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9.29.2021

人類の当面する基本問題(11) 少ない物資で有意義に生きるという挑戦(日刊ベリタ2011.01.16)

今までの議論で、明らかになってきたことの一つは、(特にいわゆる先進国の)人々が今よりもはるかに少ない「モノ」「エネルギー」で生活しなければ、人類文明は持続できないということである。できれば、先進国では現在の2025%程度まで落とす必要がある。おそらく、いずれは更に落とす必要があるであろう。

さて選択肢は、(a)そんなことはおかまいなしに今まで通りにするか、(b)もっと質素だが、有意義な生き方をなんとか探して実現しようとするかである。前者を選べば、おそらく一般人の生活はますます悪くなり、数年後から数十年後には、酷い状態で社会は大混乱になるものと思われる。後者の道を選ぶ方が得策ではないであろうか。

2酸化炭素排出問題で、日本では、すでに十分に省エネを実現しているから、さらに2酸化炭素排出を減らすことは難しいと思われている。しかし、さらに5070%程度減らすことはやろうとして出来ないことはない。技術的に不可能なことはない。成長経済を継続する限りではできかもしれないが、経済も減速している筈(人類の当面する基本問題(10):日刊ベリタ2011.01.12)だし、再生可能エネルギー(太陽光、風力など)への変換が進行すれば、化石燃料を使わずに、悠々とできるであろう。

人類全体の消費を減らすには、原理的に、(1)人口を減らす,(2)個人消費を減らす、(3)両方を減らす、の3方法がある。なお、消費を減らす必要のある人々は主として先進国の国民である。人口を減らすことは別に論じる。

そこで、(2)のやり方を考えてみよう。消費を現在よりもかなり減らしても、質素ではあるが、物質的には現状からそれほどかけ離れない生活をするにはどうするかである。これも原理的には、簡単である。個人として消費しなければならない基本的なもの(食料、衣料など)は、個人が必要とする量(過剰ではなく)を個人が消費する、しかし、個人だけで消費する必要のないモノは、何人かで共有/共用する。食事は個人消費が基本だが、料理・食事場なども共用すれば、さらに消費削減になる。現在でも試みられているコンミューン的生き方である。現在は各家庭で所有しているモノ、例えばレクリエーションのための道具、車などなどを数軒から小コミュニテー単位で共有し、必要に応じて共用すれば、現在の生活程度を落とさずに、全消費量を減らすことができる。交通機関の公共化は、この傾向の大規模な例である。現在の車(個人所有)社会からの離脱が必要である。エコカーに鞍替えすれば、環境にやさしくてよいことは事実で、それを奨励することは良いことだが、車そのものの数を減らすことこそ考えねばならない。

これまで(「人類の当面する基本問題」111)述べてきたこと、その中で、今後はこうあるべきという事情は、現在の状況とあまりにもかけ離れていることは承知している。特に収縮経済の主張は、とんでもない馬鹿げた理論と考えられるものと思われる。しかし、自分の回りばかりでなく、アフリカの子供達や、自分達の孫やひ孫の時代を想像してみていただきたい。今のままの消費で、ひ孫世代にまで十分な資源を残せるとお思いだろうか。収縮経済が不可避とするならば、なるべく早くそれに対応する経済体制を編み出して、混乱を最少にするように努力するべきであろう。


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