼすし、すでにかなり広範な影響を及ぼしているものと思われる。放射能の影響は、普通目に見えない。(なお、原爆の大量破壊は、放射能よりも、物理的(熱と風力)なものによる)。残念なことには、かなりの放射性物質がすでに地球上にバラまかれてしまっているし、その影響はあまり目に見えない形で、徐々に人類とその他の生物を蝕んでいく。
ところで、ウランは地球上にかなりの量、鉱物として存在するのである。そして、この鉱物も放射能をもってはいるのである。しかし、これらの鉱物がその場に固定されているかぎり、あまり拡散することはない。したがって、今後の地球上の生命を放射能から守るためには、これ以上のウラン鉱物の採掘、利用、拡散を押しとどめる必要がある。核兵器廃絶の運動とともにこの点についての運動も進める必要がある。特に、カナダはウランの大供給国であるから。
落合栄一郎
7.27.2010
憲法9条なし崩しの動き
以下は、毎日新聞からの記事です。憲法9条は無視して、実質的に日本の軍備拡張、集団自衛権行使、武器生産・輸出拡大などを政府/企業が画策していることを意味しているでしょう。これは、9条の更なる無意味化につながります。これについて民主党内でどうなるかがこの記事の主眼ですが、憲法を守ろうとする日本国民への警告を強調すべきでしょう(落合栄一郎)。
安保懇報告原案:南西諸島に自衛隊配備…武器三原則緩和も
2010年7月27日 22時40分 更新:7月28日 0時38分
菅直人首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長=佐藤茂雄・京阪電鉄最高経営責任者)が8月上旬に首相に提出す る報告書原案の全容が27日、明らかになった。中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発への懸念を背景に、鹿児島から沖縄にかけて点在する南西諸島を念 頭においた「離島地域への自衛隊の部隊配備」を検討するよう提言。また、集団的自衛権の行使を禁じる政府の憲法解釈の見直しや、武器輸出三原則の緩和など を求めている。
報告書は、民主党政権下で初となる年末の「防衛計画の大綱」(防衛大綱)改定のたたき台となる。菅内閣として報告書をどの程度、大綱に反映させるかが、今後の議論の焦点となる。
報告書原案では、東シナ海や日本近海で海洋進出を活発化させている中国、弾道ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮などによる日本周辺の安全保障 環境の悪化に言及。「離島地域の多くは日本の防衛力の配置が手薄で、領土や海洋利用の自由が脅かされかねない」として、南西諸島周辺を念頭に離島への自衛 隊部隊の重点配備の必要性などを指摘した。冷戦時代に採用された、自らが力の空白とならないよう必要最小限の基盤的な防衛力を保有する「基盤的防衛力」の 概念については、「もはや有効でない」として見直しを求めている。
集団的自衛権の行使については、日米同盟を重視し、米国に向かうミサイルを迎撃することが可能となるよう、柔軟に解釈や制度を変える必要があると指摘。武器輸出三原則は、米国以外の国とも共同開発が可能となるよう、早期に緩和するよう提言している。
安保懇報告原案:南西諸島に自衛隊配備…武器三原則緩和も
2010年7月27日 22時40分 更新:7月28日 0時38分
菅直人首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長=佐藤茂雄・京阪電鉄最高経営責任者)が8月上旬に首相に提出す る報告書原案の全容が27日、明らかになった。中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発への懸念を背景に、鹿児島から沖縄にかけて点在する南西諸島を念 頭においた「離島地域への自衛隊の部隊配備」を検討するよう提言。また、集団的自衛権の行使を禁じる政府の憲法解釈の見直しや、武器輸出三原則の緩和など を求めている。
報告書は、民主党政権下で初となる年末の「防衛計画の大綱」(防衛大綱)改定のたたき台となる。菅内閣として報告書をどの程度、大綱に反映させるかが、今後の議論の焦点となる。
報告書原案では、東シナ海や日本近海で海洋進出を活発化させている中国、弾道ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮などによる日本周辺の安全保障 環境の悪化に言及。「離島地域の多くは日本の防衛力の配置が手薄で、領土や海洋利用の自由が脅かされかねない」として、南西諸島周辺を念頭に離島への自衛 隊部隊の重点配備の必要性などを指摘した。冷戦時代に採用された、自らが力の空白とならないよう必要最小限の基盤的な防衛力を保有する「基盤的防衛力」の 概念については、「もはや有効でない」として見直しを求めている。
集団的自衛権の行使については、日米同盟を重視し、米国に向かうミサイルを迎撃することが可能となるよう、柔軟に解釈や制度を変える必要があると指摘。武器輸出三原則は、米国以外の国とも共同開発が可能となるよう、早期に緩和するよう提言している。
7.04.2010
Questions about Cheonan Sinking 韓国哨戒艦沈没についての疑惑
バンクーバー九条の会 会長の落合栄一郎さんが『日刊ベリタ』に書いた記事です。
落合栄一郎
韓国哨戒艦沈没についての疑惑
