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4.26.2014

Power Point Presentation of "Hiroshima to Fukushima: Biohazards of Radiation"


The publication of the "Hiroshima to Fukushima: Biohazards of Radiation" was announced on this site before (2013.11).  Subsequently, two lectures have been given on the book; one at World Federalists monthly event and another at University of British Columbia.  The talks were given with PPT.  It is shown below.   -- Eiichiro Ochiai (VSA9) --










                                                                                 


















                                           

















































3.13.2014

「国際女性の日」、バンクーバーで、日本軍「慰安婦」についての勉強会-参加者の感想

3月8日、国際女性の日、バンクーバー九条の会は、日本軍「慰安婦」問題についての勉強会の一環として、映像とディスカッションの会、第二回目を行いました。ピョン・ヨンジュ監督の映像シリーズ

『ナヌムの家』 (英題: The Murmuring) 1995/ 98min.
『ナヌムの家II』(英題: Habitual Sadness) 1997/ 56min.
『息づかい』(英題: My Own Breathing) 1999/ 77min.

のうち、今回は第三作の『息づかい』を観ました。

「シネマ・コリア」のウェブサイトにこの作品の詳しい紹介があります。
韓国の女性が初めて従軍慰安婦問題を正面から取り上げたドキュメンタリー作品。「韓国のドキュメンタリー映画史・インディペンデント映画史・女性映画史は『ナヌムの家』以前と以後に分けられる」との評もある記念碑的作品。続編に『ナヌムの家2』が、そしてシリーズ完結編に『息づかい』がある・・・続きはこのリンク

3月8日、バンクーバーでの勉強会。メンバーの自宅で。

参加者の皆さんからの感想を紹介します。

H.M. さん(女性)より。
ナヌムの家3 息づかい
フィリピンで、性暴力被害女性と支援者たちと踊るハルモニ。皆に花嫁衣装を着せて貰い、誕生日を祝って貰うハルモニ。お墓に埋めに故郷へと仲間に連れていってもらう亡くなったハルモニ。日本軍がさらいに来た場所で過去を語り、その時を思い出して岩陰に友達と隠れ、それをかくれんぼに変えてふざけ、泣き笑いするハルモニ。悲惨な慰安婦体験で記憶も失って、自分が誰だか分からないまま、妹だと信じる女性の誠心誠意の看病で健康回復したというハルモニ。慰安婦だった過去を本にしたものの、娘や孫には隠し通し、過去を語らなかったというハルモニ。でも実は、娘夫婦はこっそりその本を読んで、ずっと一緒にその傷に耐えてくれていた。。。
かつて悲惨な過去を孤独の中で耐えて生き抜いて来たハルモニは、今こうして、静かに愛され、過去の傷を分かち合い、その苦しみを少しずつ背負って貰って生きている。。。私もその様子を視聴者として見守りながら、思いを分かち合い、彼女達の心と体に刻まれた慰安婦の歴史を体の中に感じた映画でした。
T.I. さん(男性)より。
10万人と云われる元慰安婦達が恥ずかしさ故に、戦後50年近く沈黙を守ったと言うのは驚きで、その時代の韓国女性の純情さが、残念ながら加害者を利する結果になったように思います。
 おばあさん達が勇気を持って過去を語り始めたのは、日本政府にせめて一矢むくいようという怒りか?真実を後世に残したいという本能か? 多分、第3者が簡単には表現できないものだと思います。
 しかし遅れて作られた映画、最近建てられつつある銅像がおばあさん達の遺志を引き継ぐ事になると思います。
30代、女性の方より
女性達の話に、自分自身を照らし合わせて考える。私が少女だった頃、彼女達と同じ経験をしていたとしたら…。仮に生き延びていたとして、成人である今、どんな毎日を過ごしていただろう。もしも家族が居たら、または独りだったら。夜を朝を、どんな気持ちで迎えていたか。果たして私に、自分の身に起きたことを告白する勇気があっただろうか。作中で表される彼女達の生も死も重く、いつまでも頭を離れない。 
K.H.さん(男性)より
被害者たちが要求しているのは必ずしも「補償」や「謝罪」ではないと思うのですね。
つまり、村山談話や河野談話で表向きでは「政治決着」が着けられたと云われながらも首相や閣僚やその
他日本を代表するような立場の人びとの口からそれを否定する言説が次々に出されて来るわけです。
そこにメディアなどがどんどん悪乗りをして来ている。
これは消えかかった炎にわざわざ油を注いでいるのと全く同じことなのです。
これこそ日本の誇りそのものを辱めているのだと思います。
今に至っても彼女らを侮辱し傷つけるこのような言動は許し難く、日本の良心が問われているのではないでしょうか。
このことは韓国朝鮮のみならず日本とその未来を裏切っている重大な犯罪行為だと私は思います。 
S.N.さん(女性)より
性奴隷という犯罪を軍が積極的に組織し管理して進めた日本軍「慰安婦」制度。おばあさんたちの泣く顔、笑う顔、怒る顔-しわだらけの顔でも、すべての顔の向こうには少女の顔が見えた。一人一人が、女性だったら自分自身が、男性だったら自分の娘や姉妹がこのような犯罪の被害にあったら、と精いっぱいの想像力を働かせれば、この重すぎる歴史を背負った人類の課題は自明であるはずだ。奇しくも今年のアカデミー賞作品賞は米国の奴隷制を扱った映画 12 Years a Slaveだ。日本人は、この映画を観て他人事とは思わず、アジア隣国から連行して奴隷的労働をさせ、女性たちを性奴隷にした自国の歴史を直視するために自らこのような映画を作るべきだと思う。日本出身者としては日本を大事に思うだけに、現政権をはじめとする多くの日本人が歴史を否定する言動を続けていることを、恥ずかしく思い心を痛めている。
J.K. さん(男性)より。
このニュースをご覧ください。http://news.yahoo.com/video/ariel-castro-gets-100-years-224810813.html
当時は女性を性欲解消の道具としてもいいほど兵士の人権が重要だったでしょうか。そんなことをしてもしょうがなかった特殊な状況だったでしょうか。もし自身や家族に同じことにされても、「人なりの事情があったはずだからしょうがないことだ」と簡単に言えることでしょうか…。二十年以上たっても勉強会しかできないということでとても複雑な感想でした。-------ありがとうございます。
R.K.さん(女性)より。
人間そして女性としての尊厳を奪われ、その心と体の傷を社会の重圧により長年封印されてきた元従軍慰安婦。彼女たちの40年以上に渡る沈黙は、性犯罪と性差別の酷さを語っています。国際社会において名誉ある地位を占めようとする日本の責任は、日本軍が彼女たちに与えた苦しみ、つまり彼女らを監禁した上、暴力をふるい性行為を強要したという事実を認め、その責任を真摯に受け止め、謝罪し反省することなのではないでしょうか。
E.O. さん(男性)より。
元慰安婦の語る赤裸々な話は、耳を覆いたくなる。こうしたことに軍人が嬉々として参加するのを、どう理解したらよいのか(良心の呵責を感じた軍人もいたとのことだが)。それを時の権威者が公認していたことには、政府・関係者とも深甚の謝意を表すべきは論をまたないが、戦場に於いては軍人を常規を逸する行為に駆り立てるという事実も認識し、従軍兵の立場(人間性の喪失)からでも、戦争は許されないことを認識すべきでしょう。
高校生、女性の方より。
私はこの映画をみて、自分に罪悪感を感じました。なぜなら、映画の中で皆が日本に謝罪を求めていたからです。20年たった今でも日本はまだ正式に謝罪をしていません。謝罪どころか開き直っている気がします。私は慰安婦の事は映画を観るまであまり知りませんでした。これを機に今後日本がどうこの問題に対応したらいいか、自分なりに考えてみようと思います。
S.L.さん(女性)より。
自分の名前を知らないハルモニ。家族が何人いたのか思い出せないハルモニ。心の底から笑ったり楽しいと感じたことのないハルモニ。「生きる」ことが辛いハルモニ。いつも孤独なハルモニ。彼女らにしか語ることができない「性奴隷」の実態について聞いて感じること抜きに過去そして現在も続いている植民地、戦争、貧困による女性への人権侵害や暴力は理解できないし根絶できない。あらためて日本政府への謝罪を求めるとともに、これからも勇気をもって「過去」と向き合う努力をしていきたい。

★★★

最後に、日本軍「慰安婦」問題について勉強したい人に優れたウェブサイトを紹介します。

Fight for Justice - 忘却への抵抗・未来の責任
http://fightforjustice.info/

特に日本で、歴史をねじまげたい人たちにより流布されている数々のウソを見破るためにも、このQ&Aコーナーは大切です。



10.18.2013

Hiroshima to Fukushima: Biohazards of Radiation

The following book was published recently.

The title: "Hiroshima to Fukushima: Biohazards of Radiation"
The author: Eiichiro Ochiai
The Publishers: Springer Verlag (Heidelberg, Germany)
The publication date: Oct. 14, 2013

It deals with (1) the scientific bases of nuclear reactions/radiation/its effects on chemical world (including life); (2) the mechanisms of the effect of radiation on the biological systems, and some defense mechanisms against radiation; (3) the data obtained on the radiation effects on life in the aftermaths of the Chernobyl accident, Fukushima accident, the atomic bomb tests, depleted uranium munition, etc.; and (4) How the nuclear industry and its associates have been reluctant in admitting the negative radiation effects on human health and all other living organisms, and have been covering up the truth of radiation effects.

