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9.21.2021

人類の当面する基本問題(3) 人口問題と生物多様性の減少—人間中心主義 (日刊ベリタ2010.11.18)

 2010年10月名古屋で「生物多様性」会議が催された。現存の生物の多くが絶滅の危機に瀕していることが報告されたが、会議の主要話題は「生物」をいかに利用するか、その国家間での取り扱いといったことで、「生物多様性」の必要性、その維持、なぜ多くの生物が急速に死滅しつつあるのかといった本質問題はあまり関心をひかなかったようである。ただ単に「現在の消滅速度」を落としましょうというかけ声をあげただけ、しかし、それさえも、そのようなことに必要なカネを誰が出すのかで議論は紛糾し、政治問題レベルで終始したようである。 
     このような会議で明らかなのは、人間という種が、自分達は自然を支配している、人間こそが地球の中心であるという「人間中心主義」という奢りに気がついていないことである。ホモサピエンスは、地球上にほんの最近現れた生物の一種にすぎない。その生存は、地球、太陽、地球上の他生物(動植物、細菌その他の微生物)に依存している。おそらく、人類の知識や技術(近い将来のそれも含めて)で解決できない、または左右できない自然現象も多々ある。例えば、プレートテクトニクスの動きは制御できず、したがって地震や火山爆発を制御することはできないであろう。予知する技術は進歩するであろうが。天候も人類の都合のよいようにコントロールすることは不可能に近い(Geoengineeringなる考え方が最近議論され,一部は実施されているらしい。それは現在の地球温暖化を人間の技術で制御しようという試みであるが、その詳細、検討は別の機会に)。 
     しかし、これまでの人類の知識、技術の進歩により、自然の制約からある程度自由になることはできた。例えば、自然に存在する動植物の採集・狩猟に依存する生活から、農業・畜産業の発明により自らの食料を自分達で生産できるようになった。そのために自然の制約から放たれて(といってもそれぞれ、立地条件や天候などの自然制約からは免れない)、人類の数を増やすことができるようになった。こういう現象は他の生き物には見られない。これは、人類が自然から賜った脳と身体的特徴(2足歩行とそれに伴う手の動きの自由さ)による。そして近年の科学技術の進展により、自然にはない多数の、大量のモノを作り出し、医療技術の進歩と相まって、人類の生存基盤を高め、近年の人口の急上昇に繋がった。(人口問題の他の側面の議論は別の機会にゆずる。)そして「人間中心主義」はさらに冗長した。       都市化が進んで、多くの人間が、自分の生きている回りを見ると、人間が作りだしたものに囲まれている(鉄筋コンクリートの建物、道路を走り回る自動車などなど)、自然はどこにあるのかと思われる。田舎に行けば、豊かな自然が見えることがあるが、良くみると、多くの場合、それは人間の耕している畑や水田であり、森の木々も人間の植えたものである。人類が、ほんとうに生態系の中の生物の一種で、数百万の他生物や自然環境に依存して生きているという実感を味わうことは難しい。 
     このような推移を人類の側は人類の進歩と称するが、その裏側はどうなっているか。先ず人類がどの程度の物質を消費しているかを見てみる必要がある。現在人類が年に使用する全炭素量(植物起源)は約1.2 x 1013 kg/年(食料、建築材、衣料、間接的には動物・魚類などの餌など)と見積もられている。地球上の全植物(人間の栽培するものと自然のもの)生産量(炭素換算)で、およそ4.8 x 1013 kg/年と推定されている。この二つの数値を比較すれば、数百万種いる地球生物のたった1種である人類が、全炭素生産量の約4分の1を消費していることになる。現人類の人口は約67億人で、その総体を重量にするとおよそ、2 x 1011 kg。一方、地球上の全動物種の全重量は、約2 x 1014 kgぐらいと推定されるから、人類は体重割りにすると,全動物の約0.1%(この数値はかなり不確実)。この人類が、全植物生産量の25%を使用している。いかに不相応に消費しているかがわかるであろう。75%が人類以外の数百万種の動物達(その他植物依存生物)に残された分である。これだけの量で、現存の全地球動物に十分に食料を供給できているのかはわからない。もちろん,人間が使用したものをさらに食料として使用できる動物(と微生物)もいる。この間の事情を十分に正確に把握することはできないが、人類が不相応に消費し、他生物への分け前が非常に少なくなっていることは事実であろう。他の動物は、食料不足で死滅するか、毎年再生産される以上の植物を消費している(もちろん、人間もそれに加担している)のであろう。 
     一方、人類の「進歩」「人口増加」に伴い、自然環境は崩され、汚染され、他動植物の生態系は破壊される。これと上述の人類の植物の過剰消費が生物の消滅速度を速めている。この消滅速度は、過去に記録されている何回かの生物絶滅期の消滅速度の少なくとも数百倍はある。 
     このような問題は、かなり多くの人が認識しだしたようである。しかし、これ(生物多様性の減少)を止めることは現状では難しい。トキの絶滅を必死に避けようとしているし、目立った生物の絶滅を何とか止めようとする努力はしているし、そうした努力はさらに拡大しなければならないであろう。 
     しかしながら、上に述べたような人類の「進歩」とそれに伴う「人間中心主義」の精神でこの問題を解決することは不可能であろう。おそらく、人類が最大限の努力をしたとしても、生物絶滅は起こり続け、自然の消滅速度まで落ちることは、ないであろう。しかし努力をすることは必要である。どの程度まで生物種が減ったら、地球の生態系が崩壊してしまい、人類の生存基盤もなくなってしまうか今のところ誰も推測できない。人類のできることは、あらゆる手段で、生物絶滅を減らすことのみである。そのためには、人類の生き方を根本的に改める必要がある。地球・自然は人間の為に存在するという「奢り」(人間中心主義)から、人間も生物の一種で、地球生態系と調和して生きなければならないという「控えめな」態度へと。(環境と調和して生きるという生き方は、日本人の古来の精神にはあった。) 
     そして、そのためには、自然環境を壊さないばかりでなく、自然物(再生可・不可にかかわらず)の消費を控えめに、そして自分達の数(人口)を生態系にマッチしたレベルに維持するという知恵も学ばねばならない。

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