先に(日刊ベリタ2010.06.23)、この事件についての韓国国内での民間からの疑問提出を韓国政府が躍起になって押さえつけようとする様が報告された。日本では、世界中でも最も早い時期に田中宇氏が非常に重大な疑問符を投げかけた(http://tanakanews.com/100507korea.htm;
http://tanakanews.com/100531korea.htm )が、主要なメデイアや政府は、公式報告(北朝鮮による魚雷攻撃と結論)を鵜呑みにして、沖縄普天間基地/辺野古移転への正当化、軍備強化、日米同盟深化などをすすめる道具に使っている。
一方、当の韓国政府は国連の安保理への書翰(http://en.rian.ru/world/20100604/159308808.html)では、検討を要請するのみで、北朝鮮制
裁を要求してはいない。それを受けて、安保理の議長国メキシコ代表は、非公式だが報告書をまとめ、あの攻撃は避難されるべきとしながらも、北朝鮮がその責任者であるとは言っていない(読売新聞、2010.07.01)。また、アメリカは、最近北朝鮮を「テリスト国家」に再度指定することを見送った。ここカナダバンクーバ-市の代表的新聞であるヴァンクーバーサン紙のコラムニストの一人は、この米韓(それに他の数カ国の専門家も係わったとされるがー疑問)による報告へ様々な疑問を提出している。また別のサイトでは、唯一の証拠品とされる魚雷の詳しい分析から報告書の結論は間違っているという指摘もされている。
これらの動きからは、あの事件の真実はまだ解明されていないことがわかるが、当事者達(韓国政府/米国政府)ですら真相究明を避けようとする(真相が解明されると当事者に不都合か)傾向があ
り、北朝鮮を本当に非難することは避けているきらいが見られる。日本政府/メデイアは、北朝鮮に責任をなすり付けることが、自分達に好都合なのか、または真相究明などという精神は持ち合わせな
いのか、北朝鮮制裁強化などを主張する唯一の国である。しかも多数の国民もあまり疑問を抱かないようである。これがひいては、無条件の普天間基地返還という沖縄県民の念願を無視する政府に加担
することになる。
落合栄一郎
韓国哨戒艦沈没についての疑惑
先に(日刊ベリタ2010.06.23)、この事件についての韓国国内での民間からの疑問提出を韓国政府が躍起になって押さえつけようとする様が報告された。日本では、世界中でも最も早い時期に田中宇氏が非常に重大な疑問符を投げかけた(http://tanakanews.com/100507korea.htm;
http://tanakanews.com/100531korea.htm )が、主要なメデイアや政府は、公式報告(北朝鮮による魚雷攻撃と結論)を鵜呑みにして、沖縄普天間基地/辺野古移転への正当化、軍備強化、日米同盟深化などをすすめる道具に使っている。
一方、当の韓国政府は国連の安保理への書翰(http://en.rian.ru/world/20100604/159308808.html)では、検討を要請するのみで、北朝鮮制
裁を要求してはいない。それを受けて、安保理の議長国メキシコ代表は、非公式だが報告書をまとめ、あの攻撃は避難されるべきとしながらも、北朝鮮がその責任者であるとは言っていない(読売新聞、2010.07.01)。また、アメリカは、最近北朝鮮を「テリスト国家」に再度指定することを見送った。ここカナダバンクーバ-市の代表的新聞であるヴァンクーバーサン紙のコラムニストの一人は、この米韓(それに他の数カ国の専門家も係わったとされるがー疑問)による報告へ様々な疑問を提出している。また別のサイトでは、唯一の証拠品とされる魚雷の詳しい分析から報告書の結論は間違っているという指摘もされている。
これらの動きからは、あの事件の真実はまだ解明されていないことがわかるが、当事者達(韓国政府/米国政府)ですら真相究明を避けようとする(真相が解明されると当事者に不都合か)傾向があ
り、北朝鮮を本当に非難することは避けているきらいが見られる。日本政府/メデイアは、北朝鮮に責任をなすり付けることが、自分達に好都合なのか、または真相究明などという精神は持ち合わせな
いのか、北朝鮮制裁強化などを主張する唯一の国である。しかも多数の国民もあまり疑問を抱かないようである。これがひいては、無条件の普天間基地返還という沖縄県民の念願を無視する政府に加担
することになる。
6.21.2010
A Message from Chuck Overby, founder of the Article 9 Society in the U.S., for the 63rd Anniversary of the Japanese Constitution
From Dr. Chuck Overby
28 April 2010 [slightly revised 5/14/10]
TO: My Japanese Article 9 loving friends –
Greetings and best wishes on this May 3rd sixty third Anniversary of the adoption of your post World War II Constitution, with its Article 9 species wisdom – most all humanity’s cry for an end to that dominantly masculine obscenity called war.