-->
 この書を著した動機は、東日本大震災に伴って起きた東京電力福島第1原子力発電所の事故,それに伴う放射能による様々な問題、特に健康への被害についての憂慮から発したものである。
 先ず,放射線はなんであるか、当たっても痛くもかゆくもないのに、10シーベルトぐらい以上浴びると、数時間から数週間内に死に至る。しかも、10,いやその10倍の100シーベルトでも、定義上は、100ジュール/kgという非常に僅かなエネルギーである。このエネルギーは、体温を僅かに0.0024度上げるに過ぎない。こんな熱で、人間、死にはしない。しかし、実際は、100シーベルトの被爆は、瞬時の死を意味する。どうなっているのか?ここに、放射能の人体(生物)への影響の秘密が隠されている。α,β、γ線などの高いエネルギーをもつ放射線というものが、どういうもので、どんな原因で出て来るか、そして、生物で代表される地球上の化学物質とどう関わるのか、このあたりの基本をまず理解しないと、放射能・健康問題は、充分に理解できないと思われる。
 放射線というものは、放射性物質から出て来るが,放射性物質は、自分の寿命(半減期)に従って、自然消滅はするが、それまでは、通常の手段では、人工的に変えたり、解毒したりすることはできない。したがって、一度環境に出てしまうと、それを避ける手だては、放射能の少ない所で生活し、放射能汚染されていない水、食べ物を食べる以外、有効な方法はない。しかし、現在こうしてかなり汚染されてしまった地球上に生活せざるを得ないあらゆる生き物はどうするか。原子力産業側は、放射能の影響をなるべく過小に評価して、これぐらいの汚染なら,心配はいらないと人々を安心させようと図っている。実際は、原子力産業は様々な意味で、放射性物質を放出し続けていること、それが健康へ負の影響を与えるていることを、認めることを拒否しているに過ぎない。これを認めれば,原子力産業は、存在してはならないことになるから。放射性物質のあるものは,かなりの長い半減期をもち、そうした廃棄物をどう安全に、保管処理するか、その方法すらまだ確立されていない。
 しかし、そうした放射能の健康被害が、過小評価が比較的信じられやすい状況が現実にはある。原爆直下や周辺での高レベルの被爆の影響は、死亡も含めて放射線急性症状として明らかで、原子力産業側からも、そのように認識されている。しかし、低レベルの被爆は、影響があるとはいえ、健康に負の影響を与える要素は無数にあるので、放射能が原因であると特定するのは非常に困難である。その上、汚染度もによるが、汚染地に住む人が一様に健康障害を起こすわけではない。多くの人は、影響を受けず、「放射能なんて問題なの」と否定的に捉えることは容易だし、なるべくそう思いたいのが人情であろう。しかし,不幸にも、放射能の影響を受けてしまう人は必ずいるのである。今のところ、比較的数は少ない(とはいえ,福島の子供達の甲状腺ガンの発生数は異常に高率)し、報道機関はこのような問題を追求しようとしていないし、医師・医療機関にも箝口令がしかれているようなので、あまり表沙汰にならない。また,福島の現場で働く作業員の健康問題(死亡も含めて)もあまり報道されない。というわけで,日本国民の多くは、事実を知らされていない。
 放射能の生体への影響の科学は、まだ不明なことが多い。そのうちでも、ガンとの関連は比較的詳しく研究されている。そのためもあって、放射能の健康被害というと、直ぐ『ガン』となる。これは専門家も市民も含めての反応である。しかし、ガン以外のあらゆる健康障害が、放射能によって引き起こされることは、科学者でなくとも推測できるし、事実すでにかなりのデータは集積されている。ガン発症には、細胞内の遺伝物質DNAが関係しているが、放射能の影響がガンのみというのは、放射線は、DNAのみを狙って悪影響を及ぼすことを意味し、放射線は、DNAと他の様々な物質を区別することを知っているということになる。こんなことはあり得ないと言いうるのだが、これも、放射線と生体内の化学物質との相互作用がどんなものであるかを理解しないと、わからないことなのかもしれない。
 本書は,こうした問題を簡潔に考察したものである。すなわち、放射能とその生体への影響の科学的根拠、実際に得られているそれに関するデータ(チェルノブイリ、福島、劣化ウラン、原爆などなど)の検討、原子力産業界がこの問題にどう関わってきたか、などを検討したものである。
 現在、福島原発事故の実態は,まだ解明されていない。メルトダウンした燃料棒がどうなっているかすら、見当すらついていない。また事故が地震によって引き起こされたのか,東電の云うように津波のためなのか、まだ確定していない。著者は、この書を書いた時点(2012年秋)では、地震による配管類の損傷(と地震による第1次電源の消失)が根本の原因と、推測したが、最近それを支持するデータや,現場をよく知る人の意見などが見られるようになってきた。そして、崩壊熱を冷却するための注水が、循環されることはなく、汚染されて出てきてタンクに納められているが、海への漏洩、地下水の汚染などなど、様々な問題を引き起こしている。汚染水の問題は、冷却機構の再検討などを含めて早急に解決しなければならない。また、保存プール(特に4号基)にある燃料棒の速やかな処理(安全な形で、安全な場所へ)なども緊急の課題である。
 しかし、本書はこうした福島原発の現実的な問題は、扱っていない。扱っているのは、放射能というものの健康への負の影響の解明であり、「(高エネルギー)放射線は、生命と相容れない」という命題を、検証しようとするものである。これが,検証されたならば、原爆・原発とも、放射性物質を作り出し、環境にばらまく(意図的、非意図的に)ことは、これ以上してはならないことになる。それは生命の存続の可否の問題であり、生きる権利というもっとも基本的な人権問題といってよいかもしれない。政治・経済を超越した問題である。もちろん,原爆そのものが戦争に再び使用されることがあれば,放射能はともかく、大量の人間,生命、環境、建造物などなどの破壊につながり,人類文明は大変な危機に見舞われるであろう。しかし,原発も、今後も継承され、いや、増やされるとすると、それが作り出す放射性物質、従って,環境での放射能レベルの増加が生命をより強く脅かすことになる。それへの警鐘が、この書の主題である。


落合栄一郎

10.17.2013

日本国憲法はどこへ行く?

(以下は、JCCA月報Bulletinの2013年10月号に掲載された記事の転載です。)


日本では、明治22年(1889)に明治憲法が公布され(施行は1年後)、それが、第2次世界大戦後まで継続していた。ここで、明治憲法の制定過程や内容を議論するつもりはないが、「天皇主権」が根本原理であり,主権在民という民主主義の精神に基づいてはいない。
敗戦により、米国駐留軍が日本を占領し、日本の政治・社会を支配していた。その中で、旧議会派や民間の弁護士の組織などが、別々に、日本のそれからの社会の枠づくり、すなわち新憲法創出を議論し、それぞれが、その案をGHQに提示した。旧議会派の案は、明治憲法からの束縛を逃れられず、米占領側は一顧だにしなかった。一方、民間側からの案(映画「日本の青空」参照)は、米国側に共感を呼ぶものが多かった。米国も日本の新憲法草案を練りつつあった。こうしてできた新憲法草案には、「戦争放棄」の条項はなかったのだそうである。この条項は,GHQ司令官マッカーサーと当時の幣原喜重郎総理との会談で、幣原氏の発言に基づいて作られたことを、マッカーサーは後の回想で明言している。この点や基本的人権など、新憲法は日本側によって形づけられたと言ってよい。天皇の地位については、アメリカ側は、「天皇が日本国の象徴」という表現にまで譲歩し、そして天皇の戦争責任などは、不問にした。すなわち,新憲法がアメリカに一方的に押し付けられたという主張はあたらない。
戦争放棄と軍備を持たないという9条は、苦悩を押し付けられるだけだった戦争経験者・犠牲者の国民にとっては、非常に輝かしい未来を約束するように感じられた。アメリカ側には,日本が直ちに再軍備化するのは、アメリカや連合国にとって不都合、脅威であるから、それを避けるという思惑がこの条項には込められていた。この思惑をアメリカは、戦後の状況変化により、ほとんど直ちにかなぐり捨てたようである。それは朝鮮戦争に始まる、第2次世界大戦後のアメリカという唯一の大国が、世界中で様々な状況にちょっかいを出し始め、そのために足りない戦力を日本に負わせようという魂胆から出ている。それは朝鮮戦争に始まり,ヴェトナム戦争へと極東での戦争で、日本の加担を引き出そうと画策した。それに応じて、日本は,9条の精神から逸脱して、警察予備隊から、自衛隊へと軍事力を高めてきた。9条があるとはいえ、自衛は、国連憲章にも認められている権利であり、自衛に徹した軍事力は、9条の精神に反しないという論理である。冷戦が終わった1990年以降、アメリカの戦争介入の機会は増えた。そして、最近は特に,アメリカの財政逼迫による軍事費削減を日本に、経済的、軍事的に補填させるべく,プレッシャーが高まっている。それに呼応して、自民党は,憲法改定を公言して政権の座についた。このアメリカからのプレッシャーの下、憲法改定を経ずに、集団自衛権を確立しようという動きも同時にある。いずれにしても,現政権は,日本を通常の戦争ができる国にしようという意図である。
人類は、いつの時代にも、何らかの武力抗争をやってきた。21世紀の今も、武力を国際紛争、侵略の手段にしていることには変わりはない。これが、日本で、通常の軍事力を持てという議論の基本になる。すなわち、人類から戦争は絶対になくならないのだから、日本も正常な軍事国家になるべきと。特に,現今の中国、北朝鮮などとの緊張を強調することによって、そのことを正当化しようとしている。それに煽動された右翼勢力は、反対分子に対して、殺し文句「非国民」なるレッテルをはってプレッシャーをかけている。この雰囲気は,15年戦争開始/戦争中への回帰を危惧させる。
しかし、今までの武力抗争と、これから起こりうる大規模武力抗争には本質的な違いがある。それは武器にある。大量破壊兵器の存在、その大量の蓄積である。原爆、化学兵器(毒ガス)、生物兵器など。人類の縮少努力にも拘らず、大国は、これらの兵器を公に、ある場合には非公式に保持している。そして,現状を大幅に変えない限り,いずれは、これらの兵器が使用される地球規模の戦争になる可能性は高い。現状とは,紛争を武力で解決するという基本姿勢である。
ここに,9条の意味がある。9条は,交戦権を捨て、兵力をもたないことを世界に向かって公言したものである。日本は,勇気をもって、これを保持し、この理想に近づく努力をすべきである。勇気をもってというのは、隣国などからの脅威を、武力抗争でなく、なんとか話し合いで、平和裏に解決するという意気込みをもつということである。実際,日本が武力をより拡張し,自衛の為とはいえ、戦火を交えることに手を染めるとすると、現在の人類の技術レベルでは、日本国土を安泰に保持することはほとんど不可能であろう。日本に散在する54基の原子炉がミサイルの標的となり、その5分の1でも破壊されたら、日本は人間の住めない放射能汚染国になる。すなわち,原発が核兵器と同じ働きをするのである。逆に、日本が9条を保持し、非武力による紛争解決の世界のリーダーに成るならば,世界からの尊敬を受けこそすれ、武力攻撃の対象にする国はなくなると思う。スイスが良い例だと思う。そんな理想論はだめだ、と言ってしまえば、それまでだが、原爆の洗礼をうけた日本国こそが、この理想を高く掲げるべきである。
WFM(World Federalists Movement)のバンクーバー・ブランチは、現在、日本国憲法9条の貴重さを強調し、その擁護を日本政府関係者に訴える運動を起こそうとしている。世界中の人々を動かして、日本政府に働きかけることは有効であろうと思われる。
一方、日本国民は,戦争被害者ではあったとはいえ、戦争を引き起こした側への充分な反対の意志も伝えられず、軍部の独走、その暴挙などを許したことに一端の責任はあるものと考えて、その歴史事実を検証し、学ばなければならない。

