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欧米諸国による敵対政権破壊の動き 中東騒乱にみる選民意識
先に欧米諸国に残る選民意識が発動した例として、ノルウェーの銃乱射事件を論じた(落合:日刊ベリタ2011.08.01)。この例は、個人の選民意識が明らかなケースであったが、中世後半から始まる西欧文明の台頭と世界制覇は、キリスト教の教義に含まれたと彼らが考えた「神に選ばれた」自分達が、世界を制覇するという信念から発していたようである。その精神が、実はまだまだ生きているようである。 この信念は、現在の経済による世界支配と結び付いて発揮されているため、こうした選民意識は、欧米人自身の意識にはのぼり難いが、様々な面で、それが発揮されているように見える。アメリカでは、オバマという黒人が大統領になるという、選民意識に基づく人種差別を克服したかにみえる状態までに至ったのはよいが、キリスト教右派は、その選民意識をむしろ鮮明して、大統領を始め、黒人インテリ(ハーバード大教授など)を迫害している。 アメリカという国が、建国以来特に中南米の民主主義政権(それが、アメリカ企業の進出の邪魔になる)を倒し続けてきたことは周知のことであろう(落合:日刊ベリタ2007.12.13、2008.01.08)。冷戦時代は、国内で社会主義/共産主義を悪魔の如くに喧伝し、アメリカ人に共産主義へのアレルギーを植え付けた。 冷戦終了後は、テロリスト撲滅、人道擁護などを旗印に、欧米諸国に楯突く国々を攻撃している。まずテロリスト撲滅という名目で始めたアフガン戦争を、次には、様々な偽情報を基に、アメリカに楯突く(そして同盟国であるイスラエルにとって邪魔な)サダムフセインを打倒、民主主義導入を旗印にイラク戦争を引き起こした。次に欧米諸国にとって目の上のたんこぶ的リビアのカダフィに、国内反対派をたき付けて反抗させ、カダフィ側がそれに抵抗すると、長期政権をとり続けたカダフィが人民を抑圧するとして、人道的支援を称して、リビアの内戦に干渉し、カダフィを取り除いた。 そして,現在は、シリアである。反政府側テロ組織を後押しして、内乱を拡大し、それに対するアサド側の抵抗を人民抑圧とし、多数の市民の命を守るという人道支援を強化している。最近の市民の多数虐殺も,反政府テロ側は、政府軍によるとし、政府側は、反政府テロリストの強行としている。被害にあった側の側近からの情報では、反政府テロリストが行い、その結果の動画を撮影して、政府側のやったことだと報道しているし、欧米のメデイアもそれにならっている。というより、これら一連の動きは、親欧米政権であるサウジアラビアなどの後押しによるテロ組織、それを背後から支える欧米諸国によるもので、その支配下にあるメデイアは、反アサドに好都合な報道を心がけている。 最近のシリア内情を伝える報道(*)の一部を紹介しておく。テロによる攻撃は激化しており、政府側軍事施設、警察機構、石油パイプライン、鉄道、市民の惨殺と誘拐、学校への放火、教師の暗殺などが行われている。ホムズでの虐殺の後は、連日アサド支持、反テロのデモが繰り広げられているそうである。この報告者がシリア滞在中で感じたことは、市民の生活や表現の自由は制限されておらず、反政府デモは一度も見られなかった。1月1日のアサドの街頭演説には、数万の人が集まり、市民の歓呼に迎えられた。知識人達も、初期には、アサドの長期政権には不満を募らせてはいたが、テロの台頭で、現政権護持、そしてそれが掲げる改革案を支持する側にまわった。 これら中東の多くの国で起っていることは、欧米の支配に屈しない政権を自分達に好都合な政権に変えることと、イスラエルを取り巻く反イスラエル勢力を破壊するという目的をもった動きである。さて,この後に来るのが、イランである。イランは、イスラエルにとって最も脅威を感じる国である。その国力を破壊したい。今回は、核開発が軍事目的で行われているという口実で、核施設を破壊しようとしている。 イスラエルがその周辺からその存続に脅威を受けつつある根本原因が、第2次大戦後のパレスチナ人を排除しての建国と、更なる拡張を強行していることにある。この根本には、いにしえのイスラエルの神が、パレスチナをイスラエルに与えると宣ったというドグマに根拠があり、イスラエル人がその神に選ばれた民族であり、あの地に住む権利を与えられているという思い込みがある。そして、この思い込みは、第2次世界大戦で、被った民族的被害(ホロコースト)で強化されている。それは、ナチスドイツ(キリスト教国)の、ユダヤ民族排撃という、これも一種のキリスト教側の選民意識に基づいていた。 これら中近東での、欧米の軍事介入は、人民への人道支援を旗印にしながら,邪魔な人民は容赦なく攻撃、死傷させている。そして、そうした攻撃によって被害を受ける側への配慮はほとんどない。イラク、アフガニスタンでは、多数の市民が、犠牲なっているが、それに対する陳謝の念などはどこにもない。欧米政権や軍事関係者は言うに及ばず、普通市民にすらそういうこと(相手側無辜市民の殺傷、環境破壊など)に、懸念を感じている人は多くはない。その底には、自分達の選民意識が流れており、選民ではなく、しかも相反する宗教を信じる人間達への人間的配慮が欠如しているように見える。 イランの核施設を攻撃(する準備をしている)したら、周辺市民にいかに甚大な被害を及ぼすだろうかなどは考慮に登らないようである。戦争とはそうしたものと言えばそれまでだが、これらの戦争はそもそも、仕掛けられたものではなく、言いがかりを作り上げて、勝手に踏み込んで行っているものである。その根底には、欧米による世界制覇の野望が、植民地時代閉鎖後、新たに働き出しているようにみえる。こう言ったからとて、サダムその他の,長期独裁体制とそれによる人民抑圧(が本当にあったかは別問題だが、あったとして)を行ってきた政権を擁護するものではない。 なお、逆の場合、すなわち欧米に楯突くのではなく、むしろしっぽを振ってくっついていく日本などは、内心では侮りながらも、友好関係を保っている。いやそれを利用して絞るだけ絞る魂胆である。なお、こうしたことは、権力者レベルに見られる現象(いや見られるわけではなく、彼らがやることか察せられること)であり、多くの一般市民の意識の底にもあるものと思われるが、しかしまた、かなり多くの欧米人には、それに対する反省の念ももち上がっているようではある。というより、そう信じたい。 (*: |
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