Some of my recent writings suggest that we “Imagine The Magic Of An Article 9 Without Borders.” See my web-site www.article9society.org [English only].
Your supreme challenge, my dear Japanese friends, is not only to “imagine” a world in which all nations have an Article 9 type clause in their founding documents -- but to make it happen – and by vigorously working to keep Article 9 alive as a model for all nations on Planet Earth to emulate. Nations of the world so desperately need to be weaned from their age old “lust” for “Rules of War” and freshly nourished with Article 9’s wonderful non-violent “Rules of Law.”
Please, my dear friends, keep your Japanese and my U.S. governments from completely destroying Article 9 – and keep your government from its often stated passion to be like all the other “big-boys” on Planet Earth – a so-called “normal nation,” meaning one that bullies its way around the world with a military fist.
My 84 year journey on Planet Earth has profoundly helped me to understand how important Article 9 is for all life and for Mother Earth herself. My life-trip includes -- [1] service in two of America’s wars, World War II and the Korean War [combat pilot in Korea] – [2] over half a century as an engineering professor [and passionate humanist internationalist] – [3] over four decades of, thus far mostly unsuccessful, professional engineering dedication to the ideas of Green Technology By Design [GTBD] as means for enabling us to help prevent “oil” and other “resource wars” – and “global warming” – [4] and a growing understanding that there are no military solutions what-so-ever for the multitudes of problems and challenges we as a species face on Planet Earth.
If we do not replace “rules of war” with Article 9 like “rules of law,” and constrain our unjust and profligate material consumptions -- our trajectory points in the not too distant future to the end of life on beautiful Planet Earth. We will end things by one or the other of the following two means; or with both in synergy -- [1] our exponentially increasingly lethal science and engineering designed systems for killing and destruction and/or with [2] polluting and globally warming ourselves into Martian lifelessness with our “possessive-individualist” culture’s often greed-driven, mindless, profligate, and inequitable consumption of beautiful Mother Earth’s resource treasures -- converting them into entropic randomness -- resources over which we increasingly fight “resource wars.”
Never-ending economic “growth” “growth” and more “growth,” a philosophy, for which we in the USA have been Earth’s chief proponent, must be replaced across the planet with an equitable “no-growth-steady-state” model – both in “consumption” and in “population.”
One dimension of this “steady-state” model needs to be GTBD in all its multiplicity of possibilities -- something that Japan is uniquely equipped to demonstrate across Planet Earth. Please see my unsophisticated web site, www.article9society.org [unfortunately English only] for materials on GTBD along with much more on Article 9 and the things that Japan might do so as to provide leadership for Planet Earth in non-violence and in war and violence prevention with Article 9 as its “badge of honor.” Please also see pages 130 – 203 of any edition of our bilingual book [Japanese and English] -- Overby, Kunihiro, and Momoi, A Call For Peace: The Implications of Japan’s War-Renouncing Constitution, for much additional amplification on these themes.
Finally -- at this time, early May 2010, when you celebrate the 63rd anniversary of the adoption of your new constitution and its Article 9 wisdom -- a “review” is taking place at the United Nations on the 40th anniversary of the adoption of the 1970 nuclear Non-Proliferation Treaty [NPT] -- the “NPT 2010 Review.” Significant international demonstrations are being planned for this “NPT 2010 Review” event.
If everything materializes as planned, I hope to participate in some of these international demonstrations with my Veterans For Peace [VFP] friends by doing a bit of “Street Theater” -- in costume as Uncle Sam. I will be carrying signs that call for the elimination of all nuclear weapons from Planet Earth, with the help of Articles VI and VII of the NPT. Articles VI and VII of the 1979 NPT read as follows:
Article VI --“Each of the Parties to the Treaty undertakes to pursue negotiations in good faith on effective measures relating to cessation of the nuclear arms race at an early date and to nuclear disarmament, and on a Treaty on general and complete disarmament under strict and effective international control.”
Article VII -- “Nothing in this Treaty affects the right of any group of States to conclude regional treaties in order to assure the total absence of nuclear weapons in their respective territories.”
Best wishes in your efforts to save Article 9. You in Japan have primary responsibility for this challenge because A9 resides in your constitution.
Please wish us well in our New York City demonstrations at the “NPT 2010 Review” event.