落合栄一郎

映画鑑賞と討論会:「はだしのゲンから見たヒロシマ」

バンクーバー9条の会とピースフィソロフィーセンタ—共催で、『はだしのゲンから見たヒロシマ』を見て、平和の意味について討論を、下記の要領で催しますので、ご参加ください。

日時:10月30日午後7時−7時
場所:イエールタウン、ラウンドハウス(カナダライン、ラウンドハウス下車)

『はだしのゲン』は、中沢啓治さんの、反戦漫画の古典で、最近日本では,右翼などの圧力で、学校の図書館で、閲覧が制限されたりする問題が発生しています。それは、ヒロシマの悲劇に負けずに生きるゲンの生き様を描くと同時に、戦争への批判、日本の植民地支配、軍部の過酷さ、天皇批判などにも、触れられているからです。この映画は、その中沢啓治さんのインタビューを通して、彼の半生などが描かれています。自民党政権の、日本国を軍事力を行使できる普通の国にすべく、また、新憲法にもられた主権在民、基本的人権などの最も重要な憲法の基本概念を捨てて、戦前の体制に逆転させようとする動きが、活発化しています。この機に、この映画の鑑賞を通して、これから平和を維持するためにはどうするべきかなど、討論したいと思っています。どうぞ,ご参加ください。入場は無料ですが、会場費などの補助のための、寄付をお願いします。

落合栄一郎

 

7.03.2013

原爆展—平和の基礎を築くためにー

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原爆は,日本に最初に落とされましたが,現在でも地球上には全人類をなん度も皆殺しできるほどの核兵器が存在しています。先ずその恐ろしさをこの展示で見て頂きますが、恐ろしさの原因の1つは、死の灰—放射性物質—です.しかし、その影響はこれらの写真や絵では表現できません。死の灰、それは福島の原発事故でまき散らされたものも同じです。原発も原爆同様に、廃棄しなければならないものです。核兵器が、また戦争に用いられることになったら、広島・長崎程度のことでは済まされず、人類の多数が消失することになるでしょう。これを避けるには,核兵器の廃絶と戦争そのものをなくす努力が必要です。
この原爆展では、以下のような催しを行います。
(1)原爆の悲惨さを示す写真/絵の展示
(2)原爆と原発:放射能の健康被害、カナダの役割など—スライドショー
(3)鶴の折り方:千羽鶴の意味をアニメ映画で。

主宰:VSA9Peace Philosophy Centre
日時2013年、834日 午前11時—午後5
場所:日本語学校 487 Alexander Street, Vancouver
ヴォランテアー募集:展示会での手伝いをして下さる方を募集しています。特別な条件はありません。eo1921@telus.netにご連絡ください。


Atomic Bomb Exhibition – To Make Peaceful World –

      The atomic bombs were dropped on Hiroshima and Nagasaki, 68 years ago.
Since then, mankind has gathered nuclear weapons so many that they can annihilate ourselves several times over. This exhibition shows how terrible the effects of the atomic bombs were, but one thing cannot be illustrated.  That is the health effects of the radioactive material produced in the atomic bomb explosion. The same radioactive materials are being produced in the nuclear power reactor, and have been released into the environment from some accidents including that of Fukushima Daiich Nuclear Power Plants in 2011.  Hence the nuclear power reactor may be regarded to be one of WMD’s and hence must be abolished, like the nuclear weapons.
     An exhibition “Atomic bomb in relation to Peace” will be held as follows.
(1)  Panels to show the horrors of Atomic Bomb
(2)  Slide show: Nuclear weapon/nuclear power; their radiation effects and what Canada is doing.
(3)  Senbaduru (Thousand cranes): An anime movie of the story of Senbaduru

When: 11:00-17:00 on Aug. 3 and 4
Where: Japanese Language School, at 487 Alexander Street, Vancouver
Volunteers: Volunteers to help in setting up, manning tables and others are needed.
Please help us as you can, and email to eo1921@telus.net, if you can.

4.17.2013

猛暑を考慮に入れても今年の夏、原発なしで電力は足りる−新聞記事ー

以下に、原発が稼働しなくとも、今年の夏の電力は足りること、節電の要請も必要ないとの新聞の記事を掲げます。


1、9日の電力需給検証小委員会で、経済産業省は沖縄を除く9電力会社の今夏の
 電力需給見通しを報告。10年夏並みの猛暑となり、これ以上原発が再稼働しな
 い場合でも、全社が3%以上の供給余力を持てる見通しとなった。
  猛暑日の昼過ぎなどに想定される電力の最大需要に対し、どの程度供給力の
 余裕があるかを示す「供給予備率」は、全国平均で6.3%。今夏、電力不足だ
 った関電と九電がそれぞれ3.0%、3.1%との見通しを示し、安定供給に最低限
 必要な水準(3%)は何とか確保した。節電意識の定着で、昨夏の節電の7〜9
 割が今夏も継続すると見込み、景気回復に伴う需要増加分を吸収した。
 (後略)           (毎日新聞4月10日より抜粋)

2、さらに節電意識定着、電力9社不足せずと発表(4月17日)

  経済産業省は17日、電力需要検証小委員会(委員長・柏木孝夫東工大特命教
 授)を開いた。今夏は、猛暑を想定し原発をこれ以上再稼働させなくても、節
 電意識が定着したことで、沖縄を除く電力9社の電力は不足しないとする報告
 書案を示した。
  報告書案では、今夏の最大需要を1億6644万キロワットとした。東日本大震
 災後の節電実績を踏まえ、今夏の全国の節電効果は、無理な節電をしなくても
 1340万キロワットに上がると見込んだ。現在稼働している関西電力大飯原発3、
 4号機以外の原発が再稼働せず、景気回復による需要増(122万キロワット)を想
 定しても、9社の供給余力を示す「予備率」は、安定的な電力供給に最低限必
 要な3%以上を確保した。
                 (東京新聞4月17日より抜粋)

4.11.2013

安倍政権下での改憲の動きを論じる: UBC法学部松井茂記教授をむかえて (2013年5月4日、バンクーバーにて)


日本国憲法施行66周年・バンクーバー九条の会設立8年記念講座

 

安倍政権下での改憲の動きを論じる

UBC法学部松井茂記教授をむかえて-


日時:5月4日(土)午後2時―3時半


(開場1時45分) 

場所:Roundhouse Community Centre (Yaletown)

     2階 Multimedia Room

ラウンドハウスコミュニティーセンター(カナダライン Yaletown/Roundhouse 駅そば) 

費用:Admission by donation  

主催:バンクーバー九条の会、Peace Philosophy Centre 

問い合わせ:info@peacephilosophy.com  or 604-619-5627
 

集団的自衛権行使権容認、「国防軍」設置等を目的としながら、まずは改憲のハードルを下げるため憲法96条のみを改変し、国会両院の3分の2以上が必要な改憲発議を2分の1にしようとしている安倍政権。「アベノミクス」への期待感から上がる株価に勢いづいて、参院選に向けて高支持率を維持している、戦後最も好戦保守的な政権にストップをかけることは可能なのでしょうか!2007年に続き、UBCの憲法学者の松井茂記さんを招き、憲法についての私たちのさまざまな問いにお答えいただきます。
 

松井茂記教授 プロフィール

京都大学大学院法学研究科修士、スタンフォード大学法学博士。大阪大学法学部教授を務めた後、2006年よりUBC法学部教授。専門は憲法学、比較憲法学、マスメディア法、情報公開法、インターネット法、法律と医学。著書は『日本国憲法を考える(大阪大学出版会 2003年)『マス・メディアの表現の自由』(日本評論社 2005年)、『カナダの憲法-多文化主義の国のかたち』(岩波書店、2012年)等多数。

 

