人間社会が拡大し、複雑になるにしたがって、社会の営みが分化してきた。これはやむを得ない傾向ではあろうが、社会構造が高度化するにしたがって、さらに分化傾向が激しくなり、様々な弊害が生じている。問題の根本は、その専門化した分野に携わる人間は、自分の専門分野がどのように社会全体のなかで機能しているかを意識することが少なく、専門分野自体がその専門家の全世界になってしまう。そして、問題が生じても、専門分野維持に固執しがちである。それは、専門分野がそのまま維持されることが自分の地位を安泰にさせるからである。専門分野の問題点を指摘する内部告発者は少なく、しかもその分野の専門家集団から排除される。現在の人類社会は、数多くの専門家集団から成り立っている。
70億に達した人類が、この地球上で生息している。もちろん我々は、この素晴らしい環境を約870万(最近のデータ)種の生き物と共有している。この地球上に現世人類が出現したのは200万年ほど前。20000年程ぐらい前までは、人類も他の生物とあまり違わない、すなわち、他の生物や環境から構成される生態系にあまり衝撃を与えないような、生態系と調和した生き方をしていたものと思う。
やがて、人類は火を発見し、道具を作り出した。そしてその道具を使って、他の生物を殺す専門家に発展した。もちろん他の動物達もその生存のためには、他の生き物を殺さざるを得ないが、人類は、その生存のための必要以上の、同類をも含む動物殺戮をする専門家になった。そのために、マンモスなどの多くの種を絶滅させ、生態系を崩し始めた。もちろんその時点では、人類は自分達がなにをやっているかについての意識は持ち合わせてはいなかったではあろう。
さて農業を発明して、自然が提供する以上の食物を作れるようになったので、人類の数は急激に増えていった。小集団が、大きな集団に成長して、その集団を統御する必要が生じ、集団構成員の役割は分化し、専門家集団が形成し始めた。集団を統率する人間とそれを補佐する人間達、食料を生産したり分配したりする人間達などなど。そして現代社会は、多数の専門家集団からなっている。政治家達、官僚たち(その中にまだ細かく別れた専門領域の官僚)、経済を握る人達、報道機関、健康を司る様々な集団(医者、医療機関、医療保険など)、教育者達(これもさらに様々な専門家集団に)、科学者・技術者(これもさらに細かく専門に分化)などなど、すべてをここに尽くすことは不可能である。
東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第1原子力発電所の事故とそれに絡む様々な現象に専門家なるものが登場し、彼らが専門家を標榜して発言することが国民から顰蹙をかうことがしばしばである。そしてここに専門分化した社会の根本問題が潜んでいる。この原発事故関連で、原発に関与している研究者・技術者、それから研究費などを得ることによって研究を維持している研究者などの総体を「原子村」と呼ぶようである。なお原子村には、科学者・技術者以外の、原発企業や原発管理機構、安全管理機構などなどに携わる官僚達も含まれるが、これらは、専門家とは別にしておく。
原発の事故、その内容と原因、そして放射性物質漏出の結果,すなわち放射性物質の分布、放射線量と健康への影響などは、科学・技術の範疇に属する。先ず指摘しておかねばならないのは、原爆・原発は、人類にとってつい最近、わずか半世紀強の歴史しかない。その間の原爆、原発の開発は、軍事・経済目的を主として行われてきた。そのために、これらがもたらす負の影響は、専門家といわれる人達は、過小評価しがちであった。それは、最初に述べた専門家というものが、自分の専門領域にマイナスになることには、目をつぶる傾向にあるからである。日本の主要大学の原子力工学その他で力を持つ人々は、原発擁護によって、自分達の命の糧をえてきた。原発の危険性に意を注ぐ人達は、仲間はずれにされ、冷遇されてきた。残念ながら、これが、多くの専門家集団の性格である。
この分野,特に低レベルの放射線の内部被曝についての人類の知識、理解はまだまだ非常に少なく、浅い。それにも拘らず、いわゆる専門家が、その影響を過小評価したことを、いわば事実かの如く発言してはばからない。といっても、現在の人類の得た知識とデータからは、低レベル放射線の健康への様々な影響を、科学的に立証することは、2、3の例を除いて非常に困難ではある。例外は、ヨ−ドー131と甲状腺障害(ガンも含む)、ラドンと肺がんなど、原因−結果の関連がかなり明瞭な場合である。しかし、これとても、低いレベルなのに本当にガンまでに発展するのか、他の要因が関与していないかなど、不明確な部分がないわけではない。そして、「低レベルの放射線の安全性」を強調して、だから原発の事故は怖くない、しかもこれからは、原発の安全性はさらに高めるのだからという論理に繋げられる。原子村の人々は、原発の安全神話が崩壊した後、こんどはこの「放射能の安全神話」を普及させようとしている。文科省も教科書にそのようなことを明記して、子ども達、国民を欺くことに加担している。(「(高エネルギー)放射線が生命と相容れない」ことは、ここですでに議論した:落合、日刊ベリタ、2011.12.31)。
これは、専門家集団というものが、自己の存亡を賭けて、社会全体の不利益を無視した発言・行動をすることの卑近な例である。軍事専門家(職業軍人、軍需企業など)も、軍事を増強すること、一人でも多くの人を殺すことを、そしてそれを効率的に行うことを使命と考えているし、そのために意欲を燃やす。多くの技術者や科学者も、自分達の成果が社会や人類、環境などにどんな負の影響を与えるだろうかに意を用いることなく、自己の成果達成に邁進している。その上に、企業の利潤追求の精神が、こうした技術者や科学者などの専門家を督励して、さらにその精神を発揮し易くしている。これに疑問を抱けば、その職場を追われることは必定である。生きる道を断たれる。こうした専門家集団の自己の領域以外への配慮欠如が、現在の複雑社会を更に複雑にしているし、経済や社会の正常化の足かせになっていることが多い。すなわち、専門家集団は必然的に体制維持派になっている。
No comments:
Post a Comment