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9.20.2021

人類の当面する基本問題(1)法人の人格という問題 (日刊ベリタ2010.11.06)

「人」は生物の一種、ホモサピエンスの一員である。これは自然人と定義される。それに対して法律上自然人のいくつかの特性を付与された組織(人によって作られた)を「法人」という。法人には、営利目的を持つものー企業・会社などと、非営利目的の組織-財団法人、宗教法人などがある。 
     自然人に関しては、国によって異なるが、通常基本的な権利(人権:ヒューマンライツ)が認められている。認められていない場合もあり、それが政治体制への批判の根拠になっている(最近の中国人ノーベル平和賞受賞問題が端的な例)。これも大いに問題であるが、ここでは議論の目的ではない。 
     いわゆる「法人」にどのような権利が認められているか、それが現在の人類文明でどのような影響を人類に及ぼしているか、どうすれば良いかなどを考えてみたい。特に問題は企業・会社などの営利組織(法人)の「人権」である。 自然人に関しては、国によって異なるが、通常基本的な権利(人権:ヒューマンライツ)が認められている。認められていない場合もあり、それが政治体制への批判の根拠になっている(最近の中国人ノーベル平和賞受賞問題が端的な例)。これも大いに問題であるが、ここでは議論の目的ではない。 
     いわゆる「法人」にどのような権利が認められているか、それが現在の人類文明でどのような影響を人類に及ぼしているか、どうすれば良いかなどを考えてみたい。特に問題は企業・会社などの営利組織(法人)の「人権」である。 法人が、生身の自然人とは基本的に異なるものであることは明瞭である。永遠の生命を持ちえない自然人がそうした組織を構成してはいるが、組織そのものは永続性を持ちうる。むしろ営利法人の主要目的は永続性・発展性(利益増大)である。また法人は、生身の人間のもつ感情を持ち得ない。したがって法人全体としては感情に左右されない(法人の中にいる自然人が感情に左右されることはあっても、組織全体は感情とは別の行動原理にしたがって行動する)。すなわち、正常人の道徳観のようなものは、企業の行動原理にはない。  
     とは言っても、法人を動かすのは自然人である。特定の法人の行動を左右することのできる地位にある自然人(経営者と資本家)の影響力が大きい。彼らは法人の行動を下支えする生身の人間(労働者、下級社員など)の感情や生活条件などは、自分達(その所属する法人)の目的に不利ならば軽視する場合が多い。そしてその目的(利益)のためには、「法人」としての人権を最大限利用しようとする。このような法規上の権利は、通常、自然人の持つ権利よりはかなり制限されたものであるが、法人が社会的に勢力を獲得して来ると,権利の拡張を画策する(アメリカでのこの間の事情は落合:日刊ベリタ2007.12.13に略述した)。  
     さて、「法人」という言葉は、日本の造語であろう。おそらく欧米からの「企業は(自然)人の性格・権利をもつ」という概念に基づいているものと思われる。この概念の根拠とされるのが、1886年のアメリカ・カリフォルニア最高裁での「サンタクララ郡対南大平洋鉄道(会社)」裁判の判決に基づいているとされる。裁判長は、この判決文の中で,アメリカ国憲法の改定14項(全ての個人は法の下、平等の権利を有する)が、企業にも適用されると述べたことになっている。すなわち企業も「人」として扱われるべきとした。この後、全ての法科の教科書にはこの判決文が引用されて、企業が人権を有するということの根拠とされてきた。ところが、近年研究者が元の判決文を調べたところ、企業の人権云々はどこにも触れられていなかったのである(判決はそのような根拠を必要としていなかった)。判決文の始めに、裁判所の書記が記した前文に、裁判長の談話(非公式)として引用されていたのである。このような書記による前文は法的拘束力をもたない。実際数年後には、この裁判で異議を唱えた判事の一人は、あの裁判で「企業の人格性を確立しなかった」ことを悔いる発言をしている。このような間違った根拠に基づいて、「企業の人権」が堂々とまかり通ってきたということは、素人としては信じがたいが、どうも事実のようである。  
     その後、企業は、様々な機会に人間と同じ権利を企業が持たないことに対して裁判に訴え、また、個人と同様に、自社を罪に陥れるようなことをしない権利も主張した。そしてついに、2010年1月アメリカの最高裁は、企業に自然人と殆ど同じ権利を付与する判決を出した(落合:日刊ベリタ2010.02.06)。これによれば、政治にも個人と同様あらゆる関与の仕方が許されるようになった。例えば,彼らの献金は、第3者を通じて行われ、直接の責任者は同定できないようにすることも可能である。これにより、カネによる、企業の政治支配が完成したことになる。11月2日の米中間選挙は、こういうカネが大ピラに支配する最初の選挙になった。日本でも、現民主党政権は、企業献金の制限を緩和しようとしている。アメリカ追従も極まったというべきであろう。  
     オバマ氏という非白人への憎悪が底にあるが、それをオバマ政権の社会主義性などなどのデマにすりかえ、それに踊らされた、かなり目立った保守的運動なども含めて、今回の中間選挙はカネの影響が甚大であったようである。オバマ政権が市民の期待に答えられなかったことと、普通のアメリカ市民がこうしたデマに簡単に振り回されるというふがいなさが根本だが。アメリカの政治は、ますます多数市民よりは少数エリートのためのものになる。「偽の人間:法人」が「本物の人間」を支配する。いや正確には、法人を動かしている少数の人間が大多数の人間を支配する。  
     このような状況で,企業の支配を拒否しようとする動きはないのだろうか。T. Hartman(注)によれば、アメリカの100以上の地方自治体で、そういう運動が起こされているのだそうだが、まだどこも法律として確立するには至っていない。それは、自治体がそういう法規を作ったとすると、影響をうける企業が「結構、法廷で争いましょう」とくる。そのような訴訟にかかる費用を考えると、自治体では争えず、法規を引っ込めざるをえないのが現状だそうである。 
     さまざまな場面で、 人格を獲得した企業(法人)が、カネを駆使して政治・経済・社会に甚大な影響を及ぼしているのが現在の人類の状況である。特に、富を少数が収奪(そうなるような政治経済機構を作る)し、大多数の人間を貧困に陥らせている。最近のデータによると,昨年、アメリカのトップ74人の年収は、最下位1900万人の年収に匹敵する(トップ階層の一人は下位の26万人分の収入を手にしている)。 
     WTO組織では、企業の利益が最優先されて、それを損なうものは、抑圧される。例えば,GM作物が、近隣の農場に自然状況下(風などによる)で移植し、それに気がつかずに栽培を続けていた農家が、GM作物供給の企業から訴えられ、WTO下で農家が敗訴し、賠償を払わせられた。 
     例を挙げればきりがない。現在の人類文明の遭遇している問題の根本には、この法人という概念とそれに基づくカネを用いた少数による多数の支配構造がある。法人という法に基づく組織が、大多数の人間に不幸をもたらしている。このような構造は、理論的には「法」を改正して、企業の人格を制限することによって規制することができる筈である。それには立法府そして行政府(司法も)が、カネ(企業)の支配から脱しなければならないが、最近の例でいえば、アメリカの金融企業の野放図な金儲けの試みの結果の金融・経済危機を回避するための規制法規は、形だけで、実質的・有効なものをアメリカ議会は編み出せていない。どうしたらよいのであろうか。 
 (注 http://www.alternet.org/books/148608/the_supreme_court_sold_out_our_democracy_--_how_to_fight_the_corporate_takeover_of_our_elections)

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