7.09.2012

脱原発派、国会で拡大中

国会内で「脱原発勢力」が拡大している。民主党に離党届を提出した小沢一郎
元代表ら49人が新党結成に向けて、消費税増税反対とともに、「脱原発」を政策
の旗印に掲げたためで、脱原発依存への姿勢が後退する野田政権に対する国会の
追及は強まりそうだ。
小沢元代表は2日に離党届を提出した後、新党の政策に関し「消費税増税先行
への反対は柱。原発の問題も大きな国民の関心事だ」と表明。「脱原発」を打ち
出し、首相との違いを鮮明にした。
元代表は、首相官邸前で毎週金曜の夜に行われる抗議活動について「政治が行
動しなければ、自分たちが行動するという(国民の)意識変化が大きく出てきた
のではないか。この意識が一番遅れているのが、永田町と霞が関だ」との見方も
示している。
元代表は6月5日、関西電力大飯原発再稼働をめぐり、政府に慎重な判断を求
める民主党有志議員が官邸に提出した117人分の署名に名を連ねた、新党参加者
のうち、署名者は元代表を含め、37人に上る見通し。次期衆院選をにらんで脱原
発の訴えを強める構えだ。(中略)
元代表は4日、社民党の又市征治副党首と国会内で会談し、消費税増税反対に加
え、脱原発でも連携を呼び掛けた。新党結成が国会の脱原発勢力を勢いづかせる
可能性はある。(7/7東京新聞より抜粋)

6.10.2012

憲法審査会ー最近の動き

衆議院憲法審査会の5月末ごろの審議の様子が、 http://pub.ne.jp/bbgmgt/?daily_id=20120606のサイトで報告されています。先にお知らせした「自民党の憲法改革案」を参照して、この動きをどう我々の運動に反映していったらよいか、ご検討ください。

5.16.2012

「原爆と原発−放射能は生命と相容れない」(本)


表題の小冊子(表紙は下に)が出版された(落合栄一郎著、鹿砦社,2012年5月、762円)。これは、著者が、昨年バンクーバーで行った講演に基づいている。日本人が対象ではないので、日本では常識になっているような事柄も、概要を説明したので、これ1冊で、「原爆と原発」問題の概要が掴めるように配慮されている。しかし、この本の主題は、「放射線というものが、いかに危険なものか、どうして危険なのか」という点に関して、科学的・原理的に考えてみるということにあり、現在様々な仕方で行われている放射線による人体の健康への影響を根本的に見直してみた。そして導かれた結論が、「放射線は本来生命とは相容れない」ということである。
現在福島原発の事故は収拾とはほど遠く、事故の現状ですら、ほとんど把握されていない。破壊が凄まじく、高い放射線量のため、人間が近づくことも難しく、調査は、精査をするには不完全なロボット頼りである。なんとかこのような現状を少しでも改善しようという努力はなされているようであり、それに携わる労働者に放射線被害がすでに起っており、死者もでている。また4号機は、現在も非常に危険な状態にあり、強い余震で、壊滅的な放射性物質放出を招きかねない。このような現状にもかかわらず、政府は終息宣言を出し、充分に科学的、技術的な検討もせずに大飯原発の再稼働を画策している。原発なしでも、充分に電力需要に応えられる事実には目を塞ぎ、電力不足を喧伝している。
一方、福島地元での避難区域の縮小などを政府が進める一方、放射能被害と考えられる様々な健康障害が、地元住民ばかりでなく、関東地方でも発生しているにも拘らず、そのような事実には政府は目をつぶっているし、したがって、組織的な充分な健康調査も行われていない。また、そもそもこの原因を作った企業に対する刑事責任の追求のかまえすらない。
こうした政治経済的、医療的側面は、日本国政府の政治姿勢が根本問題であるが、その前に、原発にしろ、原爆にしろ、根本的に生命(人間を含めた全ての動植物)とは、相容れないということを、この本では科学的見地から議論している。ということは、原爆も原発も、いのちを破壊するものであって、日本国とか,東電とかいうレベル以上の、全人類の問題である。原爆はいうに及ばず、原発を維持、開発を進めていけば、地球上の全生命にその破壊力がおよび、大げさに言えば、生命を持つ、このすばらしい地球という天体を生命が住めないものにしてしまう可能性がある。現在ある核兵器、原発を今すぐに廃棄しても、それに含まれる放射性廃棄物を生命に悪影響を与えないように処理するのは、非常に困難である。こんなものを人類が作り出してしまったのは、非常に残念なことであるが、今、この機会に少なくとも日本の原発は全廃し、原爆の被害者の立場も含めて、地球上からの原爆と原発の廃棄に、日本は指導的役割を果たせるであろう。こうしてこそ、原爆と原発の犠牲者に報いることができる。

4.27.2012

自民党の憲法改定案

自民党の憲法改定案の全文が、現憲法と対照して、http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdfで見られます。是非ご覧になってください。”天皇を元首”と規定するほか、様々な基本的人権も、公益と公の秩序に反するという条件で、かなり制約されるように思います。また,平和条文に関しては、基本的には”自衛権”を主張しますが、それに付随して、事実上の軍隊(国防軍と称する;通常どこの国の軍隊も、国防省に属します)に関する条文も追加されています。これに関して、法律に詳しい方を交えて検討する必要があるでしょう。

3.10.2012

工事ミスに偶然救われた福島原発大惨事

東日本大震災、福島原発事故から、1年が経ちました。まだ震災からの復興は、前途多難のようです。福島原発事故について、新たな戦慄すべき事実が最近わかったようです。それは、最も心配された4号基の暴発が、偶然に工事ミスで、回避されたということです。下に、朝日新聞の記事をはりつけます。

4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
2012年3月8日03時00分(朝日)

東京電力福島第一原発の事故で日米両政府が最悪の事態の引き金になると心配した4号機の使用済み核燃料の過熱・崩壊は、震災直前の工事の不手際と、意図しない仕切り壁のずれという二つの偶然もあって救われていたことが分かった。
 4号機は一昨年11月から定期点検に入り、シュラウドと呼ばれる炉内の大型構造物の取り換え工事をしていた。1978年の営業運転開始以来初めての大工事だった。
 工事は、原子炉真上の原子炉ウェルと呼ばれる部分と、放射能をおびた機器を水中に仮置きするDSピットに計1440立方メートルの水を張り、進められた。ふだんは水がない部分だ。
 無用の被曝(ひばく)を避けるため、シュラウドは水の中で切断し、DSピットまで水中を移動。その後、次の作業のため、3月7日までにDSピット側に仕切りを立て、原子炉ウェルの水を抜く計画だった。
 ところが、シュラウドを切断する工具を炉内に入れようとしたところ、工具を炉内に導く補助器具の寸法違いが判明。この器具の改造で工事が遅れ、震災のあった3月11日時点で水を張ったままにしていた。
 4号機の使用済み核燃料プールは津波で電源が失われ、冷やせない事態に陥った。プールの水は燃料の崩壊熱で蒸発していた。
 水が減って核燃料が露出し過熱すると、大量の放射線と放射性物質を放出。人は近づけなくなり、福島第一原発だけでなく、福島第二など近くの原発も次々と放棄。首都圏の住民も避難対象となる最悪の事態につながると恐れられていた。
 しかし、実際には、燃料プールと隣の原子炉ウェルとの仕切り壁がずれて隙間ができ、ウェル側からプールに約1千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かった。さらに、3月20日からは外部からの放水でプールに水が入り、燃料はほぼ無事だった。
東電は、この水の流れ込みがなく、放水もなかった場合、3月下旬に燃料の外気露出が始まると計算していた。

2.27.2012

憲法改悪の動き活発化

以下は最近の新聞記事です。

”天皇は元首、自衛軍保持 自民が憲法改正原案
2012年2月27日 22時04分
 自民党の憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)がまとめた憲法改正原案が27日、分かった。現行憲法が「象徴」とする天皇を「元首」と明記し、国旗 国歌の尊重規定を新設。2005年に策定した党新憲法草案を踏襲し「自衛軍」の保持を盛り込むなど、保守層を意識した内容が特徴だ。
 原案は28日の推進本部役員会で決定する。党執行部はさらに議論を加え60年前にサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日までに新たな憲法改正案を策定し、今国会に提出する構えだ。ただ成立は見通せない。
(共同)”

”自民党の政権構想会議(議長・谷垣総裁)は1日、次期衆院選政権公約(マニフェスト)の骨格となる「党の基本姿勢」(谷垣ドクトリン)を発表した。 〈1〉国民に誠実に真実を語り、勇気を持って決断する政治〈2〉憲法を改正し、日本らしい日本を確立する〈3〉自助を基本とし、共助・公助はそれを補うとの考えで、社会政策、経済政策を行う――など9項目を盛り込んでいる。(2012年3月1日22時44分 読売新聞)”

自民党ばかりでなく、日本のあらゆる改憲派の憲法改悪への動きが最近活発化しています。国会の憲法改正審議会も動き出したし、大阪市長の橋下氏は、中央政治の混迷を良いことに「維新」の会なるものを立ち上げ、それに付和雷同する日本国民が70%近くもいるそうであり、それを背景にしてかどうかは知らないが、「憲法9条改定」を公約に政権獲得に動き出そうとしている。彼は「憲法9条を変えなければ、日本には住みたくない」とまで公言している。日本の同志と手をつなぎ、この動きを食い止める努力をしなければなりません。

