下の論は、2011年東日本大震災とそれに続く福島第1原発事故の直後に日刊ベリタに投稿したものである。現在でも検討する価値があると思われるので、再掲載する。
この機会に世直し運動を
(2011.04.01)
強度9.0の地震に端を発する津波がもたらした今回のかってない大規模な天災と、それに付随した原発の重大事故という人災、発生後20日がたち、避難所で不便な暮らしを強いられている人々も多いし、災害地での生活手段の崩壊でこの先どうなることか、途方にくれている人々もまだまだ沢山おられます。そのような時に下のようなとてつもない(と考えられるかもしれない)提案など、耳を貸せないと思われるかもしれませんが、この機会を、日本(ひいては世界)の「世直しの機会」と捉えるのが、今回の犠牲者への贖罪となるだろうし、また、ことは急を要するのではないかと思う。というのは、今年度の予算案その他の審議、決定に、ここで提案することは、考慮されるべきだと考えるからです。
(1)まず、原発の安全神話が完全に崩れたことは、日本の人々ばかりでなく世界中の人々が実感できたことと思う。チェルノイブル原発事故による放射線障害の実情(http://www.universalsubtitles.org/en/videos/zzyKyq4iiV3r/ja/)は大変深刻なようである。すでに世界各国で原発の見直しが始まっている。日本は、こうした原発廃止への動きの先頭に立つべき国であったのである。数個のプレートがかみ合う場所に位置する日本は,地震・津波の危険にいつも晒されている。そのような場所に危険な原子力発電所はもともと無理なのであった。しかるに、最近は、地球温暖化対策の一つとして温室効果ガス2酸化炭素を放出しないという理由のみで、すでに経済効果も安全性も十分に否定されている原発が、それを建設して儲ける人々によって、原発ルネッサンスとかいって推進されていた。今回の原発事故はそれに水をかけた。まず世直し運動の第1は:
『新規原子力発電所建設は不許可、現存の原子力発電所は早急に廃止、それに代わる再生可能で環境にやさしいエネルギー産業に力を入れるべし』
というもので、国民的合意を作り出し、政府・議会・企業側にその実施を迫る。エジプト民衆にならって、多くの人が声をあげれば、実現するのではないだろうか。しかし、原発側からの脅し(電力不足—停電)にも現実味はあるので、しばらく(10年単位の話)は我慢する覚悟はなければならない。それはエネルギー消費から極力無駄をなくし、原発や火力発電に代わるエネルギー源をより速やかに開発することで対処する。石油は遠くない将来になくなることは確実である。
地球はすでにかなりの程度、放射能に汚染されてしまっている。ウランは、地球上に自然に存在するものであることは事実だが、ウラン鉱として特定の場所に固定されているかぎりその周辺を除き大きな危害を人類に与えない。人類はそれを無理矢理に掘り出して、人を殺す道具をつくり、その弊害を覆い隠すために、その平和利用として原子力発電を導入したのだが、多くの国で原発依存症を発症させてしまった。そこで使われまたは発生する放射性物質は、何十年、何世紀、何十億年という長きにわたって放射線を出し続けるのである。使用済みの放射性廃棄物は、安全に処理できない。
放射性物質は、これ以上世界中に拡散させてはならないのである。
(2)被災者援助、災害復興、インフラ整備には莫大な費用がかかるであろう。現在のような国の財政状態でどうするか。日本政府はまたまた赤字国債を発行して借金でなんとかしようとしている。今は,いやこれからの世の中は、人の命を大切に、国家予算は、そのために使うべきであり、人を殺すために「カネ」を使うべきではない。一方、現在の国家財政での基本問題の一つは高所得者への富の配分がより大きくなる仕組みになっていること(税率が低いなど)により、社会福祉・社会サービスなどへ十分な予算がいかない。この国家財政政策を次のように変えることが,第2の世直しである。
『軍事予算、米軍への「思いやり予算」などを減らして、被災者救援/災害復興に振り向けるべし』『富むもの(高所得層、企業)への増税による富のより公平な分配を』
しかし、日本は周囲を敵に囲まれていて、アメリカ軍の駐留も自衛隊の増強も不可欠であると思い込んでいる人々も多いのであろう。このような恐怖感は、軍需増大によって儲ける側が押し付けていることを見破らねばならない。それを悟らずに、軍備競争を(仮想敵国と)続けていったら、“人類は互いに殺し合うことに奔走して、「カネ」を注ぎ込んだため、ついには地球上から消滅した、なんと愚かなことよ”と、どこか別の星の生き物が書き残すことになるかもしれない。それはともかく、アメリカで軍事予算の肥大化が市民生活を圧迫しているように、殆どあらゆる国で、軍事費が人々の生活の資の多くを奪っている。こんなことは、人類にとってばかげたことであるということを、
今回の天災を機会に、上に述べた第2の世直し運動を起こし、日本から世界へ広めることによって、世界中の人々を納得させられるのではないだろうか。憲法第9条を持つ日本が、その理想を高く掲げる時が来たのである。これは人類の悲願なのである。この問題には、沖縄の基地問題などを含む日米安保の再考も含む。
(3)新しい文明を:上の二つの世直し運動は、現在の問題を直接に扱うが、これは次の段階をもたらすはずである。すなわち現代文明—大量物質消費文明・市場経済・金融支配経済—が持続できないという認識へと進むであろう。すなわち、第3の一般的世直し運動は、
『脱現代文明(大量消費/破壊的競争経済/金融支配経済)、そして真の意味での人民参加の民主主義へ』
これは非常に広範で、奥深い人類社会の変革である。おそらくこのような社会を実現しないかぎり、人類文明は持続できないであろう。現在のアメリカに代表される物質文明の問題点、そしてより持続可能性のある社会の概要を「アメリカ文明の終焉から持続可能文明へ」(下記)で述べたので参考にされたい。具体的にはどうするか、多くの人の知恵を結集しなければならない。
(参照:落合栄一郎「病む現代文明を超えて持続可能な文明へ」(本泉社、2013年)
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