Peace,
Chuck Overby
-- 1991 Founder of the Article 9 Society – USA
28 April 2010 [slightly revised 5/14/10]
TO: My Japanese Article 9 loving friends –
Greetings and best wishes on this May 3rd sixty third Anniversary of the adoption of your post World War II Constitution, with its Article 9 species wisdom – most all humanity’s cry for an end to that dominantly masculine obscenity called war.
Some of my recent writings suggest that we “Imagine The Magic Of An Article 9 Without Borders.” See my web-site www.article9society.org [English only].
Your supreme challenge, my dear Japanese friends, is not only to “imagine” a world in which all nations have an Article 9 type clause in their founding documents -- but to make it happen – and by vigorously working to keep Article 9 alive as a model for all nations on Planet Earth to emulate. Nations of the world so desperately need to be weaned from their age old “lust” for “Rules of War” and freshly nourished with Article 9’s wonderful non-violent “Rules of Law.”
Please, my dear friends, keep your Japanese and my U.S. governments from completely destroying Article 9 – and keep your government from its often stated passion to be like all the other “big-boys” on Planet Earth – a so-called “normal nation,” meaning one that bullies its way around the world with a military fist.
My 84 year journey on Planet Earth has profoundly helped me to understand how important Article 9 is for all life and for Mother Earth herself. My life-trip includes -- [1] service in two of America’s wars, World War II and the Korean War [combat pilot in Korea] – [2] over half a century as an engineering professor [and passionate humanist internationalist] – [3] over four decades of, thus far mostly unsuccessful, professional engineering dedication to the ideas of Green Technology By Design [GTBD] as means for enabling us to help prevent “oil” and other “resource wars” – and “global warming” – [4] and a growing understanding that there are no military solutions what-so-ever for the multitudes of problems and challenges we as a species face on Planet Earth.
If we do not replace “rules of war” with Article 9 like “rules of law,” and constrain our unjust and profligate material consumptions -- our trajectory points in the not too distant future to the end of life on beautiful Planet Earth. We will end things by one or the other of the following two means; or with both in synergy -- [1] our exponentially increasingly lethal science and engineering designed systems for killing and destruction and/or with [2] polluting and globally warming ourselves into Martian lifelessness with our “possessive-individualist” culture’s often greed-driven, mindless, profligate, and inequitable consumption of beautiful Mother Earth’s resource treasures -- converting them into entropic randomness -- resources over which we increasingly fight “resource wars.”
Never-ending economic “growth” “growth” and more “growth,” a philosophy, for which we in the USA have been Earth’s chief proponent, must be replaced across the planet with an equitable “no-growth-steady-state” model – both in “consumption” and in “population.”
One dimension of this “steady-state” model needs to be GTBD in all its multiplicity of possibilities -- something that Japan is uniquely equipped to demonstrate across Planet Earth. Please see my unsophisticated web site, www.article9society.org [unfortunately English only] for materials on GTBD along with much more on Article 9 and the things that Japan might do so as to provide leadership for Planet Earth in non-violence and in war and violence prevention with Article 9 as its “badge of honor.” Please also see pages 130 – 203 of any edition of our bilingual book [Japanese and English] -- Overby, Kunihiro, and Momoi, A Call For Peace: The Implications of Japan’s War-Renouncing Constitution, for much additional amplification on these themes.
Finally -- at this time, early May 2010, when you celebrate the 63rd anniversary of the adoption of your new constitution and its Article 9 wisdom -- a “review” is taking place at the United Nations on the 40th anniversary of the adoption of the 1970 nuclear Non-Proliferation Treaty [NPT] -- the “NPT 2010 Review.” Significant international demonstrations are being planned for this “NPT 2010 Review” event.
If everything materializes as planned, I hope to participate in some of these international demonstrations with my Veterans For Peace [VFP] friends by doing a bit of “Street Theater” -- in costume as Uncle Sam. I will be carrying signs that call for the elimination of all nuclear weapons from Planet Earth, with the help of Articles VI and VII of the NPT. Articles VI and VII of the 1979 NPT read as follows:
Article VI --“Each of the Parties to the Treaty undertakes to pursue negotiations in good faith on effective measures relating to cessation of the nuclear arms race at an early date and to nuclear disarmament, and on a Treaty on general and complete disarmament under strict and effective international control.”
Article VII -- “Nothing in this Treaty affects the right of any group of States to conclude regional treaties in order to assure the total absence of nuclear weapons in their respective territories.”
Best wishes in your efforts to save Article 9. You in Japan have primary responsibility for this challenge because A9 resides in your constitution.
Please wish us well in our New York City demonstrations at the “NPT 2010 Review” event.
Peace,
Chuck Overby
-- 1991 Founder of the Article 9 Society – USA
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