1.02.2012

放射線と生命は本来相容れない

震災に伴う原発事故で、「原発の安全神話」は完全に覆されたが、今度は,その事故に伴う放射性物質拡散による危険性を少なく見せるために「放射線安全神話」を、政府も関係機関も国民に納得させようと懸命なようである。その有力な、ほとんど唯一の根拠はICRPの制作による基準である。それを、多くの人は、科学的根拠として、金科玉条の如く信じていたようであるが、最近のNHKの報道によって、それを作った人達自身が、科学的根拠を否定する発言をしていることがわかり、とくに低線量内部被曝に関しての彼らの基準値的なるものはなんら科学的根拠のないものであったことが暴露された。
 筆者は、かねてより低線量放射線による内部被曝について、ある程度は科学的な根拠に基づいて、ICRPなどの考え方に疑問を呈してきた(日刊ベリタ2011.04.25、2011.05.04、2011.06.18、2011.06.27、2011.06.30)。このような考え方をさらに押し進めていくと、(高エネルギー)放射線は、本来生命とは相容れないことが見えてくる。その科学的根拠を、最近当地で講演(*)したので,その概略をここに報告する。ここから、見えてくることは(高エネルギー)放射線は、生命に限らず、地球上のあらゆる物質(化合物)に破壊的に作用するのであり、非常に難しい綱渡り的な物質系である生命に、それが顕著に現れるが、その他の物質にも破壊的に作用する。
原爆も原発も、原子核分裂反応を利用する。一方我々の生命を始め、地球上のあらゆる物質は化合物とその反応で成り立っている。化合物の世界では、原子がついたり離れたりするが、原子を構成する原子核は変化せずに、その回りを回っている電子の動きのみによっている。この動きに作用する力は、いわゆる「電磁力」で、比較的弱い力である(プラスとマイナス電荷が引き合う力や磁石が引き合う力)。その力に基づく化学反応に伴うエネルギー変化は、物質を構成する原子や分子当たりにすると、1-10 eV(エレクトロンボルト)の程度である(エレクトロンボルトなどのエネルギー単位は下の注で説明する)。これよりかなり大きいエネルギーをもった粒子が、こうした原子や分子に衝突すると、様々な現象が起るが,分子から電子を蹴り出したり、(原子と原子を結ぶ)結合を切ったりする。ということは、分子を破壊する。
さて、原子核分裂に代表される原子核レベルに作用する力は、「強い力」といわれるもので、化学的世界で働く「電磁力」よりも桁違いに強い。そのために、核反応に伴うエネルギー変化は、化学反応のエネルギーの100万倍以上大きい。放射性物質が放射性粒子(α、β、γなど)を放出する反応は、原子核に変化が起きる(不安定な原子核が安定な原子核になろうとするため)現象で、この変化に伴うエネルギーが放射線粒子に担われ、それらは、KeVからMeV(K=キロ(千倍)、M=メガ(百万倍))程度である。すなわち、化学反応に伴うエネルギ−変化の数千倍から百万倍ほど大きい。
放射線の影響(被曝量)を評価するのに、シーベルト(Sv)が用いられている。これは、放射線の生体に与えるエネルギー値で表される;すなわちβ線、ガンマ線では、J/kg(J=ジュール)、α線では、この値の20倍の効果があるとされている。この表現での問題は、例えば、次のような例によってわかる。100Svという被曝量はとてつもなく強いもので、100%が死亡する。しかし、エネルギ−—値から評価すると、(これがβ、γ線とする)100J/kgの被曝で、体温をわずか0.024度上げるだけである。こんな体温上昇で人間は死にはしない。しかし同じエネルギー量でも放射線ならば、100%確実に死ぬ。どこかがおかしい。しかも、体内に入った放射性物質による内部被曝では、外部被曝と同様に1kg当たりのエネルギー値として評価することは無意味である。というのは、内部被曝の場合放射線の影響する範囲は、1kgぐらいの広範囲に及ぶことはないからである。
さて、今度は、放射性物質が、生体内に入り込んで定着し、生体を構成する化合物にどんな作用を及ぼすであろうかを考えてみたい(なお、こうした放射性物質がある場所に定着し、どのぐらい長く居続けるかは、様々な因子に依存するので一概にいうことは出来ない)。放射性物質からは、次々に放射性粒子が出て来る。それらは、回りにある分子に衝突する機会があるだろう。すると何が起るか。電子を蹴り出したり、結合を壊したりする。しかし、これでエネルギーは尽きないので、次々と他の分子とも衝突する。そして蹴り出された電子はさらにβ線と同じ作用をする。どの分子が影響を受けるかは、確率的でわからない。生体の分子には、水、タンパク質、脂質、DNAなど様々なものがある。DNAにあたって、その一部を破壊すると、いずれはガンに発展する可能性がある。生体にはある程度の修復機能があるので、破壊された部分を修復することはある程度できる。これはある程度であり、大幅な破壊には対処できない。水に放射線があたると、水分子を壊して、水酸化ラジカルなどの危険分子を作る。これがDNAを始めとする様々な分子を壊す。こうした反応は、確率的に生体内のどこでも起るので、放射線の内部被曝では、ガンのみでなく、成長しつつある胎児にも、免疫機構などにも起こりうるので、奇形児誕生、病弱(免疫機構損失による)、早期老化現象など様々なことが起こりうる。
被曝量を体全体へのエネルギー(J)で表現するやり方では、こうした放射線の重大な影響が見えて来ないし、とくに内部被曝問題によく対応できない。放射線の脅威をもう一つ例証してみよう。最近、オゾン層が少なくなって、太陽光中に紫外線が多くなった。海水浴などで、紫外線を遮断または散乱させるサンスクリーンを体にぬることが推奨されている。どうしてか。紫外線が皮膚を老化させ(破壊)たり、皮膚ガンを発生させる可能性を皆が知っているからである。紫外線は、化学エネルギーより一桁ぐらい大きいだけであるが、こうした危険性がある。α、β、γ線などの放射線は紫外線の数千倍から数万倍以上の強さをもっている。そのような放射線を持続的に出すものが体内には入ったらどうなるか考えてみて頂きたい。それが、放射線による内部被曝である。
高エネルギー放射線は、化学世界である地球上のあらゆる物質に破壊的作用を及ぼす。その影響は、非常に難しい綱渡り的な生き方をしている生命に顕著に現れるが、そればかりではない。あらゆるところで起きているのだが、顕著でないので、気がつかないだけである。たとえば、原子炉を形作る分厚い鋼鉄も、放射線の影響(高温、高圧の影響もあるが)を受け、次第に脆弱化していく。原子力燃料が燃え尽きた後も、主成分であるウラン−238(他にもあるが)は厳然として残っており、数十億年にわたりα線を出し続ける。このようなものを入れる容器は何であれ、化学物質である限り、放射線によって長年にわたって傷つけられるため、いずれは破壊される。これが、核燃料廃棄処分が、原理的に安全に出来ない根本理由である。
このように、化学世界とは相容れない高エネルギー放射線を出す物質を人間は、故意に原爆と原発というやり方で、地球世界に導入しているのである。もちろん、すでに天然に放射性物質が地球上に存在することは事実で、これは避けようもないし、そして生物は、それをなんとか躱して生きてきたが、これ以上人為的に増やすことは、人類や地球上の生命にとって自殺行為である。なお、この議論の詳細は別な形で発表する。

[注:エネルギーの国際スタンダード(SI)は、ジュール(J)で、現在でも広く用いられているカロリー(cal)とは, 1 cal = 4.184 Jの関係にある。1Jは約4分の1カロリーである。これは通常の目に見えるレベルのエネルギー表示に使われる。電力では、出力の単位として、ワット(W)が使われる。これは1秒間に1J(J/s)であり、エネルギーはワット時(ワットに時間をかけるとエネルギーになる)。さて、放射線の問題では、放射線粒子と分子の衝突という分子・原子レベルで起るので、放射線粒子、分子・原子1個あたりのエネルギーを考えなければならない。これは非常に小さいものである。というのは、例えば,水1gは、水の分子の数にすると、約3 x (E22) 個という膨大な数である。(E22)は1のあとにゼロが22個つく数)ということは、水分子1個はべらぼうに小さな軽いものである。さて、このレベルのエネルギー値として通常使われるのが、エレクトロンボルト(eV)で、1 eV = 1.6 x (E-19) Jである。(E-19)は10000000000000000000分の1というべらぼうに小さい数。こうした日常とはかけ離れた非常に大きいまたは非常に小さい数を考慮する必要があるが、これが、科学を通常扱わない人には難しいのではないかと思う。Sv値の問題は、放射線がこの分子・原子レベルの問題なのに、通常の生活レベルのJで表現したこと、したがって、放射線の生命への影響の根本を考慮せずに定義されていることである]
(日刊ベリタ2011.12.31より転載)

(*)E.Ochiai "Nuclear Weapons and Nuclear Power Plants - their inevitable consequence is dispersal of radioactive material" at World Federalists Mtg on Nov. 17, 2011, and at Museum of Anthropology, University of British Columbia, on Nov. 26, 2011

9.26.2011

国民意見「脱原発」が98% 原子力委、大綱議論再開

2011.09.27日付けの東京新聞の記事です。


国民意見「脱原発」が98% 原子力委、大綱議論再開

2011年9月27日 11時33分

 国の原子力委員会(近藤駿介委員長)は27日、今後の原子力開発の基本方針を示す「原子力政策大綱」の見直しを議論する策定会議を半年ぶりに開いた。東京電力福島第1原発事故後、原子力委に国民から寄せられた原発に関する意見のうち98%を「脱原発」が占めたと報告された。

 意見は全部で1万件で、原発に関するものは4500件。「直ちに廃止」が67%、「段階的に廃止」が31%だった。理由は「災害時も含め環境への影響が大きい」「日本は地震国だ」「放射性廃棄物の問題が解決していない」などが多かった。

 この日は、東電や政府が事故の概要、住民避難や損害賠償の状況を説明した。

9.24.2011

福島で市民を排除して行われた放射線国際会議を信用できるか

『週刊金曜日』9月16日号より、

福島医大で開催された、「放射線と健康リスク」国際会議を報告した記事を紹介する。笹川の金に支えられ、放射線の一番の害は心理的なものであるとする国際的な「専門家」先生たちが集まった会議である。「100ミリシーベルトで大丈夫」で有名な山下俊一が副学長に就任した福島医大で開催された。

パネリストをICRP勧告の信奉者に限定し、市民も排除した会議に、市民の健康を考えた放射線の知識など期待する人はいるだろうか。


9.20.2011

911-同時多発テロと震災・原発事故と

日本での911は、東日本大震災の半年後、世界にとっては、アメリカ東部の同時多発テロの10年目。様々な意味で、考えさせられることの多い記念日である。この二つは丸で違った、無関係な事象のように見える。一方は、テロリストと称される人々が遂行したとされるとんでもない事件、そしてもう一方は、自然がもたらした巨大地震と津波、そしてそれに起因する原発事故。どこにも接点はない。911はまた、1973年にアメリカのCIAの後押しによるチリでの軍事クーデターの記念日でもあるそうだ。これらに共通点は“911”以外にあるのだろうか。
10年前のあの時、筆者は、ニューヨーク州の隣(ニューヨーク市からは間にニュージャージー州)ペンシルバニア州の大学で教鞭をとっていた。第1時限のクラスを終えて自分のオフィスに戻ると、自宅からの電話で、今とんでもないことがニューヨークで起きているということを知らされた。その後は、大学も授業を中断、人々はテレビに釘付けになった。あの飛行機が高いビルに激突するという異常さ、本当のことには思われない。そして、それを知らされたブッシュ大統領が、子ども達との対話を続け、驚いた様子も見せない映像は、非常に違和感を与えた。そして、あのビルの崩壊の速さ、あんな速度であんなビルが崩壊するのは、これも夢を見ているような気分だった。筆者の息子は、あのマンハッタンの川向こうのブルクッリンに住んでいたので、電話するとアパートの屋上から家族で呆然とあの崩壊の有様をみていたそうだ。彼らは、あの数日前、友人の訪問者をあの崩壊したビルに案内したそうだ。ペンシルバニアのシャンクスビルという村にもハイジャックされた一機が墜落したとされている。その現地の映像も映されたが、比較的小さな窪みで、機体とか人間の死体が散乱しているようにはとても見えなかった。実は、あの村は、筆者が住んでいたところからさほど遠くない場所なので、あの場所には行ってみるべきであったと今は残念に思う。しかし、仕事もあるし、何がなんだかわからず混乱していて、そういう探究心がおきる余裕もなかったようだ。
その後の経過、政府発表の公式見解、それへの様々な異論・疑問の噴出などについてはある程度報道されたが、民間からの異論・疑問点に答えるべきさらなる政府側の事件究明はない。このこと自体、非常に異常である。主要メデイアは、この件について報道することを禁止されているかのように、触れようとはしない。真相は、未だに闇の中である。今年の911記念日には、死者を悼んだり、記念碑を建てたりする行事ばかりで、あの事件の真相についてはどこからも報道はなし。ただ、カナダのトロントでは真相解明の会議が開かれはしたが。
しかし、イスラム系のテロの恐怖をアメリカ国民の多くと世界の人々に植え付けることには成功した。そしてテロ対策を口実(真の目的は別)に、アフガニスタン、イラクなどへ攻撃を仕掛け、莫大な戦費を浪費してやまない。この戦費はどこへ行くのか、無辜の市民も含め多くの人間を殺すために、経済的に困った若者を兵士に仕立て、安月給で使うが、その間で様々な権益に与る企業に、戦費の多くが転がり込む。なぜこんな無駄を続けるか、それは、そうして儲ける側が政権や立法府を牛耳っているからである。
一方、テロ対策、国家安全のためと称して国家保安局を設け、これにも多額の資金を注ぎ込んでいる。テロは、イスラム系の組織(と称される)のそればかりでなく、権力を批判する人々をもテロリストと規定し、監視の対象としている。アメリカ市民の自由はかなり制限されはじめた。
大平洋戦争では、真珠湾攻撃を米政府は第2次世界大戦へのアメリカ参戦の正当化に用いた。すなわち、真珠湾攻撃の真相は、米政府があの日本の海軍の動きを知りながら、日本のするままに任せ(アメリカ兵の犠牲も容認して)、国民に参戦の正当さを納得させ(*)、30年代からの経済不況を回復させる意図があったようである。戦争を経済活性化に利用したのである。それは成功し、アメリカは一躍世界の最強国になった。その後、20−30年間は、経済を握る人々の余力もあってか、労働者達(労働組合の努力もあって)にもその恩恵がもたらされ、中産階級が増え、いわゆるアメリカ的豊かさを、多くの市民が享受した。(なお、人類の歴史を通じて、戦争はしばしば国内での問題から市民の目を逸らさせるために用いられた)
しかし、経済の実権を握る層の利益追求がさらに募り、新自由主義などという退廃的市場経済理論なども援用して、レーガン政権(イギリスのサッチャー政権の方が先)があらゆる企業の規制緩和を始めた。そして、 経済エリートは利益を上げるのに近道の金融を操作することに血道をあげた。ヨーロッパで金融業を始めたエリート中のエリートがその上層部を形成している。またアメリカの企業は、利潤増大を計るために、労賃が安く、様々な制約の少ない海外に生産拠点を移していった。アメリカ市民の雇用機会、したがってその生活・生命などは無視しての利益重視の典型で、現在のアメリカの失業率の高さの遠因である。多くの製造業を海外に移したが、軍需関係の製造業やサービス業は海外に移すわけにはいかない。すなわち、アメリカの大地に残った製造業は主に軍需産業である。
1989年にソ連圏が崩壊するまでは、冷戦を理由に軍需産業は繁栄していた。しかし、冷戦が終結して、高い軍事力を維持する必要性は減少した。冷戦終結に伴う東側の混乱はともかく、欧米側も軍需産業が低迷せざるをえなくなった。そのため、例えば、フランスでは、軍需産業に活を入れるために、 原爆のテストを世界各国の反対を押し切って、1995年に挙行した。上にも述べたように、アメリカは軍需産業以外の産業が空洞化し、経済が殆ど戦争依存となってしまっている。
911事件は、本当のところ誰が企画し遂行したかは定かではないが、テロへの軍事行使を正当化することに利用された。しかも所在や組織・人数なども不明確なテロリスト相手であり、終わりの見えない戦争である。しかも欧米の軍事組織NATO諸国の多くが参加し、アメリカに強制されたNATO以外の國も参加させられている。軍需産業にとってはありがたい戦争である。事実、軍需産業は、アフガニスタン、イラクには、軍需物資供給ばかりでなく、正規の兵士と同じぐらいの数の民間傭兵も供給して、アメリカ市民からの税を懐にしている。一方国民の多くは職を失い、賃金低下を余儀なくされ、医療保険なども完備していないなどなど、その生活基盤は増々低下している。今年、アメリカの貧困所帯(4人家族で年収2万2千ドル以下)は15.1%に増大した。
さて、日本の911、いや本来は311の事象はどうか。地震・津波とも自然現象であり、現時点では人類はどうすることもできない。ただし、防潮堤その他をより強固なものを設定していたら、防げた部分もあったであろうし、避難への準備などももっと整っていたならば、死者の数を減らすことはできたであろう。福島第1原子力発電所では、先ず地震で、そして津波により運転中の原子炉3基と、冷却プール(4号基)に故障が生じ、燃料棒の冷却が不十分になり、水素爆発などの事故が発生し、放射性物質が環境(空中、海水、などへ)に放出された。この部分は人災である。地震、津波に対する十分な安全策をとっていなかったことがそもそもの原因である。
さて、この事故を起こした主体は 東京電力という企業である。しかも、他の数社の電力会社とともに、日本全国を分割して、それぞれがその地方の独占企業であるうちの最大のものである。この会社が、建設し、他に迷惑をかけないように運転し、そして、独占である以上、電力を供給する責任を負う。もちろん、原発が国策として導入されたので、建設費その他国家からの補助が与えられた。さて今回の事故では、大量の放射性物質が炉外に出て、原発敷地ばかりでなく、かなり広範にバラまかれた。
この震災からの復興には主に二つの基本問題がある。壊滅的な被害を受けた個人・地方自治体・企業体などの復旧・復興と、原発事故被害をどう償うかである。前者はすでに起きてしまった被害を修復し、人々の生活を元通り(必ずしも完全に同じようにという意味ではない)にするための財政的、その他の援助である。これを早急に十分に行うことは国家の為政者(行政、立法)の責任である。国民にも一端の責任はあるが、このための財源を國が確保することが必要である。この財源を赤字国債発行や増税などにより、またまた国民からカネを吸い上げるよりも、日本国民の利益にあまり関係のない出費を削減して、災害復興に回すのが妥当なやり方ではないだろうか。それは、例えば、駐留アメリカ軍のための思いやり予算であったり、利権のためだけにする、実際は国民の役に立たない様々な公共投資などなど。
原発事故の収拾とその被害の賠償。いやその前に放射能被害を出来るだけ食い止める、汚染を除去する方策にまず全力を上げることが必要である。これはだれが責任を負うべきか、事故を引き起こした電力会社である。先ず、この企業が出来るだけの努力と出費とを負担しなければならない。原発以外の事故ではそれが通常である。放射性物質拡散(除染は可能な限りやった上で)の被害は様々である。住民の直接的な健康被害、農作物汚染、漁獲物汚染、瓦礫汚染などなど。健康への影響は、直ちには現れないケースが多い。こうした悪影響は、金銭のみで解決できるものではないが、金銭的な賠償は十分になされるべきである。
以上二つの事象(同時多発テロとそれに付随する諸々の事象、と福島原発事故)は、人類の現状に対する警告である。先ず自分達の立場をテロという形でしか表現できない追いつめられた人達がいること(テロという行為を、宗教が要請すると思い込むような原理主義者もいるにはいる)、しかし、2001年の911事件が本当にそうしたテロであったかはまだ不明。テロがアメリカに向けられたことを利用して自分達のやりたいことを遂行した人々(石油のためにアフガン、イラク侵攻を遂行した)は、テロを公式発表の如くであると民衆に印象づける努力をしたし、そうした権力に牛耳られたメデイアはそれに協力した。そして、一部のエリート達がその戦争により利益を得、一方、同じような意図を持つ金融業者たちも、普通市民の生活や生命をも犠牲に利益獲得に執心している。これは、かって人類が克服した(全ての國でではないが)絶対王制と同様な少数支配への退歩である。このような状況下では、共和制の基礎となるいわゆる代表制民主主義は、その選挙過程、選挙された国民代表の大部分も少数エリートに買い取られていて、市民の利益を代表するようには機能していない;形骸化された民主主義である。残念なことには、アメリカ市民の多くが、宗教原理主義的思考などに毒されて、こうした支配層の繰り出すウソに乗せられてしまっている。彼らは、支配層の言う「政府が最大の問題;全ては個人の力に依存」などなどの宣伝を信じ込み、支配層の隠された企み(國の富を大多数の国民から少数の支配層が奪取)には気がついていない。大多数市民は、支配層による愚民化・奴隷化策に気づいていない。この傾向は、特に911事件以降顕著になってきた。
さて、日本はどうか。福島原発事故で原発の安全性が否定され、経済的にも原発は引き合わないことも暴露され、国民の多数は脱原発の方向に動き出した。ただし、原発維持・推進派は、あらゆる手段で、原発維持の方向に国民をつなぎ止めておきたいと躍起になっている。脱原発に方向転換した菅首相を与野党がそろって追い落とし、背後の権力は原発容認派を政権の座に据えた。新経産大臣が、脱原発の方向を打ち出すや、僅かな失言をもとに、速やかに更迭してしまった。この一連の動きの背後には、国民の生命よりも、利益を重大視する市場資本主義(新自由主義)に毒された経済機構とそれを操る人達がある。日本の資本主義はまだアメリカのそれのように退廃しきってはいないようだが、特定企業は、原発維持(原爆開発も視野に入れた)を超えて、軍需創出を目ざしているようである。この災害・原発事故の混乱を幸いに、憲法9条改悪へも動き始めた気配がある。
911も311も、人間の生命や福祉よりも、企業利益を優先する企業に依存する経済体制・文明(コーポラトクラシー)を浮き彫りにした。災害復興、脱原発への動きにおいても、企業利益優先の精神は発揮されているようである。復興のための努力に、動機づけが必要ではあるだろうが、それが企業などの利益というような形で発揮されるのは、現在の経済体制の延長にすぎない。今、人類は、こうした「利益」優先の経済体制を放棄して、市民(普通人)の幸福への寄与を土台にした経済体制を築かねばならない。
(*「Day of Deceit: The Truth about FDR and Pearl Harbor」(Robert B. Stinnett, Touchstone, 2000)     (日刊ベリタ2011.09.15より転載)

9.06.2011

震災のごたごたに紛れて改憲の動き

震災からの復旧、復興、原発事故処理などの重要な問題があるなか、憲法審議会を立ち上げる動きが出ているようです。それを止めさせようという運動の報告です。
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憲法審査会を始動させるな、憲法を震災復興に生かせ!9・13緊急院内集会
○全ての原発からの撤退を!全ての大震災被災者の救援を!
○普天間基地即時撤去!辺野古新基地建設反対!南西諸島への自衛隊基地建設反対!
○国会議員の比例区定数削減反対! 増税反対! 

13日から野田新内閣で初めての臨時国会が始まります。すでに民主党はこの間、未解決の問題が多々あるため開店休業状態だった憲法審査会の委員の選出を進めることを決め、会長に大畠氏を内定していると報道されています。
原発震災が収まらず、福島県をはじめ東日本一帯の復旧・復興にとって緊急な課題が山積している中、改憲を画策するなどとんでもないことです。
新内閣は米国の要求に従い、沖縄の辺野古新基地建設を進める構えであり、南西諸島への自衛隊基地建設を進めようとしています。また増税や国会議員の比例区定数削減を進める方向です。
私たちは臨時国会の冒頭に際して、緊急に院内集会を開催し、これらの悪政に反対の意思を表明したいと思います。

日時:9月13日(火)午後4時から5時まで
会場:衆議院第1議員会館第5会議室(午後3時半から会館ロビーで入館証を配布します。)
入場無料
呼びかけ:2012年5・3憲法集会実行委員会事務局
憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会
連絡先:憲法会議 03−3261−9007、市民連絡会 03−3221−4668

9.03.2011

野田新内閣は原発推進派

野田新政権が発足したが、それが発足するやいなや、原発維持/推進派の動きが活発になったようで、残念である。実は、菅首相の追い落としは、彼の脱原発姿勢をやめさせるために、財界/電力業界側が画策したのではないかと思っていたが、どうもそのようであったらしい。この新政権が、原発廃止、自然エネルギー促進にどんな態度をとるか、しかと目を見張っていなければならないだろう。最近の、電力業界からの巻きかえしについての記事のいくつかを、下に掲げる。

○ 原子力施設周辺の活断層評価「見直し不要」 電力各社
 東京電力など電力会社8社と日本原子力発電、日本原子力研究開発機構、日本原燃は30日、東日本大震災を踏まえても、原子力施設周辺の活断層評価を見直す必要はないとの見解を公表した。今回の震災で東電が活断層ではないとしてきた断層が動いたため、経済産業省原子力安全・保安院が検討を求めていた。
 震災の影響で、東北地方を中心に地下の構造にかかる力が変わり、従来とは逆の東西に引っ張る力が働くようになった。4月11日にはこの影響とみられるマグニチュード(M)7の地震が福島県で起きている。このため、東電は、福島第一、第二原発周辺の五つの断層が動く可能性を否定できないとして新たに評価。動いたとしても想定を超える地震の揺れは起きないと結論づけた。 (朝日新聞 8月30日)
○ 原発周辺、地震起こす可能性低い 東北電力が調査
 東北電力は30日、女川原発(宮城県)、東通原発(青森県)周辺の断層が現時点で地震を起こす可能性は低いとの調査結果をまとめ、経済産業省原子力安全・保安院に報告した。東日本大震災後に東京電力福島第1原発、福島第2原発付近で地表に断層が現れたケースがあったため、報告を求められていた。
 東北電力によると、女川原発から半径約30キロ圏内には27の断層、東通原発の場合は8断層があるが、今回の地震で新たに発生した断層はないという。地殻の変動状況や余震、地質などを調査したところ、すでに把握している断層についても地震を引き起こす可能性は低いという評価だった。 (共同通信 8月30日)
○ 浜岡原発周辺の断層、異常なし 中部電、保安院に報告
 中部電力は30日、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)周辺にある断層を再評価し、いずれも地震を起こす可能性が低いとの調査結果をまとめ、原子力安全・保安院に報告した。
 中部電力は、これまで活動性がないとしてきた断層6カ所を再評価。東日本大震災に伴う地殻変動などを調査した結果、震災直後は周辺の地盤が東に5〜6センチ動く地殻変動があったが、7月までに数ミリ程度と通常に戻ったという。中部電は耐震設計上、新たに考慮すべき断層はない」と総括した。 (産経新聞 8月30日)
○ もんじゅ 来年度予算凍結せず
 開発中止か否かが議論になっている高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)について、中川正春文部科学相は二日、来年度予算に必要経費を計上する方針を明らかにした。ただ、水と触れると激しく反応するナトリウムを冷却材に使うことに懸念を表明。地震などに見舞われた際の安全性を再検証するため、識者による検証委員会を設ける意向を示した。 (東京新聞 9月3日)

6.17.2011

放射線被曝量のエネルギ−値はそんなに小さいの, なのになぜ危険なの?

先に、「被曝量数値の意味するもの」という議論をこの欄でご覧いただいた(日刊ベリタ2001.04.25)。そこでは、被曝量のしきい値のおおよその値を出してみて、それに基づいて、現在許容されている被曝量数値を検討してみた。
ところで、β線、γ線では、Gy(グレイ)=Sv(シーベルト)、α線では、Sv=20Gyであり、1Gyは、1kgの物体(人体)に1Jのエネルギーを与えるものということは周知されているものと思う。そこで、“1Gyとか1Svとかがどの程度のエネルギ−かを考えてみると、1kgの水ならば、その温度を0.00024度上げる程度の極く小さいエネルギ−である”という解説をよく見かける(Jは、カロリーの4.18分の1)。この計算にもGyやSvの定義にも、間違いはない。本当にそうならば、1Svなんてとても危険とはほど遠い、少量のエネルギ−で、危険などと大騒ぎする必要なんかないではないか。ということになる。この論理にどこか間違いがありますか。しかも現在問題になっているのは、Svではなく、その1000分の1のmSvのレベル、またその1000分の1のμSvのレベルである。それならなおさら、問題にするほどのことではないではないか。しかし、先の記事( 日刊ベリタ2001.04.25)で議論したように、0.2μSv/h(h=時間)が一応の危険のしきい値となる。どうしてそんなに小さなエネルギ−が問題になるの?この謎というか理由を今回は検討してみようと思う。
まず、先の通常行われる説明(1Gyは、水1kgをわずかに0.00024程度上げるエネルギ−である−これは正当である)は、放射線粒子(電子、光子)からのエネルギ−が、サンプル(この場合は1kgの水)に当たった時、直ちにこの水全体に均等に分散することを前提にしている。この仮定は妥当であろうか。放射線粒子は、かなり小さい部分に集中する(特に放射性微小粒子による内部被曝のような場合)し、そのエネルギ−は直ちにはサンプル全体に分散しないのではなかろうか。これが一つの疑問。何しろ、生体内の事情は複雑である。まず、生体1kgといっても、その中には、水あり、様々な分子あり、また様々な組織(臓器)、細胞ありきで、放射性物質がどう分布するかなど特定は困難である。
さて、放射線粒子がたまたま特定の1分子に当たったとするとどういうことになるかを考えてみよう。放射線粒子はそれぞれ固有のエネルギ−を有している。それは様々で、β、γ線ではおよそ、5KeV-5MeVほどである。議論の都合上、その真ん中辺をとって500KeVとしておく。これは、8 x 10^(-14)Jに相当する。これが放射線粒子1個のもつ平均的(平均そのものではない)なエネルギ−である。(ということは、mSv(mGy)は、約10^(10)個(Bq)の放射線粒子、μSv(μGy)は約10^(7)個(Bq)に相当する。この換算計算はICRP(国際放射線防護委員会)の原理とは異なり、直接的な換算である。)
この放射線粒子のエネルギーを、化合物の電離エネルギ−(イオン化エネルギ−)や、結合エネルギー(分子中の原子間をつなぐエネルギ−)と比較してみる。電離エネルギ−は、千差万別だが、多くは約2000kJ/molぐらいまでで、1分子(原子)あたりにすると、約3.4 x 10^(-18) J。また結合エネルギ−も500kJ/mol ほどで、1結合あたり8 x 10^(-19) Jぐらいである。これらの数値を比較すると、放射線1粒子のエネルギ−は、こうした化合物1分子を壊す(電離とか結合を切る)に必要なエネルギ−の数万倍から十万倍ほどの大きさである。生体内の物質のおよそ80%は水であり、大部分の放射線粒子はその水に吸収されるのだろうが、その大部分は熱となって放散するだろうし、それほど重大な結果にはならない。しかし、時には(例えば10^(-7)以上の確率があれば)で、分子から電子を蹴り出したり(電離)、化学結合を切ったりする。例えば、健康に直接繋がる分子DNAの一部を電離させたり、結合を壊したりしてDNAを壊す。これは、1μSv の被曝量で起こりうる。しかし、この確率がもっと高く、例えば、10^(-5)ならば、0.01 μSv の被曝でも起る。この確率は、放射性物質の存在状態、周辺の生体物質の存在状態などなどの関連性で決まるのであろうが、推測することは不可能である。しかし、分子を電離させたり、結合を壊したりする確率は、当然のことながら、Bq値が上がるほど大きくなる。もう少し一般的な放射線の作用は、水を分解して、活性酸素を作ったり、細胞膜の分子の結合を切って、反応を起こさせ、もろくしたりする。こうした作用の起る確率は、特定DNA分子に衝突するより遥かに高いであろう。こうした生成物はさらに他の反応を起こし、細胞に不都合な状態をもたらすこともある。他にももっと様々な反応もあるであろうが、まだ十分には解明されてはいない(可能な反応の一応の解説はあるー http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-02-02-10)。
しかし、先の記事(日刊ベリタ2011.04.25)でも述べたように、生体にはある程度の修復能力(DNA修復や、活性酸素失活酵素とか)はあるので、その範囲内ならば、生体は、放射線によって引き起こされた傷を癒したり、有毒化合物(活性酸素も含む)を解毒できる。しかし、この過程でも、直ぐには修復されないが、すぐには負の効果を現さないないような傷もあり得るし、それが被曝の継続で堆積して後に健康に被害を及ぼす可能性もある。
以上、正確で明白な議論はできないが、Gyとか、mSv、μSvなどの数値は、エネルギ−値としてみる時、随分小さい値にみえるが、個々の放射性粒子と個々の分子との相互作用を考慮するならば、決して小さいどころか、かなり大きいエネルギ−値(分子を破壊するに必要なエネルギ−よりも数桁も大きい)であることを示した。そして、内部被曝では、こういう相互作用が起っていて、ここに放射線が、人体(一般に生体)にとって危険な原点がある。
(日刊ベリタ2011.05.04より転載)

6.03.2011

Should Canada continue building nuclear power plants?

CBC is conducting a poll about the issue of nuclear power plant, as follows. Please go to
http://www.cbc.ca/news/yourcommunity/2011/05/nuclear-power-should-canada-follow-germanys-lead.html
and vote.


Nuclear power: Should Canada follow Germany's lead?

May 30, 2011 10:06 AM | Read 155 comments155
By Community Team

An environmental activist sits on top of the Brandenburg Gate after Greenpeace activists fixed a radioactive sign to the Quadriga in Berlin, May 29. An environmental activist sits on top of the Brandenburg Gate after Greenpeace activists fixed a radioactive sign to the Quadriga in Berlin, May 29. (Michael Gottschalk/dapd/Associated Press)Germany will shut down all of the country's nuclear reactors by 2022, according to a plan adopted early Monday.

Germany has 17 nuclear power plants, which supplied about a quarter of its electricity before seven of them were shut down this year after the catastrophe at Japan's Fukushima reactor.

Energy from wind, solar and hydroelectric power currently produces about 17 per cent of the country's electricity, but the government aims to boost its share to around 50 per cent in the coming decades.

In Canada, existing nuclear reactors in Ontario, New Brunswick and Quebec are being refurbished to extend their lives, and there are plans to build more nuclear reactors.

Two new reactors at Ontario's Darlington nuclear plant are expected to go into service in 2018. A new "clean energy park" along side the Point Lepreau plant in New Brunswick, which would blend renewable and nuclear power, is still in planning stages.

The Government of Canada has set the objective that 90 per cent of Canada's electricity needs be provided by non-emitting sources such as hydro, nuclear, clean coal or wind power by 2020.

Should Canada continue investing in nuclear power generation or follow Germany's lead and shut down its reactors altogether? Let us know what you think in the comments below.

5.25.2011

原発擁護の議論の欺瞞

福島原発の事故が原発の安全性神話を破壊したことは事実でしょう。しかし、日本政府は安全性の改善を検討するという態度で、廃棄まではまだ考えてはいないようである。日本などより事故の危険性の低いドイツもスイスも原発全廃に踏み切った。おそらく技術的に完全に安全な原発はあり得ないし、とくに地震国日本では、事故の可能性が大きいのは事実なのであるから、早急に原発全廃(直ちに無理だとして、そういう意思とそれに基づく廃止計画策定を)に向けて動き始めねばならない。
しかるに政府も電力会社も原発を放棄するには至っていない。日本国民のかなりの部分もまだ原発全廃には与していないようである。それには、まだまだ原発擁護の様々な 議論が提出されているという理由もある。その第一は、原発がなくなれば、日本のエネルギ−供給が不足し、停電などが起るぞという脅しである。これへの反論はすでにここでも議論したし、多くの人が行っているのでこれ以上は言及しない。
 もう一つ別の原発擁護の議論は、放射能汚染と健康被害を過小評価して、事故が起っても、大したことはないのだよという説得である。例えば、広島、長崎にあの後、人が住んで十分に普通の生活をしているではないか、だから放射能の影響は現在騒がれているほどのものでないのである、という議論である。広島、長崎で人々はもう普通の生活をしていることは事実である。しかしあの原爆爆発後の放射性物質がどの程度、広島、長崎に残っていた/いるかについての十分なデータがなければ、ただ単に人はほらちゃんと生活できいるではないかといっても放射能物質が健康へ被害を及ぼす可能性を否定することにはならない。原爆後数年間のうちに内部被曝した人達は、いわゆる原爆後遺症に悩まされ続けたことは事実で、放射能の健康被害は明瞭にあったのである(この詳細については例えばhttp://blog.goo.ne.jp/saypeace/e/e7c0c4fb14788871a6c370f4284771c1参照)。しかし、現在では、放射性物質の存在量は、すでに影響を及ぼす程度以下になっているのであろう。
 次に、日本で原発擁護によく使われる論理に、ガンは老齢になるにしたがって発生率が上がる、そして日本は高齢化社会になったためにガン死が多くなっている(ガン死亡率が高いことは事実)。福島原発事故の結果予想されるガン死亡率の上昇(これがどのようにして予測されたか、その正当性の検証は別)は、こうした日本のガン死亡率の大きさと比べると無視できる程度というのがある。だから問題にするにはあたらない。この論理には、ガンが高齢になるしたがって、自然に発生するものという前提がある。そんなことはない、ガンには原因がある。様々な原因があるが、バックグラウンドの放射能が、ここ70年ほどの間に、原爆投下、原爆実験、原発事故、原子力潜水艦事故、劣化ウラン弾使用などなどにより、上昇していることもその一つであろう。その他には、様々なガン化を促す物質の環境への放散もあるが。そしてこの論理で見逃されているのは、幼児のガン発生率の上昇である。その上に、最も顕著な事故であったチルノブイリの、その後の人々への健康被害は、公には、かなり過小評価されて報道されている。
 さて先(http://vsa9.blogspot.com/2011/04/blog-post_24.html 落合日刊ベリタ2011.04.25)に、人間が自然からの放射能に晒されていることは事実であり、それでも人間は通常に生きているという現実に基づいて、しきい値的な数値を出してみた。それに基づいて、現在様々な状況下で許容されている基準値なるものの危険度を検討してみた。次の議論(落合日刊ベリタ2011.05.04)では、 内部被曝における放射線の影響の機構を考えてみた。そこでは、放射線粒子と体内分子の相互作用が内部被曝の健康被害の基礎であることに基づき、いかに放射線粒子が生体物質を破壊するかを検討した。このような観点に立つと、先に述べたしきい値以下でも、その影響があることは確率的にゼロではないことがわかる。これは、自然から受ける(いわゆるバックグラウンド)放射能でも、例えばガンになる確率はゼロではないし、ガンの近年における増大は、先にも述べたように、このことが関係していると考えられる。これを科学的に立証することは殆ど不可能である。しかし不可能だから無視してもよいということにはならない。
 人間に出来ることは、そうした(放射線汚染による)影響を人類や他の生物の健康に及ぼす可能性のある、原爆、劣化ウラン弾、原発などを廃止し、代換エネルギ−を開発すべきなのである。どうして原発を擁護するような理屈を持ち出す必要があるのか。原発がなくとも人間社会はちゃんと機能するし、人々が安心して生活ができる。そのほうが良いのではないだろうか。